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 29年1月~12月
 

 【自由投稿】「御報恩御講に参詣しよう」 D地区 N・S


 「御報恩御講に参詣しよう」
 皆さんは、毎月の御報恩御講に家族揃って参詣していますか?
私はまだ入信歴は浅いですが、入信以来、一度だけ仕事の都合で休んでしまいましたが、それ以外は欠かさず御講に参詣させていただいております。
 私から見て、御講に参詣されない方がいることが、不思議でなりません。
 基本の御講も月に一度の行事であるし、自己決意で入信したのではなかったのでしょうか?
 入信した寺院の御講に参拝参詣して、一時を感応されないのでしょうか?
 時代が変わり人々は、自己都合で宗教も考えているのでしょうか?
それとも、毎日が忙しく、入信の申し込みはしたが、それっきりなのでしょうか?
 今回は御講の意義や寺院に参拝することについて書かせていただきます。

 「大白法」の『信心のしおり』に【御報恩御講奉修の意義】が掲載されています。

 「全国の寺院では、毎月第二日曜日に宗祖日蓮大聖人様に対する御報恩御講が行われています。
 日蓮正宗の僧俗にとって最も大切な行事の一つなのです。
そして「御講」とは、寺院に信徒が参詣し、御本尊様に読経・唱題して、御住職から法話を頂戴することをいいます。
 「報恩」とは、「開目抄」に「仏様の弟子檀那は、必ず四恩を知って知恩報恩をしていきなさい。」とあります。
 知恩報恩は、「恩を知り、恩を報じる」と読みます。
 御本仏日蓮大聖人様の弟子檀那である私たちは、四恩(父母・衆生・国主・三宝の恩)を知って、その御恩を報じていくことが大切なのです。
 しかし、世間には、このことを知らず「自分の実力で成功した」、「誰の力も借りないで生活している」などという考えを持つ人が多くいます。
 これは、恩知らずも甚だしいというものなのです。
 何事も努力することは大切ですが、自分の努力だけで生活できるでしょうか。
 日頃から、皆さんは両親の支えが必要ですし、学校では多くの先生方にいろいろなことを教わり、お世話になっています。
 これらの御恩を忘れず心に留め、その御恩に報いる真心から、お返し申し上げることがとても大事なのです。
 特に、一番大切な信心において知恩報恩はとても大事なことです。
皆さんは御法主上人猊下の御指南、御住職の御指導をいただき、正しい信仰を教わり行じています。
「四恩抄」には、「仏法僧の三宝の恩を戴いて生活をしているのに、その恩を報じない人が、どうして仏道を学んでいるといえましょう。」と仰せです。
 正しい信仰を持つ私たちにとっては、四恩の中でも特に「三宝の恩」を報じることが大切です。
 「三宝」とは仏宝・法宝・僧宝をいい、仏宝は日蓮大聖人様、法宝は南無妙法蓮華経の大法 のことで本門戒壇の大御本尊様、僧宝は日如上人様をはじめ御歴代の御法主上人猊下です。
 さらに総本山第二十六世日寛上人は、「当流行事抄」に、「もしこの三宝の御力がなければ、どうして罪障の深い私たちが即身成仏することができるのでしょうか。」と御指南されているのです。
 私たちは毎日、御本尊様から功徳を戴き、充実した生活をしているのですから、大聖人様に御報恩申し上げることは当然のことです。
 毎月の御報恩御講に参詣して、大聖人様に感謝の気持ちを申し上げましょう。」

 みなさん、毎月第二日曜日の御講参詣は「日蓮正宗の信仰者」にとっては『自然なこと』『当たり前の事』『ありがたい法要』と捉えて、共に参詣しようではありませんか。(12月)



  投稿 「御講参詣の意義」 D地区 N・S 


 日蓮正宗に入信し法華講員になると、御僧侶をはじめ折伏の親や先輩、役員などから、「毎月の御講には必ず参詣するように」と厳しく言われますが、御講には何故参詣しなければならないのでしょうか。また、御講にはどんな意味があるのでしょうか。今回は「御講」参詣の意義について考えたいと思います。

