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  NO12 諸宗破折ガイドより
 【正信会破折

[ 創   立 ] 昭和五五年七月
[ 創 始 者 ] かつて日蓮正宗に在籍していた一部の僧侶正信会議長・坂井進道(平成一四年現在)
[ 本   尊 ] 宗祖日蓮大聖人の御魂(目には見えないもの)
[ 教   典 ]大聖人御書及び法華経等
[ 信 者 数 ]不明


 【沿 革
 正信会とは、日蓮正宗の方針に従わない僧侶たちが、宗門の正しい信仰から離反していき、形成している集団である。
 正信会の発端は、昭和五二年の創価学会謗法問題である。創価学会の謗法が明らかになるにしたがって、各地で学会を脱会する信徒が相次ぎ、寺院はこれを直属信徒(檀徒)として受け入れた。
 こうした状況のなか、時の法主であった第六六世日達上人は、学会の過ちを改めさせ、僧俗和合して広宣流布に前進するよう教導された。
 昭和五三年六月、宗門は学会に対し、三四ヵ条にわたる教義上の誤りを指摘して回答を求めた。学会はその回答として、同月三〇日の聖教新聞紙上に「教義上の基本問題について」と題する記事を掲載した。しかしそれは学会員に徹底されず、新たに発覚した御本尊模刻事件等によって、学会の謗法行為がさらに明らかになった。窮地に追い込まれた創価学会三代会長池田大作は、同年一一月七日、総本山において「創価学会創立四八周年代表幹部会」(お詫わび登山)を開催し、謝罪の意を表明した。
 その経過のなかで昭和五四年四月二四日、池田はこれまでに起こった問題の責任をとらざるを得ない状況に追い込まれ、法華講総講頭及び創価学会会長の職を辞し、今後、創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓った。
 これに対して日達上人は、昭和五四年五月三日、創価学会第四〇回本部総会の砌、 
   「今後は信徒団体としての基本は忠実に守り、宗門を外護して頂きたいのであります。そのうえで自主的な指導と運営で伸び伸びと御活躍を願いたいのであります」(聖教新聞 昭和五四年五月四日付)
と述べられ、創価学会問題を収束された。そして宗門僧侶に対しては、
「学会にいまだに間違ったことがあるならば、宗務院、内事部(大石寺)のどちらにでも言ってきて下されば、それを向こうに注意して改めさせていくつもりでおります。ですから皆様が相変わらず今年の五月三日以前のような態度であっては、宗門としてはまことに困るのであります」(大日蓮四〇一ー六〇) 
と御指南され、創価学会についての問題は、宗務院・内事部レベルで解決していくという方針を打ち出された。それとともに宗務院は、御講における創価学会攻撃や、「檀徒作り」を禁止し、違反する者は処分も辞さない旨の通達を出した。
 昭和五四年七月二二日、日達上人が遷化され、日顕上人が第六七世の法主として登座された。日顕上人は、日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承してその徹底を図られた。しかし一部の僧侶らは、日顕上人の指南及び宗務院の命令に反して創価学会攻撃を続け、ついには日顕上人や宗務院を批判するようになった。日顕上人は一年有余にわたり、指南に従うよう説得をされたが、彼らは一向に反省することはなかった。
 そして昭和五五年七月四日、一部僧侶等は自称「正信会」を結成し、正信覚醒(かくせい)運動と称して学会批判を続け、同年八月二四日の第五回檀徒大会の開催を企画した。 これに対し宗務院は、主催者に大会の中止命令、及び宗内僧俗に対して大会への参加を禁止する旨を再三にわたり通達したが、正信会は、一切を無視し大会を強行した。そこで宗務院はやむを得ず、宗制宗規に則り、大会主催者・出席者・関与者をその情状に応じて懲戒処分に付した。
 正信会は、この懲戒処分への対抗手段として昭和五五年一二月一三日、突如日顕上人に対して、血脈相承に疑義があるとの質問状を提出し、続いて昭和五六年一月二一日、静岡地裁に対し、「日顕上人への血脈相承はなかった」との理由を作り上げて、管長地位不存在の確認並びに職務執行停止を求めて提訴した。これに対し宗門は、血脈相承の否定は信仰の根幹に関わることであるから、この裁判を起こした正信会僧侶を順次、宗制宗規に則って排斥(ひんせき)処分に付した。これによって正信会僧侶は、まったく日蓮正宗と無関係となった。しかし一部の日蓮正宗寺院は、現在でも正信会の者たちによって不法に占拠されている。


 【教義の概要】
 正信会では、その会の派生経過上、日蓮正宗の教義を踏襲せざるを得ない。しかし、団体の存続と保身を図るため正義を曲解し、以下のようなことを主張している。
 一、「血脈」とは、宗開両祖の法門、富士の立義そのものをいい、「法水写瓶」とは、御本仏の慈悲が永遠に閻浮提に流れ、一切衆生を潤すことを示す法門上の比喩である。(継命四七一)
 ニ、「戒壇の大御本尊」は、肉眼で拝し得るものではないために古来御宝蔵に奉安され、遥拝されてきた。板の上にお文字をもって示された御本仏の内証を拝し、己心に頂戴してこそ、御本尊の実義がある。宗祖の御魂こそが信仰上、永遠性を有する本尊であり、墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。つまり、本門戒壇の大御本尊をそのまま本尊と見るのではなく、その奥に存在する御本仏の内証本尊(心法)を拝するのである。 (継命四七二)
 三、「本仏」とは、鎌倉時代に生まれた日蓮ではなく、時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人である。(継命四七一)

