ホーム 御住職の法話目次 御住職の法話(第230号)

   同じ妙法蓮華経の種を心にはら(孕)ませ給ひなば、同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給ふべし。
 
愛別離苦を乗り越えるには

 
     
   本年は、皆様のお陰をもちまして折伏誓願目標を見事完遂でき、歓喜のうちに11月23日の支部登山において、日如上人へお目通りをさせていただくことも出来ました。
 また、来年の慈本寺創立三十周年記念法要に向けまして、皆様の赤誠(せきせい)によって記念事業も着々と進んでおります。
 誠にありがたい一年となりました。

 しかし、残念でならないことは、今年は講中で亡くなった方が多くいらっしゃったということです。いくらそれが住職の役目とはいえ、闘病中にも関わらずいつも笑顔で懸命に寺院に参詣されていた方々の死に接するということは、大変つらいものです。
 いよいよ危ないと聞けば、なかなか眠ることも出来ず、葬儀を勤めさせて頂いた後も言い知れぬ寂しさがこみ上げてくることもあります。

 釈尊が説かれた「愛別離苦」。これは愛するものと別れるという苦しみでありまして、例えば愛する人であったり、また可愛がっている犬や猫などの動物であったり、また自らの故郷や、ゆかりの土地であったりと、自分の愛するものから離れてしまう苦しみのことを言います。

 なぜ別れはつらいのか、それは愛しているからであります。愛していなければ、別れがあろうとつらくはありません。
 医学的に人が生きる上でストレス値の高い順に紹介しますと、「配偶者の死」「離婚」「夫婦の別居」「近親者の死」と並ぶそうです。
 最近は、ペットを家族同然に飼う方が増えました。それに伴い、「ペットロス」といってペットを失うことにより、様々な心身(精神的・身体的)の症状が起こる人も増えてきました。
 これは、ペットと共に過ごす事によって培われた深い愛着・愛情が、突然に訪れるペットの「死」によって行き場を無くしてしまうことによって、引き起こされる症状だと解されています。

 『法華経 譬喩品』には「愛(あい)別(べつ)離(り )苦(く )、是(これ)故(ゆえ)会(え )者(しや)定(じよう)離(り )」
と説かれます。
 また「はじめより あふはわかれと聞きながら 暁知らで 人を恋ひける」
と詠んだ藤原定家(さだいえ)(定家(ていか)ともいう)の有名な歌がありますが、愛別離苦を逃れることは誰にも出来ません。

 だからといって、誰とも関わらず何の感情も持たずに生きていくことは不可能です。人はひとりでは生きていけません。恋もするし人や動物やその土地に対してさえ愛情を持つ。それは素晴しいことであると私は思います。
 私が講員さんの死を前にしてこうなのですから、ましてやお身内の方々の胸中やいかばかりであろうかと思っておりましたところ、一冊の本と出会いました。
 お天気キャスターである倉嶋厚氏のエッセイ『やまない雨はない 妻の死、うつ病、それから…』(文春文庫)です。

 夫婦愛と、妻の死から始まったうつ病からの復帰・再生を綴(つづ)った本です。
私自身は有り難いことに、両方の両親が健在で、兄弟や家族も元気でおります。ですから、愛別離苦の本当の苦しみを体験していない私にとりまして、このエッセイは衝撃であり、大変勉強になった次第です。

 本日は、この本の一部分を紹介しながら、大聖人はどう仰せなのか、我々はどうしていくべきなのかをお話ししたいと思います。

 筆者の倉嶋厚さん夫妻には子供が無く、お互いに大病をしたこともあって、「今日も一日よろしくお願いします」「今日も一日ありがとうございました」と挨拶を毎日交わしながら、二人の時間を丹念に生きてきました。自然と二人の会話も丁寧語に変わったそうです。
 ところが倉嶋氏が73歳の時、奥さんが胆管細胞がんで入院して2週間で急死されました。
 倉嶋さんは、深い悲しみの淵(ふち)で「後を追いたい」という衝動に襲われ、次に「あのときこういう方法を取っていればよかったのではないか」「もっとこうしていればよかった」という後悔の涙に暮れます。
 そしてうつ病になってしまうのです。活力がどんどんどんどんなくなり、痩(や )せて不眠になります。だんだんと力が入らなくなり、衣服の着脱も出来なくなり、字もまともに書けなくなります。
 私は、人は心が壊れてしまうと、味覚すら無くなってしまうというのをこの本で知りました。

 倉嶋さんは衰弱した体でありながら、マンションから飛び降りようとして、自宅マンションの屋上に10日間通い、屋上の柵を乗り越え逡巡(しゆんじゆん)しました。
周りの人が気づき、メンタルクリニックに入院させ、なんとか回復することができました。
 その後、見事社会復帰を果たされ、その頃のことを執筆や講演されておられるようです。

 今や、12歳以上の日本人の8人に1人がうつ状態とも言われています。うつ病・うつ状態に該当しながらも、医療機関への受診者が24%にとどまっているのが現状だそうです。
 倉嶋氏は「ひとことで言えば、過去を振り返れば後悔ばっかり、先をみれば不安ばっかり、そして現在は何もする気がしない、うつ病はそういう状況でありました。」と振り返っています。

