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   身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり
 正信による心の修行

 
     
   現代の社会を生きていくには、大人も子供も非常にストレスの多い時代です。ストレスに、打ち勝っていかなければ、今日の厳しい世の中を生きていくことは難しいと言われています。
 大聖人様の御書の中にも、

 
「身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり」(『乙御前御消息』御書896頁)
という御指南があります。
 どんなに若さを誇り、健康を誇っていても、その人の心が脆弱であったり、臆病であったりしますと、才能や色々な技術を持っている人であっても、その半分も活かすことが出来ないということを仰せなのです。

 さらに、人並み以上に能力が勝れている人でも、もし心がしっかりしていなかったなら、その能力は役立たないばかりでなく、かえって有害になることさえあります。
 一流大学を卒業し、社会的に成功者となっても、貪りや怒りや慢心によって犯罪に手を染め、転落の人生を歩む人もいます。
 こんなことでは、せっかく培った学問や、恵まれた能力がかえって有害となってしまいます。だからこそ強く正しい心がなければ、優れた才能や能力を生かすことはできません。

 【ストレスをかかえた子どもの増加】
 大人の世界では「ストレス」は日常茶飯事としても、最近では子どもの世界にもはびこり始めているようです。
 あるアンケートによると、「幼児教室に通い出したら、どもるようになった」「下の子が生まれてからアトピーが悪化した」といった具体的な症状のほかに、「突然、夜泣きするようになった」「爪をかむようになった」といった症状に対する不安が挙がったそうです。
 ある幼稚園教諭の話ですと、一日中アリをつぶし続ける女の子や、「泣き虫はいらないんだ」とイジメをする男の子がいるそうです。
 その先生は、女の子は習い事に通い出してからそういう行動に出るようになり、男の子は両親が祖父母と同居を始めて、嫁姑の喧嘩が絶えなくなったために起きたと見ています。
 しかし、二人とも親の前では非常に良い子なのです。ここが非常に心の闇を見えにくくしています。
 親が子どものストレスに気づくことだけで、治療の半分が終わっている、とも言われるほど実態が見えにくいのが、子どものストレス問題です。

 「ストレス」と聞くと、私たちはつい 「ないほうがいい・悪玉」と考えてしまいます。でも、ほんとうの意味は少し違うようです。
 本来「ストレス」とは、人間の心や体を押しつぶすような力(ストレッサー)が加わったとき、それを押し返し、元に戻ろうとするために生じるものです。
 つまりストレスは、心や体に対する外圧(ストレッサー)と戦うための力なのです。ただ、その戦いの時間が長く、ストレスに耐える力(ストレス耐性)が弱い場合、問題のある症状(ストレス反応)が体や心に出てきます。
 しかし、「ストレッサーはすべて取り除けばいい」のでしょうか? それは違います。
人間は、自分が耐えられるレベルよりも少し高いストレッサーを乗り越えることで、より高いストレスに耐える力がつき、ちょっとのことでは負けない強い心が育つのです。
「大きすぎるストレス」は人間の心と体をむしばみますが、親が先回りしすぎて「ストレス・ゼロ」の生活をつくることも、子どもの成長にとっては悪だそうです。
 子供の教育は簡単ではありませんが、子育ても立派な修行です。我々凡夫は未来が見えず、正解が分からないからこそ、三世に通達した仏様から御仏智を頂きながら子供と真剣に向き合うべきなのです。

 【一般的なストレス 症状】
 子供に限らず、初期から現われるストレス症状として3つの項目が挙げられるそうです。
①心や精神的な面にあらわれるもの。( 心理・精神症状 )
②身体の症状、病気としてあらわれるもの。( 身体症状 ・ 心身症 )
③行動としてあらわすもの。( 行動症状 ・ストレス行動 )
です。

 初期の症状としては次の項目が挙げられます。
・目が疲れやすい。   
・肩がこりやすい。 
・背中や腰が痛くなる。
・朝気持ち良く起きられないことがある。
・頭がスッキリしない、頭が重い。
・立ちくらみをしそうになる。   
・夢をよく見るようになる。
・手や足が冷たくなることがある。
・食後に胃がもたれることが多い。

 これらが慢性的になると、
・なかなか疲れがとれない。   
・何かするとすぐに疲れる。
・お腹が張ったり下痢や便秘がよくある。
・少しのことでイライラしたり腹が立ったりする。
・人と会うのが億劫になる。   
・仕事をする気が起きない。
・歯茎が腫れ、口の中が荒れる。  
・食欲不振、体重の減少。   
・深夜によく目が覚めたりするとなるそうです。
 みなさんはいかがですか?思い当たる項目はありませんか?

