ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第303号)  
   
 
  【五節句の次第を案ずるに、妙法蓮華経は五字の次第の祭りなり。正月は妙の一字のまつりし】
 
   
 正月をもてなす
 
   
 慈本寺法華講の皆様『勇躍前進の年』
 あけましておめでとうございます
 新年の初頭、皆様も色々と決意され、御本尊様へ種々の御祈念をされた事と思います。
 御本仏日蓮大聖人様は、『十字御書』で
「十字一百まい・かしひとこ給び了んぬ。正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。」(一五五一頁)
と仰せです。
『十字御書』は、新年を「大御本尊をもてなす心」で迎える私たち日蓮正宗の信仰者の幸福を教えて下さる御書です。
 当抄はみなさまよくご承知のように、雪深い身延山中におわします日蓮大聖人に、お正月にあたって、蒸した餅や果物の御供養を申し上げた重須殿の女房、すなわち南条時光の姉に与えられた御書です。
 弘安四年一月五日、大聖人六〇歳の御時です。

 なぜ新年を「大御本尊をもてなす心」で迎える私たちが幸福な境涯なのでしょうか?
 思いますに、正月は一年のはじめです。すべての始まりです。その正月をもてなすことは一切を「もてなす」ことに通ずるからです。
 大聖人は「正月をもてなす」と表現されます。「もてなす」とは、『大辞林』によりますと、
「もてなす【持て成す】
①御馳走を出すなどして、心をこめて客を接待する。
②人を取り扱う。待遇する。」
等とあり、相手を大切に思って心を込めて待遇することです。大聖人様は、正月を迎える心構えとして、「大切な人を迎えるようにしなさい」と教えて下さるのです。
 また、「もてなす」とは感謝の意を表すことでもあります。それは、「私たちが御本尊様に生かされている」ということの表れです。米やミカンは私たちに食べられるため実をつけたのでしょうか?そんなことはないはずです。子孫を残すために、実をつけたのです。魚や鳥たちも同じです。

 他の生物の命を摂取して生きている私たちのありかたを考える時、どうしても「仏様・御本尊に生かされている」と思わざるを得ません。
 そのように思うと、生かされていることへの感謝の念が自然と湧いて来ます。 そして、感謝の念をどのように表していけばいいのかを、当たり前に考えられるようになるのです。
 これもまた、日蓮正宗の信仰をして得られる素晴らしい功徳であり、命が清浄になり思考や行動が仏様の意に添えるようになるのです。
 その方法を大聖人は実にシンプルに「南無妙法蓮華経」ですよと教えて下さるのです。
 したがって、一年のはじめを大切に思い「南無妙法蓮華経」とお題目を唱える修行は実に貴いものなのです。だから、その思いを実践するゆるぎない方法が確立されている日蓮正宗の信仰者は幸福なのです。
 また、『秋元殿御返事』の中では正月のことを、
「正月は妙の一字のまつり」(三三四頁)
と仰せになります。妙法のまつりを大切に思い、心より慶祝することですから功徳もまた大きいことを知るべきです。
「徳が増(ま)さり人々からも愛されるようになる」とのありがたい仰せが心に染み入ります。
 さらにまた、「もてなす」ことは修行です。修行とは「南無妙法蓮華経」と唱え折伏を実践することです。『開目抄』では、
「無道心の者、生死をはなるゝ事はなきなり」(五七七頁)
と述べられます。「道心」は道を求め、修行に励むことです。
 世の中の殆どの方は、大聖人・大御本尊へつながる清浄なる「道」を知りません。「大聖人直結」などという邪義を唱える新興宗教団体もいますが、本当の「道」でもありません。
 よって、日蓮正宗の方以外は、「生死の苦しみ」から逃れることが出来ないのです。
 我々日蓮正宗の僧俗は、「道心」があれば生死の苦しみを解決することができるのです。私たちは生死の苦しみから解き放たれ、悠々と今生を過ごす仏力と法力を得ております。信力と行力を具えて実践するならば、成仏は確実に私たちの手にあるのです。

 そこで、日蓮正宗の信仰をするに当たり「しなければならない」と考えるより、「お題目を唱えると幸福になれる」と考えることを勧めます。そして、「折伏をすれば罪障が消滅する」と教えて下さる大聖人のお言葉を素直に拝することができるようになりたいと思います。

 素直な生き方が実は積極的な生き方なのです。
 ところが、積極的な生き方と消極的な生き方は表裏です。凡夫の心は周囲の縁により、常に左右されてしまいます。
 そのためにも、惰性や義務感で信仰するのではなく、我が心を大聖人の教えに縁させること、「御本尊様のお心を」と第一とすることが肝要です。
 御本尊様第一が日蓮正宗の信仰者のあり方です。それには御本尊の前で唱題をすることです。そして、「大聖人様、私も御本尊様のお役に立つようにしてください」とお願いをするのです。
 素直になれば『諸法実相抄』の
「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(六六八頁)
すなわち、一人ひとりの力に会わせて、御本尊のお徳を語ろうと仰せである「折伏」もできるようになります。
 故に今正月の初頭において、大御本尊様に捧げる信仰こそ、まことに我が身の功徳であるとともに、一切の人々を救済せしめる出発点となるのです。

 新年を迎えるに当たり、日本中の多くの方が、人混みをかき分け賽銭を投げ入れ、今年一年の無病息災を祈っていることでしょう。また、おみくじに一喜一憂していることでしょう。
 確かに、日蓮正宗の修行は地味で厳しいものがあります。勤行唱題をしますので、他宗のように数秒ほど手を合わせるというお気楽なモノではありません。
 しかし、この正月に魂を入れ、真に祝うことの出来た人は、日蓮正宗の信仰者だけであり、さらに寺院参詣出来た方の功徳は計り知れません。どうか皆様は、このことを誇りに思っていただきたいと思います。

 とにかく、今年も御法主上人の御指南のまま、「折伏」と「登山」、さらには、毎月第二日曜日に開催されるに「日蓮大聖人様御報恩御講」参詣に全力で取り組み、今生人界の思い出としていきたいと思います。

 どうぞ皆様、本年もよろしくお願い致します

 
   
   
 
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