 倉嶋氏が回復に向かったキッカケは、仕事を全部辞めて、素直に薬を飲み、「堕ちるところまで堕ちた。これ以上堕ちようが無い。」と現状を受け入れたときに安心でき、「俺の考え方はちょっとゆがんでるな、それを治そう」と思えたときに少しずつ活力が出てきたそうです。
 また、「周囲にうつ病にかかって不安でいっぱいの人が居た時にどうするか。ただ抽象的に「頑張れ」ではなくて、絶妙なタイミングでうまく肩を押してやるというそういう心遣いが周りの人に必要になってくるんじゃないかと思います。」と言います。

 愛別離苦に苦しんでいる人=うつ病と一括りには出来ませんが話を進めていきたいと思います。

 大聖人様の『持妙尼御前御返事』(御書1044頁)を拝しますと、
 『愛し合う男女が離れ離れにされるほど辛いことはない。あなたは、今まで過去世において何度も結婚されてきたことでしょうが、共に私の教えを実践された亡き御主人こそ、あなたにとって最高の善知識となった方なのです。』
と仰せです。
 そして、
 『ちりしはな をちしこのみもさきむすぶなどかは人の返えざるらむ』(散った花や落ちた木の実も、春にはまた咲き、秋には再び実を結ぶのに、なぜ故に人間だけは一度死んだら再び生きて来ないのか)         
と、古歌を紹介されています。
 持妙尼御前は、ご主人高橋六郎兵衛入道の病を機に出家され回復を祈られました。しかし、夫の寿命は尽きてしまいます。
 失意の夫人に寄り添おうとされた大聖人様の大慈大悲が伝わってきます。夫の生前は病で信仰心を触発(しよくはつ)し、他界後も供養の念を促してくれる存在であり、夫こそが善知識であると気づいた持妙尼御前は、強く生き抜くための一歩を踏み出せたのではないかと拝します。

 更に、南条時光の母が御主人である故南条兵衛七郎の追善の御供養を申し上げた際には、
 『ご主人が逝去(せいきよ)されてから冥途(めいど)より便りがありましたでしょうか、ありましたら聞かせて欲しいものです。しかし、冥途のことですからあるはずもなく、夢や幻でなければその姿を見ることもできません。
 ただ、終には霊山浄土で一緒に住むことができるとお思いなさい。今まで貴女が生死をくりかえしてきた間に夫婦の契りを交わした夫は、浜の砂の数より多かったことでしょう。しかしながら、この度の夫婦の契りこそ真の契りの夫です。何故かと言えば、夫の勧めによって法華経の行者となられたのですから、亡き夫を仏と崇めなければなりません。生きておられた時は生身の仏、亡くなられた今は死の仏、死んでも生きても仏なのです。』 (『上野殿後家尼御返事』御書336頁)
と愛情あふれるお言葉をかけられています。          

 夫婦の別れの辛さは時代を超えて、悲しみの極みです。人の命は無常です。いつかは必ず別れの日が来ます。永遠に二人で、ずっと一緒にいたいと願うならば、正しい仏道を共に修行することが大切です。
 そして、二人共に仏界へ入る。それ以外の方法は、どこにもないのです。大聖人は唯ひたすらお題目を心から唱え差し上げれば、亡き夫の成仏は疑いないと諭されたのです。

 日蓮大聖人は、武士のわが子を争いで亡くした光日尼(こうにちあま)へのお手紙の中では、
 『たとえ火の中に入ろうとも、また自らの頭を割ってでも、わが子の姿を見ることができるならば、惜しくはないと思われることであろうと、心中が察せられて涙がとまりません』(御書962頁)
とも仰せになっています。
 さらに、南条時光の弟が16歳の若さで急死したとの訃報に対しては、『人は皆、生まれては必ず死ぬ定めであることは、万人が一同に承知していることですから、その時になって、はじめて嘆いたり、驚いたりするべきではないと自分も心得て、人にも教えてきました。しかし、実際にその時に巡りあってみると、夢か幻か、いまだに分からないのです』(御書1496頁)
とまで綴られています。
 そして、
 『乞(こ )ひ願はくは、悲母(ひぼ)我が子を恋しく思し食し給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給て、故南条殿・故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ。
 一つ種は一つ種、別の種は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはら(孕)ませ給ひなば、同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給ふべし。 三人面をならべさせ給はん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。』(御書1509頁)と仰せであります
 倉嶋氏は「悲しみはいつも個別的で、当事者にとって絶対的なものである。だから「…さんに比べれば、あなたいいほうよ」という慰め言葉は残酷である。が、「立ち直る」とは自分の悲しみを相対化することである。よき助言者とは、そのような相対化のきっかけを、適切な時期に適切な言葉でさりげなく作ってくれる人だと思う。」と振り返ります。
 
