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   【吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず】
 
広宣流布について
 
     
   皆様も日蓮正宗に入信されてから、「広宣流布」という事をよく耳にされるかと思います。これは、釈尊をはじめ御本仏日蓮大聖人様の御遺訓であります。
 私達が日々折伏に邁進するのは、この広宣流布達成を目指すからでありますが、この広宣流布とはどういう事であり、達成した暁には世界がどうなるのかという事を、我々は再度確認する必要があるのではないでしょうか。
 本日はその事を確認し合い、日々の修行の糧にして参りたいと思います。

 【ジョン・レノンのイマジン】
 かつて、ビートルズのメンバーであったジョン・レノンの歌に、世界的に有名な「イマジン」という歌があります。ジョン・レノンは、この歌で世界の人々に世界平和を訴えました。
 ジョン・レノンは、イマジン『想像してごらん』と訴えます。
・天国や地獄もなく、あるのは青い空だけ。
・本当は国境なんて無いこと。
・総ての人が平和な生活を送っている姿。
・モノを所用することは幻だということ。
・すべての人々が この世界のすべてを共有してい ること。
・想像してごらん・・・その時 この世界はひとつ になれるんだ・・・。
というものです。
 彼は、世界の争いや貧富の差の原因がどこにあり、どうすれば世の中が平和になれるのかを、『想像してごらん』と訴えます。
 そして、その原因を、宗教間の争いや無力にあること、人々の欲にあること、国家間の争いであることとし、世界は一つであり、全人類が平和に暮らせるようにと呼びかけるのです。
 確かに、今の世界情勢を見ても政治・経済は混迷を極め、財政破綻しかかっている国も出始めました。 必ずどこかの地域では戦争や内紛・テロが起こり、天変地夭は絶えることがありません。
 ジョン・レノンが世界平和を望みつつも、宗教に無力を感じてしまったのも無理からぬ事です。
 彼のように、平和を願い、その姿を想像することは有意義であるとは思いますが、「貪(みさぼ)り」・「瞋(いか)り」・「愚(おろ)か」といった三毒に犯された、私達末法の衆生の命が浄化されない限り、それは絵に描いた餅でしかありません。
 世の中の混乱や不幸は、突き詰めればこの邪義邪宗によって人々が三毒に犯されてしまっている事に尽きるのです。
 福島の原発問題にしても、人々の飽くなき「貪り」や地震や津波に対する認識の甘さ・原子力をコントロールできると過信した思い上がりは総て「愚か」と言えます。
 今こそ、大聖人様が『立正安国論』で説かれるように、「立正」すなわち正法を打ち立てることによって一切衆生の三毒を浄化し、「安国」すなわち安寧な国家を実現しなければならないのです。

 【広宣流布とは】
 広宣流布とは、日蓮大聖人様の教えを広く宣(の)べて流布させること。すなわち、死後の世界に浄土を求めるのではなくて、日蓮大聖人様の教えによってこの世に仏国土を建設していこうという理念です。略して広布ともいいます。
 「広宣流布」とは、『薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)』に、
 「我が滅度(めつど)の後(のち)、後の五百歳の中に、閻浮提(えんぶだい)に広宣流布して、断絶(だんぜつ)せしむること無けん。」(新編法華経 539頁)
と説かれているように、末法濁悪の世において、日蓮大聖人の仏法を広く宣(の)べ、未来永劫(みらいえいごう)にわたって一閻浮提(いちえんぶだい)に流布していくことをいいます。
 この広宣流布の淨願は、『法華経見宝塔品(けんほうとうほん)』の六難九易(ろくなんくい)にて、釈尊滅後に弘経することが難事であることを示したものです。
 一例を挙げますと、法華経を広め信じさせると言うことは、「須弥山(しゅみせん)を手にとって投げること」や「乾いた草を担ぎ大火の中で焼けないこと」よりも難しいと説かれていますので、たやすく成就できるものではありません。
 なぜなら、末法の人々は妙法の下種を受けていない衆生であり、邪宗邪義によって人心が撹乱(かくらん)した毒気深入(どっけじんにゅう)の衆生だからです。このような謗法充満の衆生は素直に正法を聞かず、かえって怨嫉(おんしつ)して正法の行者を迫害するのです。
 しかし、大聖人は『諸法実相抄』に、
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(御書 666頁)
 また『報恩抄』に、
 「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(御書 1036頁)
とのように、南無妙法蓮華経の正法は必ず世界の人々に唱えられて広宣流布すると、大確信をもって説かれています。

