ホーム 御住職の法話目次 御住職の法話 (193号)
 
 
   【 病によりて道心はおこり候か 】
 
病について 
 
     
   【はじめに】
 本日は病についてお話ししたいと思います。
 どんな人でも、病からは逃れることはできません。生まれてから死ぬまで一度も病気にならないということは不可能であります。
 また、今なお現代医学でも治せない・原因すら分からない病気も多数あり、今年の新型インフルエンザの流行など、大聖人様が七百五十年前に立正安国論で説かれた世相は、なんら変わりのないことが理解できます。
 日蓮大聖人は『高橋入道殿御返事』に、
 「小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重く薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提(いちえんぶだい)の一切衆生にさづくべし。」(御書八八七頁)
とご教示であります。
 これは、「貪・瞋・癡の三毒強盛な末法の衆生を救済するためには、()前権(ぜんごん)(きょう)ではなく、また、文上の法華経でもなく、良薬中の大良薬である南無妙法蓮華経でなくてはならない。」との御意であります。
 我々末法の凡夫は、貪欲(どんよく)瞋恚(しんに)愚癡(ぐち)という煩悩によって、内面の部分、つまり精神を侵される重病に罹っています。仏法では(しき)(しん)不二(ふに)を説き、心と体は一体と捉えますから、精神的部分が侵されれば、当然、肉体的外面にも多くの影響を及ぼすのであります。衆生の心身や言動が劣悪なものになれば、社会にも影響して国家が荒廃していくのであります。この重病の根本原因である煩悩を菩提へと転換する力が、南無妙法蓮華経なのであります。

 【身の病と心の病】
 日蓮大聖人様は『治病大小権実違目』に、
 「人に二の病あり。一に身の病、所謂()(だい)百一(ひゃくいち)(すい)(だい)百一(ひゃくいち)()(だい)百一(ひゃくいち)(ふう)(だい)百一(ひゃくいち)、以上四百四病なり。(中略)二に心の病、所謂三毒(さんどく)乃至(ないし)八万四千の病なり。此の病は二天・三仙・六師等も治し難し」(新編一二三五頁)
と、身体の病気について、「身体を構成する元素には、地大・水大・火大・風大の四つがある。
 そして、地大の要素の病気に百一、水大の要素の病気に百一、火大の要素の病気に百一、風大の要素の病気に百一があり、四大で四百四の病気がある。この四百四の病気は身体の病気だから、耆婆(ぎば)(残虐な阿闍(あじゃ)()(おう)を治療し仏教に帰依させた)や扁鵲(へんじゃく)(古代中国の伝説的な名医)などの名医にかかれば治らない病はない。しかし、人の心のむさぼり、いかり、おろか(貪・瞋・痴)の三毒の病は、八万四千もの数があり、法華経のお題目を唱えなければ(いや)されない(要旨)」と仰せであります。
 大聖人様は心身の病気の多さを指摘され、さらに現代医学でも治らない謗法や悪業による病の存在を示されています。医学の発達した現代でさえ病気に苦しむ人は後を絶ちません。

 【病に六種類の原因あり】
 大聖人は『太田入道殿御返事』(九一〇頁)にて、
 『病の起こる因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節せざる故に病む、三には坐禅調はざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む』
と仰せであります。
 これをもう少し詳しく述べたいと思います。
一・「四大」はインド古来の生命観に基づくもので、生命が「地」「水」「火」「風」の四つの要素から成り立つと考えられ、この四大の不調和によって病気が起こるとされます。
二・「飲食の不節制」で食生活の乱れのことです。
三・「座禅が調わない」で、感情や思考の乱れ、睡眠不足、運動不足といった、生活のリズムの乱れをいいます。
四・「鬼が便りを得る」で、外界から襲いかかる病因のこと。ウィルスや細菌、精神的なストレスも含まれます。
五・「魔の働き」誤った思想、欲望などのため正しい判断力が奪われて健康が損なわれることです。
六・「業の起るがゆえに」で、これは悪業によって起る病気を指します。これが、一番治しがたく、重い病です。