 特に強いストレス状態がつづくと、わたしたちの免疫系にも影響を与えるそうです。
 調べてみますと、口唇ヘルペスや帯状疱疹(たいじょうほうしん)なども、心身の疲労だとか精神的なストレスなどの蓄積が、身体へと現れて、免疫系のバランスが崩れる状態が続くと、ウィルスが活発化して感染症を引き起すようになるそうです。
 また、糖尿病をはじめ様々な病気の原因にこのストレスが挙げられています。ストレスは万病の元と言っても言い過ぎではないのです。

 【心と体 】
 このように、人間の命は心と体の両方がそろって、生命の働きが成立っているのですから、心が弱ければ今まで述べてきたように、身体の活動や機能も段々と弱って参ります。  
 また、身体が病むと、心が病んでくるのも当然で、心と身体というものはどこまでも一体なのです。

 以前、慈本寺の初代御住職で、現在は台湾の本興院の御主管をされ、台湾全土の責任ある立場で御奉公をなさっている石橋頂道御尊師が慈本寺にお越し下さり、法話を頂戴した事がありました。
そのお話しの中で、現在、台湾全土で日蓮正宗の御信徒が爆発的に増えており、  御授戒や日々の法務で毎日が非常に忙しいけれども、そこには歓びがあり、体は不思議と疲れないと伺いました。

 充実感で心が満たされていれば、人は疲労を感じません。医学的に、これはどういうことかと言いますと、人間の体の中には、皆さんも名前は聞いた事があると思いますが、特に副腎を中心にアドレナリンという酵素が体の中で造られるそうです。そのアドレナリンという酵素の働きは、人間の呼吸器や血液の循環や、免疫力などを活性化して免疫を造っていくそうです。
 そういう働きを司る酵素が、楽しく積極的に生きている時に強く働くそうです。

 さらに、食事を例にとれば、怒って食べた場合と、泣きながら物を食べた場合と、こんな不味いものと言って文句をつけて食べた場合と、穏やかな心で食べた時と、同じ物を食べてもやはり胃の働きや、酵素の働きは、全然違うのです。

 このように人間は積極的に生きるか、消極的に生きるか、ある一つの目的を持って楽しく生きるか、嫌々生きるか、そのことによって心と体と、あるいはその体の中の色々な働き、免疫力、そういう総てのものに関わってくるということを知らなければいけないのであります。

 石橋御住職のように激務にあっても、広宣流布の最前線に立たれ、誓願を持って生きている人とそうでない人の働きというものは、おのずから違ってくるのです。

 そこを大聖人様は、身体が丈夫であっても、多くの能力があっても、心が弱く、人々のために使わなければそれは無用である。信心のない人や、積極的に生きようとしない人、希望をもって生きよう、立ち上がっていこうという志のない人には一切の働きがそこで止まってしまうということを教えていらっしゃるのです。

 天台大師の『法華文句』という書物の中に、
 「能生・能養・能成・能栄は法に過ぎたるは莫(な )し」(大正蔵34巻143頁)
ということを言われており、大聖人様も、
 『宝軽法重事(ほうきょうほうじゅうじ)』という御書に引用されております。

 能生というのは能く生み出す、能養というのは能く養う、能成というのは能く成し遂げる、能栄というのは能く栄えるという事です。
 この意味は、人々が何かを生み出す時・成し遂げようとする時・達成しようとする時・栄えていく時には、正しい法・信心のもとに、常に前向きに希望を持って生きていく事が大事である。
 あくまでも信心を根本にして、生きていくか生きていかないかによって物事は大きな開きがあるということを、天台大師は『文句』の中で教えていらっしゃるのです。
人は自在に心をコントロール出来ないからこそ、日々の仏様の元で修行することが不可欠なのです。
 私達には尊い信心を通して、自分の人生における一切の悩みや苦しみや、生老病死の一切に打ち勝っていく、そうした積極的な人間としての生きていく道があるのです。

 【万能足りて一心足らず】
 「万能足りて一心足らず」ということわざがあります。
 全ての技芸に熟達しているのに、ただ一つ心が足りないのでは役に立たないこという意味です。
 万能よりも一心が大切だという教えです。心とは、自分の命に具わる純真な心、常に前進していくという心、また人の痛みや苦しみや悩みを感じる大きな慈悲の心であります。これらがなかったならば、どんなに才能があったとしても、意味がないということを昔の人も言っているのです。

 力こそ全てと思われがちな、格闘技や相撲界であっても、やはり人格が備わっていなければどんなに強くても誰からも尊敬されません。傲慢な態度によって、結局はそこから去って行かなければならなくなってしまった人が何人もいます。
 自らの才能に溺れ、心の修養を怠ったことで、備わっていた力がアダとなってしまったのです。

 私たちが信心をしている目的は、大眼目として広宣流布が挙げられます。広宣流布の戦いに身を捧げる事によって、自然と命が磨かれ、心も強く綺麗になっていくのです。

 毎日、皆で唱題会の後、日如上人の御指南を拝していますが、猊下様は終始一貫して、全員が異体同心して唱題と折伏に励むよう御指南下さっています。
その中にあって、慈本寺の折伏誓願達成すら願えない人、講中で心を合わせての唱題が出来ない人の命が磨かれ、悩みが解決し、境界が変わっていく道理が無いのです。

 広宣流布に身を捧げると言っても、難しく考える必要はありません。自分の大切な人、縁ある人々の幸せを祈り、少しの勇気を出して大聖人様の教えを根気よく伝えていけばいいのです。
 思うように折伏が進まず泣きたくなる時もあるでしょう。しかし、あきらめずに継続することによって、御本尊様から絶大なる功徳を頂戴し、必ず、あらゆる問題が解決し、境界が開けていけるのです。


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