 【何を広めることが広宣流布なのか】
 広宣流布とは、正しい仏法を広く宣べて流布し、広く世界に弘め伝えることであり、それによって平和な社会を築くことをいいます。
 日蓮大聖人は『法華取要抄』に、
 「本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。」(御書七三八㌻)
と仰せであります。
 日蓮大聖人は末法に広宣流布すべき正しい法門として、三大秘法である本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされました。
 『日蓮一期弘法付嘱書』に、
 「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」(御書一六七五㌻)
と、大聖人御入滅後に本門の戒壇の建立を第二祖日興上人に御遺命されています。
 具体的に何を広宣流布すべきであるかを第二十六世日寛上人は『撰時抄愚記』に、
 「末法に於ては、必ず応(まさ)に文底深秘(じんぴ)の大法広宣流布すべし(中略)文底深秘の大法、その体如何(いかん)。答う、則ちこれ天台未弘(みぐ)の大法・三大秘法の随一・本門戒壇の御本尊の御事なり」(文段289頁)
と総本山大石寺に在す本門戒壇の大御本尊を広宣流布すべきことを仰せです。
さらに『文底秘沈抄』に、
 「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(六巻抄68頁)
と仰せであり、全世界の人々が本門戒壇の大御本尊に帰依して、本門の題目を唱えることを「広宣流布」といいます。
 この三大秘法が備わらない教えが広まっても広宣流布とは言えないのです。

 【創価学会の広宣流布観】
 かつて第六十六世日達上人は、創価学会の誤りを指され、
 「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。皆さまの今の時に、もし日蓮正宗の教義でもなく、大聖人の教義でないものが、世界に広がったからといって、けっして我々は喜ぶべきでもないし、大聖人がお喜びになるとは思いません。」(達全第二輯六巻二九五㌻)
と仰せられています。
 つまり、大聖人の本懐である本門戒壇の大御本尊を広宣流布することを忘れ、違う教えを広めることは広宣流布といいません。日蓮大聖人の御遺命に違背することとなります。
 広宣流布は正しい日蓮大聖人の仏法を理解して広く世界に弘め伝えることが大切です。たとえ弘める力が非常に優れていたとしても、富士山の麓に在す総本山大石寺の本門戒壇の大御本尊を忘れた弘め方を広宣流布とはいえません。

 彼等は口を開けば、「創価学会は世界192カ国に広まっている。広宣流布の団体である。」と豪語しています。しかし、最早、創価学会は大聖人様の教えからかけ離れた邪宗でしかありません。
 昭和50年以降、創価は折伏をやめました。「友好活動」という「折伏」ではなく「勧誘」を始めたのです。
 それは無理な折伏による、非常識な団体というレッテルからの脱却を目指したものでした。
 それにともない、財務といって「三桁(100万単位)・四桁(1000万単位)のお金を出せば何倍にもなって返ってくる」と会員達を競わせるようになりました。
 後は、大聖人の教えとは無縁の、公明党支持者としての会員集めです。
 また、戸田会長が「企業宗教のやる事だ」と禁じた、コマーシャルを垂れ流すようになりました。
 「広宣流布にはお金がかかる」「広宣流布の為には選挙に勝たねばならない」「広宣流布の戦いを邪魔をする反学会の人間は徹底的に攻撃せよ」と、広宣流布の名の下に、職業幹部によって一般会員は洗脳されているのが現状なのです。

