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 25年1月~12月

  随想 「冬の夜長に」 瀬戸のなぎさ12

 今年の夏は長く続き、冬は駆け足でやって来ました。近くの国道のイチョウ並木が黄金に輝き始めて、朝タはだいぶ冷え込むようになったので、冬仕度をと納戸で衣類の整理をしていたところ、懐かしい木綿のジャンパーが出てきました。
 三十年も前に、三越高松支店の紳士服売場で、木綿の柔らかな膚ざわりと、綿入りの温もりに酒落たラグラン袖が気に入り、ワインレッドのM寸とカーキのL寸を夫とぺアで買ったものです。
 それを着て旅行したり、当時、中一だった次男と小一の三男らと共に四国最高蜂のスキー場でスキーの初体験をした思い出のジヤンパーですが、ポリエステルで羽毛入りの軽いものを貰ってからは、いつの間にか忘れ去ってしいました。さりとて処分するのは忍び難く、考えあぐねて袖丈を半分切り落し、切り口をかがってセーターの上に羽織ってみました。
 肩からすっぽり暖かく、鏡に映すと今風で、まんざらでもあません。夫のも同様にリフォームして羽織ってもらうと「これは温(ぬく)うて、袖が邪魔にならずにパソコシが使えるからええわ」
と喜んでもらえました。なによりも愛者ある物を再活用できることが嬉しく思った時、ふと、厳寒の佐渡へ流罪になり冬を過ごされた日蓮大聖人様のことが脳裏に浮か びました。
 板壁の透き間から吹き付ける雪が室内に積もる塚原の三昧堂で蓑(みの)を羽織られて御書等を認(したため)られたという言い伝えには、想像するだけで心が痛みまず。
 十年ほど前の春のこと、 私たち夫婦で大聖人様を偲んで佐渡へ旅したことがあります。
 当方が住んでいる風光明媚で穏やかな瀬戸内海とは違って、広く水平線が見える日本海の荒波に浮かぶ佐渡ケ島は荒涼としていて、四月といども吹く風は冷たく、しぼし喫茶店のストーブで暖を取ったことが思い出されます。
 「妙彩」に拙い随筆を書がせで頂くようになって、ちょうど一年になりました。
 昨年、住職さんから原稿依頼を受けた時、私ごとき者が、とんでもない・・・と辞退しましたが、それまで執筆されておられた先輩ご婦人の体調具合を伺い、これも自身の仏道修業と、僭越ながら引 き受け
させて頂きました。
 お陰さまで、これまであまり手 にしなかった「日蓮大聖人御書」を本棚から私の机に移し、少しづつ でも拝読させて頂けるようにな れましたことには有り難いことと思います。
 「千日尼御返事」(一四七四)に
 「法華経に云はく「若し法を聞く者有らば一(ひとり)として成仏せざること無し」云云。文字は十字にて候へども法華経を一句読みまいらせ候へとも釈迦如来の一代聖教をの(残)こりな(無)く読むにて候なるぞ。-中略-されば此の経をよみて見候えば、此の経をき(聞)く人はひとりもか(欠)けず仏になると申す文なり。」
と仰せの御書に励まされます。
これからの冬の夜長にリフォームした綿入れを羽織って、あらゆるジャンルの読書を楽しみたいと思っています。(せとのなぎさ)
(12月)


 

  随想 「視力が回復して」 瀬戸のなぎさ11

 今日は孫の保育園の運動会でした。

 爽やかな秋空のもと、近くのグラウンドで組別に色分けされた帽子の園児たちと保護者や来賓客が集い、工夫を凝したいろんな競技が和やかに繰り広げられました。

 グラウンドの向こうには緑豊かなおむすび山が真青な空に映え、手前に広がる溜め池では白いアヒルたちが水面に浮かび、堤のコスモスが風に揺れている風景はまるで一幅の絵のような美しさでした。

