ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第287号)  
   
 
   法華経供養の功徳かさならば、あに竜女あとをつがざらん  
   嫉妬重なれば毒蛇となる
 
 


【クレーマーだらけの世の中】
 現代社会は、携帯電話やパソコンからインターネットを通じて、どんな人でも自分の考えや思いを簡単に発信できるようになりました。
 少し前までは、一般人が意見を表明するには、新聞やテレビ・ラジオ等に投稿するとか、関係各所へ電話やFAXをするのがせいぜいでした。
 その結果、世界中で、政治家も実業家も一般市民も口を開けば人の批判ばかりです。その批判がインターネット上で集中することを「炎上」と言われています。
 ブログや電子掲示板などの書き込み欄は、利用者が個別の拒否設定をしなければ、不特定多数の読者が、気軽に、自由にコメントを書き込めます。そのため、誹謗中傷や嫌悪感をあらわにした内容の投稿が一気に集まるのです。

 この「炎上」によって、政治家や芸能人で活動が出来なくなる人も出てきていますし、テレビコマーシャルでさえ放送中止になったりします。
 誰もが意見を表明できる世の中というのは、本来は秘匿されるような個々の様々な妬(ねた)みや恨(うら)みなどのマイナスの感情までもが垂れ流されるので、ギスギスしたものになってしまいます。

 例えば、最近知りましたがウーマンエキサイトというサイトの記事によりますと、「専業主婦」というだけで、やたらと忌(い )み嫌(きら)い叩く人が、同じ女性の中にいるというのです。
『なぜそんなに叩きたがる?専業主婦バッシングをする人の心理3選』という記事を紹介します。

(1)心に余裕がないことから生まれる「妬み」
「自分はこんなに大変で、働かなければいけないのに、なんであの人は働かなくていいの?」という一種の八つ当たりだそうです。「あなたも私と同じ苦しみ、大変さを味わってよ!」というような怒りも入っているそうです。
 心に余裕がなくなると、どうしても負の感情が渦巻き、妬みから自分より居心地の良さそうな場所にいる人に当たってしまうのだそうです。

(2)働かなくても生活ができる夫の収入に対する「羨ましさ」や「僻み」
 妻が働かなくてもいいくらいの収入を旦那さんが稼いでいるということが羨(うらや)ましくて、専業主婦をけなすそうです。
 「本当は働きたくないのに夫の稼ぎが少ないせいで自分が働きに出ている」という気持ちが強い人ほど、専業主婦を羨ましいと思っている傾向が見られるそうです。

(3)ただ単に専業主婦を誤解していた
「専業主婦=ヒマ、いつもだらけている、怠け者 」というイメージしか持てない人がいるそうです。
 しかし、隣の芝生は青く見えるだけで、実際はそれほど青くありません。
それに、専業主婦は立派な仕事です。家族から感謝されたり賃金をもらったりすることがなくても、毎日毎日働いてくれます。

 他人を批判する人は、大して悪気もなく、自分の感情を垂れ流しているのでしょうが、そういう「嫉妬(しっと)」「僻(ひが)み」「憎しみ」などの負のオーラは他の人へ感染していきます。
 これだけ、誰もが自分の考えを表明できる世の中だからこそ、個々の思想・人間性が重要になってくるのです。

【女人は嫉妬重なれば毒蛇となる】
 法華経以前の経々では、女性に対して「地獄の使ひ」「大蛇」「曲れ木」「仏の種をい(焦)れる者」とまでいわれ、罪障の深さ故に、成仏できないと忌み嫌われていました。
 話は少しそれますが、日本人ならどこかで般若のお面を見たことがあるとおもいます。今回の法話を書くに当たって色々調べて知ったことですが、この般若は女性なんです。激昂(げきこう)する女の顔を写したものと言われます。鬼女や幽霊などではなく生きた女性の怒りの相を表しているのです。
 能の舞台では「道成寺」で、蛇に化身した清姫の面として使われます。
どんなに綺麗な女性でも、人の悪口を言っている顔、憎しみの眼差しなどは、般若のお面そのものです。
 ウチのお寺にも、反対勢力の方達が、鼻息を荒くして来ることがありますが、手鏡でも渡してあげて、自分が今どんな表情をしているのか見せてあげたい位です。
 大聖人様は『開目抄』にて、
「法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり」(御書 563頁)
と仰せのごとく、法華経以前の教えでは、一念三千の即身成仏の法が説かれていないために、罪障深き女性は女性の身のままでは成仏できず、たとえ経には成仏・往生という言葉があったとしても、それは有名無実(うみょうむじつ)だったのです。
 しかし、大聖人様が『日眼女釈迦仏供養事(にちげんにょしゃかぶつくようのこと)』に、
「但(ただ)法華経ばかりに、女人は仏になると説かれて候」(御書1352頁)
と仰せられるように、法華経『提婆達多品(だいばだったほん)』における竜女の成仏によって初めて、女人成仏が説かれます。この竜女の成仏は、女性の即身成仏の手本となったと同時に、畜生界に仏界を具する実証でもあります。
 大聖人様は『南条殿女房御返事』に、
「夫(それ)水は寒積れば氷となる。雪は年累(かさ)なって水精(すいしょう)となる。悪積れば地獄となる。善積れば仏となる。女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。
 法華経供養の功徳かさならば、あに竜女があとをつがざらん」(御書1227頁)
と仰せです。
 嫉妬心や愚癡を重ねていくことは畜生界に堕(お )ちることであり、悩みながらも御本尊に唱題を重ねていくことは、自ずと即身成仏の境界に至ることができ
るのです。故に女性であることを卑下(ひげ)する必要はありません。
「此の経を持(たも)つ女人は一切の女人にす(過)ぎたるのみならず、一切の男子にこ(超)えたりとみへて候」(御書756頁)
との仰せを胸に、罪障深い我が身であるからこそ、真に即身成仏の叶う大聖人様の仏法を求め、仏道修行に励むのです。

