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  【早く天下の静謐を思わば須べからく国中の謗法を断つべし】
 
   神天上法門について  
 
 十一月四日、おかげさまで慈本寺の御会式を盛大に奉修することができました。また、今月の二十日と二十一日には、本山で御会式が執り行われます。
 その御会式で奉読されるのが、立正安国論と六老僧による申状です。
 日蓮大聖人の御一生の御化導は『立正安国論』に始まり、『立正安国論』に終わると言われるように、この『立正安国論』は最も重要な御書であり、大聖人の大慈大悲にもとづく御教導の根本ともいえる書です。 
 鎌倉時代、数度にわたる大地震を始め、台風、大飢饉、大疫病が起こり、多くの死者が続出するという地獄のような状況が続きました。そこで幕府は神道や仏教各宗に種々の祈祷を命じましたが、その効果はなく、かえって災厄不幸を増長させ、人々は塗炭(とたん)の苦しみにあえいでいました。 
 大聖人は、このような世情を見て、いよいよ正法による民衆救済の時を感じられ、その災難の根本原因を明かし、唯一の正法である南無妙法蓮華経による救済を示された『立正安国論』を著され、幕府に諫暁(かんぎょう)・奏進(そうしん)されたのです。 
 その『立正安国論』に説かれているのが「神天上(かみてんじょう)法門」です。同論に、
 「倩(つらつ)ら微管(びかん)を傾け聊(いささ)か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還(かえ)らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言わずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。」(御書234頁)
と、災難の起こる由来について明示されています。
すなわち、
(1)正法に背き悪法に帰するが故に(背正帰邪(はいしょうきじゃ)
(2)善神は正法の法味に飢えて、この国を捨てて本土に帰り(神聖去辞(しんしょうこじ)
(3)その故に謗法の神社は悪鬼魔人のすみかとなっている(魔鬼来乱(まきらいらん))ために前代未聞の悲惨な災難が続いていると明かされているのです。 
 つまり、悪法を信仰して正法を尊仰(そんぎょう)しない謗法の世には、守護の善神はこの土を捨てて去ってしまい、替わりに魔鬼が謗法の寺社に乱入して国土民衆を衰亡(すいぼう)に向かわしめるのです。 
 それは、日蓮大聖人の勝手な考えではなく、『金光明経』には、
 「正法が国に存在していても国王が流布せず、うとんじて聴聞しない、供養も、尊重も、讃歎(さんたん)もせず、その上、行者を見ても供養しなければ、無量の国土を守護する諸天善神はことごとく捨去(しゃこ)する」(御書235頁・趣意)
と説かれ、また『大集経』には、
 「悪王・悪比丘が正法を破り、天人の道を損減(そんげん)すれば、諸天善神はこの濁悪の国を捨てて皆ことごとく他所(よそ)に行く」(御書235頁・趣意)
等と説かれるように、多くの経々を依証として、道理、文証、現証のうえから、災難の原因は、謗法によって諸天善神が国土を捨て去り、その後に悪鬼・魔神が乱入して起こす災いであることを示されています。 
 また『唱法華題目抄(しょうほっけだいもくしょう)』には、
 「仏法を知る智者は、国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利生を止め、此の国をすて他方に去り給ひ、悪鬼は便りを得て国中に入り替はり、大地を動かし悪風を興し、一天を悩まし五殻を損ず。」(御書224頁)
と、眼前の悪風、飢饉等の原因を明確にされています。
 そこで、諸天善神とは何か?といいますと、法華経の『序品第一』に、
 「爾の時に釈提桓因(しゃくだいかいいん)、其の眷属二万の天子と倶(とも)なり。 復(また)、名月天子(みょうがってんし)、普香天子(ふこうてんし)、宝光天子(ほうこうてんし)、四大天王有り、其の眷属万の天子と倶なり。」(開結120頁)と、釈尊が出世の本懐である法華経をいよいよ説法されるその座にすでに連なっており、『安楽行品第十四』には、
 「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而(しか)も之を衛護(えいご)す」(開結462頁)