 広いグラウンドの中ほどで踊っている孫たちの表情が裸眼ではっきり見えることが嬉しくて、こんなにも視力が快復できたことに感動と感謝の思いでいっぱいです。

 と申しますのも、ここ数年は白内障のため視力が低下してぼんやりと見えづらく、十日前に手術を受けたばかりなのです。

 私は中学生の頃から近視になり、高校生の頃から眼鏡とコンタクトレンズを併用してきました。

 子供の頃から家族に教えられるままに勤行していましたが、高卒後、夢であった建築の勉強がしたくて大阪の製図専門学校で建築製図を学びました。

 ところが学校の寮生活では勤行も出来ず、都会での新しい生活や友だちとの交流のなかで、いつしか信心も薄れてゆきました。

 卒業後は両親との約束通りに故郷の高松へ帰り、希望通りに建設会社の設計課に就職でき、夜はお茶や生け花、料理教室へと気持の趣くままに忙しくしている内に(信心しなくても、自分で信念を持ち努力さえすれば、人生は開けて幸せな生涯を送れるのでは・・・)と傲慢(ごうまん)な考えが浮び始めた頃のことでした。

 会社でトレースをしていてふと左眼の異変に気付き、近くの眼科医で診察を受けると網膜剥離(もうまくはくり)とのこと。早急に手術して剥離を止めなければ失明するとの宣告で、その手術の権威ある医者が在籍している広島医大を紹介されて、そこで手術を受けました。

 剥離部分の網膜をレーザーで焼き付けた後、両眼を塞がれた闇の中、頭を固定されトイレへも行けない絶対安静を強(し)いられた一ヶ月間は辛く、この世は信念と努力だけではままならぬ事があることに初めて気付きました。

 入院中、私に付き添って看病してくれた母が「病によりて道心はをこり候なり」という御書を引用して、しっかり唱題するよう励ましてくれ、私もこの眼病は私に道心を起こさせるための御仏智と悟り、唱題に励みました。

 以来、術後も順調で左眼の失明は免れましたが弱視で、右眼だけを頼りにこれまでの半世紀間、仕事や生活が普通に出来、車の運転も無事故で過ごせるのは御本尊様から御加護頂けているお陰と感謝の日々です。

 『経王殿御返事』(六八五頁)に

 「又此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は獅子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神(きしもじん)・十羅殺女(じゅうらせつにょ)、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。ー(中略)ー但し御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なかれ。鬼にかなぼうたるべし。日蓮がたましひを墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え」

との力強いお言葉に励まされ、以来、今日まで夫と共に日蓮正宗の信徒として生きてきて良かったと、しみじみ思える此の頃です。(せとのなぎさ)
(11月)


