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 随想 「父の柱時計」 瀬戸のなぎさ

 彼岸に私の生家へ行った時のことです。

 高齢になった兄夫婦が、昔から生家の居間に掛けていた柱時計を私に持ち帰るように言いました。

 もう踏み台に上ってネジを巻く体力もなく、地震などで落ちてくると怖いので、時計を見る度、懐かしがっていた私にくれるとの事でした。

 昭和初期、四男二女の子持ちになった父が、幼稚園と小学校がすぐ近い処に土地を見つけて家を建てたのは父が三十八歳の時です。

 町内の時計屋で見かけた舶来の木彫が施されたスイス製柱時計が気に入り、やっとの思いで手に入れて新築の家に掛けられた時には嬉しかったと、子供の頃、ネジを巻きながら父が話してくれました。

 幸いにも、高松旧市街地にある生家は辛うじて戦災をまぬがれ、今も外観は黒い漆喰壁に連子格子の窓がある昭和初期の佇まいです。

 そこで私は9人兄姉の末っ子として生まれ育ちました。

 物心ついた頃には、歳の離れた兄姉たちのほとんどが結婚や就職などで生家を離れていて両親は末娘の私を可愛がってくれました。

 私はこの時計を見ながら学校やソロバン塾などへ通い、小学校に隣接していた我が家で、下校途中に遊んでいた友だちも、ボーン、ボーンと時を告げる響きに促され、あわてて帰路へ急ぐのでした。

 近くには国の特別名勝に指定されている大名庭園の栗林公園があります。

紫雲山を借景として6つの池と13の築山を配し、大小37もの橋や茶室などが点在している面積75ヘクタールの広大な大名庭園です。

 当時は自由に出入りできたその庭園を父とよく散歩しました。

 春はハナモクレンやサクラに始まり、フジ、ツツジ、ハナショウブから夏の池のハスやスイレン、秋はハギやカエデ、冬はツワブキやツバキ、そして梅林のウメの花が香り、ウグイスなどが鳴き始めると季節は又、春にと巡り、四季折々の風情が楽しめます。

 池には錦鯉が泳ぎ、辺りの茶店の縁台でひと休みしていると、店主が熱い甘酒などを運んできて「お孫さんですか?」と、よく聴かれました。

「いや、わしのおとんぼ(末っ子)ですわ」そんな時、照れた笑顔で答えているやさしい父を私は大好きでした。

 そんな父も私が成人式を迎えた春に、72歳で病死しました。

 臨終の時、私は枕辺で大粒の涙を落していると

「一番、心残りのお前がお父さんに悲しみの涙を落としていると、心配で成仏できないよ。

 しっかりお題目を唱えてあげると成仏して、来世、おまえの周辺に生まれ変わってきて、又、会えるんだよ。」

と兄たちに諭され、気を持ち直して、唱題したのでした。

 穏やかな成仏の相の父を日蓮正宗の葬儀で見送った二年後に、私は正宗寺院で仏前結婚式を挙げました。

 そして二年後、私の不注意から突然に長男を未熟児のまま、早産してしまったのです。

 小さな鼻に酸素ボンベからの管を入れられ、かすかに息づく赤坊に対面した時、咄嗟に(父の生まれ変わりや!)と思いました。

 その姿は、父が亡くなる時、酸素の管を鼻に通していた姿とそっくりに思えたのです。

 医者から小さな命を危ぶまれた私たち夫婦は「広布のお役に立てられる子に、どうか育てさせて下さい」と御祈念して、今日があることをしみじみ有り難く思えます。

 父の五十回忌も過ぎた今、父の柱時計は私の部屋でコチ、コチ、コチと時を刻み、やがてボーン、ボーンとあの懐かしい時を告げる音を部屋中に響かせています。

 昔、父がしていたように踏み台に上がって柱時計のネジを巻きながら、初めて父が私の家へ来てくれたようで、嬉しい此の頃です。

 (せとのなぎさ)



