ホーム 御住職の法話目次 御住職の法話第192号
 
   【 いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし 】
子育て・法統相続について
 
     
   本日は、以前「母の徳」についてお話をしましたので父の徳についてお話をさせていただこうと思っていたのですが、仏法では父の徳というと、
 『
(いま)日蓮等の(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救う故なり云云。涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは(ことごと)く是如来一人の苦なり」云云。日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是日蓮一人の苦なるべし。』(御義口伝 新編一七七一頁)
と、仏の徳を顕す際に用いられ、「私は一切衆生の父である」と言い出すお父さんが現れても困りますので、親子関係についてお父さん目線でお話をさせていただきます。

 【モンスターペアレントについて】
 世間では学校や塾などさまざまな機関で、自己中心的で理不尽な要求を繰り返す保護者を意味するモンスターペアレントは、もはや珍しいことではなくなっています。
 しかし、この間の新聞では、万引きした子供の保護者がモンスターペアレントぶりを発揮し、「なぜ捕まえた。説教だけでいいだろ。うちの子だけか?」「子供の手の届くところに置いておくのが悪い。」「金を払えばいいんだろう。」という信じられない親が多いと報道されていました。
 過ちを犯しても謝れない人が多くなったと最近特に感じるのですが、謝るどころか完全に開き直り責任転嫁する思考には、
裟婆世界(しゃばせかい)末法(まっぽう)(じょく)(あく)の時代だとつくづく思い知らされます。

 【モンスターチルドレンについて】
 この親にしてこの子ありと言われるように、こういう親の子は、モンスターチルドレンと呼ばれ、学校や教員に対して、
狡猾(こうかつ)に反抗する子供が出現しています。
 特徴としては、学校や教員が、何をされたら困るのか、
見透(みす)かした上での行為が多く、例えば、
・学校や教員の指導に対し、「はあ、意味分かんねえ」を連発する。
・自分が学級担任から不当な取り扱いを受けたと感じたら、親や管理職など、より強い立場にある者に言い付けると脅す。
・席替え・試験・整列など、一定のルールがある場面で、不正を行なう。不正を止められなかったのは、教員の指導力不足だと
(うそぶ)く。
些細(ささい)なことでも注意すると『うるせぇなぁ。やってらんねぇよ』などと反抗的な態度に豹変、さらに注意すると声を荒げ、ひどくなると椅子を振り回すなどの暴挙に出る。
・授業中に机の上に立ち上がり、降ろそうとする教諭に殴りかかったあげく、『僕が落ちて死んでもいいのか』と怒鳴り返す。
などが揚げられています。
 原因としては、
・親が学校や教員に敬意を持っていないことを、知ってしまっている。
・周囲の大人が強く出られないことを見切ったうえで“権利”を主張。
・モンスターペアレントと呼ばれる親は、学校や教員にクレームを付けた後、親の権威を誇示する目的で、学校や教員が
萎縮(いしゅく)した様子をそのまま子供に伝えることがある。
・学校や教員が、体罰などの強制手段を用いることができず、最終的には学校や教員の指導に従うも従わないも、子供の意思に
(ゆだ)ねられていることを知っている場合もある。
・昔は子供が教師の悪口を言った場合など、親は逆に子供を叱ったものだが、いまは親が子供の言うとを
鵜呑(うの)みにし、子供と一緒に教師を悪者にし、学校に怒鳴り込んでくる場合もある。そうしたことに子供が敏感に反応する。
としています。
 私も、こうして色々調べてみると驚くばかりで暗くなってしまうのですが、小学生の子を持つ親としては人事ではありません。
 にわかに信じられない事柄があるので、小学校六年生になる長女に、こういう子が本当にいるのか聞いてみると、いるとの返事でした。
 自分の子は関係ないと思っていても、子供は友人の影響を強く受けますので、楽観も出来ないのが現状です。

