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投 稿  
  30年1月~12月   
 随筆 「折伏と育成の大切さ」 瀬戸のなぎさ


 季節も移ろい、朝夕、ひんやりと冷気が感じられるようになった夜のひととき、
「おねえさん、エリナが旦那さんを説得して仏壇を買い、この度、御住職様にお越し頂いて、結婚以来、お巻きしたままにしていた御本尊様を、ようやっと御安置出来ましてん。」と、京都の義妹・みちえさんから、弾んだ声の嬉しい電話がありました。

 「まあ、嬉しいこと!これで安心。おめでとう!貴女もエリナちゃんも、よく頑張ったね!」と、互いに歓び合いました。

 昔、夫の弟が京都で就職し、みちえさんと結婚。一人娘のエリナ誕生後に、ふる里の両親と同居していた私たちの家へ、盆・正月には帰省していました。

 そんな折、私たちが義弟夫婦を折伏し、以来、京都の日蓮正宗寺院の信徒として、三十年余り信心をしてきました。

 その後、エリナが学校を卒業後、京都が本社のファッションメーカーに就職し、やがて結婚。

 一人息子である御主人の実家はクリスチャンなので、本人達は宗教に関係なく『人前結婚式』をホテルで挙げた時は、私たちも出席しました。

 息子が生まれても、エリナは仕事を続けたので、夫婦それぞれの実家から中間の場所にマンションを購入し、両家の祖父母達が孫の育児に協力してきました。

 その孫も今春から中学生になりました。御主人は責任ある立場で、広島へ単身赴任中とのこと。

 たくさんの嬉しい報告を次々としてくれる彼女へ、「来週の十一月四日は、慈本寺の御会式で上京するから、その帰りに京都のエリナちゃん宅の御仏前で勤行をさせてちょうだい。その後、席を設けるので、みんなでお祝いしましょうよ。」と言うと、「是非来て下さい。」とのこと。

 その後、エリナから「翌日の月曜日は出張も無く、有給休暇が取れたので、五日に観光案内をしますので、その時、家へ来て下さい。」との有り難いメールが来ました。

 宿泊予約していた駅前ホテル内の京料理店に、新幹線の到着時間を考慮して、会食の予約をしました。

 御会式当日は、いつも通りに夜中に出発。十時半に新横浜駅に着くと、ちょうど帰国していた次男が駅前で待機してくれ、車で慈本寺へ。

 高速道路も一般道も渋滞していましたが、辛うじて間に合い、ご来賓頂いている御住職様方に御挨拶後、すぐに御会式が始まりました。

 荘厳に飾られた御仏前を拝しながら、皆様のお陰で、こうして今年も元気に参詣させて戴ける身の福徳を感謝し、胸が熱くなります。

 終了後は、予定の新幹線に間に合うように、皆様との挨拶もそこそこに、再び次男の車で新横浜駅へと向かい、予定の新幹線に何とか乗車出来ました。

 御会式の準備や接待で、大忙しだったはずの章子さん手作りのお弁当を、感謝しながら車中で夫と美味しく頂きました。

 午後七時半頃、京都駅に到着。エリナが出迎えてくれ、すぐ近くのホテル内の和室に入ると、弟夫婦と孫が待っていて、次々と飲み物と料理が、一品ずつ運ばれてきました。

「この度は、エリナ宅の御本尊御安置、誠におめでとうございます!」と、まずは夫の音頭で乾杯です。

「エリナちゃんの課長就任もおめでとう!」と私が言葉を添えると、

「私は課長だけど、課の人達のほとんどが私より年長で、色々教えてくれはったり、何かと助けてくれはり、護られてます。

 先週は中国へ出張だったけど、明日は別に重要なこともあらへんから、みんなが有給休暇取っても大丈夫や言うてくれはって。

 おばちゃん、今夜はゆっくり休んで、明日お父さんの車で迎えに来ますよって、ウチの御仏前で一緒に勤行して下さい。それから周辺を観光案内しますから…」

 やさしい心遣いに、昔の面影が重なります。翌朝、約束時間に迎えが来て、右京区のマンションを初めて訪問。

 静かで桜の紅葉に囲まれた広い庭と、広くモダンなマンション。洋間にマッチした木目調の仏壇に御本尊様を御安置し、樒と仏具が供えられた仏壇に、夫が「お祝」を供え、導師として皆で勤行。

 エリナの声の張りと正確な読経に、日々の真面目な勤行が窺(うかが)えて、嬉しくなりました。

 「この春、お母さんと初めて支部総会に行き、素晴らしい体験発表に感動して泣きましてん。私も今のままの信心でいけないと発心し、主人とよく話し合い、仏壇を買うて御住職様にお越し願って入仏式をして頂きました。お陰さんで、いつも私は御本尊様や周囲の人達から護られて、全部功徳やと感謝してます。」

 しみじみ話すエリナの姿に、折伏と後の育成の大切さを改めて再認識しました。

 日蓮大聖人様は

「只(ただ)南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき。真実なり甚深(じんじん)なり、是(これ)を信受すべし」(御書406頁)と仰せです。

これからの彼女が、信心根本に、御金言通りの仕合わせな人生を送って欲しいと願いました。(せとのなぎさ)

 