 随想 「柔道」 瀬戸のなぎさ

 ススキの穂がそよぐ日曜日の午後、パタパタと駆けてくる足と共に、孫たちが玄関に飛び込んできました。
「おばあちゃん!僕、柔道で優勝して、金メダルもらったよ!」
と小学一年生の孫が金色に輝くメダルを掲げています。横で園児の妹が
「お兄ちゃんが勝ったよ!これみて!」
と誇らしく賞状を広げます。
「あら、今日は試合だったの?おめでとう!」
と私。後から来た三男が
「朝からの柔道大会で、濂(れん)が一年生の部で優勝したから、御本尊様に報告に来たんや」
と言いながら、一行は仏間へ行きました。
 そして、御宝前にメダルと賞状を供え、数珠をかけると大きな声でお題目三唱し「ありがとうございました」とお礼を言っています。
 私も思いがけない初の朗報に、一緒に唱題していると、夫もやってきて、賞状を手に
「あっ、『第十三回中讃柔道協会選手権・小学一年生の部優勝・小橋濂』と書くいとるわ!濂ちゃん、よう頑張ったなあ、おめでとう!今夜はじいちゃんが焼肉でお祝いしてやるよ」と、夫も御機嫌です。
 その夕方、早めに夜の勤行を終えた私たち家族は、焼肉店で和やかに祝賀会をしました。
 昔、三男が小学生になった春から、家族と一緒に勤行をするようになり、町内の武道館へ柔道の稽古にも通い始めました。
 そのうち、大会にも出場するようになり、試合に臨む前夜の御宝前には、三男が畳んだ柔道着が置かれるようになりました。
 そんな息子の高意から、試合への意気込みを感じた私は『どうか怪我をせず、実力を発揮できますように』と御祈念したものです。
 三男が初段に合格した時、当時、大坊在勤だった道芳さんに手紙で知らすと、思いがけず三男に柔道着用の黒帯が送られてきました。
 それは道芳さんが初段に合格した時、猊下様から賜った貴重な絹の黒帯と知り、それを励みに三男は練習に励んできました。
 現在、かつての武道館へ孫兄妹は柔道の稽古に、三男はボランテァで子供たちの指導にと、家族ぐるみで週三日の夜、通っています。
 心身を鍛え、広布に役立てるたくましい青年に成長して欲しいと思う此の頃です。

 (せとのなぎさ)




  随想 「お盆」 瀬戸のなぎさ

 このところ、連日のうだるような猛暑に、庭や畑の植物が悲鳴を上げています。
 日差しが強い午後に、夕食の用意や夜の勤行を済ませて、夕方から長いホースを引き出し、庭や菜園の散水を薄暗くなるまでする事が日課になりました。
 もう何日(いつ)から、この強い太陽が照り続いているのだろうかと日記を繰(く)ってみると、7月25日の夕立以来「晴れ」と書いていたので20日間も炎天下が続いているのです。
 香川は瀬戸内で年間降雨量が少なく、昔から渇水で水道の給水制限をされることが、しばしばありました。
 けれど我が家には豊富な湧き水の古井戸があり、その水をモーターで汲み上げて、台所や庭や畑などに蛇口を取り付け、配管しているので水不足の心配はありませんが、体力がおぼつかない此の頃です。
 そんな猛暑の午後のこと、チャイムの音に玄関を開けると、宅配の青年が汗を流しながら、重そうな荷物を抱えて立っていました。
 その荷を玄関内の框(かまち)まで運んでくれたので、急いで冷蔵庫から缶コーヒを取り出し
「ありがとう!暑かったでしょう。どうぞ!」
と言えば「頂きます!」と爽やかな返事。
 いつの頃からか、同じ形状の梱包を年に数回届けてくれるその青年は、少し心がほぐれてきたのか
「時々、この長くて重たい荷物が届きますけど……?」
と首をかしげて、ひと言。
「あっ……この中身はお塔婆よ。南無妙法蓮華經のお題目や故人の戒名が書かれた細長い板をお墓の横に立てているのを見たことないかしら?それが塔婆なんよ。お彼岸や盆、法事などの時にお寺でお塔婆供養をお願いすると、亡くなった人も成仏できて、追善供養をさせて頂いた私たちも福運が積め、幸福な人生を送れるんよ。今朝、お墓掃除も終えてるから、お盆のお塔婆持って早速、お墓参りするわ。」
と話すと、少し納得できた笑顔を残し
「有り難うございました!」
と走り去りました。
 こんな些細な仏法対話で、難信難解の法華経の教えを理解するのは無理ですが、いつか又、どこかで仏縁に触れ、それらの積み重ねが機根となり、入信に至ればと願います。
 それぞれの立場で懸命に努力している青年たちの姿を見かけると、つい、遠く離れた地で、目標に向かって励んでいる青年期の孫たちと重なり、心中で(頑張ってね)と祈ります。
 夕方、かねて用意していた樒の束や盆灯籠、お塔婆などを軽トラに積み、夫と4キロほどの山間の墓地に行きました。
 当家や親戚などの墓に持参した物をそれぞれ供え、唱題を終えたころには夕闇です。
 帰りの道中、ドーン、ドーンと遠くの夜空に花火の音が響きます。
「第51回さぬき高松まつり」の13日は四国最大級の花火大会。高松沖から8千発が夜空に花を咲かせ、国内最大のクルーズ客船「飛鳥Ⅱ」が横浜から約870人の見物客をのせて寄港するとの新聞記事を読みました。
 昔はよく大勢の人波にもまれながら、花火見物に出かけたものですが、今は我が家で寛(くつろ)ぐのが何よりです。
 明日は兄妹そろって8月生まれの孫たちが墓参して、夜はいっしょにお誕生会。
 明後日は親戚が墓参に来られるので、又、一緒に墓参して我が家で会食と、楽しく忙しいお盆になりそうです。
 盂蘭盆御書(1376ページ)に
「日蓮が色心は父母の遺体なり。日蓮が色心、仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ」
と仰せです。自身の信心を生涯、磨き深めていきたいと思います。
 (せとのなぎさ)