 まず「講」とは、その宗の本尊や開祖をたたえて読経や祈念をし、更に法門や経論等 を講説・論談して報恩に供える「法会(ほうえ)」を言います。

 私達が生まれ育ち、一生を過ごしていく上には、他から被(こうむ)る様々な計り知れない恩徳があります。宗祖日蓮大聖人は、『十法界明因果抄』の中で、「父母は養育の恩深し。一切衆生は互いに相助くる恩重し。国王は正法を以て世を治むれば自他安穏なり。此に依って善を修すれば恩重し。・・・師は亦邪道を閉じ正道に赴かしむる等の恩是深し。仏恩は言ふに及ばず。」(新編214ページ)と仰せの如く、この世に生を受けたことや育てられたこと、或いは衣食住などに例をとってみても分るように、決して自分一人の力で今日の自分がある訳ではなく、また自分一人で生きられるものでもありません。自分に縁する周りからの諸々 の恩恵に浴して、自分が生かされ、生きていくことができるのです。

 仏法ではこのような周りから被る一切の恩恵・恩徳を、便宜上4つに分けています。4つの恩(四恩)とは、一に父母の恩、二に国主の恩(または師匠の恩)、三に一切衆生の恩、四に三宝の恩です。そして大聖人様は、『報恩抄』に、「夫(それ)老弧は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし、いわうや人倫をや。・・・いかにいわうや仏教をならはん者、父母・師匠・国恩をわするべしや。」(新編999ページ)と、また、『開目抄』上に、「聖賢の二類は孝の家よりいでたり。何(いか)に況(いわ)んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩を知って知恩報恩をいたすべし。」(新 編530ページ)と仰せのように、畜生でさえ恩を報ずるのであるから、人間においては尚更報ずべきであり、更に同じ人間でも、仏法を習い実践する大聖人様の仏弟子たる者は、尚一層これ等の恩徳を知り、恩に報いていける人になっていかなければならない、と教えられています。

 あらゆる恩徳の中で、最も重く最も大切なのが、仏・法・僧の三宝尊の御恩徳です。それは我々人間の生命の奥底(おうてい)に作用し、過去遠々劫からの諸々の罪障を消滅させ、全ての者を成仏に導く大慈悲の当体だからです。この三宝尊の御恩徳は、香城に骨を砕き雪嶺に身を投ずとも、報じ尽くすことのできないほど鴻大であり、無量無辺なのです。

 私達法華講員は、須らく本宗で立てる下種三宝尊の御恩徳を深く 、そして重く認識していくことが大切です。大聖人様は『四恩抄』の中で、「末代の凡夫、三宝の恩を豪りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。」(新編268ページ)と誡められております。つまり、知らず知らずのうちに三宝尊の大恩を蒙り、御加護を賜りながら、その恩を忘れたり、認識することも報ずることも知らない信心では、いったいどうして仏道を成就していくことができるであろうかとの御言葉です。

 御講への参詣は下種三宝尊への報恩謝徳の実践であり、信心修行の根本であります。またそれは自らの信心の現れでもあります。御講に参詣することによって、大聖人様の御書に触れ、御法門を学んでより堅固な信心を確立していくことが大切なのです。毎月の御講には、一家の 信心の充実、一家の広宣流布と法統相続をも考えて、家族揃って必ず参詣するようにいたしましょう。
               研究発表 -Nさん投稿-


