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   日蓮は日本国の諸人に主師父母なり  
   日蓮正宗の信心
 
        
 本日は、平成三十年最初の初御講にあたりまして、新入講者もいらっしゃいますので、日蓮正宗の信心の基本をお話しさせて頂きたいと思います。


【法力を信じる】
 世間的な信仰というのは、商売繁盛や学業や恋愛成就を願って、初詣や自分の都合で思い思いの神社仏閣へ参詣し、おみくじを引いたり、賽銭を投げ入れ、数秒間なにがしか願い事をして終わり、と言う姿があります。
 また、祭りが大好きで、祭り囃子(ばやし)が聞こえて神輿(みこし)や山車(だし)を見ると、いても立ってもいられず、飛び入り参加でも何でもしてしまうという人もいます。
 神輿には、それぞれ神らしきモノが祀(まつ)られているようなのですが、大勢で振り回したり、ぶつけたり、水を掛けたりと、とても大事に敬い、心から信じているようには見えません。
 日蓮正宗のように、御本尊様の前に端座(たんざ)し、読経・唱題をするという立派な修行の姿はありません。
 人によっては、こういう日蓮正宗の信仰姿勢こそ、非常に難しく、また窮屈(きゅうくつ)で特殊なものだという風に考える方もいるかも知れません。
 しかし、信心の根本は、御本尊様とその教えを、心から深く信じるということに尽きます。
 いつも申し上げることでありますが、天地創造の神であるとか、あるいは阿弥陀(あみだ)であるとか、弥勒(みろく)であるとか、観音(かんのん)というような、未だかつて、この宇宙や世界のどこの国にも出現したことがない、そのような架空の仏や菩薩を信じることが信心ということではありません。
 そういう見たこともない、姿形の分からないものを想像し、あるいは憧れ慕って、どんなに念仏を唱えても、どんなに座禅を組んで瞑想(めいそう)に耽(ふけ)っても、どんなに供養し信心を貫いても、絵に描いた餅は食べられないのと同じで、架空の仏をどれだけ拝もうと、信心は成り立たないのです。

 日蓮正宗では、
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。」(御書685頁)
と、大聖人様が実際にその御魂魄(ごこんぱく)をとどめられた御本尊様を受持し、まっすぐに信行することが信心なのです。
 日蓮正宗の御本尊様には、久遠元初(くおんがんじょ)の仏様である日蓮大聖人様が悟られた法体が顕されています。また、そこには、十界の衆生を悉く成仏せしめる原理である十界互具(じゅっかいごぐ)・一念三千(いちねんさんぜん)の法門をはじめとする一切の法義、仏法僧の三宝が厳然として具わっているのです。
 難しいことは分からないかも知れませんが、大聖人様の悟りと、あらゆる人々を救済する法体と法力が厳然と具わった御本尊様ですから、とにかくありがたいと、深くこれを信じることが大事です。
 法力を信じるということは、そういうことです。


【仏力を信じる】
 それから今度は仏力と申しまして、大聖人様こそが、私達衆生にとって「主師親(しゅししん)の三徳」を供えられた、唯一にして最高の仏様であるということを、深く信じるということが大事です。

 日蓮大聖人様は、「諸宗の間違った信仰をしていると、地獄に堕ちる」とハッキリ仰せになり、
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」
とその四箇の格言をもって諸宗の謗法の実体を、大聖人様は強く破折されました。
 破折された側の方からすれば、「南無妙法蓮華経」は悪魔の呪文であり、日蓮大聖人は悪侶中の悪侶であると先祖代々伝えられるようです。

 また日蓮宗の人々は、大聖人様の御境界が単なる菩薩としか見る事が出来ません。日蓮大聖人は釈尊の弟子であって、天台大師が法華弘通半ばにして亡くなり、伝教大師もまた弘通半ばにして亡くなり、それを大聖人様がその後を継いで、法華経を広めたぐらいにしか考えていません。
 しかし、そうではないのです。
 未だかつて、この閻浮第一(えんぶだいいち)の御本尊様の法体を、お釈迦様より授けられた仏(御内証は久遠元初(くおんがんじょ)の仏は大聖人様だけなのです。ですから日蓮大聖人様と、私達救われる側の衆生との関係は実に明確です。
 日蓮大聖人様は、一人ひとりを折伏し教導して、弟子を養成されました。
 大勢の信徒の悩みや、苦しみや、諸難の時など、信心をしていても起こる様々な問題の原因と対処法をしっかりと教え、信心が整ったならば御本尊様を授け、そして一人ひとりを教導されたのです。
「日蓮のように、こう修行すればどんな苦しみも乗り越えて行けるのです。」とお手本を我々に見せて、導いて下さる根本の師が大聖人様なのです。
 観光寺院に安置されている金ピカの仏像・菩薩像に人々を救う力は皆無です。 真実の生きた仏は、その法体を授け、一人ひとりを教導してゆく。その先達となる根本の師が御本仏・日蓮大聖人様なのです。
 ですから「日蓮は日本国の諸人に主師(しうし)父母なり」(御書577頁)
と仰せなのです。大聖人様は、慢心から仰せなのではなく、それが真実の姿、実相なのです。

 どうか、時間を見つけて『開目抄』『一谷入道御書』『産湯相承』等々の御書を拝読され、御指南遊ばされたその仏様の御境涯、大聖人様の衆生救済の御慈悲を、拝して頂きたいと思います。


