ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第290号)  
   
 
   【願わくは我が弟子等大願ををこせ】  
   仏の大いなる願いとは
 
 
【仏の願い】
 私達が、朝晩唱えている「法華経如来寿量品」の一番最後の経文は「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」とあります。
訓読みしますと、『毎(つね)に自ら是(こ)の念を作(な)さく 何を以てか衆生をして無上道に入り 速(すみや)かに仏身を成就することを得せ令(し)めんと』となります。
 仏様は常に、「どうしたら、人々が無上の幸福を得られるか」を考え、念じられています。自我偈は、この慈愛の経文で結ばれているのです。
末法の御本仏であられる日蓮大聖人様も、この大願のゆえに、この世に出現され、大御本尊様を顕され、南妙法蓮華経のお題目を唱えることを教えてくださいました。
 一切衆生の幸福こそ、仏の大いなる願いであるがゆえに「大願」なのです。
 日蓮大聖人はこれを『持妙法華問答抄』に「毎自作是念の悲願」(298頁)と説かれています。
大聖人は御所持されている、万人成仏の法である「南無妙法蓮華経」を広めゆく 大願を立てられました。
御書には「大願とは法華弘通なり」(1749頁)と仰せです。
 そして大聖人は、
「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(1428頁)と呼び掛けられ、我々に広宣流布の大願成就を託されたのです。


【日蓮正宗の教義は、万人を救う教え】
 ウチの講はどうか分かりませんが、ある支部の講員さんの中には、「今の日蓮正宗は、創価学会のようで違和感を覚える」と話している方もいるようです。
 しかし、考えてみてください。破門前の創価学会は、日蓮正宗の教義を信じる信徒団体だった訳ですから、元々同じなのは当たり前です。
 そこに創価学会は、池田名誉会長を尊極無比(そんごくむひ)の存在と崇め、選挙、財務、民音、文化祭など本来、大聖人の教えでないものを導入し、宗門の指導を聞かず暴走を始めたが故に破門になったのです。
 幕府に「立正安国論」を提出された大聖人様が御在世であった鎌倉時代より今日まで、日蓮正宗は「折伏を実践し」、堂々と「他宗の教えは間違いで、功徳が無いばかりか、堕地獄の原因を積んでしまいます。」と言い切って来たのです。

 今の日蓮正宗の体制に疑問を抱く方は、具体的な数字による折伏の誓願に対してだと思います。
 理想は、「一年に一人が一人の折伏」ですが、現実問題としては厳しいものがあります。そこで、御宗門の御指導の下、具体的な数字を各講中で決めるようになりました。なぜなら、明確な目標を定めた方が信心修行に励むことが出来るからです。
 日蓮大聖人は、
「日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。」
(1059頁)と仰せです。
 日蓮正宗は一切衆生を救う事ですから、その折伏する対象となるのは、創価学会や顕正会をはじめ、全ての人々なのです。
 また、大聖人は
「云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳(げんに)の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云く「慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是彼が怨(あだ)なり」等云々。」(906頁)
とも仰せです。
 大聖人様は、「折伏をしない詐りの人間関係ではいけない」と仰せです。折伏は、本当に難しい事ですし、勇気が必要です。しかも、体制批判をしたところで、折伏は成就しませんし、罪障を積むだけで何の徳にもなりません。
 宗教というだけで警戒される今の時代、簡単に誓願は成就出来ませんが、私達は大事な人への折伏を、生涯、諦めずに続けるべきなのです。


【不遜な患者】
 日蓮正宗に入る目的の人は、人によって様々ですが、何らかの願いや悩みがあって、それを叶えるための入信だと思います。
 最初から、教義や修行に感銘して信心を始めたという方は、殆どいらっしゃらないと思います。

 慈本寺を預かる住職としては、「講中の皆さんが、正しく大聖人様の教えを実践されて、福徳に満ちた日々を送って欲しい。」と毎日御祈念申しあげ、どうすれば皆が実践してくれるかを常に考えています。
 本来信仰とは、邪宗のように、お賽銭を投げ入れて手を合わせる、地蔵を触る、煙を頭にかける、御守りやお札を購入して終わりという、お手軽でいい加減なものではありません。

 私は僧侶ですし、皆さんとは立場が違うので、日蓮正宗に入ったものの、信じてはいてもやる気が起きない方の考え方や原因が分かりませんでした。
 そこで思いが至ったのが、私自身がお医者さんから見たら不遜な患者であるということでした。
 私は四十一才で慈本寺に赴任するまで、入院、骨折もなければ、火傷や、どこかを切って縫った経験もありませんでした。
 ところが、段々とメタボ体型が進み、思い切って市の健康診断を45才で受けることにしました。
 案の定、高血圧、高血糖、高脂血症と言われました。発症したことはありませんが、高尿酸値でもありました。痛風経験者に、私がまだ痛風が発症したことがないと告げると、皆さん一様に悔しそうな顔をするのが面白いところです。
 高ナンとかと付く割に、自覚症状が全く無く、お医者さんの「タバコはやめてお酒は控えてください」「御飯のお代わりはダメですよ」「間食は控えてください」といわれても、その場で、面倒臭そうに低い声で「はい」と気のない返事をするだけでした。
 それでも先生は、「自分の健康のことですからね」「将来人工透析になったら大変ですよ」
「脳や心臓疾患のリスクを下げないといけません」と根気よくお話し下さるのです。
 また、保健指導の方に運動や食事の指導を受け、毎月電話がかかってきて様子を聞いて下さるのですが、何にも実践せずにどこも変わっていないものですから、明るく私のためを思って一生懸命に前向きな話をして下さるのに、その場しのぎの返答をしておりました。今にして思えば態度が悪かったと思います。
 歳を取ると、体の具合や薬の話ばかりになるというのは世の常ですが、ここでも落第患者の私は、同じような症状の方との話で、「○○の数値はどれくらいですか?」「何と言う薬をどれくらい飲んでいすか?」と聞かれ、初めて、自分の病状を何も把握せず、毎日飲んでいる薬のことすら、何も気にせずに飲んでいた事に、自分でも呆れてしまいました。

