ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第292号)  
   
 
   【人久しといえども百年には過ぎず】  
   但一睡の夢
 
 
 おかげをもちまして、私は来る二月二十六日、慈本寺住職・赴任十周年の佳節を迎えることと相成りました。
 これもひとえに仏祖三宝尊をはじめ、日如上人猊下様をはじめ諸先輩方はもちろんのこと、何より皆様方の御信心と、多大なる外護の賜物と深く感謝いたしております。
 
【総本山・学衆課勤務】
 もう25年も前になってしまいますが、私は慈本寺に赴任する前は、ブラジル一乗寺の在勤を経て、本山の内事部・学衆課というところで15年余り御奉公させていただいておりました。
 総本山大石寺には、得度試験に合格した後、立派な僧侶になるために親元を離れて修行をしている中学一年生から高校三年生までの小僧さんがおります。一学年20人前後おりますから、およそ120人です。そのお世話係をしておりました。
 出家者を世間から隔離して育てる教団もあるようですが、日蓮正宗では地元の中学・高校へ通いなが
ら、朝晩修行に励むという日々を送っています。
 これは法華経の『従地涌出品第十五』に、
「不染世間法(ふせんせけんほう) 如蓮華在水(にょれんげざいすい)」(世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し)と蓮華は泥の中にあっても汚れることなく美しい花を咲かせると説かれます。それと同じように、泥にまみれた世間にあってもそれに染まらぬよう、清らかな華を咲かせるところに意義があるからです。
 日蓮正宗の僧侶の袈裟が、他宗の僧侶と違って白いのも同じ意味があり、袈裟の着用を許される際には、猊下様から袈裟に「不染世間法 如蓮華在水」のお経文を御染筆いただくのです。
 学校では、一般世間の子供さんと共に机を並べる訳ですから、いろんな情報が入ってきます。
 小僧さんは持ち物や小遣いにも制限があります。当然、ゲームや携帯電話は禁止です。
 基本的に、休みはお正月の一日、5月の日帰りバス旅行、夏休みの海水浴しかありません。中学一年生で本山にあがって、家に帰れるのは6年後の高校三年生までありません。
 普段、一般家庭の子が当たり前にしているような友達の家に遊びに行くとか、学校帰りに寄り道をするとか、好きな部活動を好きなだけするという訳にもいきません。
 そういう環境に耐えて、信仰心と目的意識をしっかり持った小僧さんが、立派に育っていくのです。
 皆さんも、思春期のお子さんを育てた経験がある方はわかると思いますが、多感な時期ですから色々あります。
 学生ながら学校の先生から生徒から父兄までもが尊敬してやまないような立派な小僧さんもいれば、反抗期真っ只中という小僧さんもいます。
 そんな小僧さん達と向き合う仕事を十五年もさせていただいていたわけです。
 自分がお世話をさせていただいた小僧さんが立派に成長して活躍する姿を見るのは、嬉しいことですし、このお役目の醍醐味でした。しかし、私の同期生で早い人は、その間、苦労しながら地元の御信徒と共にお寺を預かって住職をされている訳ですから、漠然と「自分に将来果たして住職が務まるのだろうか?」という一抹の不安を持っていました。

【慈本寺赴任】
 平成二十年、慈本寺第三代住職の辞令を頂き、青梅の地へやって参りました。
 八王子の法忍寺さんで大学時代御奉公させていただいていた縁もあり、もう三十年近く前になってしまいますが、大学卒業に当たりこの慈本寺へ、ご挨拶に来させていただいた事がありました。
 当時、初代御住職・石橋頂道御尊師にリビングと書斎へ案内いただきましたが、その時の部屋で今この原稿を書いていることに、なんとも言えない因縁を感じます。
 しかし、十年前、青梅の地に足を踏み入れた時は不安しかありませんでした。数ヶ寺を歴任されたある先輩で、「今度はどんなお寺で、どんな土地で、どんな出会いがあるかいつもワクワクするよ。」という方もおりますが、私は人見知りの内向的な性格の上(風貌はふてぶてしく見えるらしく損ばかりしていますが…)、赴任する前の十五年間ほとんど御信徒との交わりもなく、初任地ということで極度に緊張していました。
 そんな私達家族を講中の皆さんが温かく迎えて下さいました。
 初めて住職になった訳ですから、皆さんから「住職さん」と呼ばれてもなかなか慣れず、御歴代の御住職が書き残された寺報や、達筆な書き物を見るにつけ、身のすくむ思いで法務にたずさわっておりました。
 