 「天の諸の童子、以て給使(きゅうじ)を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能(あた)わじ」(開結468頁)
と説かれ、会座の諸天は皆、法華経の行者を守護することを誓っているので有ります。 
 また『陀羅尼(だらに)品』には二聖(薬王菩薩・勇施菩薩(ゆうせぼさつ)、二天(毘沙門天(びしゃもんてん)・持国天)および十羅刹女(じゅうらせつにょ)までもが法華経の行者を守護すべき様が説かれ、仏前において必ず守護する誓願を立てております。
 さらに日蓮大聖人は『聖人御難事』で、
 「日蓮を梵天・日月・四天・天照太神・八幡の守護し給ふゆへに」(御書1397頁)
と仰せのように、上は菩薩より下は三悪道に至るまで全ての者が善神となって、日蓮大聖人を守護した旨が説かれているのであります。
 つまり、諸天善神とは、あくまで、
 「正直の人の頂きを以て栖(すみ)かと為し」(諫暁八幡抄・御書1542頁)
とあるように、正法を信じ行ずる人を守護するのであり、たとえ十羅刹女のような悪鬼であろうと法華経の行者、すなわち、日蓮正宗の信心をする者には善神となって、影に日なたに守護の役目を果たすのです。 
 その反面、いくら歴史のある神社であろうと、建物の立派な寺院であろうと、そこは善神の去った謗法の神社・仏閣であり、その後に悪鬼・悪魔が住み着いており、人々にあらゆる害毒を流しているのが現状なのです。
 では、この「神天上法門」を私達がどのように実践するかと言いますと、二祖日興上人は『日興遺誡置文』で、
 「檀那(だんな)の社参者詣(しゃさんものもう)でを禁ずべし、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」(平成新編1884頁)
と謗法の神社・寺院への参詣を禁止されています。 当時は五老僧の反目、身延離山など厳しい状況下にあり、大聖人の真意を唯一人承け継がれた日興上人は、ことさら厳格に弟子や信徒を誡められたのでした。
 したがって、他の神社・寺院には見に行くだけでもいけない。近付いてもいけないという大変厳しいもので、またそれだけ謗法は成仏を妨げる恐ろしいものである事を示されているのです。
 ただし、今日においては、時代や機根も違いますので、修学旅行や社員旅行などにおいて、見るだけなら差し支えありませんが、できるだけ近付かないことが望ましい事ではあります。
 また、もし神社・教会への寄附などがあれば、それは神社・教会を繁栄させ、謗法を増長させる事になりますので断固として拒絶しなければなりません。 
 また大聖人が『安国論』に、
 「早く天下の静謐を思わば須べからく国中の謗法を断つべし」(御書247頁)
と仰せのように、なにより謗法を断つ、つまり私達一人ひとりが折伏弘教に精進することが大切なことです。 
 神天上といっても、その根本は人々が正法に背き悪法に帰すところにあります。したがって、人々を正法たる日蓮大聖人の南無妙法蓮華経に帰依させる事が第一なのです。 
 また一口に「神」といってもキリスト教の神もあれば、イスラム教の神もあり、歴史上の人物であったり、先祖であったりと神の定義も様々です。また国々によって事情が違いますが、あくまでも謗法厳誡を中心にし、その上で国情に応じた布教をしなければなりません。
 そのためには大聖人が、
 「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず」(御書668頁)
と仰せのように教学の研鑽に励む事が肝要です。
 例えばキリスト教の神は宇宙創造の唯一神であるとしますが、目に見えない神を信じるところから信仰が始まります。そしてこの神は三位一体であるとされますが、神とその子(キリスト)の優劣は会議によって決定がされており、神自体が人によって定められた事を意味し、神の定義に矛盾します。
 また人にはもともと原罪があるとしますが、
・なぜそのような罪のある人を神は造ったのか?
・なぜその罪を後々の人が背負わなければならないのか?
・創造主たる神の憐れみをもっても赦されないのか?
等々。道理の通らない事だらけです。
 この他、復活や病気の治療など道理・因果を無始したものだらけです。しかし、このような矛盾だらけの信仰が全世界に広がっているのが現実です。
 またイスラム教やヒンズー教などの誤った宗教に基づく紛争によって、現在でも多くの戦争やテロが世界各地で続いています。
これらの現実は、まさに善神が所を去って悪鬼・悪魔がはびこっているなによりの現証ではないでしょうか。