 その後、妻がタバコの副流煙で苦しむようになったので、何とか頑張って禁煙にも成功し、年齢のせいか、お酒も自然と量を飲めなくなりました。
 薬も、飲み忘れることが多かったのですが、妻が気にしてくれるようになって飲み忘れも無くなると、随分と数値も下がってきて、主治医の先生も喜んで下さり、その姿を見て私も感激しました。
 話を、信心の話に戻します。
 お寺からお足が遠のいている方、実践出来ていない方は、どこか後ろめたい気持ちになっているのかも知れません。
 お盆やお彼岸などの先祖供養や、御講や御会式などの法要への参加、毎日の勤行や折伏や御供養の実践はしたほうがいい、というのは頭では分かっているのです。でも、実践出来ていない。そこを住職や講員さんに指摘されると、思春期の子供のように素直になれずに、反発してしまうのではないかと思います。

 そもそも、南無妙法蓮華経のお題目自体が、「仏様に帰命します・命を奉ります」という意味です。
大聖人様は「白米一俵御書」にて
「南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。」(1544頁)と仰せです。
 みなさんは、お題目の意味を知ろうと知るまいと、御本尊様に命をかけるとお誓いしながら手を合わせているのです。
また「意味も分からずに経文を読誦して、功徳はあるのだろうか」という疑問を抱く人もいるかも知れません。
 しかし大聖人は「法蓮抄」にて次のように仰せです。
「赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。」(815頁)と。
 赤ん坊は、お乳を飲めば知らずしらず大きく育ちます。
また、先ほどの話のように、薬の成分も効能もよく分からなくても、医者の言うことを信じて服用方法を守れば効能はあるのです。それらと同じように、御本尊を信じて妙法を唱えきっていくならば、必ず無量の福徳が輝いていくのです。


【大聖人様の大御慈悲】
 本年の七月の御講で『病苦を乗り越える』と題してお話しをさせて頂きました。その際、他支部の方でありますが、御秘符を頂いて息を吹き返されたお話しをさせていただきました。
「体調が優れないと通院された御主人が、心不全を中心とする多臓器不全で危篤になり、医師より、親族みなを集めるように突然連絡があったそうです。
 奥さんが所属寺院へ連絡して御秘符が申請され、緊急事態につき、直ちにお寺の奥さんが病院へ届けたそうです。病室内で御秘符を受け取った奥さんが、呼吸器をつけた御主人の姿を観て、一瞬「もう遅いか、ダメかな」と思ったそうですが、「いや、あきらめちゃいけない」と思い立ち、看護婦さんに、「私は日蓮正宗の信徒です。この世の最後のお願い。この水を主人に呑ませてあげたい」と懇願したら、呼吸器を取り外してくれ、どうぞ、ということになり、瀕死の状態の御主人の唇に、御秘符を研いだ水を含ませたそうです。
 その瞬間、なんと、息を吹き返したというのです。ドラマの様なシーンですが、その場には、ご子息も一緒に祈られており、まさにその祈りと相まって、驚天動地の大現証が顕現したと、そこの御住職がおっしゃっていました。
 しかも、御秘符の水を飲んだ瀕死の御主人が、奥さんに「美味しい、もっと欲しい」と話されたそうなのです。
 矢作教授の言う、医学的に亡くなってもおかしくない方が、生きているというのはこのことだと思います。この一族には、護法のために重大な使命がまだ残されているのです。
 また、この家族が素晴らしいのは、堂々と病室でお題目を唱え、日蓮正宗の信仰者であることを訴え、御秘符を服すことを願い出たことです。
 微塵(みじん)も人目を気にしたり、躊躇(ちゅうちょ)したりせずに、御本尊様を信じ切っての行動が取れたということが明暗を分けたとも言えます。
 いかに日頃からの法統相続、信心の錬磨が大切であるかと言うことだと思います。皆さんも自分が臨終の時に朗々と唱題してくれる眷属、法友を持てるよう心がけてください。そのためには、自ら実践して見せていくことが大事だと思います。」

 その後、この御主人がどうなったのか気になっておりましたら、先週、6日の大願寺での『広布推進会』の折、奥さんが歓喜に満ち溢れた姿で登壇され、何と11月から職場に復帰されたと言うではありませんか。
 心不全を中心とする多臓器不全で、医師から、「もって2時間。すぐに家族を呼びなさい。」と言われた事が嘘のようです。

 大聖人様は、『諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』にて
「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑(みずのとうし)四月廿八日より、今弘安三年太歳(たいさい)庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(1539頁)
と仰せの如く、我々に常にあふれんばかりの御慈悲を注いで下さっております。
この御本仏の大慈大悲の御金言を心魂に染め、妙法の力用と、受持を他に向かって説き勧める折伏行の功徳の絶大なることを確信してください。
 共々に、御本尊様の功徳を受けきっていける日々を送ろうではありませんか。

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