 随筆 謗法厳誡 瀬戸のなぎさ


 秋雨が降る度に涼しく、しのぎやすくなってきました。
 今日は十月第二日曜日。快晴の青空に、庭の柿の実のオレンジ色が映えています。
 どこからか、『コンコンチキチ・コンチキチ』と秋祭りの獅子舞の鐘や太鼓が響きます。
 半世紀以上も前に、私が嫁いできたのも、こんな季節でした。
 我が家も含め、町内中の人々が地元神社の祭りに参加していましたが、当時から家には日蓮正宗の御本尊様を御安置し、私たちも正宗寺院で結婚式を挙げて頂いたので、私たちは祭りに参加したことはありません。
 その翌秋、当地区が秋祭りの頭屋に当たり、祭りを取り仕切ることになりました。
 義父母には「謗法を犯す事になるので、役は辞退するように。」と夫から両親に話しましたが、気弱な舅は断れず、私たちに内密に神輿(みこし)担(かつ)ぎをして体調を崩し、入院しました。
 病名は『脳梗塞』で、その後、八十才までの二十余年の生涯を、半身不随と言語障害の不自由な生活を余儀なくされ、通院や入退院を繰り返す舅に、私は付き添いました。
 農家の5人姉妹の長女であった姑に婿入りした舅は、真面目な働き者で、やさしい人だっただけに、気の毒で、改めて謗法の恐さを認識。以来、学会と氏子の縁は、キッパリ切りました。
 他宗教の行事には参加しない分、自治会やPTA、民生委員、農協関係などのボランティア活動には積極的に協力しながら、仏法対話も続けています。
 今年は台風被害も無く、黄金に実った田で、朝から夫と三男がコンバインに乗り、稲刈りに励んでいます。
 昼食時、「今日はお前が家の代表で、わしらの分まで、しっかりお参りしてきてくれ。」と、送り出してくれた夫に感謝しながら、以前より『参詣願い』を特別に受理してくださった、琴平の福成寺へ御講参詣です。
 後藤御住職の元、勤行唱題をさせて頂き、『聖愚問答抄』の拝読と御説法を拝聴。
 その後、講員さん達が一丸となり、御会式のお花造りをされている様子に、私も来月早々の菩提寺である慈本寺御会式に、無事、参詣させて戴けますよう御祈念しながら、爽やかな讃岐の秋路を走り、家路へと急ぎました。(せとのなぎさ)




 随筆 樹木希林さんの訃報に想う 瀬戸のなぎさ

 秋分も過ぎ、だいぶ涼しくなりました。
 今、庭の片隅で、真っ赤な彼岸花が群れて咲いています。
 別名、死人花(シビトバナ)などと呼ばれ、嫌う人がいますが、私は、死は来世にまた生まれ変わる(蘇生の義)と捉えているので、不吉な花とは思っていません。
 並んで咲いていた緑の葉に勢いがあり、紫の小花が集合した優雅な花のアメジストセージと、赤く弾けた花火のような彼岸花を居間に生けると、華やぎました。
 九月十六日は爽やかな好天のもと、僧俗一致で綺麗に整備された「慈本寺創立三十五周年記念法要」に参詣させて頂き、翌日、歓喜で帰宅途中でのことでした。
 新幹線車中で読んでいた新聞の『樹木希林さん死去』の訃報に驚きました。
 今年五月のカンヌ国際映画祭で、最高賞パルムドールに輝いた「万引き家族」を久しぶりに、地元のイオン映画館で夫と鑑賞したばかりでした。
 その映画での彼女は痩せて、入れ歯も外し、すっかりお婆さん役に徹し「役作りも大変だなあ」と感心していたのですが、十四年も前から癌を患っていたとは知りませんでした。
 彼女と私は同年齢。十五年前には私同様に網膜剥離で、左眼が失明状態と知った頃から親近感を覚えて、密かにファンとして、応援していました。
 飄々(ひょうひょう)としているのに、存在感のある彼女。シリアスな役柄からコメディーまで個性的で、飾らない人柄が好きでした。
 ふと大聖人様の『妙法尼御返事』の「人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」(御書1482)
が浮かびます。
 自分の寿命がいかほどか知る由もありませんが、「只今を臨終とおぼしめせ」と自分に言い聞かせながら、唱題、折伏に励みつつ、悔いなく人生を全うしたいと、しみじみ思います。

 樹木希林さんのご冥福を、お祈り申しあげます。(せとのなぎさ)


 随筆 少年部合宿登山会」 瀬戸のなぎさ

 長く続いた猛暑から、久々に爽やかな風を感じながら洗濯物を干していた早朝、菜園を隔てた三男宅車庫に黒のワゴン車が帰宅しているのを確かめて、ホッとしました。
 三日前の夜、三男一家が高松の自宅から青梅の慈本寺参詣と、本山での少年部合宿登山に出かけたものの、遠路と猛暑続きの道中に、無事故での帰宅を待ち侘びていたのでした。
 夏休み前、袖山少年部長さんより
「日蓮正宗の信仰を子孫に受け継がせていく法統相続のためにも、大御本尊様と日如上人猊下がおられる総本山大石寺での『少年部合宿登山』に参加されますように…」との御案内を頂きました。
 孫の小三男子と五歳の女児は、家族と支部登山の経験はありますが、少年部登山会は初めてのこと。
 話し合いの結果、三男夫婦と孫たちの親子四人が、自家用ワゴン車で出かけたのでした。
 思い返すと、三男は昭和六十二年、小学五年生の時、本山での少年夏期合宿登山に、当時の所属寺院からは一人で参加しました。
 他支部の少年部長二人が引率下さり、四国から七人の少年達による初めての合宿登山でした。
 その翌春、讃岐本門寺で「四国地方部少年部結成式」があり、三男が「ぼくと信心」と題し、体験発表をさせて頂きました。
 その時の古い原稿を、先日、本棚を整理中に発見し、三十年ぶりに懐かしく再読しました。
 そして、子供の時からの勤行や、そうした登山経験などが、後に結婚相手の折伏や法統相続の継承になり、揺るぎない人生を歩めるのだと思うと、報恩感謝の念にあふれます。
 少年部育成中の世代の方へ、何らかの参考になればと、その原稿を転稿させていただきます。