  随想 「誕生日」 瀬戸のなぎさ


目覚めると、もう障子が白みかけています。
 今日は「海の日」の休日であり「瀬戸内国際芸術2016」の夏期会が始まる日。
 そして、私たち夫婦の誕生日なのだと思いながら身繕いを終えて仏間へ行くと
「おはよう。誕生日おめでとう!」
と、先に夫から声をかけられました。
 一歳上の夫も私も七月十八日生まれです。
転勤などで遠く離れていた時も、誕生日は一緒に祝って五十余年が過ぎました。
 三男も来て、ともに朝の勤行をしながら【今日で私の両親の享年齢を超えたのだ】と気付くと感慨深く、夫婦そろって健康で生かされていることに、感謝を込めて唱題です。
 勤行を終えると三男は
「おめでとう!今夜はうちへ食事に来まいよ」
と笑顔で誘って帰りました。
 いつものように温いコーヒー牛乳を飲んでから、夫は田んぼへ、私は庭や菜園に出ます。
 朝焼けの空に爽やかな空気。青紫の茎の長いアガパンサスの花が群れ咲いています。
 南アフリカ原産ですが耐寒性が強く、高松でも越冬して、アジサイの花が色あせる頃、大輪の花を咲かせるのです。
 それを合図に、順次咲き終わったアジサイの枝を、花芽を残して切り詰めてゆき、庭中のアジサイから花が消える頃、暑い夏の到来です。
 二時間近く庭や菜園で作業すれば汗に濡れ、浴室に駆け込んでから朝食の用意です。
 夫も帰宅するとシャワーを浴び、NHKの朝ドラを見ながら食事します。
 サラダのキュウリやトマト、スターレッドなどは菜園で採れた物。四季折々の野菜や果物、米などを自給自足していることが、癒しや体力維持につながっているように思えます。
「今日は讃岐本門寺へお参りしよう!」
 食事中の不意な夫の誘いに同調して、先日、
高齢者免許更新をしたばかりの私は、久しぶりに高速道を運転して、本門寺へ向いました。
 緑に染まった讃岐平野に、広々とした灰色の高速道路が、青空に向かって延びています。
 交通量が少なく、田園の美しい風景に、リストの「愛の夢」のピアノ曲が流れ、昨日まで仕事で多忙だった夫は横で寛(くつろ)いでいます。
 若いころに網膜剥離で左目の視力を失い、三年前に右目の白内障手術を受けていた私は、此の度の運転免許更新が適うのか不安でした。
 けれど無事更新でき、免許取得以来四十四年間、無事故無違反で今日まで来られたのは功徳であると、感謝の気持ちでいっぱいです。
 もう、かつてのように慈本寺や大石寺まで車で行く気力は萎(な)えましたが、日常生活でハンドルを握れば、常に唱題しています。
 やがて本門寺につき、懐かしい本堂のガラス越しにお御影樣を拝していると、大客殿の方から唱題が流れてきたのでそちらへ行き、唱題行に参加させていただきました。
 終了後、参詣名簿に記入し、御供養に「慈本寺信徒」と書かせていただき、再び清々しい気持ちでハンドルを握りました。
 その夜、隣りの三男宅のチャイムを押すと「おたんじょうび、おめでとう!」と口々に三歳の孫娘と六歳の男孫が走り出て競って画用紙をくれました。
 それらには「おたんじょうびおめでとう!いつまでもながいきしてください」とメッセージや私たちの似顔絵がたくさんのハートマーク入りで書かれています。
「ありがとう!上手に書けとるね」と抱きしめると、嬉しそうに食卓へ案内してくれます。
 三男夫婦の手料理で、鯛めしや鯛の煮つけ、カルパッチョなどが食卓に並べられ、みんなで乾杯しての楽しい会食でした。
 遠くに住む長男や次男たちからも、それぞれ優しい心遣いが届いている夫は上機嫌で
「今日は、ええ誕生日やったなあ…!」
と帰る道すがら夜空を見上げて呟きました。
 (せとのなぎさ)