 随想 蝉しぐれ」 瀬戸のなぎさ

今年の夏は、うだるような猛暑日が続いています。

 早朝の勤行の後、いつものように野ら着に着替えて、夫は田へ、私は庭の手入れに出ると、東の空がオレンジ色に輝き、今日も気温が上がりそうです。

 あちらこちらにキバナコスモスが咲き始め、樹齢二十余年の二本のサルスベリの花も満開。百日近くも咲き続けるので別名は百日紅です。

 昨秋の剪定で、深く切り詰めなかったことが幸いだったのか、勢いよく伸びた新梢の先端に、それぞれが紅と紫色の花房を沢山付けて、華やかです。

 こんな猛暑続きでも雑草は元気で、毎日のように草抜きをしていても、家の回りを一巡すれば、又、生えてきて、うんざり。

 そこで、大切な植物の害にならない場所では、噴霧器で除草剤を撒きます。

 辺りが静かな、まだ明けきらない庭で、ひとり黙々とそんな作業をしている時、カサツ!と徴かな音に手を止めると、目の前のミカンの枝からセミが飛び立ち、驚きました。

 後には白っぽいセミの抜け殻が、小枝にぶら下っています。

 よく見回わすと、周囲の枝にはいくつもの抜け殻が、くっつき、地面にはセミの死骸も。

 奥の柿の枝では、セミが腹の先端を抜け殻にくっつけたまま逆立ちに止まり、頭を起して翅を伸ばすと又、飛び去ります。

 初めてセミの羽化を目の当りにした私は感動で、しばしそこに佇みました。

 やがて日差しが強くなり、辺りの木々からセミの賑やかな大合唱の始まりです。

 セミが鳴くのはメスを呼び寄せるためで、オスしか鳴かないとか。オスの腹には膜があり、振動させることで大きな音を出すという。

 ジィジィ、ミンミンとメスを誘い、枯れ木や土の中で卵を産み、子孫を残すセミの成虫としての命が、わずか2~3週間とは愛おしく、私は来世も人間に生まれたく思うのです。

 やがて汗だくの夫が「お~い!めしにしよう」と田んぼの草刈りから帰って来ました。

 その頃には私も全身、汗でびしょ濡れ。お互にシャワーを浴びてから、朝食です。

 外は強い日差しに、賑やかな蝉しぐれ。

 昨秋の私の腰椎骨折も、唱題の功徳で完治でき、報恩感謝の気持で三週間後の支部登山参詣を楽しみにしています。
  (せとのなぎさ)




 随想 「緑の連なり」 瀬戸のなぎさ


 高松地方気象台は七月二十四日、四国地方の梅雨明けを発表しました。
 先日の台風十一号直撃で、庭のリンゴや柿の実が青いままに沢山落下して、ナスやトマトなどの枝が折れたのを直している内に、いよいよ夏本番です。
 体調を整えて、これからの暑さを乗り越えねばと、自身に気合いを入れます。
 先日、雲が低く垂れたお昼前のこと、同人誌『四国作家』の会、会員の池下玲子さん(ペンネーム堀川佳)の「床頭台」が第五十回香川菊池寛賞を受賞し、受賞祝賀会に出かけました。
 会場はサンポート高松シンボルタワーの三十階にあるフランス料理店です。
 その日の地上はどんより曇り空でしたが、会場のガラス越しにはビルより低く真白な雲が広がり、雲海の間から瀬戸内海に浮かぶ女木島の頂上だけが姿を現わしている幻想的風景の中での祝賀会となりました。
 『香川菊池寛賞』とは、芥川賞と直木賞の創設者である高松市出身の文壇の大御書、菊池寛を顕彰するとともに、優れた作品の発掘や育成、郷土の文学の振興を図ることを目的に、昭和四十年に創設されたものです。
 はじめに同人誌『四国作家』の池内武会長からの祝辞や花束贈呈などの後、受賞者からのお礼の挨拶とこれまでの経緯や感想などが述べられ、乾杯の後、長いテーブルを囲み、和やかに会食が始まりました。
 その様子を見ていると、これまでに受賞された方々や作家として、あるいはご自身の専門分野で研究したものなどを出版されている方とか大学教授、会社社長、歌人などと、そうそうたる人たちばかりで、圧倒されます。
 この会に入会以来、浅識(せんしき)で稚拙(ちせつ)な文章しか書けない私が、なぜ、ここに居るのだろうかと、こればゆい思いをしながら、恩師の故佐々木正夫先生を偲んでいました。
 私が三十代の育児真最中の頃、唐突な長男の希望で得度試験を受け、小学校卒業と同時に遠く離れた大石寺の仏門に入った息子を案じ歓びと淋しさの複雑な思いを持て余している頃でした。
 新聞社の文化教室「小説・随筆作法」の広告が目に止まり、さっそく月二回の講座に通い始めました。
 講師は「讃岐の文学散歩」で第六回香川菊池寛賞を受賞された佐々木正夫先生でした。
 授講生は学生から八十代までの老若男女。まずは、原稿用紙の使い方から文章の書き方など、先生の体験を通して、親切で細やかな講義をして頂きました。
 宿題に自宅で書いた文章を受講者全員に配布し、後日、それぞれの作品をみんなで自由に合評しますが、それは厳しいものでした。
 数年後に佐々木先生が主宰の同人誌「四国作家」の会の会員になり、以来、失敗を重ねながら、今日まで続いています。
 「上手に書こうと思わず、自分の言葉で書きなさい。
 何でもよいから机の前に座り、毎日、書くことを癖(くせ)にしなさい。
 書き上げた原稿はしばらく寝かせて、時を経て読みかえせば間違いに気付けます。
 つまらずに、すらりと読めて理解できる文章になっていることが大事なのです。」
 等々、その都度、先生の教えを思い出しながら、縁あって慈本寺の先輩から引き継いで、「妙彩」に拙(つたな)い随想を書かせて頂いている福運に感謝しています。
 今年は故佐々木先生の七回忌。せめて俗名でお塔婆を建て、本物の仏様の元での追善供養を御住職にお願いしたいと思っています。
  (せとのなぎさ)