『 ぼくと信心
               小学五年生 小橋 豊

 ぼくは、この春小学校六年生になる、小橋豊です。
 ぼくが生まれる前、お母さんは病気で、色んな薬を飲んでいたので、ぼくがしょうがいを持って生まれないように、しっかりとお題目をとなえてくれたそうです。
 ぼくは生まれて百日目に、玉林寺で、ご授かいを受けさせてもらいました。
 二才の時、初登山しました。
 小さいころは、お題目だけをあげていましたが、小学校へ入学した日から、家族といっしょに、朝ばんのごん行をかかさず、するようになりました。
 だから、毎朝六時には起しょうします。
 そしてご宝前のお水や、しきみの水の取りかえなどを手伝います。
 一年生のころは、なかなかお経が読めないし、足がいたくて、いやだなあと思ったこともありましたが、お兄ちゃんたちも、小学生の時からがんばっていたので、負けないように、ぼくも続けてきました。
 早起きするおかげで、今まで、ちこくだけは一度もしたことがありません。
 ごん行が終わって台所に行くと、台所の黒板にお母さんが、毎朝五つだけ問題を出します。
 たいていは、漢字の問題です。国語の教科書の中から五つだけ書かされるのですが、書けなかった時は教えてくれて、次の日、また同じ問題が出ます。
 時々、算数の問題のときもあります。
 友だちは、朝ばんのごん行も、五つ問題もやっていないのに、ぼくだけ早起きして、よぶんなことをして、そんをしているように思ったことがあって、お母さんに
「どうして、せないかんの?」
と聞いたことがありました。
 お母さんは
「ごん行して、今日も一日ぶじに過ごせますようにと、ご本ぞん様にお願いすると、ご本ぞん様は豊を守って下さり、ごぶっちや、力をつけてくださるんよ。
 毎朝の五つ問題は、めんどうくさくても、ほんの五分もかからんやろ?
 けど、一週間すると三十五問、一年間続けると、千五百問以上もしたことになるんよ。
 信心も勉強も毎日コツコツしていくと、一生では、すごい力や福運になってゆくんよ。」
と言われました。
 それからは、ぼくも、めんどうくさがらずにできるようになりました。
 ぼくの学校では、毎月、学年別に漢字と計算のテストがあります。
 先月のテストがある日、ぼくは落ちついてテストが受けられるように、しっかり、ごきねんして学校へ行きました。
 すると、漢字も計算もそろって百点が取れました。
 うれしくて、すぐお母さんに見せました。お母さんは
 「よかったね。ご本ぞん様に、ご報告しなさい」
と言ったので、ぼくはテストをごぶつ前におそなえして、お礼を言いました。
 ぼくは、一年生の時から柔道を習っていますが、試合に出る時は、必ずご本ぞん様に力いっぱい試合ができますようにと、ごきねんします。
 そして、勝ってメダルやトロフィーなどをいただいた時も、必ずごぶつ前にそなえてご本ぞん様にお礼を言います。
 昨年の夏休みは、本山での少年部夏期合宿登山に参加しました。
 四国からの参加は初めてで、法楽寺の少年部員四人と竜王寺の少年部員二人といっしょに、玉林寺からは、ぼく一人が参加しました。
 それまで、ぼくは家族と何回も登山していましたが、家から一人で行くのは初めてでした。
 でも、法楽寺の高橋少年部長さんと、妙源寺の外田さんが付きそってくださったので、三泊四日の登山は、なにも不安はありませんでした。
 お山では、全国の少年部員と、ごかいひを受けたり、うしとらごん行に参加したり、本山見学したりして、楽しい登山会でした。
 ただ、すいみん不足が、ちょっとつらかったです。
 これからもしっかりごん行して、なんでもガンバる、元気な少年部員になろうと思います。
(昭和63年4月3日)』

 当時はまだ瀬戸大橋は建設中で、四国高松港から本州宇野港までは連絡船で渡り、そこから富士駅までは鈍行の夜行列車。翌朝、富士駅からバスで大石寺まで行くので、支部登山同様に、三泊四日の登山でした。
 現在は、夜中に起床して一番列車で瀬戸大橋を渡り、始発新幹線を乗り継げば、午前中に大石寺に着ける便利な時代になりました。
 末永く、健康でお登山が叶いますようにと、御祈念しています。
(せとのなぎさ)



