ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第207号)  
   
 
    【一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり】 
 
     折伏誓願目標早期完遂を目指して  
 
 全国・世界で御法主日如上人猊下の元、それぞれの地で法華講員が力を合わせて折伏に励んでおります。
 昨年は、実に全国の法華講支部の4分の3が誓願目標を見事に達成されました。しかし残念なことに、我が慈本寺支部は達成出来なかった4分の1へ入ってしまいました。
 これ偏に、住職の不徳の致すところであり、三宝様・日如上人へ懺悔するものであります。
 本日は、その原因を考え、皆さんと新たに進んで行く資料にしたいと思います。

 
【強烈な使命感を共に持とう】
 まずは、甘えを捨て強烈な使命感を共に持たなければなりません。一生懸命やってみて出来なければそれはそれで仕方のないことであるという甘えや、元々の目標自体が高すぎたから無理だったという愚癡(ぐち)を払拭し、何としても日如上人の御指南に添い奉るという気概を持ちたいと思います。
 日如上人は、「新年の辞」において(大白法 平成23年1月1日 第804号)
『特に昨今の国内外の諸相を見ると、末法濁悪(まっぽうじょくあく)の世相その侭(まま)に混迷を極め、為に多くの人々が先行きの不安を抱え憂苦(ゆうく)しているのが現状であります。
 而(しか)るに、世の中の誰もが国土安穏(こくどあんのん)・天下泰平(てんかたいへい)を願いつつも、平和実現のための具体的方途が解らず、徒(いたずら)に喧噪(けんそう)を極めるだけであります。
 何事もそうであるように、問題解決の為には、先ずその原因を突き止め、そこから真の解決を見出していかなければ根本的解決を図ることが出来ないのであります。』
と仰せであります。
 世界中の誰もが、等しく国土安穏・天下泰平を願っているにも関わらず、現実には争いが絶えず、天変地異に右往左往しているのが現状です。
 それには原因があり、また解決法もあるとハッキリ御指南下さっております。
 その原因について日如上人は、
『大聖人は『立正安国論』に、《中略》度重なる災難の由来について明かされ、世の中の混乱と不幸と苦悩の原因は、偏(ひとえ)に「世(よ )皆(みな)正(しょう)に背き人悉(ことごと)く悪に帰す」故であると御教示遊ばされています。
 抑(そもそ)も、『立正安国論』は、大聖人が正嘉元年の大地震を始め、頻発する天変(てんぺん)・地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)等の惨状を見て、その原因は世の中の人々が皆正法(しょうぼう)に背き、悪法を信じていることにより、国土万民を守護すべきところの諸天善神が去って、悪鬼・魔神が便りを得て棲(す )みついているためである』
と仰せです。
 そしてその解決方法は、
『謗法を対治して正善の妙法を立つる時、国中に並び起きるところの三災七難(さんさいひちなん)等の災難は消え失せ、積み重なる国家の危機も消滅して、安寧にして盤石なる仏国土が出現する《中略》速やかに邪義邪宗の謗法を改め、実乗の一善に帰依するよう(大聖人様は『立正安国論』を)結んでおられます。
 実乗の一善とは、一往(いちおう)は法華経のことでありますが、再往(さいおう)大聖人の御正意は文上の法華経ではなく、法華経文底独一本門の妙法蓮華経にして、三大秘法の随一(ずいいつ)大御本尊に帰依することが、実乗の一善に帰依することであります。』
と明確に御教示下さっております。

 【三災七難(さんさいひちなん)について】
 しかし、残念なことに、邪宗信仰と三災七難(さんさいひちなん)は別物であり、とうてい信じられないという方も、うちの支部ではありませんが中にはいらっしゃるようです。

《 三災とは、
①穀貴(こっき)…穀物の不作。飢饉のこと。
②兵革(ひょうかく)…戦争のこと。
③疫病(えきびょう)…伝染病・流行病のこと。
 七難とは
①人衆疾病(にんじゅしつえき)難…伝染病・流行病により多くの死者がでる難。
②他国侵逼(たこくしんぴつ)難…他国より侵略される難。
③自界叛逆(じかいほんぎゃく)難…自国に内乱が起きる難。
④星宿変怪(せいしゅくへんげ)難…彗星や流星が現われたり、星の運行に異変が生ずる難。
⑤日月薄蝕(にちがつはくしょく)難…太陽や月の異常現象の難。
⑥非時風雨(ひじふうう)難…季節はずれの暴風雨などの天候異変による難。
⑦過時不雨難…雨季に入っても雨が降らない難。》
 この大聖人の仰せを『神天上(かみてんじょう)法門』と称します。
以下に少々説明したいと思います。