  随想 「記念法要に参詣して」 瀬戸のなぎさ10

 今日は秋分、空は高く澄み、風も爽やかな秋晴れになりました。
 朝、夫がしきみの枝を鋸(のこ)で切ってくれたので、それを剪定鋏(せんていばさみ)で切り分けて御宝前用や墓参用にといくつも束ねながら、先週、無事奉修されました慈本寺創立三十周年記念法要のことを思い返しておりました。
 その日はラジオで台風十八号情報を聴きなが朝を迎え、早朝に激しい雨の中、私たち夫婦は三男の車で飛行場に向いました。
 欠航になるかと心配していましたが出航はできたものの、いつもなら眼下に広がる讃岐平野や瀬戸内海の美しい風景が見下せるものを霧雨で視界はゼロに等しく、恐くて目を閉じ、ひたすら唱題しておりました。
 羽田から立川までは高速バスに乗りましたが、立川のインターを降りると車の渋滞に巻き込まれ雨の中、バスは進めません。
 法要に間に合うかしらと焦りながら、遅れて立川駅に着くと同時に雨はやみ、眩しい日差しに驚きました。
 慈本寺に着いた頃には薄日が射す清らかな境内で、講頭さんをはじめ大勢の講員の方々がそれぞれの任務についておられて、笑顔で迎えて下さりほっとしました。
 寺院の内外装や新しい内陣の仏具など、目に触れる物すべてが綺麗になり、すべて皆様の信心の真心と感動しました。
 支院長様を始め教区の御尊師、遠方より初代御住職の石橋頂道御尊師や二代目岩切護道御尊師をはじめ有縁の御僧侶や寺族の方々、御信徒と共に勤行唱題しながら、このような厳粛な法要に参詣させて頂ける福運に目が潤みます。
 感動の内に法要が奉修され、その夜は立川のホテルに泊り、翌朝、帰路に発つ予定でした。
 ところが夜半から再び雨になり早朝のテレビでは京都・滋賀方面の水害の様子が報じられ、羽田発の欠航や東海道新幹線運休などの速報が流れています。
 そんな時、道芳さんからすぐお寺へ引き返すように電話を頂きました。
 朝食後、再び列車で青梅に向いましたが、強風のため河辺駅止まりになり、そこまで車で迎えに来て頂きました。
 車窓から木が倒れ、道行く人々の傘が風にあおられて壊されいるのを見るにつけ、前日の法要があのように穏やかな天候のもとで行われたことが不思議で、諸天のご加護をしみじみ有り難く思いました。
 あれほどの風雨も夕方には去り、本堂での勤行や唱題会にも参加でき、その夜は久しぶりに道芳さん家族と団らんのひとときが持てましたことは、私たちにとっては嬉しく至福の夜でした。
 そんなことを思い出しながら、しきみの束が親戚の墓参用も含めて八束出来ました。
 昔からお登山させて頂いた折りに、しきみの苗木を買っては庭のあちらこちらに植えて、今では必要なだけは自給できるほどに育っています。
 若い頃、そんな私に「葬儀に使うしきみを屋敷に植えるのは縁起が悪いから、やめたほうがいいですよ」と近所の人たちから注意されました。そんな時は穏やかに
 「美しい花もすぐ散り枯れますが、常緑樹のおしきみは次々と新葉が出てきて、仏の徳が常住不滅であることを表している縁起の良い香木なのですよ」
と教えて法華経で説かれている生命論を話してあげました。
 先日の雨で一段と艶を増し、緑に輝くおしきみを御宝宝前や先祖の墓に供えられる時は、私の心も和みます。(せとのなぎさ)
(10月)


  随想 「処暑に想う」 瀬戸のなぎさ

 今日(八月二十三日)は二十四節気の一つ「処暑」で、暑さもおさまるという意味だそうですが、このところ高松では連日高気圧に覆われて雨が降らず、三十八・六度を含む猛暑日が二十八日も続いています。

 忙しかった旧盆も過ぎ、ようやく元の生活リズムに戻れた今朝、勤行を終えると涼しい内にと墓園へお塔婆や釣燈籠などの片づけに行ってきました。

 盆前に川崎の次男宅の孫が友達八人で二台の車に分乗して帰省すると聞いた時から、まだ若葉マークの青年たちが事故に遭遇すれば大変と、ひたすら無事故を祈っておりましたが、当方で四泊して海や河で遊び、バーベキューなどを楽しんで帰ってゆきました。

 その孫は小学低学年頃まで隣りの別棟に住んでいて、毎朝私たちと一緒に勤行していましたが、次男の東京勤務で引っ越し、現在では次男が単身で海外赴任しているので孫たちの勤行がおろそかになっているのではと、夫は折りにふれ信心の大切さを諭していました。

 そんな頃に夫の弟が京都から家族五人で両親の墓参の為に二泊三日滞在して、我が家は大勢の宿泊客でごった返しました。

 義妹は今、京都の所属寺院で十二時間唱題に励みながらの折伏で、自分たちの地区目標である十三人の折伏が成就できたと笑顔で話す姿に、かつて彼女たちを折伏した私たちは逆に励ませれ、日々の雑事に流されている自分を反省しました。

 そこで今日は私も気がかりな友を訪ねて、仏法対話をしてきました。彼女は以前は私の地区員で美容師さんですが仕事柄、学会員の客とも接していて、常に脱講運動の標的にされて心が揺れているのを感じていたので、私は定期的に髪の手入れに出かけては励まし、日蓮正宗の素晴らしさを話しています。

