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   日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
 
信心の姿勢について

 
     
   本年は、皆様も既にご承知の通り、慈本寺創立三十周年という大事な節目の年でありますが、折伏の低迷に見られますように、講中に元気が無く非常に憂慮すべき事態となっております。
 本日は、信心の姿勢について、もう一度皆さんと確認し合いたいと思います。
 信仰の世界は、まず「意(こころ)に信じ、口に唱え、身に実践する」事が大切です。
 いくら信じているつもりになっていても、口に唱え、身に実践出来ていなければ、それは心から信じていることにはなりません。

 【勤行・唱題の姿勢】
 まずは、基本中の基本である、勤行や唱題の姿勢を確認したいと思います。
 我々僧侶が小僧の頃は特に厳しく教わるのが勤行や唱題の姿勢です。私自身、その事がいかに大切であるかを、出家して30年以上たちますが、ようやく頭でなく命で感じられるようにようやくなってきました。
 居眠りや注意力散漫、じっと座っていられないで動き回る、苦痛に感じるという現象がなぜ起きてしまうのかを申しあげます。普段は皆さんに背中を向けて勤行唱題をしていますが、不思議なものでその場の空気を背中越しに感じる事が出来ます。

 まず、御本尊様を拝した時に、仏様の御命がまさしく我々の眼前にはっきりと顕わされているという事を信心の上から拝しきれていないからだと思います。
 皆様の眼前にある御本尊様はそのままが大聖人様の御魂魄・仏様の御魂なのです。
 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書685頁)
と有名な御文がありますように、それを私たちは毎日拝しているわけですから、真剣にならなければいけません。
 また、世間には様々な問題に直面し悩み苦しんでいる方がおります。病気の人もいれば、詐欺や暴力の被害者、仕事上のトラブルを抱えた方など、挙げればきりがありません。
 それらの人を本当に救っていこうと考えた場合、我々の無い知恵を振り絞って、「それじゃあこんな風に考えたらどうですか」「気持ちは持ちようですから、そのうち良い事もあるでしょう」と言ったところで、現実に苦しんでいる人はそんな言葉では救われません。
 結論から言うと、どんな時でも『自分自身を救う道』『人を救う道』は、南無妙法蓮華経なのです。大聖人様の御魂としての御本尊様を信じて、真剣に唱題を30分でも1時間でもやってみてください。必ずその問題が正しく解決します。そこに、広宣流布の要諦があるのです。
 どんなに仏教の勉強をしようと、我々凡夫が現実に生きている人を現当二世にわたって救う事は難しい事ですし不可能です。
 末法の今は、日蓮大聖人の三大秘法、御本尊様を信じてしっかりお題目を唱えれば必ず現在から未来に亘って救われるのです。私たちは、『御本尊様を信じていけば必ず救われる』という確信を持って縁ある人を折伏すべきです。そして、入信できた人が信心修行していく中で、災難を乗り越え功徳を実感できれば、その人が大きな確信を持って次の人に勧めていく事が出来ますし、それが広宣流布の要諦なのです。

 本当に今自分が直面している悩みが、苦しみが、お題目によって救われたという確信を持てれば、その人は必ず大きな功徳を感じた上で、人に向かっても話をすることが出来るのだと思います。
 法界全体の命が妙法蓮華経なのです。不思議な命の深さと功徳が顕われてくるのが、お題目の根本の当体なのです。
 だから結局は、異体同心の団結を持って御本尊様にしっかり勤行をし、お題目を唱えていくことが広宣流布の要諦なのです。
 そうしてみますと、注意力散漫な勤行や居眠り勤行、はては嫌々ながらの勤行は、根本的におかしい事になります。やらないと怒られる、退転したと言われる、漠然と罰が怖いなどの歓喜の無い、義務感で信心しても意味がありません。
 以下に具体的な姿勢を紹介しますので、自己点検して下さい。

①キョロキョロせずに御本尊様の妙の字を拝しているか
②体を動かさず、背筋を伸ばしているか
③左右の手は自然の形で胸の前であわせているか
④中音で力強くへんなアクセントをつけないで、朗々と唱題できているか
⑤お経本をよく見て、正確に唱えているか
⑥早さは自分勝手でなく他の者に合わせているか
⑦身に油断怠りなきよう、心に余念雑念がなく出来ているか
⑧体中が歓喜で躍動しているか
 皆さんいかがでしょうか?
 勤行・唱題は大事な御本尊様に対する尊い修行だということを、常に忘れないで下さい。凡夫の常として、困ったときには必死で祈っても、そこを乗り越えたときに感謝の念も薄れてしまうから、歓喜も失せてしまうのです。

