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   いよいよ道心堅固にして今度ほとけになり給へ
 
道心の中に衣食あり衣食の中に道心なし

 
     
   かつて、第二次創価学会問題が起こった際、御隠尊日顕上人は弟子に対し『道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし』と御指南下さったことがありました。
 これは伝教大師の有名な言葉です。衣食とは、字の如く衣食住、即ち生活や金銭を指します。道心とは、道を求める心、即ち真の仏道修行を求め、即身成仏を願う正直な心を指します。

 我々の道心とは自行化他にわたる仏道修行であり、勤行唱題と折伏に尽きます。私達、日蓮大聖人様の教えを信ずる者は、この法を弘めることこそ、恒久的な世界平和と何ものにも壊せない仏国土の建立につながることは、理屈では理解しているはずです。
 しかし、残念なことに「信心活動ばかりしていて、働かないで生活が成り立つ訳がない」とか「家庭をおろそかにする信心はおかしい」と広言し、唱題会や寺院参詣や折伏をしない言い訳にする人がいます。
 よく解釈すれば、信心活動が出来ていない事への自分への言い訳、良心がとがめるが故の発言とも言えますが、当然ながら、大聖人様の教えに「仕事や家庭をないがしろにしても、とにかく信心活動をしていれば幸せになれる」という事は一切説いていません。
 大聖人様は、
 「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。」(御書1469頁)
と仰せられていますが、正しい道心を、正しく奮い立たせるところ、必ず自然と衣食は整って来るものであって、衣食を先決にするところに、道心の起こりようもなく、若し道心があったとしても、いつの間にか失われてしまうものです。
 日本がバブル経済に浮かれていた時の栄光が忘れられず、未だにその一番良かった頃の姿を追い求めている人が世の中にはたくさんいます。
 株や土地やゴルフの会員権などが、放っておけば値上がりし、労せず大金を手にする人がたくさんいました。
 そんな時代は仏法の道理から言っても異常でしたが、今の日本経済が上向きになるにも厳しい状況が続くと思われます。
 なぜなら、創価学会問題と共に、日本経済は傾きました。今でも何百万人という創価学会員が、正法を誹謗し、ニセ本尊をありがたがって拝んでいる国土です。しかも、公明党が政権に食い込み、日本を動かしていますので非常に国土が不安定です。政治は混迷を極め、諸外国との摩擦も絶えず、一部の政治家は他国になめられてはいけない、自衛隊を軍隊にすべきだと、憲法を改正しようとの動きすらあります。
 立正安国論の道理から言えば、善神は謗法充満の国を捨て去っている状態です。ですから、最近は、「観測史上初」という文言をよく耳にしますが、大雨や猛暑に国土はさらされ、竜巻や地震などの天変地異が収まりません。
  人の欲には際限がありませんから、仮に日本が、バブル期のような経済になっても、人々が満足することは無く、いつも「もっともっと」と飢餓状態の命なのではないでしょうか。
 私達が肝に銘じなければならないことは、日蓮大聖人様の教えを、単なる世間的な価値観である地位や名誉、また損得勘定や、凡夫たる所以の憎しみや欲などの三毒や三悪道の次元でしか見られない人には、真理を見出す事は出来ないという事です。
 結局は、我見や我欲に振り回され、自分の信心そのものを見失う結果になってしまいます。
 この御本尊様を信じてはいても、実践が伴わないという人が、残念ながら皆様の回りにもいらっしゃることと思います。
 御本尊様を自宅に御安置をして、心の中では一生懸命、信心を持っているように見えるけれども、勤行が貫けない、寺院にも参詣出来ない、総本山の登山もいけない、ましてや人の為に祈って折伏をするという発想も出来ない姿の人が、中にはいます。
 よく御法主上人猊下に「信伏随従」するということが言われます。「信伏随従」ということはどういうことかと申しますと、人は順調な時は誰でもその人の指示に従うことが出来ます。
 例えば、会社で上司の指示に従う時も、自分が上司に信頼されているということが確信出来ている時、あるいは、自分が陽の当たる道を歩いているということが実感として分かる時には誰だって、上司に随従することは出来ます。
 ところが、激しく叱責された時や、あるいは自分より他人の方が重要視されているのではないかと思った時には、何となく自分が信頼されていないように思えてしまいます。そういう心が晴れない時でも、やはりその人の信頼に応える。その人の指示に従うということが、実は本当の「信伏随従」ということなのです。
 人は誰しも、他の人よりも自分が重要視されているとか、信頼されているとか、恵まれている境涯にいる時には、得意になって一生懸命やれるのです。
 しかし、そういう陽の当たる場所にいる時は従うけれども、自分の思うようにならないと、途端に腹を立てて上司に敵対するというようなことではいけません。
むしろ、そういう不興の時にこそ、一生懸命にやり通して信頼を得ることが大事です。
 それは誰が見ていようが見ていまいが、自分に与えられた課題に対して一生懸命貫くということが大聖人様の「陰徳陽報」(御書1391頁)という御指南です。
陰でのその徳や振舞いが、陽報となって現れてくるのです。
 ですから、そういう一時的な見せ掛けの精進、見せ掛けの頑張りということではいけません。「陰徳陽報」ということをしっかりと心に置いて貫き通す。それこそが、自分の徳となり信頼となって、自分の振舞いや信心が輝いてくるのです。
 これは、私も含めてみんな凡夫ですから非常に難しい事なのです。これが出来なかったから、池田大作は反旗をひるがえして破門され、多くの学会員が付いていってしまいました。
 また、多くの僧侶が正信会・創価学会について離脱したり、自分の不信心や慢心や怨執によって還俗してしまいました。
 私が一番残念に思うことは、御本尊様を信ずることが出来ない人がいるということです。しかし、せっかく入信をし、私達の仲間に入った以上、やはり、その人がしっかりと信心出来るように、教え、導いていくことが大切です。決して、見放したり見捨てたりしてはいけません。
 やはり何度も何度も通って、その人の心、仏性を揺り動かしていくのです。その人も一緒に縁あって正宗の信徒になったのでありますから、その人の育成も大事です。そういう使命も私達は持っているということを心に置いて頂きたいと思います。