  随想 「努力の姿に学ぶ」 瀬戸のなぎさ

 今年は梅雨入りしてからというもの、気温の差が激しい日々が続いています。
 真夏なら耐えられるような暑さでも、晴れ間には、かなり蒸し暑く感じられるのは、まだ暑さに慣れていないためでしょうか。
 雨と晴れを繰り返す日々に、私の背丈より高く育ったタチアオイや色とりどりのアイジサイなどの花が咲きほこり、同様に雑草まで、いくら抜いても生えてくる此の頃です。
 雨上がりに草抜きをしていると、突然、背後でバリバリバリ・・・!と大きな音。
 振り向くと、大きなスモモの古木の枝が雨を含んだ重さに折れて、地面に赤く熟した果実が転がり散っていました。
 木の折れ口が茶色く空洞になっていたから、茂った小枝や、たわわな果実の重さに、耐えられなかったようです。
 樹木も年を重ねると、いつかは朽ちてゆくのだと思うと、愛しく思います。
 この春は周囲から、朗報が多くありました。
 とりわけ町内在住の私たち夫婦の陶芸の師である平田繁實先生が、京都造形芸術大学・通信教育部・陶芸コースを96歳200日の最高齢で卒業されたことは、全国ニュースになりました。
 先生は定年退職後に趣味で陶芸を学び始められ、自宅に窯を据えてからは、陶芸教室を開き、私たち初心者に教えてくれました。
 さらに陶芸を窮(きわ)めるために85歳で大学入学。
 自宅でレポートなどの課題に取り組むテキスト科目48単位と、教室で授業を受けるスクーリング科目83単位を11年かけてクリアし、このほど学位を取得して卒業されたのです。
 その間は、新幹線やホテルなどを利用して授業を受けたり、自宅での猛勉強ぶりを見守っていた私たちにはとっても嬉しい出来事で、陶芸仲間たちと手作り料理で祝賀会を開いた時は先生共々、感激に咽せびました。
 世間の反響も大きく、インターネット上に
「おめでとうございます!何事も 諦めずに頑張る勇気を貰いまし た」
 など、多くの好意的な言葉が投稿されましたが、
「96歳の高齢者が学士を取得し ても、世の中の役に立たない、 そんな金があるなら、貧しくて 大学へ行けない若者に寄付すれ ばよい」
「大学の売名行為では?」
などと、他人の名誉を傷付けるような書き込みもあり、驚きと怒りで唖然(あぜん)としました。
 先生も、それらを読まれた時には、茫然とされていましたが、先日、世界最高齢での大学卒業がギネスに登録され、認定証が自宅へ送られてからは又、元気を取り戻されました。
 先週は新聞社やテレビ局などから大勢の報道関係者が先生宅へ取材に来られ、私たちもお茶の接待などで忙しくしながら、先生が笑顔に戻られたのが嬉しく、ほっとしました。
 この一件で、改めて世の中には多様な見解の相違がある事や、中傷などに恐怖を感じました。
 特にツイッターなど、インターネット上で、誰れからの発言か分らないままに他人を挑発し、名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害をする行為には人間性を疑います。
 取材の翌朝、先生が我が家に来られて
「昨日はお世話になり有り難うご ざいます。この花は花好きな奥 さんに、こちらで飾ってもらえ ると有り難いのですが」
と、私に花束を差し出されて、躊躇(ちゅうちょ)しました。
 それは前日に大学から来られた教授から平田先生に贈られて、記念撮影(原文は「映」)に収まった豪華な花束でした。
 先生に促されて花束を受け取った私は、返礼に郵送されてきたばかりの「妙彩」を「又、お読み下さい」と、差し上げたのでした。
      (せとのなぎさ)