【桜梅桃李】
 前にも申しあげたことがありますが、私は慈本寺に赴任するにあたり、早々にやりたいと思っていた事の一つとして、ホームページの立ち上げがありました。
 必要だと痛感したのは、本山の在勤時代です。何気なくインターネットを閲覧していますと、創価学会員がさんざん嘘の情報を元に、日顕上人や宗門を口汚く罵る掲示板があったのです。
 最初は、閲覧していただけなのですが、あまりにも非道な内容に我慢できず、破折のつもりで書き込みました。そのうち、彼等は「ここは学会員の交流の場であって部外者は出ていけ。」「悔しかったら自分でホームページでも掲示板でも立ち上げたらいいだろ。」と閉め出されました。そこで、いつかは自分で正々堂々と実名を出して、大聖人様の教えの正義と、学会の間違いを発信していきたいと強く思っておりました。
 幸いにも、うちの講にはパソコンに精通している方がおり、私は原稿を渡しているだけで、写真やデザインなどはお任せしていますが、素晴らしいホームページになっていると思います。
 また、赴任当時小学生だった私の子供は、富士地方部の鼓笛隊に入っていた経緯もあって、東京第二地方部の鼓笛隊に編入させたいとの思いがありました。丁度、同じような年廻りの鼓笛隊に入っている子供さんがおり、一緒に練習に連れて行っていただくなど、大変お世話になりました。
 さらに、私が赴任した年は、慈本寺創立二十五周年に当たっておりましたが、何の準備も出来ず、当時の講頭さんが音頭を取って下さり、有志から記念事業の御供養を募って下さいました。
 赴任してすぐの事ですが、大病を患っていらっしゃる御婦人が、娘さんの押す車椅子で懸命に御参詣なさっておりました。当時はスロープもなく「何が欲しいですか?」と講頭さんが聞いて下さったので「スロープが欲しいです。外階段に手すりも欲しい。」と言うと手配して下さり、講員さんの未入信の御主人でしたが、誠実に仕事をしてくださいました。

 またある時は、有志で本堂と控え室の壁紙にペンキを塗った事がありました。これは、赴任して数日間、私の両親が滞在して荷ほどきを手伝って下さったのですが、庫裡の玄関の壁紙にペンキを塗って綺麗にしてもらったことを思い出してのことでした。
 本堂の壁紙を業者に頼んで貼り替えるのと、素人ながらもペンキを塗るのでは、かかる費用は雲泥の差です。今思うと、よくぞ危険で無謀な提案に賛同して下さった方がいらっしゃったものだと思いますが、当時は成功しか頭に描いていませんでした。
 三段タワーを組んで天井を塗るのですが、上まで登ってみると、情けないことに私は怖くてまともに体が動かず、下から塗る方に廻ったものでした。
 平成23年の3月11日に発生した東日本大震災では、地震の被害はありませんでしたが、一時期物流がストップし、特にガソリンが手に入らない状態でした。自分の事で皆が精一杯の中、お得意様だけ給油できるという券を「困っているでしょうから使って下さい」と、譲って下さった方もいらっしゃいました。
 また、4年前の大雪では幹線道路が通行できない中、わざわざ慈本寺の雪かきをするために、何キロも山道を歩いて来て下さる方もいらっしゃいました。
 特に役員の方は日頃から様々な面で外護の任に当たられ、唱題や活動にも積極的に動いて下さっていますが、その中でも講頭さんは、毎年900時間もの唱題を率先して敢行され、慈本寺の折伏成就と発展の原動力となって下さっています。
 こういう数々のエピソードを挙げると際限なく出てきます。
 日如上人猊下様は
「大聖人様は、「桜梅桃李」(御書1797頁)ということをお示しになっているように、桜は桜、梅は梅と。広宣流布という一点に力を合わせていくところに真の団結が生まれてくるのです。」
と、ご指南されています。
 大聖人様は
「桜梅桃李の己が位、己が体を改めずして無作の三身と開覚す」(御書1797頁)とご指南されています。
梅が桜に憧れて桜になろうとする必要はありません。その身そのままの境遇の中から、功徳を頂いて幸せになっていくのです。
 色んな方が集って、慈本寺が外護されています。その功徳の実証を、日頃、皆さんから見せて頂いております。本当に感謝の言葉しかありません。