 もう七十歳半ばで一人で営業しているその店には最近は客もまばらで、今日も客は私一人。カットをして頂きながら近況を伺うと「先日Sさんが来てお寺の悪口をいっぱい聞かされて信心が嫌になったわ」と無表情で言われます。来月は息子さん一家と支部登山の予定だが、行きたくない気分とのこと。

「それは貴女を正しい信心から遠ざけようとする魔なんよ」と私も根気よく彼女の話を聴きながら、ひとつづつ破折してゆきました。

 どれほどの時が流れたでしょうか・・・。彼女の表情が次第に柔らぎ「今日はあんたといろんな話ができてスッキリし、気が楽になれたわ」と笑顔で言われ、私もほっとしました。

 教機時国抄(御書二七〇頁)に「機を知るは智人の説法する事なり。又謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。」とあります。

 折伏に励みつつ、同志とも常に対話で切磋琢磨して広宣流布を目指したいと想います。(せとのなぎさ)
(9月)



  随想 「夏の思い出」 瀬戸のなぎさ

 梅雨が明け、猛暑の日々が続いています。
 高松地方気象台によると梅雨期間中の雨量は高松では三九三ミリ(平均値二一〇、一ミリ)で慢性的な水不足に悩んできた当地も、この夏は給水制限がないように願っています。
 夏になると幼い頃の母を思い出します。
 母は十人の子を産みました。長男を二十歳で、末っ子の私を四十四歳で出産しているので、ずいぶん長い間、子育てをしたことになります。
 明治生まれの母は年中着物姿で忙しそうに家事をしていました。日頃の炊事は無論のこと味噌や漬け物、季節の佃煮などの保存食から家族のセーターや衣類など、何でも手作りするので、常に手を動かしていました。
 初夏になると着物や布団を解くと洗濯して板や伸子(しんし)に張り、バルコニーいっぱいに伸子張りされた布がゆらゆらと風に揺れる傍で、私はままごとや着せ替え人形で遊びました。
 のり付けして板に張られて布が乾き、母がバリバリと音を立てて剥ぎ取った後は、踏み台にその板を立て掛けてもらい、すべり台にして遊ぶのも楽しみでした。
 晴れ間には二階の部屋がすべて開け放されて、衣類などの虫干しが始まります。
 かろうじて戦災を免れた正家には母や姉たちの古い晴れ着などが残っていて、それらが干されているのを見つけると、私は役者気取りで身にまとい鏡の前で歌い踊っては母に笑われたり咎(とが)められたりしたものです。
 布団の仕立て直しは綿埃りがするからと、ひと部屋を閉め切って手ぬぐいを被った母が、広げた布団のがわに打ち直したふかかの綿を丁寧に重ねます。
 そんな時は「ちょっと手伝って」と母に呼ばれて私は言われるままに布団のがわと綿の隅を両手でしっかり握っていると、母はくるりと裏返し上手にがわの中へ綿を収める仕事は手品のようにおもしろく感じたものです。
 父の帰宅するまでに家の前や中庭に打ち水するのは姉と私の役目。父が食事中や蚊帳の中で横になっている時など、さりげなく傍でうちわ風を送っている母でした。
 亭主関白だった父のもとで大勢の子供たちが育てられた陰には、労をいとわぬ母の信心深い慈愛があったからと、今になってしみじみ思うのです。
 「草木成仏口決」(新編五二二)に「妙法とは有情の成仏なり、蓮華とは非情の成仏なり。有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云うが有情・非情の成仏の事なり。其の故は、我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。」とあります。
 早く両親と死別した私は、せめてお塔婆を建てて追善供養させて頂くことで、生前に親孝行できなかったことを詫ています。(せとのなぎさ)
(8月)

 