  随想 東日本大震災5年目を迎えて」 瀬戸のなぎさ


 寒暖をくり返しながらも、ひと雨ごとに春めいてくる季節になりました。
 今日(三月十一日)は東日本大震災から五年目にあたり、朝からテレビや新聞はそれらの報道であふれています。
 死者、行方不明者、関連死は二万一千人を超え、まだ約十七万四千人が避難中とのこと。
 故郷での暮しを失った悲しみが癒えないままに、福島第一原発の廃炉作業は進まず、復興への道のりは、まだ遠いようです。
 テレビに映し出された私たちの想像を絶する津波の凄さと、人々のどよめきや悲鳴を聞きながら、私はただ息を詰め涙して、心中でお題目を唱えながら映像に見入っていました。
 東北の台地には、まだ放射性廃棄物が処理されないまま黒い袋に詰められ、山積みされている画面に、やるせ無い思いです。
 高レベル放射性廃棄物処分や廃炉のことなどを考えると、原子力が安く便利とするのは幻想に思え、多くの問題を解決できないままに、原発再稼動や新増設が進めば、子や孫たちの次世代は大丈夫だろうかと案じます。
 そんな思いから、福島原発事故の後、試験的な気持で、我が家の屋根に太陽光発電ソーラパネルを二十一枚取り付けて、四年が経過しました。
 以来、毎月の発電データを記録していますが、日照時間が短い冬期で一ヶ月二〇〇KWH代、晴天の多い五月は四五〇KWH以上の発電があり、年間平均は3496KWhです。
 庭には庭園用のソーラを数本設置していますが、安価ながら足元をよく照らします。
 日本は火山の多い国、その地熱や風、水、太陽など、自然からの発電で環境にやさしいエネルギーの研究開発を望みます。
 来世、生まれ替れるなら、やはり大御本尊様がおわします平和で美しい日本にと願っているのです。
 (せとのなぎさ)