 【業病の因】
 『摩訶止(まかし)(かん)』に、
 『業病とは、或は専ら是れ先世(せんせ)の業、或は(こん)()に戒を破すれば先世の業を動じ、業力は病を成ず』
とあり、前世や今世で積んだ悪業によって引き起こされます。
 人として守るべき戒として『五戒』が揚げられます。
すなわち、
不殺生(ふせっしょう)(かい) ②不偸盗(ふちゅうとう)(かい) ③不邪婬(ふじゃいん)(かい) ④不妄語(ふもうご)(かい) ⑤不飲酒(ふおんじゅ)(かい)です。
 業病を治すには、観心の修行をすることです。末法の観心の修行は御本尊様に唱題をすること。さらに、唱題の功徳を伝えて行くこと。これを実践することにより治癒するのです。

 【なぜ信心していても病気になるのか】
 まず、未来に重く受けるべき苦しみを今軽く受けるという『転重軽受(てんじゅきょうじゅ)』が揚げられます。
 大聖人様は『太田入道殿御返事』(九一三頁)にて、
 『貴方は過去世の宿縁により、また今生に日蓮の教えを信ずることにより、過去の謗法を悔い改め正法の信仰をすることになった。その功徳として、未来に大きな苦を受けるところを、現在に軽く受けている。(取意)』
と仰せであります。
 次に、信仰を止めさせようとする働き、『三障四魔(さんしょうしま)』が揚げられます。
 仏法の理解が進み、広布が進展しますと、必ずそれを阻止する魔の用きが顕著になってきます。それらの魔は人を悪道に導くもので、この魔を(おそ)れては正法を修行することはできません。そして、この教訓は日蓮大聖人の振る舞いにのみ当てはまるのではなく、私達、法華講衆の鏡とすべきものであり、後世の法華講衆に伝えなければならない教訓です。
 私達が信心に立って修行を重ねていく課程において、必ず三障四魔が競い起こってきます。従って、信心修行を続けることは反面、魔との戦いであります。
 このことについて、日蓮大聖人は、
 「凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ)りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。」(『兵衛志殿御返事』平成新編御書一一八四頁)
と仰せられています。
 信心強盛な人は三障四魔をバネとして飛躍し、さらに深い信心の醍醐味(だいごみ)を味わうことができることを知っていますので、畏れることなく三障四魔に立ち向かうことができます。信心の弱い愚者は、三障四魔に遭遇すると尻込みして正法を捨て、成仏という功徳を失ってしまうのです。
 すなわち日蓮大聖人は、私達に強い信心と勇気をもって三障四魔に立ち向かう、厳しい修行の中にこそ、成仏という功徳があることを教えられているのです。
 この三障四魔の中に、病魔があります。これは私達の五体の不調や衰弱によって現れてきます。
 すなわち、病気によって修行を中断させられることをいいます。又信心をしているのに病気をするのはおかしいと、疑惑を持たせて修行を怠けさせるのもこの魔の部類です。
 これを打ち破るには、魔を魔と見破る強盛な信心の確立にありますが、どのようにして強盛な信心を確立するかということが問題です。そのためには正法を修行すれば必ず三障四魔が現れることを自覚すると同時に、三障四魔は私達の怠惰な心が呼び寄せていることを知らなければなりません。これらの魔は、世間的な地位や名誉、目先の利益、快楽に心を奪われて、仏道修行を忘れる油断の心に進入してくるのです。私達の外から襲ってくる三障四魔よりも、私達の内に生じた油断の心が招いた魔の方が恐ろしいのです。魔を魔と見破ることは大変難しいことですが、魔を近づけないようにすることはできます。そのためには信心強盛にしてお題目を唱え、修行に油断の心が起きないようにしなければなりません。
 日蓮大聖人は、
 「月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆ(弛)む心あらば魔たよりをうべし。」(『聖人御難事』平成新編御書一三九七頁)
と説かれています。心に留めなければならない御聖訓の一つです。

 【病気を克服するには】
 日蓮大聖人様は、困難を、現在から未来へかけての人生を、逞しく積極的に生きていくよう説かれています。
 自分の不規則な生活・不摂生が招き寄せた病気ならば、まず生活を改めることです。
 しかし、そうではなく、肉体に難病を持っていることを発見したとき、精神上の異常な癖を見いだしたときなど、一度は愕然(がくぜん)とし絶望的になります。
 しかし、その時に、自分の不運を呪い、責任を親や家族、社会に転嫁している間は全く解決しません。題目を唱えながら、この結果をもたらした原因を、過去世の自分の生命が犯した罪業に見いだす、つまり、自己の生命の問題として捉えきれたとき、はじめて解決への方途が開かれてくるのです。