 【神天上(かみてんじょう)法門】
 仏法および法華経の行者を守護する善神を総称して諸天善神と言います。この諸天善神は、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等に代表され、古来より日本国を守護する神として重んじられてきた天照大神・八幡大菩薩等も含まれています。
 法華経『安楽行品』には、
「諸天昼夜に、常に法の為に、而も之を衛護し」(法華経 三九六㌻)
と説かれていて、釈尊の滅後に法華経を弘通する菩薩には常に諸天善神が付き随っていて、菩薩が法華経を説くのを側で聴聞し、その法味を食して威光・勢力を増し、また説法を聞くために菩薩を守護するという諸天善神の誓いが示されています。私たちも大聖人様の仏法を実践することにより、必ず諸天善神が付き随い、私たちの自行化他にわたる題目を聞いて威光・勢力を増し、私たちを守護するということです。
 このように諸天善神は法界に実在するとは言っても、『立正安国論』に、
「世皆(みな)正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ 相(あい)去り、聖人所(ところ)を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書 二三四㌻)
と仰せられ、善神は、邪宗邪義の蔓延(まんえん)によって法味を味わえないために天上へと去り、逆に神社には魔神・鬼神が乱入して、国中に災いを起こし、そこに詣でる者は鬼神につかれて災いを招くのであると仰せです。これを神天上(かみてんじょう)法門と言います。
 この様に大聖人様は、衆生が邪宗・邪義を信仰すれば、諸天善神は守護をやめて、天に上ると説かれます。これは、日本古来の神に対する通念では、神は天上に住まれると考えられていることから、神々が衆生を見捨てて守護をやめて本土に帰ることを、神が天に上ると表現しているのです。
 仏法の本義からいえば、神とは本仏所具の本有(ほんぬ)の十界中の天界等であり、仏の神力(じんりき)(=たましいのちから)にほかなりません。したがって、神の守護がなくなるとは、謗法により本仏の御威光(ごいこう)が遮断(しゃだん)されることであるといえます。
 大聖人様の御入滅後に、鎌倉に住していた弟子たちは、諸神が日本国を守護するからと神社への参詣を認め、民部日向(たみぶにこう)は、
「法華の持者参詣せば諸神も彼の社壇に来会すべし、尤(もっと)も参詣すべし」(『原殿御返事』 聖典 五五八㌻)
と述べて、法華経の持者の所には善神が降りてくるのだから、大聖人様の弟子檀那が神社に詣でてもよいと主張しました。
 これに対して、第二祖日興上人は、「何ぞ善神聖人の誓願に背き、新たに悪鬼乱入の社壇に詣でんや」(御書 一八八〇㌻)
「檀那の社参物詣(ものもう)でを禁ずべし(中略)謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣づべけんや」(御書 一八八四㌻)
と仰せになり、あくまでも『立正安国論』に仰せの通り、善神が天上へ去って、悪鬼が乱入した神社に詣でることを厳禁されているのであり、今日においてもその精神は変わることはありません。
 大聖人様は「日蓮が法華経を弘通し候を、上一人より下万民に至るまで御あだみ候故に、一切の神を敬ひ、一切の仏を御供養候へども其の功徳還(かえ)って大悪となり、灸治(やいと)の還って悪瘡(あくそう)となるが如く、薬の還って毒となるが如し」(御書 一五六八㌻)
と、諸仏出世の一大事と言われる法華経を、身命を賭(と )して弘通される大聖人様に対して仇(あだ)をなす者たちが、たとえ一切の仏神を敬い供養をしても、功徳はならずにかえって大悪となると仰せです。
 なぜなら一切の仏神の守護としての用きは、御本仏大聖人様の御意を離れたところにはないからです。
 大聖人様は、法華経守護の善神である八幡大菩薩の誓願として、
 「正直の人の頂を以て栖(すみか)と為し、諂曲(てんごく)の人の心を以て亭(やど)らず」(御書 一五四二㌻)
とあることを示され、
「されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給ふとも、法華経の行者を見ては争でか其の影をばをしみ給ふべき。我が一門は深く此の心を信ぜさせ給ふべし」(御書 一五二五㌻)
と、八幡大菩薩は不正直を憎んで自らの宝殿を焼いて天に上られてはいるものの、私たちが大聖人様の教えの通りに仏道修行に励むならば、常に諸天善神が私たちの頂に影を落として守護してくださると仰せです。