  随想 「勤行」 瀬戸のなぎさ

 春めいた陽気から一転して真冬の寒さが逆戻りしたり、四月上旬の気温に変化したりと、体温管理がむつかしい此の頃です。
 立春以降の寒さを余寒といいますが、寒暖を繰り返しながらも、晴れ間の太陽の明るさに、春の訪れを感じます。
 今日、二月十六日は日蓮大聖人様のお誕生会です。
 前日から用意しておいた新しい樒(しきみ)や餅などを御宝前にお供えしていると電話が鳴り「おはよう!」と、昨日、高知へ出張したばかりの夫からでした。
 久しぶりのモーニングコールに、昔、ゼネコンを定年退職するまでの二十年近くを単身赴任していた当時を思い出しました。
 その頃は、毎朝のモーニングコールでお互の仕事や家庭の様子などを伝えあってから、お山の六壺で小化小僧さんたちが奉修されている朝の勤行時間(五時三十分)に合わせて、私たちもそれぞれの地で勤行していました。
 そうすることで、離れ住む家族の一体感を味わっていたように思えます。
 現在は、隣家からやって来る三男の出勤時間の都合に合わせて、五時から一緒に勤行しています。
 高齢になって、夫の出張などで一人で夜を過ごす時などは不安になりますが、早朝に配達されたばかりの朝刊を新聞受けから取り出して「おはよう!」と息子が手渡してれ、一緒に勤行できると、ほっとします。
 勤行しながら、夫も高知のホテルでお守りご本尊様に向って共に勤行している姿を連想しながら(今日も夫の職務が、つつがなく全うできますように)と祈ります。
 日蓮正宗の信仰は「日々、朝夕五座三座の勤行が基本」と教えられて実践してきました。
 長い間、勤行を続けてきたご加護での幸福な境涯に御報恩感謝を申し上げる日々です。
 法師品十五箇の大事に(御書一七四九)
「朝々(ちょうちょう)仏と共に 起き、夕々(せきせき)仏と共 に臥す。時々(よりより)に成 道し、時々に顕本す」云々。
との一節が好きで、よくひとり口づさみます。
 外は五年前に植えたシダレウメが三メートルほどに育ち、数日前からピンクの花が滝のように垂れて満開です。
 もう、春はそこまで来ています。
 (せとのなぎさ)


  随想 「初詣と年明けうどん」 瀬戸のなぎさ

 平成二十八年は暖かく穏やかな天候に恵まれて、幕明けしました。
 この冬の正月までの高松平均気温は、観測史上最高となり、正月の我が家の庭には早くも悔やボケースイセンなどが開花して、春のような陽気でした。
 元且は家の御仏前での初勤行と、御節や讃岐独特のあん餅雑煮で朝食後、三男家族と一緒にワゴン車で道程二十キロほどの福成寺様へ、初詣に行きました。
 福成寺は創建二七〇余年の由緒ある口蓮正宗寺院で、私は子供の頃、この寺院で御授戒を受けました。
 当時は、本堂に大聖人様の御影が鎮座されていたのが印象深く記憶に残っていますが、後に本山へ御遷座されたそうで、今は拝せません。
 福成寺の御住職と慈本寺の御住職が同期生で得度された時から存じあげているので、「寺院参詣願い」を発行いただき、折にふれ参詣させて頂いています。
 今年初の唱題行の後、元旦勤行が奉修され、今年の折伏成就や無病息災などを御祈念し、御住職様からご説法を賜わりました。
 この春、小学生になる孫が、お経本を読めるようになったことが嬉しい初詣でした。
 帰りの道中に昼時となり「讃岐うどん」の看板や幟(のぼり)が至る処で目に止まりますが、元旦に営業している店の駐車場はどこも満車です。
「山手のあそこなら大丈夫やで」
と、運転していた三男がハンドルを切り、坂道を登ると、林の中に古風なうどん屋がありました。
 セルフの店で、客が盆を手にカウンター横に並べている天ぷらや寿司皿などを載せ、奥の店主に「肉うどん大」とか「掛け中」「スジあんかけ小」などと注文します。
 ちなみに、うどん一里は二〇〇グラム。「大」は三里、「中」は二王、「小」は一里入りです。
 大釜で茄(ゆで)上がり、冷水にさらしてヲソの強い出来たてうどんにだし汁が掛かった鉢を盆に受け取り、勘定場で精算してからネギやショウガ、ゴマなどを自由に入れて席に着きます。
 窓ガラス越しに、晴れ渡った讃岐平野を見渡しながら食べ始めると、次々と客が来て、またたく間に外の駐車場まで長蛇の列。
 「ええタイミングで店に来れて良かったな!功徳・功徳’・」
と言いながら、夫は好物の年明けうどんを美味そうに啜っています。
 近年では県外や海外からの「うどんツアー」も増えた香川県は、年賀ハガキも「うどん県」と印刷されるまでになりました。
 うどんの生産量は日本一ですが、その一方で、食べられずに捨てられるうどんも多く、年間、一五〇トンが廃棄されるとのこと。
 うどんは出来たてが命。茄でから三〇分以上たったものや、うどん生地が裁断され、麺へと変わる途中で、短かいものや、もろいものは捨てられます。
 これを有効活用しようと、十二年に共同事業体で「うどんまるごと循環プロジェクト」が始まりました。
 うどんなどの食品廃棄物ニトンに水を加えて細かく砕いた後、直径と高さが八メートルの円筒形タンク内で三十七度に保温して約一ヶ月間、発酵させてメタンガスを生成。
 それを用いて電気を生み出し、固定価格買い取り制度利用で四国電力に販売する売電収入は、年間約七〇〇万円にもなるそうです。
 その残りかすから作った液肥を利用しての小麦栽培に成功したとの朗報には驚きました。
 何事も創意工夫でなせば成るもの。
 今年も善い年でありますようにと願います。
 (せとのなぎさ)