  随想 「命、救われた日」 瀬戸のなぎさ

 今年の瀬戸内は空梅雨かと心配していましたが、今日(六月十五日)の昼頃から大望の雨になり、辺りの植物も私もほっとしています。
 昔から雨量の少ない香川県(晴天率日本一)には一四、六一九個(二〇〇九年調べ)の溜池があり、面積に対する溜池密度は全国一位とか。
 日頃からそれらの溜池に雨水を溜めていて、今は田植の最盛期です。私にはこの時節になると思い出す出来事があるのです。
 それは四十年ほど前のこと、夫と車で三十分ほどの所へ用事で出かけたものの、しきりに家の祖父母に預けてきた小二の長男と園児で次男のことが気にかかり、なぜか胸さわぎがするので途中で帰宅したのです。
 帰ると長男が一人で居て、次男のことを訊ねると近所のえっちゃん(女の子)と池でザリガニ釣りをしているとの返事が返ってきました。あわてて私は家から百メートルほどの池に向かって走りました。
 駆けつけた池は満水で午後の日射しに水面がキラキラ輝く堤で、えっちゃんが一人、竹竿を水面に差し出して何かしています。その先ではポチャポチャ・・・と水音がして何やら浮いています。
 「えっちゃん!何してるの?」
 「おばちゃんちのナオちゃん(次男)が溺れよんや!」
振り向いたえっちゃんは泣き出しそうな声で叫び、私は動転しました。
 「早よう!うちのおっちゃん呼んで来て!」
 私はそう叫ぶと服のまま池に飛び込み、頭髪らしき物が浮いている方へ必死で泳ぎ、やっとの思いで次男を抱き寄せると自分も溺れそうになりました。が、ふとつま先が池の底に届き、瞬間、助かった!と感じました。
 次男は私の首にしがみつき、目を大きく見開いて硬直状態のまま声も出ません。しっかり抱きしめ唱題しながらつま先で岸に向かっていると、堤に夫や近所の人々が駆けつけてくれましたが自力ではい上がり、そのまま自宅の風呂場へ直行しました。ずぶ濡れの服のまま子を抱きしめて浴槽に座り込み、太陽風呂の湯を注ぎながら、ひたすら唱題しました。
 「僕、ザリガニ取ろうと思うたら池に落ちて、いっぱいお水飲んで、浮いたり沈んだりしてもう死ぬんかと思うて『南無妙法蓮華経』言うたら、お母さんが来てくれた・・・」
 やがて湯舟で心身共に落ち着きを取り戻した次男の言葉を聴きながら、危機一髪で命が救われたことへの御本尊様への感謝と嬉しさで涙が溢れました。
 日女御前御返事(新編一三八八)に
 「かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸ひをまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼(かし)こへまはり、此へより、日女御前をかこ(囲)みまぼ(守)り給うべきなり」
との御書を拝し、いかなる時も唱題で乗り越えられお守り下さることを確信しております。(せとのなぎさ)
 (7月)


 

  随想 「爽やかな朝に」 瀬戸のなぎさ

 天候不順だった春も過ぎ、いつしか辺りは若葉が美しい季節になりました。
 ;辺りはボタンやシャクヤク、アイリス、シラン、カラー、バーベナなどが咲きほこり、ミカンの白い花が甘い香を放っています。
この蒔期になると夜明けも早く、私にとっでは一番忙しく元気の出る季節です。
 我が家は年中四時半起床。:五時前には隣家に住んでいる三男が来で、五時がら家族揃って朝の勤行をします。
 勤行の後、牛乳を温めてカフェオーレとカステラなどで少しお腹を満たしてから夫は田畑へ、私は庭に出るのが日課です。
 庭にはハッサク、晩柑、ユズなどの柑橘類をはじめ、ビワ、リンゴ、イチジク、スモモ、柿、葡萄など四季折々の果樹と松やサツキ、ライラック、サルスベリなどの花木に草花など百種ほどの植物が生息しています。
 朝焼けの空にオレンジ色の朝日が昇り、爽やかな冷気のもとで私は木々の勇定や草抜き夏花の植え付けやビワの摘果などで二時間ほど働いてから夫婦でゆったり朝食にします。
 肥料や水などを施しながらお題目も唱えると、植物も一層元気に育ってくれているように思えて、その一株一株を愛しべ感じます。
 我が家の前は自治会のゴミの収集場所になっているので、毎朝、
近所の人々がゴミ袋を運んで来られるのですが、そんな折、門扉がなく開放的な我が庭へ入って来られて挨拶を交わし花を眺めたり、
たわいない話で社交の場になる時があります。
 それらの人たちが法華議員だったり他宗の人であっても「お宅は家族で信心なさってるから、何事も順調なんですねえ」などと言われると、世間は常に見ているのだから正直な信心をしなければと心が引き締まります。
 又、悩みなどを打ち明けられたりすると早く入信させてあげて、幸せになって欲しいと思うのですが、なかなかままなりません。
 唱法華題目抄(新編二三一)に「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや。」とあります。
 唱題根本に縁ある方々と仏法対話を続け、広布に邁進したいと思います。(せとのなぎさ)