 いかに悲惨な現状であったとしても、御本尊への真剣な唱題は、過去世の宿業(原因)を見つめ得る力強い生命力や智慧となって、その人を根底から支えるのです。これこそが唱題による仏界の涌現であり、仏法の功徳なのであります。

 日蓮大聖人様は、『法華題目抄』に、
 「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書三六〇頁)
と、御本尊を信受する者の大功徳について教えられています。
 また、『四条金吾殿御返事』には、
 「仏法と申すは道理なり」(御書一一七九頁)
と仰せになられており、正しい仏法による功徳は決して奇跡を期待するものではないのであります。
 御義口伝下には、
 「功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成りて大きなる徳有るなり。功も幸と云ふ事なり。又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり。」(御書一七七五頁)
と功徳について御指南であります。
 唯一真実の仏法である、御本尊を根本に信行に励んでいくならば、過去世の悪業悪因を消滅し、六根清浄の成仏の境界を得ることができるのであります。


 【激烈なる体験の数々】
 日蓮大聖人は『妙心尼御前御返事』に、
 「病によりて道心はおこり候か。」(九〇〇頁)
と仰せです。
 病気をきっかけに本当の信心が起きてくることを御教示であり、御本尊様に御題目を唱え病気を克服し、御本尊様の力が偉大であることを体験させていただく境界になれます。さらに病気の克服という体験を持って、御本尊様の偉大な力を教える使命が自覚できます。
 我々は、多くの同志が、
 『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(法華題目抄 九四七頁)
と大聖人の御指南の通りに難病を克服し、広宣流布へ邁進している姿を目撃したり聞いたりしています。
 これらの方々に共通することは、激烈なる唱題と折伏によって、生命力と御仏智を戴いていらっしゃることです。
 自身の病気の原因は何なのか、どのような謗法によるものなのか、自身の使命感の自覚など、これらを普段判らなかったことが覚知できたということは、まさしく六根清浄であり、克服という現証はその果報という以外ありません。そのような病での苦しみも転じて“不老不死”つまり大聖人様へ(つな)がる信心が叶ったことになります。
 現実的にこのような生死を賭けた、壮絶な信仰体験は誰もが行っているものではありませんが、真剣な信心は誰しもが行うことができるのです。
 「此の経は則ち為れ閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」(太田入道殿御返事 一〇一〇頁)
と、不老不死とは仏の境涯の一面を表現していることですが、この御金言をどこまで信じ切れるかに尽きるのです。

 【今こそ学会員を折伏し救っていこう】
 大聖人様は、『太田入道殿御返事』に大涅槃経を引かれて、「世の中の、三種類の病は治し難いものである。一には正法を謗ずる。二には五逆罪((さつ)() …心で邪魔者扱いするだけでも実際に殺したものと同じ罪だと教えられる ・殺母(さつぼ)(さつ)羅漢(らかん)()和合(わごう)(そう)出佛(すいぶつ)(しん)(けつ))を働く。三には一闡提(いっせんだい)(正法を信ぜず悪事を働き嘘ばかりつく・成仏不可能な人)である。この三つの病は世の中の極重である。今世では悪業成就し、死んだ後は必ず地獄に堕ちてしまいます。」と仰せです。
 この御指南からすると、学会が謗法の徒となったことで、一般人より罪業をひとつ多く背負っているだけに悲惨であります。
 世田谷の元支部長であった竹本さんが語っている学会員の悲惨な現証は、まさにこの御指南のままであります。
 宗門を邪宗と批判しながら、そこにある『大御本尊』を信じている言行バラバラの状態は、池田教祖の信心の無さ、謗法に由来するものですが、多くの会員はたぼらかされているのです。
 まさに多くの学会員は、魔に魅入られ、医者では治療不可能な病にかかっているのです。
 学会員の折伏は簡単ではありませんが、自身の過去無始以来の謗法罪障消滅と福徳を積ませて頂ける有り難い修行です。
 皆さんの菩提寺の名前である、慈悲を根本とした振る舞いを体現していこうではありませんか。


        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  

 
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