 随筆 「西日本豪雨の脅威 瀬戸のなぎさ

 梅雨明けの青空に、太陽が眩しく輝いています。
 降り続いた雨で、また、一斉に伸びた雑草を抜きながら、ここ数日間の四国や中国地方などを中心とした豪雨による惨事が、脳裏から離れません。
 今朝(7/12)のニュースでは、死者数174人・行方不明者62名で、大雨被害の状況が詳しく報道されるようになり、ニュースを見る度に心が痛みます。(その後、捜索が進み死者は200人を超えてしまいました。)
 私の携帯メールにも、7日から8日にかけて、避難情報のエリアメールが何度も届きました。
 幸い、我が家は川や山から離れた台地にあるので、水害などの不安はなかったものの、夫は雨が激しくなる度、地元のため池を見に出かけるので、案じました。
 ため池周辺は、近年、宅地化して建物が増えているので、池の利水組合長の夫は、水の放流具合や堤防決壊を心配して、度々、水門の調整などに出かけます。
 ある夕方の豪雨時、夫が池へ出かけた後、私は心配の余り、池まで様子を見に行きました。
 けれど、堤防に人影はなく、傘を差したまま佇み、無事を祈って唱題し、辺りが薄暗くなって帰宅すると、夫が家で逆に、不在の私のことを心配していました。
 どうやら、池から広い道を車で帰宅した夫と、近道して、細い農道を徒歩で行った私が行き違ったようで、ホッとすると同時に、自然の猛威に恐怖を感じました。
 毎年のように日本列島を襲う、地震・豪雨・大風・噴火等による不安定な国情を見るに付け、大聖人様が『立正安国論』にて、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば三界は皆仏国なり、仏国其衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書 二五〇㌻)
と仰せの如く、正法によって護られる安穏な国土に変わらなければ、人々が心穏やかに暮らしていけないという事がよく分かります。
JR四国の列車はまだ運休や部分運休が続き、四国と本州を結ぶJR瀬戸大橋のマリンライナーが、ようやく4日ぶりに開通したばかりです。
 8月には三男家族が少年部登山会を控えて、孫達も楽しみに、勤行を覚えています。
 どうかその時、好天に恵まれて大橋を渡り、無事、お登山が叶いますように!
 そして、災害で亡くなられた方々の成仏と、被災地の一日も早い復興を御祈念しているこの頃です。
《妙彩30年8月号》(せとのなぎさ)




 随筆 梅酒とシロップ造り」 瀬戸のなぎさ

 梅雨晴れの早朝、庭に出ると、紫陽花(あじさい)や立葵(たちあおい)、美女桜(びじょざくら)衝羽根朝顔(つくばねあさがお)、小海老草(こえびそう)など、色とりどりの花盛りです。
 澄んだ朝の空気に雑草までも勢いよく伸び、朝焼けの空に、鳥たちが飛び交う様は、万物の精気の蘇(よみがえ)りを感じます。
 私は身繕うと、さっそく園芸用のタイヤ付きイスに腰掛け、座ったままの移動で草抜きを始めました。
 湿った土は、快適に作業が捗(はかど)ります。
 やがて、あちらこちらの地面に転がっている梅の実を見つけ「おや⁉」と見上げると、頭上に広がった梅の枝に、青梅が鈴生りです。
 早春に幼い孫たちと、満開の梅の花を愛でながら、庭で「おやつ」を楽しんだのが、つい、この間のような気がするのに、もう実に生っている生命力の強さに感動します。
 この梅の木は、私の次兄が生前、鉢植えの盆栽として大切に育てていたものを貰って、我が家の庭に地植えたもの。
 二十数年経った今では、四メートルほどに育ち、早春には花を咲かせて、初夏には実を付け、その実を梅酒や梅シロップなどに加工したものを会食の折などに、楽しみます。
 夕方、バケツ一杯のウメを収穫し、傷物を選別してから一晩水に漬け、あく抜きです。
 翌日に、一粒ずつふいて水気を切り、広口瓶に氷砂糖を入れ、ウメを加え、焼酎やホワイトリカーに漬けました。
 氷砂糖と焼酎などの量はお好みで、時々瓶を揺り動かして砂糖を溶かします。
 三ヶ月ぐらいから飲めますが、一年後の方が味がよく、我が家では、数年前の梅酒もストックして飲んでいます。
 梅シロップは梅酒と同様にアクを抜き、水気を拭き取った後、広口瓶にグラニュー糖とウメ(シロップが早く上がらないとウメが傷むので、竹串などでウメに数個の穴を開ける)を入れて、毎日瓶を揺り動かし、早く砂糖を溶かします。砂糖の量はウメと同量です。
 息子家族と夕食を共にする時、大人達が酒食する横で、孫たちも同様のグラスに氷水で割った梅シロップを、美味しそうに飲む笑顔が見たくて、今年は多めの梅シロップに挑戦しています。
大聖人様が仰せの
「子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし」(『千日尼御返事』御書一四七八頁)の御金言が胸に染み入ります。

立葵…アオイ科の多年草
美女桜…別名バーベナ
衝羽根朝顔…別名ペチュニア
小海老草…別名ベロペロネ
ここからは、ウメと梅の表記、花の表記に関しての個人的見解です。
花は和名、漢字で表記した方が情緒があり、最後に説明書きすればいいのかなと思いました。
ザックリ、花の事はインターネットで調べました。

※梅=花 ウメ=実と書き分けたかったのだと思いますが、ウメ酒は梅酒と表記する例が多いようです。

※バーベナ(学名: Verbena 英語発音: [vərˈbiːnə])はクマツヅラ科クマツヅラ属(バーベナ属)の総称。約250種の一年草および多年草を含む。ヴァーベナと表記されたり、ビジョザクラ(美女桜)などの名でも呼ばれる。ハーブとしては、フランス語風にヴェルヴェーヌ(verveine)とも呼ばれる。