 【広宣流布の暁に世界はどうなっているのか】
 広宣流布とは、単に会員を増やすことではありません。本門戒壇を建立し、弘安二年の本門戒壇の大御本尊を御安置する。そして、その戒壇に一切衆生が参詣することが、広宣流布の最終目的なのです。
 大聖人様は、三大秘法の仏法を打ち立てられて、一切衆生の成仏を明かされ、さらに国の明日を思い、理想の社会を求める生き方をも示されました。
 大聖人様は『立正安国論』にて、
 『あなたは、一刻も早く邪法を捨てて正法の信心をして、速やかに法華一乗の大善に帰依しなさい。かくしてこそ、この世の中は皆、平和な仏国土となるのであります。  仏国土は衰微(すいび)することがありません。その国土の全体が七宝(しっぽう)で出来上がった土地であります。七宝(しっぽう)の国土は破壊されることはありません。 国が衰微せず、土地が破壊しなければ、その処に居住する人々の身体は安全であり、精神は平穏であります。この言葉こそ、世の人々は信ずべきであり、また崇敬(すうぎょう)すべきであります。』(意訳 御書250頁)
と仰せです。
 現在の、震災後における不安定な国情を見るに付け、安定した国や安穏な国土がどれほどありがたく素晴らしいものであるか、大聖人の仰せがよく分かります。
 安穏な国土でなければ、国民の安全も安心も生まれません。
 広宣流布の悲願が成就するならば、『如説修行抄』に、
 「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、代はぎ(羲)のう(農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らん(覧)ぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり」(御書 671頁)
 とのように、全ての人々が大御本尊の信仰に励み、一切の人々が声を揃えて異体同心の心で南無妙法蓮華経と唱えるならば、枝を折るような台風が吹くこともなく、地面に穴をあけるような強い雨が降ることもなくなる。
 私たちの住む国土は、古代中国に出現したという、伏義や神農が帝王として世を治めた時と同じように、争いや自然災害のない平和で穏やかなものとなるであろう。また、人々は今生では天変地夭や病などで命を落とすこともなく長寿を得ることが叶うと仰せです。
 しかし、一方で我々は、地震は地球のプレートがマントルによって動かされるから起こるとか、台風は熱帯低気圧によって起こるというメカニズムは知っています。
 ですから、大聖人様の仰せを信じられず、天災は絶対に逃れることが出来ない、人間は自然の前では無力であると、ただ嘆く方もいるかも知れません。
 しかし、そうでは無いのです。
 東日本大震災で、津波に襲われ家もろとも流された方が、ただただ御本尊様を御守り申し上げようと仏壇にしがみついていたところ、その方のいた二階部分が木に引っかかって残り、まったく無傷であったとの体験が大白法に載っておりましたし、本山の重要行事の前に、突然台風が進路を変更した事などもよくあることなのです。
 仏法には「依正不二(えしょうふに)」と言う教えがあります。
 「正」とは生命それ自体。つまり私達衆生です。「依」とは私達(正)を取り巻く自然世界や環境のことです。
 「依」と「正」は別々のように見えて実際は「不二」、切り離すことのできない存在なのです。
 仏法では主体生命の「正」の状況によって「依」の環境・国土が良くもなるし悪くもなると説きます。
 とかく人間は周りのせいにして嘆いたり、環境が変わって欲しいと嘆いたりしますが、その前に自分自身が変わっていかなければどんなに嘆いても自然も環境も変わらないと言うことです。
 今いる自然や環境は自分自身や人々が今までおこなってきた報いによって作り上げてきたものとも言えます。
 しかし、人々の思いだけでは環境は変わりません。それにはやはり確かな哲学・思想である、日蓮大聖人様の教えに基づいた行動が必要なのです。最近は特にそれを強く感じます。
 例えば京都議定書で、異常気象・地球温暖化が叫ばれ、オゾン層が破壊されているので、二酸化炭素の排出量を抑えましょうと世界に訴えるも、各国の企業理念(貪り・欲)が影響し足並みが揃いません。
 各個人は、地球を破壊してやるとか世界がどうなってもいいなどとは微塵も思っていないはずです。 しかし、それが何万・何億という単位の人間の行動となると、とてつもない動き・力となるのだということを、先の震災で感じました。
 震災直後のガソリン・水・カップラーメン・乾電池など一部の物の無くなり方を見るにつけ、個々には買い占めようと特に意識しなくても、多くの人がそれに殺到したときのすさまじさ、逆に節電や復興に向けての人々の連帯などです。
 これが地球規模で、良い方向での連帯ができればどんなに素晴らしいだろうかと思います。しかし、それには、先程から述べているように、人々が貪瞋痴の三毒を浄化する事が不可欠なのです。
 この貪瞋痴の三毒が浄化されるとはどういうことなのか、日如上人は次のように仰せです。
 「人は、とかく理屈では解っていても、わずかな欲望や魔縁にたぶらかされて、刹那的(せつなてき)な快楽や名聞名利(みょうもんみょうり)を追い求め、大事な時間を無駄にして、挙げ句の果てに、一生をむなしく過ごしてしまうことが多々あります。
 こうした惰弱(だじゃく)なる命を強靱(きょうじん)な命に改変していくことができる唯一の道こそ、大聖人の仏法であります。正しい御本尊のもとに、確信をもって妙法五字を信仰していけば、広大無辺なる御本尊の大功徳によって、
 「不断煩悩(ふだんぼんのう)。不離五欲(ふりごよく)」(法華経610㌻)
と仰せの如く、煩悩を断つこともなく、五欲を離れることもなく、同じ欲望であっても、邪(よこし)まな欲望から正しい欲望に変革していくことができるのであります。
 あくせくと、泡沫(ほうまつ)の如きはかない快楽と名聞名利を求めていた欲望が、一天広布へ向けて、自らの幸せと多くの人達の幸せを求める欲望に変わっていくのであります。この心の変化は、ただ正しい御本尊への絶対の確信と身口意三業にわたる強盛な信心によって、初めて顕れてくるのであります。」(大日蓮平成18年2月号48頁)
 広宣流布を進めていき、世界中の人々が邪な欲望を正しい欲望に変革でき、他の幸せを心から祈れるようになれたなら、人類全体が抱えている地球温暖化問題・エネルギー問題・食糧問題・人口爆発問題等数多くの難問を必ず解決していけます。世界中の一切衆生が、本門戒壇の大御本尊様のもと、異体同心の喜びでつながれば、人種・言語・国境を越えて本当の意味で一つになれるのです。
 そうなれば、人類はどんな問題でも力を合わせ、乗り越え解決していけるでしょう。
 さらに、そういう世界になれば、例え地震や台風が起ころうとも、壊滅的な被害が起こるほどの規模にはならないと、大聖人様は仰せなのです。