 しかし、科学が発達した現代だからこそ、これらの教えを馬鹿にし、否定する輩が多いのが現状です。先月の御講でもお話ししましたが、
 デイリー新潮(10/12(金) 7:00配信)の配信記事の中で【『創価学会』を出版した田原総一朗 学会と公明党の政教一致は「大した問題じゃない」】という興味深い記事がありました。
 その中に、
 『――なぜ、いま『創価学会』という本を出版したのでしょう。
田原 : 創価学会へは1964年、公明党を結成した時に初めて取材をしました。当時は日蓮正宗の本山である大石寺にも行っているし、学会員の座談会にも参加した。それ以来、学会には関わってきたから、いつか一冊の本にしたいとは思ってきた。たまたま毎日新聞から声がかかったというのもあるんだけど。

・日蓮は「立正安国論」で、当時の日本に他国が攻めてきたり災害が起こるのは、邪宗を信じるからだと、他宗を攻撃した。科学が発展した今ではあり得ないこと。ボクはそれを池田名誉会長さんに止めるように言った。

・ボクは池田さんに「他宗を邪教と言って攻めるのは孤立するだけだから、止めたほうがいい」と言っていたんだけど、これについては「その通り。ちょっと時間はかかるかもしれないけれど、必ず止めます」と答え、実際にそうするようになった。

 このデイリー新潮における田原氏の話には、他にも言いたいことはありますが、論旨が乱れるのでこの件だけに絞ってみても、田原氏は大聖人様の『立正安国論』をハッキリと池田大作氏の前で否定しました。
 しかし、池田氏は毅然(きぜん)と破折しないばかりか、「その通り。ちょっと時間はかかるかもしれないけれど、必ず止めます」と言っているのです。
すでにこの時から学会の崩壊は始まっていたと分かります。創価学会内では、学会の大勝利と未だに喧伝(けんでん)している、昭和30年3月11日に小樽市公会堂で行われた日蓮宗との法論、所謂「小樽問答」で池田氏は司会者として何と挨拶したか。
 日蓮宗現代宗教研究所主任・伊藤立教氏による『創価学会と日蓮宗の「小樽問答」再現記録』によれば、
 「創価学会側司会挨拶
 えー学会の司会を致します池田と申します。
 全国にわたりまして、日蓮正宗の仏法の正しいゆえんによって、全国にわたる、間違った邪教といい切れる日蓮宗身延派の信者が何千何万と創価学会日蓮正宗の信者になったということは、実に日蓮正宗が正しいという証拠であります。
 したがって今身延派では、その身延の信仰があくまで日蓮大聖人様に対する敵であり、仏敵であり、それに気づき、日蓮正宗の仏法のみが経文の上でも哲学の上でも事実の現証の上でも正しいという証拠のゆえに、身延をやめて日蓮正宗の信徒になったのであります。【中略】
 世間では身延山があくまでも祖山であるというふうに考えておりますが、身延と日蓮正宗との法の勝劣は、厳然たるものであり、未だかつて大聖人様の真髄たる日蓮正宗の仏法が、身延などの邪宗邪義に敗けておるわけが絶対にないのであります。」
と言っていたのです。

 未だに、創価学会では「小樽問答で創価学会は大勝利」と言っていますが、創価学会は日蓮宗になんと申し開きをするのでしょうか?