※ペチュニア(Petunia)とは南米原産のナス科ペチュニア属に属する草本の総称。また、同属の種のひとつ、学名Petunia x hybrida(和名:ツクバネアサガオ、衝羽根朝顔)のこと。園芸植物として花が観賞される。

※コエビソウ(小海老草)
【メキシコ原産「ベロペロネ」とも英名は「シュリンプ・プラント」】
 メキシコ原産の半耐寒性常緑低木。日本には80年ほど前の昭和初期に渡来してきた。キツネノマゴ科ジャスティシア属の植物だが、旧分類のベロペロネ属から一般に「ベロペロネ」と呼ばれる。ベロペロネはギリシャ語のベロス(矢)とペロネ(帯、留め金)の合成語。雄しべの先端の葯の形に由来するともいわれる。
和名は「コエビソウ」。花を包み込む苞が何枚もウロコ状に重なって湾曲し、その形がエビに似ていることによる。苞は初めのうちは淡緑色だが、次第に赤褐色に変化していく。赤く色づいた苞は茹で上がったエビのようにも見える。英名も「シュリンプ・プラント」。苞の間から顔をのぞかせているのが花で、細長い白に赤紫色の斑点が入る。花は長持ちしないが、苞は長く残るため、鉢植えや切り花、庭木のほか生け花や茶花としても親しまれてきた。
 熱帯性植物だけに日光を好み暑さに強いが、寒さにも比較的強い。花期は通常6~10月ごろだが、一定以上の温度さえ確保できれば季節に関係なく1年中咲き続ける。(せとのなぎさ)

7月




 随筆 現世安穏に感謝」 瀬戸のなぎさ

 辺りの若葉が緑を深め、木漏れ日の庭に紫陽花(あじさい)の花が咲き始めました。

 今日(5月21日)は二十四節気の小満(しょうまん)。沖縄では、次の節気の芒種(ぼうしゅ)までが梅雨の雨が最も降る時期で、梅雨を「小満芒種(スーマンボースー)」と呼ぶのだそうです。

 そろそろ四国の当地も梅雨のはしりでしょうか、週末は雨予報です。

 ひと月前のこと、八丈島で紛失した私の杖が宅急便で届き、驚嘆しました。

 春に「にっぽん丸クルーズin八丈島」に参加した折、杖を手に島に上陸して無上寺参詣や島観光をし、夕方、帰船後に、杖がないことに気付いたのでした。

 何処に置いてきたのか思い出せず、船内フロントに一応、紛失届を出したものの(杖を忘れて島観光などが叶ったのは、元気になれた証拠!)と諦めていた杖でした。

 添えられた手紙は、八丈島でタクシーが拾えず、困っていた私たち夫婦を見かねて、遠い日蓮正宗・無上寺まで車で送って下さった島の観光課長さんからでした。

 あの時の課長さんの有り難い親切に、帰宅後、住所が分からないまま、八丈島観光課宛にお礼状の絵はがきを出していたので、当方の住所氏名も分かったようです。

 愛用のネーム入りの折りたたみ杖を抱き、課長さんから私への不便さの気遣いや、早く後部座席の杖に気付けなかった詫びの、謙虚な文面には恐縮しました。

 嬉しくて、お礼に「讃岐うどん」と「杖の送料」に感謝の手紙を送ると、折り返し「送料はお返しさせていただく失礼をお許し下さい」と返金されました。

 そこまで、私たち老夫婦の身体を気遣うやさしいお手紙を御宝前に供え、感謝の唱題をしました。

 日蓮大聖人様の『上野殿御消息』の

 「総じて此の法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を翻(ひるが)へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし。」(御書923)

の御文を改めて拝しながら、一層、信心に励まなくてはと、報恩感謝のこの頃です。(せとのなぎさ)

 (6月)