 そのためには、第二祖日興上人が『日興遺誡置文』に、
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」(御書 1884頁)
と門下を督励(とくれい)されているように、身命を捨てた随力弘通、すなわち折伏こそ大事です。
 広宣流布は絵に画いた餅ではありません。今こそ南無妙法蓮華経を信受する一人ひとりが、身口意の三業をもって常に折伏弘通に精進しなければ、広宣流布への盤石な基礎を構築することはできません。
 正しい御本尊と教義を根本とし、血脈付法の日如上人猊下の御指南のもと、僧俗異体同心して折伏弘通に全力を尽くすところに広宣流布はあるのです。 この意を体するならば私達は諸難を恐れず、
 「諸経は無得道堕地獄(むとくどうだじごく)の根源、法華経独り成仏の法」(御書 六七三㌻)
と言い切ることが肝要であり、大聖人様の仏法こそが世の中に唯一絶対の仏法であると腹に入れて、勇気を持って折伏を行ずることが大切なのです。
 広宣流布までの道のりは遠く、厳しい戦いではありますが「必ず達成する」との日蓮大聖人様の仰せを信じることが肝要です。
 そしてまた、我々の広宣流布の戦いは、自身を救い、過去の先祖までをも救い、ひいては世界をも救うという崇高にして壮大なる意義があるのです。
 広宣流布の暁には、世界はどう変革するのかという、確固たるイメージ・想像力をジョン・レノン以上に働かせて、我々は臆することなく邁進していくべく前進して参りましょう。

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