ホーム >  御住職の法話目次  御住職の法話(第254号)
  

  【現世には跡をつぐべき孝子なり。後生には又導かれて仏にならせ給ふべ】
 家族に堂々と信心を教えよう

 
 
  【仏法上の善悪】
 大聖人様は、私たちの心のうつろいやすさを喝破されて、『西山殿御書』に、
「うつりやすきは人の心なり。善悪にそめられ候」(御書1072頁)
と仰せになられております。
 つまり、私たちの心は縁によって目まぐるしく変わり、しかも善悪のどちらにも染まってしまうのです。
 私たちは日々を、一喜一憂しながら生活をしています。人に誉められれば気分をよくし、お世辞にもついつい乗せられ、悪口には腹を立てます。
 また仕事の上でも、調子のよい時には驕(おご)りが出てくるし、悪い時には落ち込んでしまいます。
 さらに怠惰(たいだ)とか欲望には引かれやすく、しかも染まりやすいのです。
 反対に、勤勉とか良識とか正義を貫くことは難しく、すぐに挫折(ざせつ)してしまいます。実際問題として、悪に染まり始めた人がいとも簡単に落ちるところまで落ちた、という話しはどこにでもあることです。
 
 特に、大聖人様の、
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469頁)
の御文から拝しても、仏法上の善悪こそが、社会的な善悪の基準となります。
 しかも、仏法の善悪を間違えれば、自分自身はもとより、家族や先祖、さらには子孫等にまで及ぼしてしまう、大変重要な事柄です。
 だからこそ、大聖人様は先の『西山殿御書』の御文に続けて、
「邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ。法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(御書1072頁)
と断言されています。

 ところが、何が善で何が悪なのか、という判断がまたとても難しいのです。
 世間的な善悪は私たちの目から見ても、善は善であり、悪は悪との判断がつきますから悪を犯すまいという心が働きますが、仏法上の善悪は一見して善と悪の区別がつきにくいために、悪を止めようとする心が働きにくく、より多くの人が悪を犯してしまいます。
 ですから、仏法上の判断について大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「善は但善と思ふほどに小善に付いて大悪の起こる事をしらず(中略)善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕つるなるべし」(御書323頁)
との御言葉に端的に示されています。

 大聖人様が邪悪とされるのは、正しい信心修行を妨げて、人々を功徳善根から遠ざける者のことであります。
 このお立場に立たれて、見せかけの善、私情がからんだ善、売名等の仕組まれた善、言わば偽善といえる邪悪に対して、ことさら徹底的に破折を加えられて、真実の大善を示して下さったのが大聖人様なのです。
 大聖人様が御在世当時、世間では貧しい人や病人に尽くす「生き仏」と崇められていた極楽寺良観を、見せかけの福祉事業がかえって社会を悪化させていると破折されています。
 私たちは決して偽善に惑わされることなく、あくまでも善悪の区別をつけて、正しい教えに基づいた本当の信心修行が不可欠なのです。

【信心の実践をしない人は迷いの姿である】
 翻(ひるがえ)って、皆さんの御家族はどうでしょうか。
 信心に反対する人。信心に反対はしないが自分は信じようとしない人。御授戒は受けているが、何も実践しない人。ちゃんと勤行唱題を欠かさず実践している人。折伏にも励み、登山や寺院参詣している人と様々だと思います。

 その中で、信心をしない人は勿論の事、信心の実践をしない人は既に迷いの姿であると言えます。
 なぜなら、凡夫の凡眼凡智(ぼんがんぼんち)では計り知れない過去・現在・未来を通してお示し下さる仏様の智恵を、信心に替えて授かるということが出来ないからです。
 さらに、諸天善神の加護もありませんから、悪知識に惑わされたり、災害や事件、事故に巻き込まれたりする可能性も高くなります。
 日々を安穏に大安心感の中で過ごすには、この信心無くしてはあり得ませんし、そう確信していただきたいと思います。
   
【福子について】
 皆さんの中には、お子さんのいらっしゃる方もおいでです。そのお子さんは御本尊様がおられる家に生まれたい為に、父母を選び、その子供として生まれてきたのです
 しかし、せっかく仏縁があって、小さいうちから勤行や寺院参詣等を教わっていても、自分の意志で信心を始めたわけではないので、何の為に勤行をし、信心をするのかということをしっかり理解していないと、成長するつれ信心に挫折してしまう傾向にあります。
 子供だろうと年齢に関係なく、自分で決意して実践し、体験してこそ初めて信心になるのです。

 以前、お話しをしたことがあるかも知れませんが、私は在家に福子として生まれ、親に言われるまま勤行はしていました。
 小学校高学年のある時、テレビで幽霊や怪奇現象の特集番組を見た後に「さっさと風呂に入れ。」と父親に言われ「風呂のフタを開けたらなんか出てきそうで気持ち悪い。」と訴えると「お前は何の為に信心をしよるんじゃ?幽霊とか出てきたら南無妙法蓮華経て唱えて成仏さしてやったらええんじゃ。」と言われました。