 (6月)


  随想 「得度」 瀬戸のなぎさ

 二月の寒い朝のことでした。

 嫁の章子さんから孫の盛幸が得度を許されましたとメールが届きました。

 「おめでとうございます!云々」と返信し安堵すると同時に涙が溢れてきました。

 赤ちゃんの頃から母親の膝に抱かれて勤行し、近年は朝夕の勤行の時、本堂で父親の道芳さんの唱題に合わせて懸命に太鼓を打っていた、まだあどけない姿が目に浮かびます。

 私は上京した折、何度か「モッ君は将来、何になりたいの?」と問えば、いつもにこやかに「お坊さんになります」と躊躇なく答えていました。

 そう言えば道芳さんも小六の夏休みに家族揃ってお登山させて頂いた時、突然「僕、お坊さんになりたい」と言い出し、兼業農家でゼネコン勤務の夫や私たち家族は戸惑ったものです。

 それまで子供たちには小学入学と同時に早起きさせて、家族揃っての勤行をしていましたが、得度することなどは考えたこともありませんでした。

 子供の一時の気まぐれと聞き流していましたが連日「どうすればお坊さんになれるか調べてくれた?」と問われ、得度試験を受験して、使命があれば合格するし、不合格なら本人も納得できると受験させて頂いた結果が、今日でございます。

 十二歳で親元を巣立ってゆく子を案じて眠れぬ夜が続いたものですが、そんな夜、日蓮大聖人の「出家功徳御書(新編一三七一)」などが私の心を癒してくれました。
 「凡(およ)そ父母の家を出でて僧となることは、必ず父母を助くる道にて候なり。出家功徳経に云はく『高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも、一日の出家の功徳は勝れたり』と。されば其の身は無智無行にもあれ、かみをそり、袈裟をかくる形には天魔も恐れをなすと見えたり。大集経に云はく『頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養すべし。則ち仏を供養するに為りぬ』云々。(中略)されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け、上無量の父母まで助かる功徳あり。されば人身をうくること難く。人身をうけても出家と成ること尤(もっと)も難し」等云々。

 三月二十八日の得度式は富士の空も澄み、塔中の桜が満開のなか、御法主日如上人猊下の大導師のもと、六壺で厳粛に執り行われました。

 真新しい白衣に剃髪姿の親発意(しんぽっち)二十名が御法主上人と読経ののち、剃髪の儀などが行われ、道号の「」と呼ばれると大きな声で返事をして、日如上人からお念珠と経本を頂き、細やかな御指南を賜わります。

 壮厳な儀式で晴れやかな表情の明盛さんに安堵し、十二年後の補任式には又、元気で夫婦揃ってお登山できますようにご祈念しました。(せとのなぎさ)
 (25.5月)



  随想 「追慕」 瀬戸のなぎさ

 一月十六日の夜、兄・唯道房の訃報が届きました。

 半年ほど前の支部登山の帰りに沼津で療養中の兄を見舞った時は血色も良く

 「おおっ、来てくれたんか!みんな元気にやってるか?おれはもう長くはないよ。これまで(僧侶として)懸命に御奉公してきて悔いはないし、維道(息子)も成賢や行法たち(孫)もそれぞれの国で猊下の弟子として頑張ってるから、もう何の心配もないしな・・・。後はお迎えを待つだけや」