【御法門を信じる】
 そして三つ目には、その大聖人様のお説きになった御法門を深く信じるということです。「道理、文証、現証」ということを大聖人様は仰せです。
 信心の世界は、人の言葉に紛動されるのではなくて、どこまでも、御本仏大聖人様の御指南を通して、道理、文証、現証を信じることが大切です。
 大聖人様は五百数十編における御書を通して、あらゆる角度から、信心のあるべき姿を御指南遊ばされていらっしゃいます。
 その深い大聖人様の御境界からの御指南、道理、文証を深く信じて、そしてあらゆる信心の過程における、苦楽を乗り越えていくのです。
 大聖人の教えを実践していけば、煩悩・業苦・三道を、法身般若の解脱へと転換していけるのです。 このような御本尊様の功徳を、現実の生活に必ず現していけるのだと、深く信じることが、大切な事なのです。
 それが自らの信力であり、自らもまた折伏実践の行力となるのであります。
 大聖人様の法力・仏力と、私達一人ひとりの信力・行力があるところ、皆さんが御本尊に託するその願いはことごとく、自分の功徳となって現れてくるということを、深く確信して頂きたいのです。


【猊下様を信じる】
 日蓮正宗の信仰の根幹は、大御本尊様と血脈相承にあります。
 大聖人様は、大御本尊様を建立され、日興上人へ唯授一人の血脈相承をされました。そして日興上人から六十八世日如上人まで、血脈は伝わって来ております。
 これは、大聖人様が御自身の御入滅の後も、御在世中(ございせちゅう)と変わらず、未来永劫(みらいえいごう)に渡って一切衆生を利益していくためになされた御仏智であります。
 また、その御方が血脈相承の上から御本尊をしたためられれば、「日蓮が魂」となる訳ですから、御相承された上での御指南は、現日蓮の御指南として拝するのが我々の信仰なのです。
 日蓮大聖人は代理としての日興上人以下、御歴代上人をお遣わしになり、総本山の御法主上人猊下が、「遣使還告(けんしげんごう)」のお立場として、妙法の正しい教えを説法されているのです。
 ですから私たちは、日蓮大聖人に生まれ合わせなくとも、常に大御本尊のもとに信心し、大聖人のお遣いとしての御歴代上人猊下の御指南を拝することが、すなわち大聖人より直接、化導を受けるという意義を備えるのです。

 それを、今の創価学会や顕正会や正信会では、「日達上人は御遷化にあたって誰にも御相承されていない。日顕上人は法主を詐称している。よって日如上人もニセ法主である。」と正法正義を破壊しようとしたのです。
 しかし、かつての池田大作は、日顕上人の血脈に疑義を呈して宗門から擯斥(ひんせき)された正信会を、次のように非難していました。
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」 (広布と人生を語る1―230頁)
 このように、池田大作は、昭和五十四(一九七九)年七月に日顕上人が登座されてから平成二年までの十一年間、日顕上人に信伏随従していました。
 しかし、平成二年十一月に、突如、猊下様や宗門の批判を始め、自分ら喧嘩を仕掛けておきながら、破門になるやニセ法主呼ばわりでは、道理が通りません。
 この通らない難癖を、洗脳によって会員に嫌悪感を植え付け、考えさせないようにしているのが、今の創価学会なのです。

 もし、血脈が断絶したならば、一切衆生の成仏の道は未来永劫にわたって閉ざされたことになります。それと同時に、日蓮大聖人様は末法の御本仏ではなかったという証明になります。もはやそんな事も、彼等には理解できないのです。

 今では公式に大御本尊様を受持の対象にしないと創価学会は会則までをも変えましたが、かつて、小樽問答で創価学会は日蓮宗に対し、

●「日蓮正宗が正しいから、御本尊様も正しい。日蓮大聖人の血脈は日蓮正宗にしか伝わっていない」

●「日蓮大聖人の血脈は、ちやんと日興上人に受け継がれているのです。だから日蓮正宗が絶対に正しい。その正統の実践をしながら外護をしているのが創価学会です」

●「御書に照らしてみても、日興上人の身延離山の歴史から考えても、日蓮大聖人の血脈は日蓮正宗にしかないことは、一点の疑いもない」

●「このように日興上人が唯ひとり正しく大聖人の正義を伝承されて今日にいたっている。これこそ日蓮正宗富士大石寺である」

●「大石寺には、ちゃんと三大秘法の本門戒壇の大御本尊があるのを知っているでしょう。あんたたちにはこの大御本尊が無いから、勝手なでたらめばかり言っているのじゃないの」
と言っていたのです。

 これらは、「現代の御書」とまで豪語していた創価学会発行の『旧人間革命』9巻に載っており、『新人間革命』では削除や改変がなされています。
 昭和三〇年三月十一日、身延にこう主張して、今でも法論で「勝った。勝った。」と言い続けている創価学会のどこに正義があるのでしょう?
 現在の創価学会が会員に対して、洗脳によって日顕上人を憎ませ、大聖人即大御本尊へのお目通りをしないよう指導していることは実に罪深い事です。
 今の学会員は、八年以上も公に顔を見せない池田大作のことを「お隠れになった」と言っているようですが、最早、新興宗教が教祖を神格化している様と同じです。
 今年は、大いに洗脳によって正気を失った方々を救い出していこうではありませんか。

 私たちが慈悲の一念で折伏に立ち上がる時には、起こってくるあらゆる悩みを乗り越えることが出来ます。折伏をしていけば、魔も蠢動(しゅんどう)し、非難中傷されることもあるでしょう。
 しかし、信心とは、結局は自分の幸せのために頑張ってするのです。
 そこには、私たち凡夫では計り知れないほどの功徳が厳然とあるのです。
 せっかく信心をしているのに、ちゃんと修行をしないことは実に勿体ないことであり、人生の貴重な時間を浪費してはいけません。
 現世と来世という現当二世に亘って真実の幸せ、自分達一族、一家全員のこれからの未来を切り開くための、「今日の信心」なのだということを深く心において、異体同心して進んで参りましょう。

        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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