 【破折の要点】
◆血脈相承否定論
 正信会は、日顕上人が日達上人から血脈相承されていないとして、唯授一人の血脈相承の断絶を主張している。この主張をいい始めたのは、日顕上人が登座されてより実に一年半を経過した後のことであり、それまで積極的に肯定していた血脈の大事を、なぜ、一年半もたってから否定してきたのか。 その理由は明白である。それは彼らの排斥処分を無効とするための窮余の一策として、日顕上人への血脈を否定することが最も効果的であると考えたからである。正信会はさも純粋な宗教論争を行っているかのように吹聴しているが、その実、極めて政治的・謀略的な行動に終始しているのである。
 また、本宗信仰の命脈である血脈相承を否定する正信会の主張は、大聖大の相伝仏法を否定することと同一である。『日蓮一期弘法付嘱書』に示された。「血脈の次第 日蓮日興」(新編一六七五)
との御文は、未来永遠にわたる唯授一人・血脈相承の方規を示す金言である。
 日達上人は、昭和五三年四月一五日に日顕上人へ血脈相承され、翌年七月二二日に遷化された。その後、お座替り式および御盃の儀が厳粛に執り行われ、宗内僧俗は、日顕上人との師弟の契りを固めたのである。このとき、異議を唱える者は誰一人としていなかったのは衆知のことである。
 日顕上人への血脈相承を否定し、「血脈は正しく法を護る者に流れる」という正信会の説は、信心の血脈さえあればよいという創価学会と同じ理論である。
 かつて彼らは、日顕上人への血脈相承に疑義をはさむ檀徒に対して、
 「最近、某週刊誌に某檀徒の発言といたしまして、血脈相承の問題、また恐れ多くも御法主上人貌下に及び奉ることがらを、得意になって云々している記事が目につきました。私共指導教師といたしまして、顔から火が出るほど恥ずかしく、また、大変情けない想いをいたしました。これは、もはや檀徒でもなければ、信徒でもありません。(中略)御戒壇様、大聖人の人法一箇の御法体を血脈相承遊ばす御法主、代々の上人を悉く大聖人と拝し奉り、その御内証・御法体を御書写遊ばされたる御本尊に南無し奉るのでございます」(昭和五四年八月二五目・第三回全国壇徒総会紀要)
と厳しく注意をしていた。そしてこれは同時に、五二年路線の創価学会の血脈観を破折していたものでもある。
 唯授一人の血脈相承は、日蓮正宗と他の日蓮門下との正邪を決する最重要義であり、宗開両祖以来終始一貫した宗門の根本義である。もし日顕上人が当時、正信会の言い分をすべて認めていたら、彼らも血脈に疑義有りなどと馬鹿げた主張はしなかったであろう。正信会の血脈相承否定は所詮、自分たちの主張が通らないからという程度のものなのである。
 彼らは逃げ口上として、血脈相承といっても今の宗門の考えているようなものではないと反論するかもしれない。しかし、大聖大の時代より今日までの七〇〇年間の血脈厳護の歴史を見れば、それがまったくの戯論(けろん)であることは火を見るよりも明らかである。
 正信会は、本宗の「血脈」を「宗開両祖の法門、富士の立義そのもの」といい、「法水写瓶」を「御本仏の慈悲が永遠に閻浮提に流れ、一切衆生を潤すことを示す法門上の比喩である」などといっているが、唯一人から一人へ付される血脈相承の大事を忘れ、血脈を受けたことのない人間が血脈を云々すること自体、浅識の極みなのである。