などと冗談めかして言っておられた兄が、本当に半年後に逝かれるとは・・・しばし茫然自失で立ち辣みました。享年八十三歳でした。

 兄と私は十五歳も歳が離れていたので一緒に暮した思い出はないのですが、私が幼稚園の頃から毎月のように本や文具などを送ってくれたり、事あるごとに信心の大切さを教えてくれた、いわば師であり父親のような存在でした。

 私は父と二十歳で死別し、その二年後に結婚したのですが、結婚式の時も遠路、繁多の中、父親代りで出席して下さり

 「女人は水のごとし、うつわ(器)は物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につが(番)はさる。女人はふね(船)のごとし、かぢのまかするによるべし。(中略)たとひいかなる事ありとも、をとこのめ(妻)なれば、法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、又我とこゝろをを(発)こして、法華経の御かた(帷)びらをく(贈)りたびて候」(新編一一二五)

の「さじき女房御返事」の御書を引用して、信心根本に夫婦力を合わせて幸せになるよう励まして下さいました。

 町育ちの私が農家の長男に嫁ぎ、農作業や本家の嫁としてのいろんな立場を乗り越えて今日があるのも御本尊様のご加護や信心を通しての兄たちのやさしい励ましがあったればこそと、しみじみ思うのです。

 子供たちがまだ幼かった頃に母も亡くなり、当時、石川県で一ヶ寺しかなかった金沢の妙喜寺で住職として御奉公しておられた兄夫婦のもとへ、里帰りするような気分で子供を連れて、よく行かせて頂きました。

 そんな折、積雪の中、早朝より能登や小松方面まで奔走される兄の様子に、自分の些細な苦労などは足元にも及ばないと、自身励まされたものです。

 後に小松市に寺院を建立寄進され、猊下様から唯道の一字をとり「唯成寺」と命名下さったとお聞きした時は、私もとても嬉しく思いました。

 入棺の時、親族が唱題しながら見守るなか、ご遺体は清められて、薄黒色の袈裟・衣にお数珠で合掌されたお姿は、まるで生きておられるように穏やかで壮厳な相でした。

 通夜、葬儀には大石寺をはじめ布教区内外の有縁のご僧侶やご信徒、寺族の方々など大勢がご参列下さり、遺族・親族を代表して長男の三谷維道師が立派に謝辞を述べられる姿に悲しみと安堵の複雑な涙が込み上げました。

 あれから二ヶ月余り、窓辺にまっ白な李(すもも)の花が満開の季節になりましたが、亡き兄との思い出は尽きず、淋しさがつのります。

 朝夕に追善供養しながら「本当に長い間、お世話になり有り難うございました」と心からお礼の唱題をしている此の頃です(せとのなぎさ)
 (4月)



  随想 「早春の梅に想」 瀬戸のなぎさ

 この冬は特別に寒く感じておりましたが、大聖人様のお誕生会頃になりますと庭の椿や梅の蕾がふくらみ始め、一輪、又一輪と咲く様子に、春の訪れを感じます。
 そんな時「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必らず春となる。いまだ昔より聞かず見ず、冬の秋へとかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(新編八三二)の大聖人様の御書の一節を思い出し、元気が出ます。
 この梅の木は兄が鉢植の盆栽として大切に育てていたものを十五年ほど前に貰い、我が家の日当りのよい庭に地植えしたところスクスクと育ち、早春にはピンクの可憐な花を、初夏には青い実をたわわに付けるようになりました。
 花が咲き始めると私は剪定を兼ねて枝を切り、同じ頃咲き始めるスイセンなどと共に屋内のあちらこちらに生けて楽しみます。
 初夏に採れる実は氷砂糖と共にホワイトリカーやブランデーに漬けて梅酒を作ったり、赤く色づいたものはウメ干しにします。
 梅酒から取り出した果肉は砂糖とハチミツで煮詰めてジャムを作り、パンやヨーグルトなどと共に頂くと美味しく、花も実も香りも楽しませてくれる梅の木は大好きです。
 日本で最初に梅の名が見られる書物といえば「万葉集」で、梅を詠んだ歌は実に一一八首にも及ぶとか。それだけ古代人の梅に寄せる思いも熱かったのだと思います。
 私も慈本寺の信徒にして頂き、その寺院の所在地が青梅市というご縁も嬉しく、有り難く思いながら暖かな春を待ちわびています。(せとのなぎさ)
 (3月)