 【どのように信じる事が信心なのか】
次に、どのように信じることが信じていることになるのか考えたいと思います。
 私達凡夫の信心はそのままですと、どこまでも漠然とした御利益信仰、御祈念信仰、奇跡信仰の範籌を出ませんから、困った時の神頼みのようになりがちで、信じるか信じないかと言われれば信じてはいるけれど、普段は何もしない、ということになりがちです。
 そこで、少しでも信仰を深めるために、皆様のように寺院に参詣され、法話を聴聞されているわけですが、寺院は真理に基づく仏様の価値観や基準、具体的な実践方法を学ぶ道場ですから、世間や自分の価値観、感覚、基準をどこまでも捨てない人が、どんなにお寺に通い、法話を聞いても、悪い癖や境界が変わらないのもその原理です。
 そういう意味では、難しい御法門は分からずとも素直に仏様の言葉を信じることができるなら、その方が勝れているのです。
 大聖人様は、
 「夫信心と申すは別にはこれなく候。妻のをとこをおしむが如く、(乃至)親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに(乃至)南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり」(『妙一尼御前御返事』一四六七頁)
と仰せです。
 講中の方を見ますと、皆さんそれぞれに悩みがあり、次々と起こる諸問題にも、「なんでこうなるの?」という疑問を信心で飲み込んで、必死に信行に励まれている方も大勢おります。
 御題目を唱えて一歩一歩階段を登るように、障害を乗り越え、そして、現在は幸せであり、それが御本尊様のお陰、さらに、その恩返しをしたいと決意されている方もおります。
 まさに「諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし」との、大聖人様の仰せのままの心持ちです。

 それ以外でも、だんだん積極的に本堂の前方に座ったり、マイクや太鼓にチャレンジしようと思う方も増えてきました。
 御本尊様の近くに座れば、自然と御本尊様を求める気持ちも高まります。
 何かあっても親が子供を捨てないように信心を貫く、そしてその信心を教えて下さる御法主上人の御指南に、子供が親から離れないように随って南無妙法蓮華経と唱える、そのような心で御題目を唱えれば境涯が高くなりますから、人を思いやる心、余裕が芽生えます。人を思う心は人の喜びを我が喜びとし、人の苦しみを我が苦しみとし、苦楽を分かち合う心であり、その心が折伏に繋がります。
  自分の境涯を高め、心にゆとりと強さを持つには、住職や講員さんと心を合わせた勤行唱題しかありません。
 師弟相対によって我見を糺し、広がった豊かな心で、互いをねぎらい、思いやりつつ、御法主様を通して御本尊様を拝する、同じ方向を向いて同じ心で信行に励むところにこそ、真の異体同心があり、それが個々の成仏と広布の要件です。
  『妙教』23年8月号の【御書拝読】というコーナーで非常に感銘を受けた御指導が掲載されており、抜粋して箇条書きにしました。
 せっかくですから全員で、声を出して読みたいと思います。

 【信心修行において常に自問すべき項目】
①人として生まれ、会いがたき仏法に巡り会えたことに歓びはあるか
②今生に成仏せずしていつの世に成仏を遂げられようか
③日々の暮らしに振り回され信心を忘れていないか
④障魔から逃げていないか
⑤自分本位の祈りを捨て、衆生済度のため歓びの中折伏は出来ているか
⑥様々な問題に直面したときに、信心活動の気力を失い停滞してはいないか
⑦自分の趣味や余暇を優先し、信心をおろそかにしていないか
⑧人の死や栄枯盛衰に深い憂いを感じ、信心修行を空しく感じていないか
⑨生活に追われ信心どころではないと思ってはいないか
⑩信心を忘れ財産や名誉のために腐心していないか
⑪自分へのおごりから、同志を軽んじてはいないか

 この十一項目は信心の要諦ですから、皆さんの信心の糧として、書き写して常にお経机に置いてチェックして下さい。
 そして、今一度それぞれが信心の姿勢を見直しながら、折伏誓願目標達成に向かって進んでいこうではありませんか。
 本日は、引き続き総会が行われますので、いつもより話が短いですがこれにて私の法話を終わります。
 ご静聴、ありがとうございました。

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