 【日本人の美徳

 元々日本人には、礼節・勤勉・正直・奉仕という美徳があり、ブラジルのお寺に在勤していたときにそれは強く感じました。
 市場などへの買い物は、主に在勤者の仕事だったのですが、「あなたは日本人なのか?」と見知らぬブラジル人によく声をかけられ、「そうだ」と答えると、フレンドリーに話しかけられたり握手を求められたりしました。
 ある時、先輩が買い物から帰ってきて「あんまりしょっちゅう日本人か?と聞かれうんざりしたので、○○人だと答えたら、急に冷ややかな目つきで
猛烈(もうれつ)罵倒(ばとう)されてまいったよ。」とこぼしたことがありました。
 日本人がブラジルに移住して一〇〇年になりますが、日本人移民や日系ブラジル人がブラジルで作り上げた「日本人は勤勉」、「日本人は信用できる」という評価は、絶大でした。
 また、日系ブラジル人二世、三世は、その勤勉さと教育程度の高さから社会的地位が高い職業についているケースが多く、ブラジルの発展に大きく貢献したと高く評されているのです。
 私は、国家や国民性とは、あくまでも家庭の延長線上にあると思っています。
 家庭のあり方がそのまま社会に反映されるものだと思います。母の役目、父の役目、それぞれが、きちんこなし、子育てに、家族の生活の維持に、集中して取り組むことこそ、日本を変える原動力になるような気がします。
 愛も、思いやりも、豊かなかな心も、家庭が出発点だと思います。今、あまりにもこの家庭を、おろそかにしているのではないかと言う気がしています。政治家や、官僚を見るとき、とても日本の、父や、母には見えません。身を粉にして家庭を守る姿勢が、問われているようにも思います。
 大聖人様は、
主師親(しゅししん)(さん)(とく)兼備(けんび)の御本仏であります。御自ら日本国の主人であり師匠であり親であると仰せですから、御指南のままに、
 例えば、
 「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」(崇峻天皇御書・新編一一七三)
との教えを、日本中の各家庭が信受していけば、それだけで世の中は変わります。

 【父親の役目】
 昨今、父親の復権が叫ばれています。
 歌手のさだまさし氏の『関白宣言』は男性の理想です。
 「お前を嫁にもらう前に言っておきたい事がある」から始まるこの歌は有名ですが、「俺より先に寝てはいけない」「俺より後に起きてもいけない」「めしは上手く作れ いつもきれいでいろ」の部分だけが、いつもクローズアップされますが、これは壮大な愛の歌です。
 「姑小姑かしこくこなせたやすいはずだ」「つまらぬシットはするな」「帰る場所は無いと思え」という部分で当時、女性達から反発もあったようですが…「幸せは二人で育てていくもので、どちらかが苦労して
(つくろ)うものではないはず」「俺より先に死んではいけない 涙のしずく ふたつ以上こぼせ お前のお陰で いい人生だったと 俺が言うから 必ず言うから」という部分は、しみじみいい歌詞だと思います。
 この後、世相を反映してか『関白失格』という歌がリリースされました。
 「おまえを嫁にもらったけれど言うに言えないことだらけ」からはじまり「俺より先に寝てもいいから 夕飯ぐらい残しておいて」「仕事も出来ない俺だか精一杯がんばってんだよ」「父さんみたいになっちゃだめよと おまえこっそり子供に言うが 知ってるぞ」「それでも家族になれてよかったと俺思ってるんだ」「俺が死んだ後いつの日か 何かちょっとでも困った時にでも そっと思い出してくれたなら きっと俺はとても幸せだよ」というのが、今のお父さんの本音かも知れません。
 世の中の秩序の乱れは家族にはじまります。この秩序の維持をはかるのは父の役目です。だから「男はもっとしっかりしなくてはならない、家族から逃げて職場にへばりついてはならない」と思います。
 『一九九八年十一月二十四日毎日新聞に掲載』された父親の役割について以下のように書かれています。
 父親の仕事とは何か。その本質は「区切ること」である。これと対になる母性の本質は「包むこと」と言えるであろう。父はまず「このものたちに私は責任を負う」という家族宣言をすることによって、自分の家族を他の家族から区分する。つまり「内と外とを分かつ」。このことを指して「社会的父性」の宣言という。
 第二に父は、正と邪を区切る。
掟(おきて)をしき、ルール(規範)を守ることを家族メンバーに指示するのは父の仕事である。「父性原理」という言葉は、この機能を指していう。父は世の掟の体現者としてこの仕事を行うから、家族という閉鎖空間に世の中の風を送り込むという役割を果たすことにもなる。
 父の仕事の三番目は、母子の
癒着(ゆちゃく)を断つこと、親たちと子どもたちの間を明確に区切ることである。父を名乗る男は、妻と呼ばれる女を、何よりも、誰よりも大切にするという形で、この仕事を果たし、子どもは父のこの仕事によってようやく、母親という子宮に回帰する誘惑を断念することができる。実際のところ、子どもが尊敬するのは父の腕力でも経済力でもない。このように他者である妻を大切に思う人として父は子に敬われるのである。この仕事のもう一つの側面は、母という子どもにとっての絶対者の価値を相対化することである。子どもに耽溺(たんでき)する母が、その価値観を子どもに押し付けようとするとき、別の価値観を提示することによって子どもを母の侵入から守るのは父の仕事である。「包み、保護し、愛育する」という母の仕事が、子の現実に即応したものであるのに対し、上に挙げた父の仕事は、いずれも抽象的(ちゅうしょうてき)なもの、象徴的(しょうちょうてき)なものである。そしてヒトという動物は、周囲の事物を抽象する(象徴化する)能力によって人間になった。この象徴化の能力を具体的に示すものが言語である。言葉によって父性を宣言し、規範を定め、親と子の身分差を明確にする存在を得て、ヒトは人間になった。とあります。
 「父の掟」とは、大聖人の仏法を信じる者にとっては、大聖人の仰せをそのまま掟としなければなりません。正邪の区別も然りです。
 世の中の常識、礼儀作法は元より、
悪因(あくいん)悪果(あっか)善因(ぜんいん)善果(ぜんか)を教え、(むさぼ)り・(いか)り・(おろ)かはいけないとか、生命観、人生観などです。
 一人の男が家族を支配するための、了見の小さな思いつきのルールを指しているわけではありません。こうした、大聖人の仰せを基調にした「父の掟」に従って生きるほかないと自己を認識すると、それによって子どもはしっかりとした一人の人間となれるのです。
 子供は感覚的には動物なのです。親が
(しつけ)てこそ、人間に生まれ変わるのです。未だ人間としての基本が出来ていない幼児期から思春期まで、子供は全ての面でさぼり、楽をし、怠けようとします、動物ですから当たり前の行動です。出来うる限り親にその役割の肩代わりを求めます。 
 父親は、頑として、自身の事は自身で決めさせ、やらせる。その事を毅然と命令するのが父の役目なのです。休みの度にあちこち連れて行く運転手で、子供の躾は母親に全てを任せて口出ししない、または出来ない父親では、父の役割は果たせません。
 子供の人格を認めるのは、完全に自活出来てからでいいと思います。 