 随筆 八丈島へのクルーズ」 瀬戸のなぎさ


 朝の春陽が瀬戸の波間にキラキラ輝き、吹奏楽団の「瀬戸の花嫁」の演奏や、デッキから地上で見送る人々に投げられた五色の紙テープが潮風に舞う中、にっぽん丸は静かに高松港を出港しました。
 春は何かと忙しい季節。JRからの「にっぽん丸チャータークルーズin八丈島」のパンフレットも無視していると、いつの間にか夫が夫婦参加で申し込んでいてビックリ。
 電話での私の戸惑いに
 「八丈島の無上寺は、今年創立50周年の善い機会だから、船で行って参詣させて頂いたら?」
との慈本寺御住職の助言に、あわただしく用事を片付けてのクルーズでした。
 デッキでウェイターから配られたウェルカム・シャンペングラスを片手に、風景を眺めながら快晴微風の航海日和に感謝です。
 青い海と空の境が春霞み、辺りの島々や行き交う船が絵画のように美しい!
 しばらく風景に見とれてから私たちの船室に戻り、届いていたトランクの衣類や貴重品などをクローゼットや金庫に納めて、窓辺のテーブルには御守り御本尊を御安置。
 これでクルーズの三日間、このツインルームで他人に気兼ねなく、朝夕の勤行が出来る事が何より嬉しく安心です。
 ダイニングでランチを終える頃、窓から緩やかな弧を描いた明石海峡大橋が見え、急いで七階デッキに上ると橋の上を走る車が小さく見えます。
 5~6年前までは、大石寺や慈本寺への参詣の折、夫と車の運転を交代しながらよく渡った大橋も、下から見上げるのは初めてのこと。
今では列車で瀬戸大橋を渡り、新幹線利用で楽に参詣出来る境界を有り難く思っています。
 「にっぽん丸」は2万2千472トン、全長166メートルの周遊観光船で、客室202室の他、ラウンジやダイニングルーム、喫茶、プール、スポーツジム、図書室、映画館、ホールでの各種ショーやダンス、ゲームなどすべて無料で自由に利用出来ます。
 夕方、勤行の後、少しお洒落をしてオーシャンダイニングへ行くと、和服姿やロングドレスの女性達も居て華やかな雰囲気です。
ウェイターに案内された席に着くと、フランス料理のコースが手際よく次々と運ばれ、ワインも進んでよい気分。
 食後のカクテルパーティーや歌謡ショーなどは覗かずに、夫はシアタールームへ、私は入浴して早々に眠りました。
翌朝は、いつも通りに目覚めて身繕い、夫婦で勤行。「無事に無上寺へ行けますように」と御祈念していると、窓から白い八丈島灯台が見えました。波が荒く、当初停泊予定だった港に接岸できず、洞輪沢漁港の沖合4~5百メートルのところに錨(いかり)を下ろして停泊しました。
 にっぽん丸からは通船による上陸とのことで、午前中に無上寺へ参詣したいと思っていた私たちは、朝食後、一便の通船で上陸。
岸壁では島の観光協会の人たちが、テントを張り幟(のぼり)を立て、八丈太鼓を打っての歓迎ぶり。殺風景な岸壁に、急遽(きゅうきょ)、魚の干物などの売店ができました。
遠くの山道から次々と、オプショナルツアー用のマイクロバスや、予約済のタクシーが岸壁に来るのですが空車はなく、当初接岸予定だった港と違ったため、無上寺まで歩いて行ける距離では無くなってしまい、1時間も途方に暮れていると「島にはタクシーが少ないので、私が送ってあげましょう」と見かねた町の職員が、自分の車で、遠くの無上寺まで送って下さり、感謝感激!
 無上寺御住職は以前、高松の寺院に在勤されていて、いろいろお世話になった方でした。
 奥様と笑顔で迎えて下さり、懐かしく嬉しい再会の後、清々しい本堂で唱題させていただきました。
 無上寺様は、4月22日の五十周年記念法要に向け、本堂トイレ改修工事を皮切りに、御本尊様のお化粧直し、御宝前廻りの荘厳化、本堂屋根の建て替え等の大きな事業をされたばかりのようでした。
真面目で一生懸命な御住職と、その御信心とお人柄に呼応する御信徒の、異体同心の結晶である法城に、お参りできた我が身の福徳を実感しました。
 帰りは御住職の運転で港まで送って頂き、恐縮しました。
にっぽん丸でランチの後、再び上陸してオプショナルツアー半日コースに参加。
 マイクロバスで島の歴史を聴きながら標高854メートルの美しい円錐形をした八丈富士や、潮流が創りだした彫刻のような岩場に大自然が放つエネルギーの凄さを感じます。
 八丈富士の裾野にある満開のフリージア畑で、特産品の黄八丈着物姿の撮映を見学し、お土産に球根付きのフリージアの花束をもらって帰船です。ドラが鳴り午後5時15分出港。
船足が速くなり島影が遠くなる頃、赤く燃える太陽が水平線に近づくのを7階のラウンジから眺めながら『念願していた無上寺参詣が叶ったのは功徳』としみじみ感謝です。
夜の勤行の後、ダイニングに行くと和食が運ばれてきて、夫が清酒を注文。
 盃を交わしながら、夫から「八丈島へ来てよかっただろう?」と問われ「全てが順調に護られて、功徳やなあ!おとうさん、有り難う!」と素直にお礼を言いました。 (せとのなぎさ)

  
 (5月)



 随筆 功徳の上京 瀬戸のなぎさ


 今冬は、立春が過ぎても各地での大雪による交通マヒに、果たして二月の慈本寺御講には参詣出来るのだろうかと、不安でした。
 二月十日の御逮夜の早朝、夫と新幹線車窓から米原辺の雪景色を眺めながら、晴天の新横浜に着き安堵。うららかな日和に、久しぶりに春節で賑わう中華街を散策して、昼食を摂りました。
 その夜は、無事、慈本寺の御逮夜と、翌日の御講法要に参加させて頂いた後、今月で慈本寺住職・赴任十周年の佳節を迎えられる御住職から、これまでの僧道の経緯と慈本寺信徒の多大なる外護への謝辞が述べられました。
 そして弁当や菓子、飲み物等に、奥さんと娘さんの手作りによる温かい豚汁などが全員に振る舞われ、和やかな会食の一時を過ごしました。
 翌日は、早めにホテルを出て小金井公園へ行きました。
 まだ人影もまばらな園内を散策しながら、都内とは思えない静かな広大な園に、沢山の梅や桜などの巨木が林立していることに、驚きました。
 見上げると枝先には無数の堅い蕾が朝日に映えて、春の満開時を想像するだけで、心が華やぎます。
 やがて「たてもの園」に入園すると、江戸から明治、大正、昭和時代の建物が移築して点在。行く先々でボランティアガイドの方々から丁寧な説明を受け、懐かしい商店や住居、茅葺(かやぶ)き古民家などに郷愁を誘われます。
 そんな折、学生時代に建築雑誌のグラビアを見て感動した建築家・前川國男の自邸が「東京都指定有形文化財」として移築されているのを見つけ、屋内を見学しました。
 吹き抜けのリビングルームに長い階段と、南面の二階まで続くガラス窓。そこから陽光がルームいっぱいに広がる高い木枠窓は、私の遠いグラビアの記憶を手繰(たぐ)り、感激でした。
 午後からの、四国への帰路は三連休終日とあって、どの列車も満員ながら、すべて座席に掛けて、揺るに高松駅着。
 ところが辺りは真っ白な銀世界。駅前駐車場に預けていた私の愛車が、厚い雪にスッポリ覆われていたのには驚きました。
 翌日の新聞に「高松で一センチ以上の積雪は四年ぶり」との記事。
 天候に恵まれての、有意義な上京が叶ったのは功徳だったと、報恩感謝の日々です。(せとのなぎさ)