本門戒壇の大御本尊を唯物・偶像と捉える謬見(びゅうけん)
 正信会では、「『日蓮がたましひ』とは、宗祖証得の事の一念三千、己心内証の本尊である。『すみにそめながして・かきて候』とは、その内証の本尊を一幅の曼荼羅として図顕されることである。宗祖の御魂こそが信仰上、永遠性を有する本尊であり、墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。ましてや墨そのもの、板や紙そのものが宗祖の御魂であるはずがない」(継命四七二)、「宗祖所顕の曼荼羅をもって本尊とするが、ただ偶像的対象として尊が板の上に顕されているのは事実であり、我々はそこに示されている御本仏の魂(心法)を大御本尊と拝すべきであるといっているのである」(継命四七二)
 「ダイナマイト一本で吹っ飛石ような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」(正道二-八一四)と主張している。これらを整理してみると、
一、正信会でも、本尊は大聖入所顕の曼荼羅とする。
二、「日蓮がたましひ」(経王殿御返事)とは、大聖人の己心に建立されている 本尊(内証本尊)である。
三、己心内証の本尊とは、色法の御本尊の奥にある目に見えない御本仏の心法である。
四、「墨に染め流して書きて候」とは、その目に見えない内証本尊を形の上に 顕わした本尊であり、無常を免れないものである。
というものである。
 彼らは、大聖人所顕の曼荼羅を本尊としながらも、その本尊には、二種あると主張していることになる。
 一つは、大聖人の己心に建立される、目に見えない内証本尊であり、もう一つは、その内証本尊を形に顕わした、いわゆる外相本尊というものである。
 大聖人の本尊に、内・外の二種があるという正信会の考え方が、そもそも根本的な間違いである。「目に見えない己心内証の本尊などは、御書のどこにも示されていないし、歴代上人の御指南にもまったく存在しない。大聖人が御図顕された御本尊以外に、日蓮大聖人の本尊はありえないのである。
 大石寺歴代上人は、御本尊について、次のように御指南されている。
第二六世日寛上人『観心本尊抄文段』
「今安置し奉る処の御本尊の全体、本有(ほんぬ)無作の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字及び木画(もくえ)と謂うこと勿(なか)れ」(御書文段二一四)
第二五世日宥上人『本尊抄記』
「本尊とは自受用蓮祖の色心全体南無妙法蓮華経なるが故に事なり。是を事に行じ事に顕わすが故なり」(歴全三-三八四) 
第二九世日東上人『観心本尊抄聴聞荒増』「事行と云うは、久遠元初の自受用報身宗祖の色心全体を事と云うなり。此を本尊と顕わして此の事を行ずる故に事行と云うなり。是れ法体も事なり、行も事なり。故に事行と云うなり」(研教一二-五五八)
 
 以上の指南にも明らかなとおり、久遠元初の御本仏たる日蓮大聖人が末法に出現され、その己心に具えられた事の一念三千の当体たる南無妙法蓮華経を、事相のうえに本門戒壇の大御本尊として御図顕されたのである。その御本尊以外に、正信会の主張するような「内証の本尊」などあり得ないのである。
 正信会は「我々は大御本尊を唯物呼ばわりしたことはない」などといい訳をしているが、「墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れない。ましてや墨そのもの、板や紙そのものが宗祖の御魂であるはずがない」といい、我々が拝する目に見える御本尊は「唯物の次元に堕した本尊観である」との正信会の論理こそ、大聖人御図顕の御本尊を唯物的に捉え、偶像と見なしている何よりの証拠である。
 また、本門戒壇の大御本尊を御本仏大聖人の色心全体と拝せず、「色法の御本尊の奥に眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」というのであれば、これほど難しい観念観法はない。
 末法の衆生は底下の凡夫なるが故に、大聖人は御本尊を御図顕されたのであるから、この御本尊を信心の対境と拝し、受持唱題の一行に徹すべきである。

◆「末法出現の凡身日蓮は本仏に非ず」について
 正信会では、「『本仏』とは、鎌倉時代に生まれた日蓮ではなく、時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人である」(継命四七一)
といって、末法出現の凡身日蓮大聖人は御本仏ではないと主張している。
しかし『御義口伝』には、
「末法の仏とは、凡夫なり、凡夫僧なり」(新編一七七九)
と示されており、また、日寛上人は『末法相応抄』に、
「蓮祖一身の当体全く是れ十界互具の大曼荼羅なり」(六巻抄一四六)
「本地自行の自受用身は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本囚妙の教主釈尊は即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり」(六巻抄一四八)
「久還元初の自受用身とは本因名字の報身にして色相荘厳の仏身に非ず、但名字凡身の当体なり」(六巻抄一四九)
と仰せである。            
 これらの御文は、鎌倉時代に出現した凡夫日蓮大聖人が直ちに久遠元初の自受用報身如来であり、末法の御本仏であることを明確に示されたものである。末法出現の名字凡夫・日蓮大聖人を離れて、久遠元初の御本仏はない。末法出現の日蓮大聖人を、凡身であるとか、肉身であるといって「本仏」と区別し、「時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人」こぞ本仏であるなどという説は、当家の法門にはないまったくの謬論である。

◆法主上人の御指南への背反
 正信会の中心者だらけ、日顕上人は「日達上人の方針を変えた」などと批判しているが、創価学会五二年路線の問題の収束に当たって、再び学会との協調路線をとられたのは日達上入御自身である。その日達上人を彼らが陰で批判していたのは、自分たちが一番よく知っていることであろう。当時から彼らは、日達上人の御指南に従っているようで、その実、御指南に違背していたのである。
 こうした事実を覆(おお)い隠し、「日顕上人が日達上人の方針を変えた」などというのは、あまりにも手前勝手ないい分である。結局、彼らは自分たちのもの主張に反対する者は誰であれ否定し、自分かちの考えだけが正しいとの我見を通そうとしているだけである。              
 これらのことから、正信会のいい分はすべてが御都合主義であり、終始一貫していないことは明白である。一部の中心者によって、その時々に作り出された珍説を教え込まれ、日蓮正宗の信仰の根源である本門戒壇の大御本尊と血脈相伝の仏法から離れてしまった正信会員の行く末は哀れというほかはない。
 (正信会・終わり)


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