  随想 「年賀状の整理」 瀬戸のなぎさ2

 小正月も過ぎ年賀はがきのお年玉抽選が終わると、毎年、年賀状の整理を始めます。
 賀状に趣向を凝らしたものや家族の写真入りなどがあれば処分するのがはばかれて、はがき専用のフャイルに氏名別に保管しています。
 昔、職場が同じだったYさんからは、今年も凛々(りり)しい青年に成長された三兄弟のご子息の写真入りが届きました。
 十五年前の賀状を取り出してみると、赤ちゃんから三~四歳ぐらいまでの三人の男児が可愛いく並んでいます。
 彼女が寿退職して以来お会いしていませんが、毎年届く賀状の写真でお子様たちの成長ぶりを拝見し、懸命に子育てに励んでおられる彼女の様子を想像してホッと嬉しくなります。
 京都の義弟夫婦からの賀状には「昨年は娘と孫が一緒に初登山しました」とあり、さっそく電話で「おめでとう!念願が叶って良かったね!」と義妹と喜こび合いました。
 孫子や親類、友人たちの写真や書、絵画、パソコン作品などの賀状は見ているとつい捨てがたく、いつの間にかファイルは重たいほどにふくらんでいます。
 今年もすべての人々に幸多かれと願いながら整理を終えると、ようやくお正月も明けたような気分になり、春に向って歩み始めるのです。 (せとのなぎさ)
 (2月)

 

  随想 「お正月」 瀬戸のなぎさ

 昔から大晦日はNHK紅白歌合戦を聞きながら晴れ着を着て、深夜家族そろって正宗寺院へ出掛け、御住職と共に元朝勤行をさせて頂きながら新しい年を迎えていました。
 帰宅して仮眠すると、まだ家族が眠っている間に用意しておいた赤飯を蒸し始めて我が家の仏壇にお供えし、みんなでもう一度勤行してから遅めの朝食です。
 元旦は座敷で前日から用意しておいたおせち料理を囲み、お互いに「おめでとうございます。今年も宜しくお願いします。」などと挨拶を交わして祝杯を上げてから、主人が妻である私に嫁に孫たちにとお年玉が渡されます。
 この時ばかりは子供の頃からおばあちゃんになった今でも嬉しいものです。
 我が家のお雑煮はあん入り丸もちで、鶏のだし汁に白味噌仕立て。
今年も丸く納まりますようにと白い大根も赤いニンジンも丸切りで緑のシュンギクを入れます。他県の人々はあん入り雑煮と聞いてびっくりされるようですが、ここ讃岐では昔からあん入りもちで、甘い小豆あんと白味噌の絶妙なお雑煮が私たちのお正月の味なのです。今年もまめ(健やか)で子宝に恵まれて、先見に冴え(蓮根の穴は向こうが見える)、例え難に会おうとも七転八起できるようにと、黒豆や数の子、蓮根にゆで玉子で作った起き上がり古武士などを重箱に詰めます。
 それらにいわれは亡き母がおせちを作りながら子供だった私にその都度はなし、「おたい(私)は大人になってから御本尊様にめぐり会えたけど、あんたは子供の頃から信心できると言うことはすごい福運を積める事やから、勤行はしないといかんよ。」と教えられました。
 無我夢中で歩んできた私の人生も、古稀を目前にして振り返れば、いろんなことがありましたが、朝夕の勤行だけは欠かさなかった功徳で、その時々に御本尊様から御仏智やご加護を頂いて今日があることに、しみじみ感謝の気持ちでいっぱいになります。
 今年で新しい家計簿も四十八冊目になりました。日々の天候や日記も記帳できるこの家計簿に、今年も佳いことがいっぱい書けますようにと祈ります。(せとのなぎさ)
 (1月)


 

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