 【依正不二(えしょうふに)の理】
 またこれを理解するには、依正不二(えしょうふに)の理が信解出来ないと、なかなか領解できません。
依正不二(えしょうふに)とは、簡単に言えば私達衆生(正報(しょうほう))と私達を取り巻く環境・国土(依報(えほう))は一体不可分の関係であるということです。
 そこに住む私達衆生の生命の状態が国土・環境にそのまま反映されていくということです。
 アメリカ人のクリーブ・バクスターという人が、ドラセナの葉にポリグラフをつけて行った実験で、人間の愛憎等の感情にポリグラフの針が反応を示したことがありました。
 これを見た細胞学者は「全ての生物は細胞レベルで意識がつながっているのではないか」との意見を述べているそうです。大聖人様は草木成仏を説かれますが、その一分が証明されたとも言えます。
 また、同じ植物を育てるに当たり、愛でる言葉をかけた場合と、詈りながらでは発育に違いが出るという結果も出ています。
 また、日本のある研究機関の実験では、氷の結晶ですら、接する人の心や感情によって変わってくるというのです。これには、偶然であると強固に反対している科学者もいますが、仏の金言に照らし合わせるならば、一切を否定する事は出来ないと思います。
 これらのことから、私達の命の状態が、謗法によって地獄・餓鬼・畜生の境界にあれば、取り巻く自然環境に反映して、天変地異をもたらすという、遠い昔に仏が説かれた「依正不二(えしょうふに)の理」の一端が科学でも裏付けされつつあると言えます。

 【仏国土建立を願う】
 大聖人様は『立正安国論』にて、
 『あなたは、一刻も早く邪法を捨てて正法の信心をして、速やかに法華一乗の大善に帰入しなさい。かくしてこそ、この世の中は皆、平和な仏国土となるのであります。仏国土は衰微(すいび)することがありません。その国土の全体が七宝(しっぽう)で出来上がった土地であります。七宝(しっぽう)の国土は破壊されることはありません。国が衰微せず、土地が破壊しなければ、その処に居住する人々の身体は安全であり、精神は平穏であります。この言葉こそ、世の人々は信ずべきであり、また崇敬(すうぎょう)すべきであります。』(意訳)と仰せです。
 この意を体するならば私達は諸難を恐れず、
 「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法」(御書 六七三㌻)
と言い切ることが肝要であり、大聖人様の仏法こそが世の中に唯一絶対の仏法あると腹に入れて、折伏を行ずることが大切なのです。

 【なぜ折伏が成就しなかったのか】
 なぜ我が支部は折伏成就出来なかったか考えますと、始めに申し上げましたように、日如上人の御指南に添い奉るという気概が足りなかったからだと思います。
 更には、絶対的な確信と信仰の歓びを個々に感じている方はいても、講中の空気として足りない。また、実際に動く人が少ないから、歓喜を感じられる人も少ないという悪循環に陥っているのだと思います。
 信仰は実践です。手品や魔法ではありません。本当に幸せになりたい、宿業を切っていきたいと思うならば、理屈でなく修行をするしかありません。
 大白法に掲載されている、折伏をやり遂げられたご住職の対談を見ていますと、大いに参考になります。
・異体同心という言葉は知っていても中身が伴わないから修行が伴わない。
・信心即生活ではないから行体が伴わない。だから折伏が進まない。
・折伏が進んでいるときは怨嫉や愚癡(ぐち)が出てこない。というかそんな暇がない。
・人の折伏成就を喜べない人間に折伏は絶対出来ない。また、無関心・無感動の人もいるがどちらも心の迷いである。
・とにかくこれらの問題解決は、僧俗一致して唱題し折伏をするという行を実践するしかない。などが書かれていました。
 実際に動き、結果を出されている方の言葉ですので重みがあります。
 皆さんも大いに参考にしていただきたいと思います。
 そして、今年こそは早期に折伏誓願を完遂し、更には昨年出来なかった分もやり遂げたいと思いますがいかがでしょうか。
 今こそ皆で心を合わせ「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊薬なきなり」(御書九九一)
の御金言を胸に、進んで参りましょう。

  

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