  随想 「年の瀬に想う」 瀬戸のなぎさ

 十一月は天候不順な日々だったので、今年最終の支部登山の天気が気がかりでした。
 ところが当日は、列車から眺めた真白な冠雪の富士山が青空に聳(そび)え、朝日に輝いている雄姿はみごとでした。
 来年は、先日、御授戒を受けられた友人と一緒にお登山が叶い、更なる折伏が成就できますように御祈念しました。
 御住職とは急な葬儀でお会いできませんでしたが、お元気いっぱいの慈本寺の方々と和やかな時を過ごし、中三に成長された所化小僧の明盛さんとも面会ができ、嬉しい支部登山でした。
 翌日に帰りの新幹線車中のこと
「今朝、漫画家の水木しげるさんが死去」のニュース速報がテロップで流れて、驚きました。
 最近まで、ひようひようとユーモアあふれる表情で対談されている元気なお姿をテレビで拝見していたにで、ショックでした。
 息子たちが幼い頃、「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメを見ていたので、どこか愛嬌のある妖怪たちや主題歌は、今も懐しく思い出されます。
 水木さんは妖怪物だけでなく、かつての壮絶な従軍体験を反映したリアルな作品も多く書かれていて私も読み、戦争の愚かさや惨めさを改めて感じて以来のファンでした。
 作品を通して戦争の悲惨さを訴え続け、文化功労者に選ばれたり、フランスの「アングレーム国際漫画祭」で遺産賞を受賞されたことは、海外でも高い評価を受けている証(あかし)です。
 昔、春休みに家族らで、鳥取砂丘から日本海沿いの国道をひたすら西に走り、境港までドライブ旅行をしたことがあります。
 初めて訪れた境港は閑散として人通りもなく、水平線の彼方から打ち寄せる日本海の荒波に、穏やかな瀬戸の海しか知らなかった子供たちはおののきましたが、民宿で食べた新鮮な魚貝や蟹の美味には感動したものです。
 後に夫が定年退職してから、あの時の海の幸を求めて山陰地方へ旅行しては、境港の魚市場へ買物に寄るようになりました。
 行く度、駅前や商店街などに配置された鬼太郎や妖怪などのブロンズ像が増え「水木しげるロード」が整備されて「水木しげる記念館」も開館し、いつも多勢の観光客で賑わっていることに驚嘆していました。
 お目当ての水産物市場の駐車場も大型観光バスや県外ナンバーの車であふれ、市場の活気ある喧騒に、水木さんの故郷への貢献度はすごいなあ!と感心していたのです。
 最近、世界各国でのテロや爆破・空爆・撃墜・難民などの活字が並ぶ新聞を読んでいると、世界が戦争状態に近づくようで不安になり、反戦を唱える体験者の死を惜みます。
 諫暁八幡抄(御書一五四三)に
 「末法には一乗の強敵充満すべ し、不軽菩薩の利益此なり。各 に我が弟子等はげませ給へ、は げませ給へ」
と日蓮大聖人様は仰せです。
 ただ考えているだけでなく折伏を体験し、育成に誠意でのぞみ、異体同心で広宣流布をめざすところに真の平和が実現できるのだと、自身を叱咤激励しながら、折伏に励んでいます。
 (せとのなぎさ)

 
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