 何処までも日蓮大聖人の教えを純粋に守りたい日蓮正宗と、時代に合わせて日蓮大聖人の教えを曲げてでも、創価学会が広まることこそが正義と考える創価学会と対立するのは、当然の結果だと言えます。
 日顕上人が池田に嫉妬して破門にしたと言う輩も内外にいますが、嫉妬していたのは池田であって、宗内の御僧侶が学会の何に嫉妬するというのでしょうか?
 あまりにも僧侶を知らない意見です。僧侶はそもそも御信徒の幸福と成仏を常に願っていますから、御信徒の成功や発展は嬉しいものです。それを羨ましいと思ったり、張り合おうという思いがあったとしたら、馬鹿らしくて僧道は続けられません。
 私には、日蓮正宗の僧侶が御信徒に嫉妬するという意味が、正直分かりません。
 創価学会には、人や金はあっても、宗教として最も大事な、独自の本尊も教義もありません。日蓮大聖人の直筆本尊も、一遍の御遺文すら無いのです。
 学会の重宝と言えば、金に飽かせて買い集めた、美術品ぐらいしか無いのです。要は、中身のないスカスカな教団なのです。未だに日蓮正宗の本尊を独自にコピーし、日蓮正宗から教わった教義を、自分達に都合よくアレンジしているに過ぎないのです。
 宗門は元々世界広布を目指してるわけですから、学会が海外布教をすることにサポートこそすれ反対はしてきませんでした。
 田原氏の名前と顔が、世間で売れているだけに、執筆した本の影響は計り知れませんが、地道に学会員への折伏が必要かと思います。


 さて、話を戻しますが、
 『立正安国論』に説かれた
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。」(御書234頁)
の仰せを、科学者が聞けば、「大風や地震の起きるメカニズムは解明され、今や、小学生でも知っている。人間社会の過ちが自然災害を引き起こすというのは迷信にすぎない。」と言うでしょう。
 しかし科学は現象の世界を解明する学問ですが、精神の分野には及んでいません。
 仏が人間の犯す謗法が自然災害の原因になると説かれるのは、依正不二の原理によるのです。
 「自分(正報)と自分の周りを取り巻く環境(依報)は、別のものではなく一体であり、周りで起きる出来事は全て自分自身の心の状態を投影させたものである」という意味です。
 ゆえに人間の行為が自然界に影響するのです。
 天台大師は、法華経の肝要たる一念三千を構成する三世間、即ち
・五陰(ごおん)世間(個人の生命活動)
・衆生世間(人間社会)
・国土世間(非情の環境世界)
のうち、五陰・衆生の二世間が正報、国土世間が依報に当り、この二つは不二の関係にあると説きました。
 個性の一念が三千世界と不二なればこそ、御本仏大聖人の一念は竜口(たつのくち)の光り物と現れたのです。
 国家権力によって、まさに死刑が執行されようとする時、それが覆ることなどあり得ません。現代の日本においても、同じです。
 しかし、日蓮大聖人は竜口の刑場にて、光り物によって武士達が怖じ気づき、ついに死刑は執行できませんでした。
 この時の光り物について『日蓮大聖人正伝』では、
 「近年の学者たちが稲妻であるとか、流星であるとか、隕石が空気中で燃えてできる火球であるなどと、科学的知識を駆使していろいろな説明を加えています。しかしこの光り物に、たとえどんな科学的理論づけがなされようと、それはただ単に一箇の光り物に対する想像でしかありません。肝心なことは、なぜこの光り物が、この日、この時刻、この場所に出現したのかということなのです。」
と説明されています。
 妙楽大師は、
 「一心一念法界に遍(あまね)し」(大正蔵46ー295C)
といって、仏の一念心は宇宙法界に影響を与えると説かれました。これは末法の仏の振舞いを予証した言葉と言えます。
 法界の究極たる久遠元初(くおんがんじょ)の御本仏日蓮大聖人の御当体にまします大御本尊を拝信して唱題する時、その一念は法界三千に響き、諸仏諸天を喚(よ)び現(あらわ)し、威大(いだい)な加護を受けるのです。
 真の世界広布と平和な国土は、まさに真実の正法である南無妙法蓮華経によってこそ建設されるのであり、私達はこの事を深く確信し、真剣に唱題に励み、折伏、再折伏に頑張ることが大切です。


 
     
 


 平成三十年十一月度 
御報恩御講拝読御書

 兄 弟 抄(御書九八六㌻八行目~一一行目)


 此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。

 
 
        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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