 本日は「更寿会」で、70歳以上の方に感謝し、ねぎらう会が控えています。
そこで、あえて申しあげますが、人は幾つになっても、また、どういう立場になっても、御本尊様を根本に一生を通じて、修行ということを忘れてはなりません。
それはなぜかと申しますと、家庭や育児にも修行があり、当然、生活や仕事にも修行が必要です。常に精進するということの大切さを忘れてはいけません。
 常に修行ということが自分の一念の中にありますと、人は幾つになろうと常に向上していけるのです。そこにこそ、その人の人格や品格というものが備わってくるのです。
 修行とは、僧侶の世界だけが修行ではありません。在家の皆さんも、自分の分々に応じて修行ということを生涯忘れない人であっていただきたいと思います。
 大聖人様は、
 「小事つもりて大事となる」(御書1216頁)
と仰せです。勉学であれ、仕事であれ、いかなる分野のことであったとしても、非常に大事なことだと思うのです。
 それからまた、人生そのものが常に修行だと心得ている人は、悪に染まったり、悪に紛動されたり、悪に堕ちるということがありません。
 誰しも、過ちを犯すことがあります。つい、ものを忘れしてしまうこともあります。そんな時に、先達の方達から叱られることもあります。
 しかし、常に修行だというふうに心得ている人は、叱られたことのありがたさ、注意されたことの意味が分かるのです。ですから、大きく人生を踏み外すことがありません。
 例え一時、間違いを犯したとしても、ちゃんと軌道修正して、そこからまた新しい出発を期していくことができるのです。
 精進の志、修行の心を忘れない人は、人生を大きく踏み外したり、悪道に堕ちたり絶対にしません。修行ということを忘れる人が悪に堕ち、巷のいろんな誘惑に堕していってしまうのです。
 さらに、「信心即生活」であり、常に修行だと心得ている人は自分に勝つことができます。自分を常に律し、心の魔に勝つことができるのです。従って、慢心を起こしたりもしません。ともすると順境の時にこそ、人生の落とし穴があります。
 得意の絶頂の時に、人は自分を忘れてしまいます。これは世界の権力者が、同じような道をたどっています。
 リビアにカダフィー大佐という独裁者がいましたが、自分の身内だけの栄華・栄達を目的にした政治に堕して庶民を忘れ、権力の魔に取り付かれて本当の政治のあり方を忘れた典型的な人物でした。
 豪華な別荘やヨット、海外に莫大な資産を所有することはどの独裁者も当たり前ですが、呆れたことに、この人は息子をサッカーの国の代表選手にしただけでなく、イタリアの名門サッカーチームの選手にするために、国費でそのチームの株を買い取り、送り込んだこともありましたが、明らかに力不足で2試合しか使われませんでした。
 また、阪神・淡路大震災が発生した際には「経済力で悪魔(アメリカ)に奉仕してきた日本人に天罰がくだった」と声明を出し、明治大学生との衛星回線を使った対話集会では、「広島と長崎に原爆を落とした米国の(軍の)駐留を認めているのは悲しいことだ。あなたたちの祖父などを殺した国となぜ仲良くなれるのか」などと、放言していました。
 人は諫める人がいないと、どこまでもおかしくなるといういい見本です。
 最期は、2011年リビア内戦によって政権は崩壊し、自身も反カダフィー派部隊によって殺害されてしまいました。
 この時の映像はニュースでも流れ、とても衝撃を受けました。

 常に修行しているという気持ちでいれば、どんなに得意の絶頂に立っても修行することを忘れません。そうすると結局、自分の進むべき道というものが心得られますので、そういう魔に紛動されることがない。増上慢に堕するということがありえません。

 さらに、毎日が修行だと心得ている人は、逆境の時や、本当に大事な時に、その災いを幸いへと転換することができます。
 どんなに苦しいことや辛いことがあっても、その苦境を必ず打開して、大きな妙法の功徳を獲得し変毒為薬していけるのです。
 従って、大聖人様の妙法を貫く人は、逆境にあっても逆境に負けません。逆に逆境を功徳を生み出す最大の要因として、変毒為薬して、広大な功徳を我が身の上に、家庭の上に、人生の上に、しっかりと獲得することができるのです。
 大聖人様は、『四条金吾殿御返事』に、
 「いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ」 (御書1287頁)
ということを言われております。
 日蓮正宗の信心を根本にした道念、道心、修行ということを忘れない人であって頂きたいということを申し上げまして、本日のお話しとさせていただきます。
 御苦労様でございました。

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