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 NO3 諸宗破折ガイドより
【法華宗(陣門流)破折】


[ 派  祖 ] 日陣
[ 本  尊 ] 宗祖奠定(てんてい)の久遠常住輪円具足の大曼茶羅
[ 経  典 ] 妙法蓮華経開結十巻・日蓮遺文・日陣の著述
[ 本  山 ] 本成寺 新潟県三条市西本成寺三八六一
[ 寺院 数 ] 一七八
[ 教師 数 ] 二〇九
[ 信徒 数 ] 一八一、五九〇


  【沿 革】
 法華宗陣門流(じんもんりゅう)は、円光日陣(にちじん)(一三三九〜一四一九)を派祖とする勝劣派の一派で、日朗の弟子摩訶一日印が開創した本成寺を本山とするところから本成寺派とも称される。
 日陣は,室町前期の暦応二(一三三九)年、越後(新潟県)に生まれ、九歳のとき、越後本成寺の代官であった日龍に師事して出家し、一八歳のとき、京都六条門流の本国寺日静に入門して、法兄日伝とともに宗義を学んだ。
 日陣が三一歳のとき、本国寺・本成寺の貫首であった師の日静は臨終に先立ち、本国寺を日伝に、本成寺を日陣に与えた。以後、日陣は本成寺を拠点に北陸・東北、更に関東・東海地区にまで教線を伸ばし、他宗寺院を改宗せしめ、各地に布教の拠点を築いていった。現在、陣門流の重要拠点でである鷲津の本興寺(静岡県湖西市)も、日陣が真言宗から改宗させたものである。
 応永元(一三九四)年、日陣は『本成寺規式、禁制の事二十ヶ条』を制定して、教団の維持と後進の育成を図り、同三年六月、『選要略記』一巻を著して、本迹勝劣の立場を明らかにした。当時、京都の法華宗は、妙願寺(四条)、本国寺を筆頭に公式の庇護によって経済的にも安定し、栄華を極めていたが、信仰面では折伏を捨てて摂受を中心とし、教義の面では本迹一致を唱えるなど、天台宗と区別のつかないほど同化していた。
 応永四(一三九七)年、日陣は本国寺の日伝を諫めるために上洛して本迹勝劣を主張し、以後八年に及ぶ本迹論争が展開された。
 同十一年、日伝は叡山より弟子の大智日聡を招いて、本迹一致の立場から『五十五箇条』『日陣追放状』を著して日陣に応酬した。これに対し、翌年、日陣が『本迹同異決』を著して反駁したのを最後に、両者は決裂した。
 応永一三(一四〇五)年四月、日陣は四条堀川に本禅寺を建立して本国寺に対抗し、本禅寺を弟子の日登に任せて京都弘通の拠点とし、自らは本成寺に帰り、越後方面にある本国寺系寺院の説得に努めた。
 その後も、日陣は本成寺・本禅寺・本興寺を中心に本迹勝劣を主張した結果、本国寺系七〇〇余の寺院の半数近い三〇〇余が、日陣に従ったといわれる。
 応永二三(一四一五)年、日陣は本禅寺を日登に、同二六(一四一九)年には本成寺を日存に譲り、八一歳で寂した。

 以後も日陣門流は、本成寺・本禅寺・本興寺の三箇寺を中心に本迹勝劣を盛んに展開したが、本拠地が越後の本成寺という不便さと、幕府の宗教政策も影響し、江戸時代には末寺一七〇箇寺に衰退している。また、本禅寺では、大聖人の随身仏と称する釈尊立像を開帳して宣伝し、その信仰が京都や江戸に広まった。
 明治五(一八七二)年一〇月、本成寺は、一宗一管長制という官布告によって身延を中心とした日蓮門下合同に、一致派の身延久遠寺、中山法華経寺、池上本門寺、京都本圀寺(ほんこくじ)(江戸時代より国を圀に改字)、京都妙顕寺、勝劣派の京都妙満寺とともに加わった。しかし、同九年二月には「日蓮宗本成寺派」として別立し、同三一年、「法華宗」と改称した。その間、同二六年に本成寺は焼失し、大正二年に復興している。
 昭和一六(一九四一)年、本成寺派は、宗教団体法によって「本門法華宗(陣門流)」と称して現在に至っている。

 【教義の概要】

 日陣の教義の特徴として、「本迹勝劣」「寿量一品正意」「一部修行」が挙げられる。
 本迹論については、本国寺日伝が一往勝劣(修行と悟りという因果に約せば本迹に勝劣あり)・約体一致(所説の法体約せば本迹に勝劣なし)の本迹一致を主張したのに対し、日陣は、「方便品には本有の十法界を説かず、寿量品には是を説き顕す、是をもって異と見たり、是は約説の義なり」(童矇懐覧集)(どうもうかいらん)と述べて、「約説勝劣」(本門に説かれた法体は迹門より勝れている)との本勝迹劣論を唱えた。
 これは、已(すで)に説かれた迹門には始成正覚の十界互具しか明かされず、今の本門には久成本有の十界互具が明かされているので、迹門は本門に劣ると主張したもので、「已今本迹勝劣」ともいわれる。
 また、日陣は日蓮宗などの「迹門の実相も本門にいたって開会すれば、本迹の勝劣はない」との主張に対して、「能開の根本を尋ぬる時は、只寿量一品に限る。仍(よっ)て文々皆真仏也と判じ玉う内証は、独り寿量品知慧なり」(本迹同異決)と、本迹を開会する能説の教えは本門寿量品に限ると述べ、「寿量一品正意」を唱えた。
 また、修行については、法華経の一部二八品読誦を主張しその理由として、@宗祖が読誦されたゆえ、 A一念三千は迹門の文を借用しているゆえ、 B本門の中に迹門の効能を含むゆえ、であるという。
 本尊については、同派の「宗綱」に「日蓮大聖人が奠定(てんてい)された久遠常住輪円具足の大曼荼羅」と規定しているが、日陣は本成寺日印の思想を継承して、本門の教主釈尊を仏像にした一尊四士や一塔両尊四士の仏像も本尊と認めている。
 

