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   常観院様御遷化に思うこと  
 
 国立大宣寺の初代御住職であらせられた、常観院日龍贈上人が2月6日に遷化されました。
 皆様も御承知の通り、慈本寺は常観院日龍贈上人の建立されたお寺であり、御本尊様にも、願主として大宣寺様のお名前がしたためられております。
 慈本寺とは深い因縁で結ばれております。

 私事になりますが、実は、私が僧侶になったきっかけが、常観院様の長男である、元妙観院の主管で現在は鎌谷寺住職の菅野道渉師と出会った事に始まります。
 小学校6年生の夏休みに、当時大学生で、大宣寺に在勤していた私の従兄弟である三谷維道師が、私の実家のある四国へ道渉師を連れて遊びに来たのです。
 道渉師は日達上人の孫・常観院様の長男として、中学一年生からは得度試験を受け、本山へあがることが決まっていましたので、(得度試験はありますが)その前の思い出作りのための旅行でした。
 今思いますと、常観院様は非常にご多忙であられたため、子供が小学校を卒業して手元からいなくなるとしても、世間のように御家族で悠々と想い出作りの旅行に行くわけにもいかず、在勤者に託されたのだと分かります。

 その時の道渉師の印象は、スラッとして半ズボンがよく似合っていたのと、今と同じで色白だという点でした。標準語をしゃべり、都会の臭いのする道渉師がとてもまぶしかったのを覚えています。

 私の叔父(伊豆長岡本円寺・三谷唯道師)や従兄弟(伊豆長岡本円寺副住職・三谷維道道師)は僧侶でしたが、私の実家は普通の在家であり、ましてや小学生の私は、偉いお坊さんの子供と言われても「そうなんだ」程度の認識しかありませんでした。
 ただ、私は道渉師が四国に来る少し前に、初めて家族揃って本山に登山し、感激して帰って来たばかりでありました。
 私は覚えていないのですが、両親が言うには、たまたま本山の山道を歩いている小僧さんを見て「僕もここに住みたいな」とつぶやいたそうです。

 一緒に小豆島や八島へ観光しましたが、特別なことを語り合った記憶はありません。
 一番強烈に覚えているのは、三谷維道師が親類が集まった席で「僧侶の修行で一番最初に教えられることは人に施すという事なんです。例えばお菓子などを頂いても決して一人で食べずに、周囲と分け合って食べるんです。」という話を聞き「すごい世界があるもんだな。」と子供心に感動しました。
 東京へ帰るのを空港で見送りながら、私の母親が「ヒロシ君はあんたと同じ6年生なのにお坊さんになるって決意して偉いな〜〜」と何度も言っていたのを覚えています。

 それからしばらくして、常観院様と奥様がわざわざ道渉師が世話になったと、四国まで挨拶にお見え下さいました。今でしたら、事の重大さや、常観院様の隅々にまで配られる気遣い、更には道渉師に対する深い愛情が理解できます。
 お二人ににこやかに笑いかけて戴き、優しいオーラに包まれたような心地になったのを覚えています。

 そのうち私が「僕もお坊さんになる。どうやったらなれるん。」と言い出したので親のほうが大あわてです。
 母親などは得度試験の合格通知が来てからも「行きたくなかったら無理してお山に行かんでええんで。」と言っておりました。私の長男が現在お山で修行をしておりますが、ようやく当時の親の気持ちがわかりました。

 得度してからの道渉師は、日達上人の孫ということで、必要以上に厳しく当たる先輩・またおもねる先輩もいるなか、驕ることもなく・卑屈になることもなく努力精進を重ねられ、今や宗門においてなくてはならない存在となっております。
 また、さりげない気配りが先輩後輩分け隔て無く出来、持って生まれた徳と、常観院様の日頃の教えを感じておりました。

 また、常観院様は私が出家した頃は、海外部長・庶務部長を務められ、雲の上の存在であったことは言うまでもありませんが、自分の中で勝手に「同期のお父さん」という感じで親しみを持っており、たまに本山でお会いしご挨拶すると、小僧の自分に柔和なまなざしを向けて下さることが何とも言えず嬉しいものでした。

 私としては、仏縁あって得度させていただき、常観院様や道渉師と同じ教区でいられることが嬉しく、また勉強になっておりました。
 
 慈本寺の創立三〇周年が三年後であり、その際には常観院様・奥様にも、当然御出まし頂こうと密かに考えておりました。
しかるに、近親者にしか知らされていなかったのですが、大宣寺様は平成18年に肝臓ガンと診断され、通院をされながら御法務をこなされておりました。ガンが発見されてすぐに日如上人へ御自分の葬儀の為にと、導師御本尊をお願いされておりました。
 慈本寺の御会式にもお出まし下さり、12月の広布推進会にも出席され、元朝勤行も執り行われたそうです。次々と見える来客への対応をこなされたそうですが、1月3日に疲労と衰弱がはっきりみえたので、ご家族が無理に病院へお連れしたときには余命いくらもないと診断されたそうです。
 まさに、身をもって死身弘法とはこういうことなんだよと教えて下さいました。

 御葬儀では、慣例としてその教区の支院長を先頭に、教区の住職が中心となって葬儀の一切を取り仕切ります。そこには、常観院様のお徳を示すように、ひっきりなしに、全国の末寺の御住職から、「私に何でも良いから何かお手伝いをやらせて下さい。」と電話がかかって来ました。
 皆、一様に常観院様への報恩の為、何でも良いから御奉公したい、少しでもお役に立ちたいとの強い思いを持っておられました。
先輩後輩関係なく、机を運んだりテーピングしたりなど種々の雑用もいとわず走り回り、立派に御葬儀が執行出来るよう勤められました。
 私は、教区としてもったいなくも記録係を仰せつかりました。
また、大学生の所化さんが食事を取る暇もないほどあちこちで呼ばれていましたので、早めに来て手伝いをしたいという同期生2人と、受付をやりながら、時間のある限り御塔婆を書かせて頂きました。

 信心御奉公とはかくあるものという事を、無言の御住職様方の姿を通して教えて頂きました。
 会社組織や世間ではどうか知りませんが、こと信心の御奉公に上も下も、貴賤もありません。
 慈本寺の御講などでも、誰に自慢するわけでも愚痴を言うわけでもなく、率先して雨の日も暑い日も寒い日も、駐車場の整理や警備をしてくださっている方がおります。本当にありがたい限りです。妙彩の折り込みをされる方、受付の方、にこやかに講員さんへ声をかけて下さる方、どれも尊い御奉公です。この信心修行に、下っ端の任務などないことを皆さんも知って頂きたいと思います。

 常観院様の本葬儀当日は、朝からあいにくの雪でしたが、葬儀開始前には止み、出棺の際には、お徳を示すかの如く、日が差し汗ばむほどでした。

 今の私に出来る報恩の道は、身を以て示すしかない。この慈本寺の寺運興隆と地踊倍増に励むことにあると肝に銘じ、常観院様のお徳を汚すこと無きよう、精進して参る所存です。


        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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