 倉嶋氏は、奥さんを亡くされた直後に「時が癒やしてくれる」と言われても、全く受け入れられませんでしたが、だんだん落ち着いて現実を受け入れられるようになるとその通りだと思えるようになったそうです。今では、「自分が先に死んで妻にこんな思いをさせないでよかった」と思えるようになったそうそうです。

 愛別離苦にまさに今正に直面している人と、それを乗り越えた人とでは温度差があるということがこの本によって分かりました。精神的に落ち込んでいる人というのは、素直に聞き入れることが出来ないし、かえって善意の押しつけと取られてしまい、マイナスになってしまうこともあるということなのです。
 我々信心をしている者は、すぐに叱咤激励してしまいがちですが、大聖人様のように、相手を見て悲しみを理解してあげ、寄り添ってあげることが大事なのだと思います。

 別れにも色々ありますが、具体的に我々が出来ることは、御本尊様の前に座ること。死別の場合は心ゆくまで精一杯供養すること。事情があっての別れの場合でも、とにかく祈るしかないのです。
 中には、御本尊様の前に座る気力も出ない、疑ってしまう、全く立ち上がれない方もおられるでしょう。そういう方のために、お寺があり組織があるのです。前を向いていけるよう、皆で共に祈っていくことが大事だと思います。
 
 大聖人様は、『刑部左衛門尉女房御返事』という御書の中に、
「親御さんが生きている間は、一日でも別れているのは心配であったり、あるいは辛いものであったり、そういうふうに気がかりなものである。
そして亡くなってしまってからも、初七日から二七日、第三回忌ぐらいまでは、人目にも付くことであり、また自分自身の中でも、そう簡単に忘れるという者はいない。
しかし、十三回忌位になってしまうと、やはり、まちまちになってしまい、おろそかにする人も出てくる」(御書1504頁)
というふうに説かれています。
 しかし、いかに長い年月が経とうとも、この孝行、孝養の心というものは無くしてはいけません。

 そしてまた、同じ御書の中に、
 「父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給うべし」(御書1506頁)
という御文があります。やはり正しい信心をもって、正しい功徳を仕向けてあげる、これが一番の孝養の形であるというふうに説かれております。
 先ほどの御書の中で、また、もう一つ気を付けなければいけないことは、初七日、二七日、第三年、そして十三年と書いてありますように、やはり大聖人様の時代から、現在で言われる形の法事、回忌等のことが存在していたということです。
 現在、「そういった風習は江戸時代のものである」とか、「大聖人様より後にできたものであるから特に必要はない」という学会員がいますが、大聖人様の時代からこういった初七日、三回忌、十三回忌等の法要の意義は存しているのです。

 大聖人様は、娘さんの十三回忌に当たって、御塔婆を供養なさった中興入道へ、塔婆供養の絶大なる功徳と大切さを説かれています。(御書1434頁)

 犬や猫でさえ、この絶大なる御本尊様の功徳によって成仏させて頂けるのです。荼毘(だび)に付す前に、塔婆を建立しお題目を送ってあげることによって、いつまでも体が柔らかかったと何人もの方から伺いました。
 ましてや、自らお題目を唱えられる人間が成仏できないハズが無いのです。

 日蓮大聖人は『上野殿後家尼御返事』で
 『故人は成仏してるのは疑いがないので、嘆かなくともよい。しかし、最愛の人を亡くして身を斬るような思いで嘆くのは凡夫の常なので、追善回向に励んで、九識(妙法への信心)を深めて、六識に起こる死別の悲哀(ひあい)をも信心の糧にせよ』(御書338頁)と、成仏して亡くなった方への追善回向の意義を御指南されています。

 また大聖人は
 「我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併(しかしながら)ら四徳の香を吹くなり」(『御義口伝』御書1752頁)
と、南無妙法蓮華経と唱える時、「生老病死」の四苦が「常楽我浄」の四つの徳に変わると教えられています。

 この南無妙法蓮華経をしっかりと唱えていけば、私たちも、そういう苦しみから、脱却できる、乗り越えていくことができる。仏と同じ力を得られるということを、大聖人様は教えておられるのです。
 我々は有り難いことに、倉嶋氏にはなかった大安心感の中で御本尊様の元生きています。
 大聖人様は「愛別離苦」などの苦しみを、乗り越える道を教えて下さっています。それは、苦しみに遭わないということではなく、苦しみに遭っても、負けない自分になれるのです。
 乗り越えさえすれば怖くはありません。そこに功徳というものがあるのです。この信心を知らない人は、その功徳を積む方法を知らないが故にその苦から逃げまわったり、倒れてしまったりするのです。

 自分で自分の命を変えるために、自行化他にわたる毎日の修行というものがあるのです。それが勤行であり、唱題であり、折伏や育成なのです。
 悲しみの深さは人それぞれではあります。悲しみが癒えるまで、時間がかかる場合もあるでしょう。しかし御本尊様を信じ祈っていけば、必ず前を向いて、故人や別れてしまった人の分までも生命力を強くして進んでいくことができるのです。
 我々は、縁あってこの慈本寺の本堂に集い信心修行している同士であります。皆で一歩づつ前に進んでいけるよう、心を合わせて参りましょう。

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