 
【破折の要点】
◆「一部読誦」を破す。
 日陣門流では、宗祖が信徒に与えられた数編の御書を根拠に、一部読誦を常の修行とされたと解釈しているが、これは個々の信徒の機根に応じ、善導されたものである。決して末法の衆生に対する正規の修行として説かれたものではない。
 宗祖が末法初心の行者の立場と心得を説かれた『四信五品抄』には、

「直ちに専(もっぱ)ら此の経を持つ(乃至)一経に亘るに非ず。専ら題目を持ちて余文を雑へず、尚一経の読誦だにも許さず」(新編一一一三) 
と明確に法華経一部の読誦を許されず、題目の正行を妨げることを禁じられている。
 また、『月水御書』には、信徒の日々の勤行に対する質問に答えられて、「毎日の勤行は、迹門の中心である『方便品』と、本門の中心である『寿量品』を助行として読誦し、唱題を正行とする」旨を御指南されており、一部読誦は宗祖が示された正助二品読誦の正しい修行に背くものである。
◆「本勝迹劣・寿量一品正意」を破す。
 同派でいう「本勝迹劣・寿量一品正意」の主張は、身延派の主張する本迹一致や、日隆門流の神力正意に比べれば、より法華経の教理に沿った解釈といえる。しかし、大聖人は、


「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか。其の故は此の品は在世の脱益なり。題目の五字計り当今の下種なり。然れば在世は脱益、滅後は下種なり。仍って下種を以て末法の詮と為す」(御義口伝 新編一七六六)

と仰せのように、宗祖が末法の一切衆生のために建立された要法は、文上の寿量品ではなく、寿量品の文底下種の題目である。日陣が脱益の教主である釈尊を本尊とする以上、彼らが主張する『寿量品』は、あくまで在世脱益の域を出ず、いかに文底下種を唱えようとも、大聖人の説かれた末法の要法とはなり得ないのである。
 これに対し、宗祖が仰せの真の本勝迹劣は、「日蓮が法門は第三の法門なり」(常忍抄)と仰せられた天台・伝教未弘の法門である。『観心本尊抄』に、

「彼は脱、此は種なり、彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(新編六五六) 
と説かれるように、文底下種の南無妙法蓮華経が末法適時の大法であって、文上の寿量品は末法には無用の在世脱益の法なのである。
 ゆえに、末法において無益となった文上の法華経を持ち出して「本勝迹劣」を論ずること自体、無用の空論というべきである。
 さらに、同派が「寿量一品正意」と主張する寿量品は、文上体外の寿量品であり、そこに説かれる釈尊は本已有善の衆生に対する本果妙・脱益の仏である。
 文上の寿量品では、本果妙の仏の化導が説かれるが、その本果を成就せしめた本因については明かされていない。
 しかし、宗祖が仰せの寿量品とは、文上脱益のことではなく、御書に「寿量品の肝心」「寿量品の文の底」といわれた文底・内証の寿量品のことである。この寿量品について『法華取要抄』に、
「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(新編七三六) 
と、結要(けっちょう)付属の南無妙法蓮華経であることを示されている。
 先に『常忍抄』『十法界事』を挙げて述べた通り、宗祖の寿量品とは、寿量文底下種の妙法を指すものであり、読誦するところの寿量品も、この文底下種の妙法たる「体内の寿量品」、また方便品とは内証の寿量品を助け顕す「体内の方便品」であり、日陣の思慮の及ばぬものである。
◆釈尊の仏像を本尊とすることは宗祖の本意にあらず
 同派は、宗祖の曼荼羅を本尊と立てながら、一塔両尊四士の本尊形式こそ宗祖正意の本尊としている。しかし『本尊問答抄』には

 「問うて云はく、然らば汝如何(いかん)ぞ釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。答ふ、上に挙ぐるところの経釈を見給へ、私のぎにはあらず。釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とするなり(中略)能生を以て本尊とするなり」(新編一二七五)
とあり、大聖人が釈尊を本尊とすることを否定され、自ら図顕遊ばされた法華経の題目である曼荼羅本尊を末法正意の本尊とされたことは、疑う余地もない。
 『真間釈迦仏御供養逐状』はじめ、ごく一部の御書に釈迦造像を許された文があるが、これは大聖人の佐渡已前の方便であり、曼荼羅本尊に誘引するための配慮である。大聖人が発迹顕本されてよりは、信徒に対し曼荼羅本尊をしたため授与されているのであり、この史実をもってしても大聖人の正意は曼荼羅であるこたは明白である。
(法華宗(陣門流)・おわり)

  
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