  
 (3月)



【自由投稿】『広布推進会に行きましょう』 N・S

毎月開催されている広布推進会とは、布教区(慈本寺は、東京第二布教区)の活動として実行されるものです。

少々調べてみますと、この「広布推進会」は、布教区としての各支部指導教師(御住職)、及び所属信徒代表の他に、時には地方部の理事、幹事の方々にも御出席されます。

御法主上人猊下の御教導を根本に、未来永遠の広宣流布の礎たる堅固な僧俗異体同心の基盤を築くという意義があるそうです。 広布推進会に参加しますと、慈本寺以外の東京第二布教区に知人、友人も出来ます。法華講員同士として、広宣流布という大目標に向かって心を熱くできる絶好の機会でもあるのです。

何度となく広布推進会に参加させて頂くと、東京第二布教区だけを取り上げても、慈本寺の置かれている東京西部地区の重要な位置付けが分かったりします。

更に、他支部の講員さんとの交流や意見交換を通じて、御本尊様のありがたさや、信心の姿勢、折伏する上での参考になることなど、多くの事が得られます。

また、発表される御信徒の「体験発表」「活動報告」や、支院長様や御住職の「御指導」など聞き逃すことは大きな損失と言えるほど、毎月、尊いお話しが拝聴できるのです。

関係書籍を読み込むことも大切ですが、人々との交流の中で、信心の大事な部分を参加した広布推進会では得られることが多いのです。

広布推進会へは、住職や幹事さんが行くところと決め付けていませんか?広布推進会には多くの一般の法華講員さん達も参加されているのです。

しかも、その参加されている法華講員は多くが信仰心豊かな紳士淑女でもあるのです。

更に参加し、交流することで、慈本寺支部が他の支部からどのように見えているかなども分かり、有意義な刺激にもなります。また、外側から客観的に、自分の支部や自己の信心姿勢を見つめ直すことが出来、気合が入ります。

昨今、植物的な人間が多いと言われていますが、人間とは動物なのです。動く物なのです、参加して動いてみては如何でしょうか。

広布推進会が行われる末寺に参加すると、各寺院内の歴史や雰囲気も感じられるのも有り難いものです。

一人でも多くの方の、広布推進会へ参加することをご祈念いたします。

以上(せとのなぎさ)

 (2月)



 随筆 「親友の成仏 瀬戸のなぎさ

今年の強い冬型気圧配置に、日本列島が震えています。   瀬戸内の比較的温暖な高松の我が家も、今年は庭の水道管が凍結して破裂したり、強風で植物のビニールハウスが壊れたりと厳しい冬です。
 それでもガラス越しに庭を眺めると、落葉して裸になった木々の根本で、白や黄色の水仙(スイセン)の花々が寒風になびき、梅や木瓜(ボケ)の小枝に二輪・三輪と桃色や赤い小さな花が咲き始め、春の近づきを感じます。
 そんな午後のひととき、同志で親友のTさんから、共通の友、ひろ子さんが逝去されたとの知らせに、唖然としました。
 ひろ子さんとは、昨年末のスーパーで声をかけられ、にこやかに会話したばかりでした。
 数年前から、ガン治療を受けておられることを知ってはいましたが、先日の御夫婦揃っての仲睦まじい姿からは、想像できない事でした。
 亡くなる前に「幸せな人生でした。ありがとう。」と御主人にお礼を述べられたとのこと。
 信心即生活で事業を起こされ、新築された住宅を講員さん達の信心活動の場に提供されていた明朗な婦人でした。
 葬儀は所属寺院で、御住職の御導師のもと、孫子などの親族をはじめ大勢の法華講員等で厳かに行われました。
 棺のひろこさんに最後のお別れをした時、誰もが、あまりに美しく、微笑んでおられるような成仏の相に感動しました。
 
『妙法尼御前御返事』(1482頁)

「人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし 云々」

を拝しながら、私も彼女のように、信心根本の悔いのない人生を過ごしたいものと思います。
 天気予報によると、まだ当分寒波は続きそうですが、慈本寺御住職赴任十周年の御講には参詣させて頂きたく、当日が交通マヒにならないよう祈るこの頃です。 (せとのなぎさ)
   

   (2月)



【自由投稿】総本山大石寺へ登山することの意義N・S

 日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山」と言います。
 総本山大石寺は、私たちの信心と功徳の根源であり、本門戒壇の大御本尊様と御法主上人猊下がいらっしゃる最も清浄な場所です。

 登山する意義は、本門戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただき、御法主上人猊下の大導師のもと、大聖人様の教えが世界中に弘まることを祈り、自分も折伏を誓い、そして自分自身の過去世からの罪障消滅と即身成仏を願うことにあるのです。
毎年、総本山で少年部合宿や中等部・高等部合宿などなど、いろいろな登山会が行われますが、大聖人様は登山について、「毎年何度も登山することによって、過去世からの罪障が、今生きている間にすべて消えるで、しっかり励みなさい」と仰せです。
 