 随想 「網膜剥離」の手術の朗報と功徳  瀬戸のなぎさ


 早朝の雨もやみ、明るい日差しの庭でメジロが数羽、梅の梢でさえずっています。
 目の周りが白い愛嬌者のメジロは、満開の梅の花の蜜を求めて、花から花へと飛び移っている風景は、もう春です。
 今朝の新聞に
「眼球の内部を満たし、目の形を保っている硝子体として使えるゲルを開発したと、東京大と筑波大のチームが三月十日付けの英科学誌に発表した。将来、網膜剥離など、目の病気の手術に活用することで、患者の負担を減らせる可能性があるという」
との記事が載っていました。
 硝子体は、目に入った光の情報を脳へ伝える網膜と接し、網膜剥離の治療では、剥がれた網膜を接着させる手術が行われます。
 入院して、手術後にうつぶせの姿勢を続けたり、場合によって再手術の必要もあるが、新たなゲルを使えば、こうした課題を解消。
 網膜剥離のウサギの目にこのゲルを注入して一年以上観察した結果、網膜は正常になり、炎症もなかったとのこと。硝子体は一度失われると再生はできず、人工組織の開発が期待されていただけに、今後の臨床試験が成功すれば、日帰り手術が可能とは朗報です。
 昔、娘時代に私の左眼が網膜剥離になった時、県内では手術が叶わず、遠い広島医大で手術を受けました。
 当時は手術前後の一か月間ほどを砂袋を重ねて頭を固定し、両目塞がれて身動きできない絶対安静を強いられ、大変なストレスの中で自身の無力を思い知りました。
 そして子供の頃に御受戒を受け、家族と共に勤行をしていたのに、都会の学生寮で共同生活を始めた頃から、信心から遠退いていたことを反省し、再び信心に戻れた眼病の試練は、当時の私には功徳だったと思えます。
 聖人御難事(一三九七)に
「設い大鬼人のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたるべしと存じ給うべし。月々日々につよ(強)り給え。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」
の御金言を胸に、こうして御書を拝読し、執筆できる視力を今日まで維持できていることを報恩感謝しています。
  (せとのなぎさ)




 随想 「同窓会」 瀬戸のなぎさ

 三寒四温を繰り返しながらも、日中の日差しに「春の光」を感じる此の頃です。
 庭のしだれ梅のたわやかな枝に、無数の桃色の花が咲き始め、やわらかな陽光を浴びています。
 ひと枝切り、白いスイセンの花を添えて玄関に生けると、春らしく華やぎました。
 今日は小学六年時の同窓会です。
 ようやく仕事や子育て、介護などから解放された県内在住の高齢者ばかりの12名が、昼時に市内の和食店の一室に集いました。
 車や自転車でさっそうと来る人や、夫に送られて足元のおぼつかない人も居れば、和服姿で電車や徒歩の人も居て、様々です。
 ふと、すでに早世されたり、消息が絶えてしまった級友たちのことが、頭に浮かび、こうして今年も元気に集えた級友たちの姿にホットします。
 出席者がそろったところでお茶で乾杯し、会席料理を頂きながら、昔にタイムスリップ。
 お互いを昔の「ちゃん」付けで呼び合って話が弾み、和やかなひとときが過ぎてゆきます。
 昨夜はふとお思いつき、大切に保管していた小学校時代の写真やクラスの名簿、卒業後に恩師や級友たちと交わした手紙などを取り出して、懐かしみながら目を通しました。
 すると昭和三十一年当時の私達六年二組には男子34人、女子29人で合計63人もの生徒が在籍していたことに驚きました。
 振り返れば、ぎゅうぎゅう詰めの教室で男子が騒いだりすると軍隊経験のある担任教師は一喝し、生徒を殴りましたが、PTAで問題になるような時代ではなかったのです。
 ボランティアで専業主婦の母親たちが、学校給食の調理や運動会のバザーなどの手伝い、教師と父母の信頼が渥かったように思えます。
 敗戦後の日本で、平和を取り戻しつつあった時代に、同じ学舎で揉まれながら育った者たちが古稀を過ぎて、なお四季折々に元気で集えることがうれしく、いつまでも集いたいと思います。
 それぞれの宗教はクリスチャンや新興宗教、宗派の異なる仏教徒など様々ですが、折りの触れ、私は法華経の教義の素晴らしさを伝え、「現世安穏、後生善処」で、共に有意義な人生を全うしたいと願っています。
 (せとのなぎさ)