【男の嫉妬】
 女性の話ばかりになりましたが、男性も嫉妬はしますし、あからさまに感情を表に出さない分、陰湿で執拗かも知れません。
 人は自分と同じくらいか下に見ている人が、自分より幸せそうだったり、組織から用いられたりすると、嫉妬する傾向にあります。「誰かに嫉妬心を感じたら、自分がうまく行ってない証拠だ」という格言があるほどです。

 例えば私の場合、毎年が猊下様の御命題達成の為の真剣勝負になります。折伏の進捗(しんちょく)状況が悪い年ほど、他の寺院の状況が気になります。
 本来、他の寺院の折伏状況が良くても悪くても、自分のお寺には全く関係ありません。どれだけ達成寺院を羨ましがったところで、折伏が進むわけでは無いからです。
 自分のお寺の折伏が順調に出来ているときは、「嫉妬心」とは無縁です。自分で作ったチラシでも何でも、「ドンドン使って下さい。共に頑張りましょう。」と大きく構えられますし、相談を受ければ、自分の事以上に心配できる境界にいられます。

 よって、みなさんが誰かに嫉妬してインターネットに書き込んだり陰口を言う事は、無意味で全く価値のない行いなのです。そんな自分のどす黒い「マイナスな気持ち」を表明しても、誰も嬉しくないし、自分も含め誰も幸せになれません。
 誰かに嫉妬した時は、自分が堕ちている証拠ですから、これを変えるきっかけにすればいいのです。

【怨憎会苦】
 人間の生きていく上で必ず遭遇する根本的な苦しみの中に、「怨憎会苦(おんぞうえく)」といって恨み憎む者や、自分の望まない状況に遭遇する苦しみがあります。
 仏法の考え方では、自分の行動を通して受けるさまざまな事柄は、宿業によると説いています。
 その宿業ということを考えないで、相手を逆に恨んでしまうということは、仏法に外れた教え、いわゆる外道の考え方です。当然、幸せになる事も、成仏も叶いません。
「怨嫉」は貪瞋癡の三毒から生じる心の汚れです。「怨嫉」は気分の良いものではありません。非常に身心を害する毒素を含んでおり、「怨嫉」から様々な病が生まれます。
「怨嫉」が生まれるのは、自己中心的になるからです。信心の目的の一つは、自己中心的な考えを改心し、自他共に幸せになることです。
 その「怨嫉」を抑える方法が御本尊様に御題目を唱えるという修行です。勤行唱題をしても「怨嫉」を静められないという人は、修行が足りません。命が慢心で濁っているのです。
 命を磨く方法は唱題しかありませんから、心が鎮まるまで唱題するのです。私達は「怨嫉」が生まれると相手に原因があると錯覚を起こしますが、自分自身の己心の魔や師子身中の虫が操っていることを覚(さと)ることが大事です。素直な信心をすれば明らかに見えるようになります。

 我々が特に気をつけなくてはならないのが、同志間の反目、諍(いさか)いは功徳を消し罪障を積むということです。
 信心の同志に悪口を言ったり、顔をしかめて嫌ったり、憎んだりすることは、その人の中の仏性をも否定することになるから謗法になるのです。これを犯すと折角信心をしていても、一方で罪障を刻むことになります。
 私達日蓮正宗の信仰者は修行の途上にある凡夫同士ですから、みんな欠点もあれば、落ち度もあります。
 今は欠点だらけでも御本尊様を信じて仏道修行に励むなら、その生命の奥底に仏界が涌現し、その仏界の働きによって、どんな人も次第に変わっていけます。  今はまだ目に見えなくても、仏道修行をしている人は確実に仏界が躍動しはじめていますので、先々立派になっていくことを信じて行かなくてはなりません。
 現在の至らない姿を見て不愉快に思い、むやみに批判したりするのは、御本尊様の功徳を信じていないことであり、その人の生命の奥底に躍動し始めた仏界を謗(そし)ることになります。
 大聖人様は、
 「忘れても法華経を持つ者をば互に毀(そし)るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」(御書1047頁)
と仰せです。このお言葉は、常に自分に言い聞かせて下さい。
 はじめに述べたように、今の世相は世界中で人々がインターネットを通じて、嫌いなものへ攻撃をし、溜飲(りゅういん)を下げているようですが、自分の醜い命には全く気付いていません。六根清浄の方法は、大御本尊様を受持するしかありません。ですから、人を選ばず我々は御指南のままに折伏するのです。
 折伏をして相手の幸せを祈って行けば、必ず自分自身が福徳に満ちた人生を送れます。これは絶対です。あとは、それをいかに実践するかだけなのです。
 皆さんには、御本尊様の功徳に満ちた清々(すがすが)しい人生を送って頂きたいと、切に願うものであります。

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