 私たちは、誰しもが、過去世からの罪障というものを背負っています。
これが原因となって、いろいろな苦しみや悩みが生まれているのです。
毎日の勤行・唱題を行い、総本山に在す本門戒壇の大御本尊様を求めて登山することは、私たちがその罪障を消し徳を積んで幸せになれる修行です。

 支部を充実させる支部総登山では、所属するお寺の御住職・御主管と一緒に、支部の全講員が登山することを言います。
支部総登山は、前御法主日顕上人猊下の御指南により、平成四年から始まりました。
前御法主上人猊下は、支部総登山を行う意義について、「この総登山という行事に一力寺を挙げて徹底して取り組み、正しく正直に、また、きめ細かに行うことによって、その寺院における組織の真の活性化につながるのです。
それは要するに、その組織の足腰が本当に強くなっていくということです。
それを一年、二年と行っていくところに、やはり僧俗和合一致しての広布の態勢が一つずつ築かれていくと思うのであり ます」と御指南されています。

 支部総登山に支部の全員が参加するためには、御住職の御指導のもとに支部の大勢で準備や工夫をします。
家庭訪問や座談会など、いろいろな機会に登山の功徳をお話していくのです。
この積み重ねによって、支部の中で登山する人が増えると、喜びが支部に充満します。

 登山で御本尊様の功徳がすばらしいと体験できるので、自然とみんなで御題目を唱え、折伏しようという雰囲気に生まれ変わるのです。そうすると、あらゆる面で充実していくのです。
 皆さんもお寺に参詣したとき、お友達を誘って、みんなで支部総登山に参加しましょう。

 大聖人様は、「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なし」と仰せです。
大きな事を成し遂げるためには、みんなの心を一つにすることが大切であるということです。
 
 御法主日如上人猊下は、「異体同心とは、ただ単にみんなが仲良くすることではなくして、大聖人様の教えを拝し、自分の心を御本尊様に任せ、広宣流布のために実践行動を同じくしていくことである。」と御指南されています。
支部総登山に参加することは、講員の全員で御本尊様と大聖人様の教えに心を任せることであり、広宣流布に心を合わせていくことになります。

 支部総登山の誘いは、新しく支部の仲間になった人を誘って登山しましょう。
そして、「支部総登山までに折伏を成就して、その人と一緒にご登山しよう」ということです。

 皆さんはお父さんや、お母さん、お祖父さんやお祖母さんと一緒に登山していると思います。
そこで、家族の方と手を繋ぐのは片手だけにして、もう片方の手は、新しく信心を始めたお友達と繋いで参加してはどうでしょうか。
信心を鍛えて、どんな壁も乗り越えられる強い心になって、御本尊様へお目通り致しましょう。
 (30年1月)



 随筆 「義父母の法事を終えて 瀬戸のなぎさ

 師走の午後の日溜まりに、ナンテンの真っ赤な実が輝いています。
 昔、庭に植えたナンテンの実がこぼれ落ち、種子が辺りの地に沢山発芽して、今では私の背丈より高く群れ茂っています。
 濃い緑葉と艶やかな赤い実のコントラストが可愛らしく、心和みます。
 先日は慈本寺御住職をお迎えし、舅の二十七回忌と姑の二十三回忌法要を、無事に自宅で執り行えました。
 その前夜には、友人の折伏も叶い、佳い年の締め括りが出来たと、ホッとしているところです。
 法事には夫の姉弟や従兄弟たちと、当方三人の息子達が集い、仏壇横の床の間には、それぞれ子や孫らが建立したお塔婆を並べて、お供物や御霊供膳などを供えました。
 御住職の導師のもとに、勤行・唱題・焼香の後、法話を賜ってから、お塔婆を車に積み、分乗して、墓参に向かいました。 その間に、仕出し屋さんや嫁たちの協力でお膳を並べ、墓参から帰宅した人たちの和やかな会食で親睦が図られました。  ふと、仏間の鴨居に掛けてある義父母の遺影を見上げると、久しぶりに集った身内の会話に耳を傾けて、微笑んでいるようで、私も寛(くつろ)ぐ一刻(ひととき)でした。
 義弟は義父母が健在な頃は、毎年、盆・正月は我が家に家族ぐるみで滞在していましたが、そんな折、私たち夫婦で折伏し、現在、京都の正宗寺院に所属しています。
 義妹は役職を受けて信心活動に励んでいるそうで
「お義姉さん、私らお陰さんで御本尊様に守られて、ほんまに幸せやと思うてますねん!
 一人娘も一流企業で課長に抜擢されて、昨日、パリの出張先から帰国したばかりやけど、お爺ちゃんとお婆ちゃんの法事ならぜひお参りしたいと、孫も連れて一緒に来ましてん。
 いつか、ぜひ慈本寺さんへもお参りさせて頂きたいと思うてます。」
と、幸せそうな笑顔に私の心も綻(ほころび)びます。
 『上野殿御消息』(御書九二三頁)に
「総じて此の法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構へて相構へて、心を翻へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後生善処なるべし。恐々謹言。」
の御金言を胸に、信心根本に健康で残された人生を謳歌したいと願っているこの頃です。 (せとのなぎさ)
  
  (30年1月)