 随想 「つれずれに想うこと」 瀬戸のなぎさ

 大寒を過ぎると、当地も朝夕の冷え込みが厳しくなりました。
 テレビにセルビアの難民が寒波の中、素足で食料の配給に並んでいる様子が写り、心が痛みます。
 日中、縁側の日溜りで繕い物をしていると、ふと若い頃、よく針仕事に励んでいた頃を懐かしく思い出しました。
 昭和四十年に家庭を持った私は、子供の頃に生家で目にしていた「暮しの手帖」の購読を始めました。
 四季ごとに出版されるその本は、仕事と家庭の両立で忙しかった私には読み切るのに程好く、衣・食・住にかかわるアイデアやエッセイは、しんまい主婦にとって、生活の手がかりになりました。
 当時はまだ既製品は少なく、服のほとんどを仕立てに出していた時代のこと。
 装飾性より機能性を強調した、型紙なしの直線裁ちの服の作り方が載っていました。
 早速、私は不用な着物を解いたり、端切れなどで自分と子供たちの服やエプロンなどを縫いました。
 その内、素敵なイラストなどから思いつくまま布で雑貨を作ったり、パッチワークやキルトでの作品などにも挑戦し、いつの間にか針仕事が大好きになりました。
 そのように、いろんな生活の知恵を貰った「暮しの手帖」の創刊者・大橋鎭子をモデルにしたNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」を昨年は毎朝、楽しみにして見ていました。
 そして、あの花森安治編集長の懐かしいイラストなどが放映された時、もう一度、あの頃の本を手にしたいと思ったものの「終活」と称して、前年に古い他の書物と共に処分してしまった事を思い出し、悔いました。
 此の頃は、いつの間にか溜った多くの手芸品や沢山の未使用の布、夫婦駄作の陶芸作品や収集物の片付けに悩みます。
 時の早さと体力の減退にたじろぐ時、
「仏のいみじきと申すは、過去を勘へ未来をしり三世を知ろしめすに過ぎて候御智慧はなし。」の御書(九〇九)を思い出し、叶うことなら、又、来世に、現世の続きを精いっぱい、生きてみたいものと想ったりするのです。 
  (せとのなぎさ)




 随想 「誓願成就の支部登山」 瀬戸のなぎさ

 日暮れが早くなり、今年も残りわずか、何かと忙しい此の頃です。

 十二月の異称「師走」は、一年の最後に為すべきことを為し終える「為果つ」が転じたとする説もあるようです。

 初秋に庭で転倒し、腰椎骨折した私は、退院後も丈の長いコルセットを巻き、スローな生活をしながら、果して十二月の支部登山に参詣できるのだろうか……と不安な日々でした。

 そんな時、夫はいつものように

「大丈夫や!お題目、お題目!

 祈りとして叶わざるはなしやで」

と、家事などを積極的に手伝ってくれながら、切符やホテルの予約を終え、私を叱咤激励してくれました。

 当日の十二月三日~四日は穏やかに晴れ渡り、キラキラと瀬戸内海の波間が眩しく輝く景色にときめきながら、瀬戸大橋を渡り、本山へと向かいました。

 静岡駅で「ひかり」を下車したのが、ちょうどお昼時。

 駅構内で海鮮丼を頂いた後、身延線に乗り換え、車窓から真青な空に冠雪の富士山を仰げた時には、心配していた腰椎の痛みもなく登山できることに、感慨無量でした。

 いつも、取り越し苦労性で躊躇している私を、豪放磊落な夫が引っぱってくれ、助かります。

 おかげで、無事、御開扉や日如上人のお目通りが叶い、誓願成就された支部の方々と共に記念撮影を賜わり、歓喜で新年を迎えられることは嬉しく、感謝の心でいっぱいです。

 今日は冬至といえども日差しが暖かく、南の部屋の出窓はピンクや赤白、オレンジ色のジャコバサボテンが花盛りです。

 これらは数年前に買ったものを大きく育てて株分けしたり、茎を挿し芽して繁殖させたものばかり。

 サボテンも、五月に咲くクジャクサボテンや、夏のひと夜だけ豪華に咲く「月下美人」など、多種多様な品種を育てていますが、開花期が異なり、四季折々に楽しめます。

 人間同様に、植物も愛情と手間をたっぷりかけ、時には唱題しながら世話をしていると、やがて、美しい花が咲き、和ませてくれるようです。

 明年も善い年でありますように……!

  (せとのなぎさ)




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