【但(ただ)一睡(いっすい)の夢ぞかし】
 さて、私が赴任して以来、他支部の方を含めて葬儀にたずさわった方を数えてみますと、61名いらっしゃいました。
 分け隔てなく、全力で葬儀のおつとめをさせて頂いておりますが、共に本堂の御本尊様へ読経・唱題をし、言葉を交わし、絆が深くなった方とのお別れは、住職としてもつらいものがあります。
 残されたご遺族の悲しみは簡単に癒えることはありませんが、それでも私たちは生きていかなければなりません。
 先日も、何の前触れも無くスキー場に隣接する山が噴火して、尊い命が奪われました。また、今年はインフルエンザの大流行によって亡くなる方もいらっしゃいます。このように、世の中には不慮の事故・災難・病気が充満しています。
 しかし、殆どの方は、自分とは無関係だと思いながら生活しています。ずっと今と同じ平穏な日々が続くと思って暮らしています。
 大聖人様が御在世当時、駿河国の松野六郎左衛門に宛てた『松野殿御返事』に、
「人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし」(御書1051頁)
という御文があります。
 松野氏が法華経の修行について大聖人に教えを請い、大聖人がその心構えを仰せになったものです。
 大聖人は「仏法を学び弘める時は、まさに身命を捨ててのぞまなければならない」と諭されます。
 そして、「いくら人の寿命が長いといっても百年を超えることはない、その間のことは一時の夢に過ぎない」とご指南されます。
今生の命は有限です。しかし、この限られた人生の中で正しい法に出会ったのです。命とは時間です。自分の貴重な時間をいかに仏様のため、人の為に使えるかが我々の修行の大事なところです。
 一般社会においても、自分一人だけの幸せはありえないように、自他共の幸せこそが真の幸せです。
 この、自他共の幸せを実現するためには、大聖人の御教示に照らして、折伏をもってする以外には道はありません。
 なぜなら、一切衆生救済の秘法は、法華経本門寿量品文底秘沈の大法たる妙法蓮華経以外にはないからです。
 大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
「願くは『現世安穏、後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞、後生の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書300頁)
ということをおつしゃっております。
 私達の現当二世にわたっての幸せな境涯ということも、この人生における最大の歓びも、折伏をしてこそ、初めて本当の意味のある思い出や尊い功徳がそこに備わってくるのです。
 人生の忘れたい思い出を消すことは出来ませんが、乗り越えることは出来るのです。これを、信心していない人にも教えて、最高の思い出がその人の人生に残るよう行動を起こすのです。
 私達は御本尊様を信じる大聖人様の弟子であるならば、せめて一週間に一日でもいいですから、だれにも言われることなく、自分の志の上において、折伏の一念に立って下さい。
 そして友達や縁ある人に、勇気を持ってこの正法のもとに導いてあげるという、実践する時間を是非作って下さい。
 霊山で大聖人や亡き御家族にお会いしても恥じることないように、良い思い出、折伏の思い出をつくってまいりましょう。

        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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