 今まで「何の為に信心をしているのか?」など考えたこともありませんでしたし、自分がお題目を唱えることで、亡くなった人を成仏させられると言う御本尊様のお力を知りませんでした。
 しかし、子供なりにその時の私は大いに納得し、それ以降、そういうホラー話はちっとも怖く無くなりましたし、勤行も親に怒られるとか義務では無く、楽しく出来るようになりました。

 皆さんは、子供さんに、なぜこの信心が必要なのか、なぜ勤行が大事なのかを、真面目に膝をつき合わせて、納得できるように説明したことはありますでしょうか?
 子供は子供なりに、悩みもあれば目標もあります。その中心に御本尊様をおいて、自ら祈り乗り越えていくことを教えるのが親の勤めだと思います。
環境に負けて行き詰まっている様子や、その子の持って生まれた宿命に気がつかせてあげることが大事です。
 こんな自分ではいけないと気がつけば、どうしたらいいのだろう、これではいけないと思うようになります。
 信心を深めるには、体験しかありません。教学だけ勉強しても信心は深まりません。難しい事は分からなくても一生懸命信心している少年部の子供さんもおります。
 その原動力は、自分で祈って行動して願いが成就したという、成功体験があるからだと思います。

 これは、大人も子供も同じです。実際にはいくら親子でも言葉で通じることは少ないものです。
 そこで、物やお金や言葉で子供のご機嫌を取ろうとしたり、腫れ物に触るように接してはいけません。
 では、どうするか?
 まず、心から子供のために祈るしかありません。それが遠回りに見えて、実は一番の近道です。祈った上での一念のこもった言葉ならば命の説得ですから必ず通じます。

 子供は見ていないようで見ています。小さいうちから、親が日々朝夕、御本尊に向かって合掌し勤行をする姿を見て、子供はそこに自分たちの力の及ばない崇高な存在を感じ取ることができます。
 それが信仰心とか宗教心の芽生えとなります。そのような心が持てると謙虚な人間に成長出来ます。
 また、私の理想の夫婦像は両親です。と言われて、初めて説得力を持ちます。どんな子供も、本音の部分ではそう言いたいのです。
 信心をしていると、お父さんやお母さんのようにこんなに幸せになれるのよ、こんなに素晴らしい家族になるんだよと胸を張って言えてこその法統相続なのです。
 子供が信心しないと嘆く前に、親の信心の姿勢、生き方を再点検すべきです。

 また、子供が小・中学生のうちは鼓笛隊に入れることをお奨めします。
 習い事が多くて最近の子供は時間がありませんが、価値ある貴重な一生の体験を積めます。
 同世代の子供と共に唱題を重ね練習に励む中で養われる信心やひたむきな姿勢は、貴重な宝となるでしょう。
 そして、何より、その姿を間近で見ている親も触発され、共に成長出来る貴重な時間となっています。
 時間が無い、忙しい、遠いなどと言い訳をせず、真剣に子供と向き合って欲しいと思います。
 まずは、毎年夏休みに本山で行われている全国鼓笛コンクールを見に行って下さい。
 コンクールですから順位は付きますが、入賞したチームも、残念ながらもれたチームも、精一杯やったという歓喜にあふれ、皆が輪になって肩を組み合唱している姿は感動せずにはいられません。

【一家和楽の信心】
 我々が大聖人様の教え通りに、家族そろって信心を実践し、法統相続をすることは並々ならぬことであり、大変な労力を要します。
しかし自らの一生成仏のためにも、法統相続は何としても果たさねばならない大切なことなことと言えます。それしか家族が本当に一つにまとまり、根本的に救われていく道は無いからです。

 家族への折伏や信心指導は、あくまでも自分自身の幸せのためであり、一生成仏のためであり、同時にそれが家族みんなのためになり、ひいては広宣流布のためになっていくのです。

 自分が本当に心から実感し、祈って行動すれば必ず成就します。決してあきらめないで下さい。
家族みんな揃って、功徳の源泉である、大御本尊様・猊下様の元へ馳せ参じようではありませんか。

【子供はなくとも法統相続はできる】
 最後に、子供さんのおられない方へ申しあげたいと思います。
法統相続は広く考えた時、自分の子供だけでなく親類にも相続することです。
 さらに、自分には身内もいないという方であっても法統相続はできます。凡夫の浅い考えではなく、日蓮大聖人様の崇高な御境涯に随順し法統相続を考えることが大事です。
 大聖人様は『高橋入道殿御返事』に、
「我が滅後の一切衆生は皆我が子なり、いづれも平等に不便にをもうなり。」(御書887頁)
と仰せのように、一切衆生であるすべての人を我が子と思えるよう、心の中に広大な信心を持つことができれば、子供がなくとも法統相続は可能なのです。
 しっかりと祈って行けば、必ず自分の思いを継いでくれる人が現れてきます。
 ですから先々のことを憂えて悲観しないで下さい。
 未来をいかようにも開いて行けるのがこの信心なのですから、とにかく共に信心に励み、徳を付けて参りましょう。

 みなさん一年間本当にご苦労様でした。また、来年は新たな御命題に向かって、心機一転、前進していこうではありませんか。


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