 【親の子への過干渉、過保護の悪影響】
・小学生にもなった子供の着替えを手伝う親。
・外で遊べば何かと不安で家で遊べば安心できるので、子供を常に親の元で幼児期を過ごさせる親。
・子供に携帯電話を持たせて電話代を払ってやっている親。
・社会人になっても食費も何もかもいつまでも面倒 を見る親。
など、とにかく、ありとあらゆる方法で子供の成長と自立を妨げる親が増えています。
 人間の成長は他との
軋轢(あつれき)をいかにかわしたり、かわせなければどのような距離を置けば良いのか、どう付き合うか、色々な出来事や人との関わり合いで悩み学び調整し整えて、人間関係を人生にどう生かし喜びや楽しみを持てるようにするかを解ってゆきます。
 人とのかかわりの中で学び理解しながら育つのです。その知恵は親では決して学ぶ事は出来ず、他との接触でしか学べない事なのです。
 親が子を保護し守り続ける限り、子がそこから飛び出し危険に立ち向かう、自らそう行動するのは至難の技です。進んで子をかばう親を盾に使う(金銭でも、他との
折衝(せっしょう)でも)事を考えるのが自立出来ない子の当然の防衛本能です。
 ところが、本来子供の自立のために、子の前に立ちはだかり大きな壁となるべき父親が、完全に母親化してしまっているのです。
 大聖人様は、「いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし」(千日尼御返事 新編一四七六頁)
と仰せですから、一家の主の存在はとてつもなく大きいのです。

 【法統相続の大事】
 私達は、この大聖人様の教えを学んでいくと、人間に生まれた有り難さがわかり、南無妙法蓮華経とお題目を唱えられ、しかも御本尊様を信じられる事自体、極めてまれなことで尊いことである、とまでがわかってまいりますと、我が子はもちろんのこと、孫達にもこの仏法を護っていってほしい、という気持ちになってきます。
 末法万年といわれる
(じん)未来(みらい)(さい)まで、正しい仏法を残していくには子孫に相続していくことが大事です。それを「法統(ほっとう)相続(そうぞく)」といいます。
 法統相続に必要な教化育成は、
(ぶっ)()三宝(さんぽう)(そん)報恩(ほうおん)感謝(かんしゃ)の気持ちを育てることです。御本尊様に日蓮大聖人、第二祖日興上人已来の御歴代上人猊下に対する御報恩感謝の気持ちをお子さんに持たせることが大事です。
 そして勤行唱題、御本尊様への御給仕、寺院参詣、総本山大石寺への登山、信行学を身に付けさせることです。法統相続においてはどれも大切です。法統相続をすることで、今まで色々申し上げてきました子育てに必要なことが全て含まれています。
 そして忘れてはいけないことが、親の姿を見てお子さんは自然と信心について学んでいきます。親がいい加減であったり、
怠慢(たいまん)になっていては、法統相続は出来ません。親御さん自らが率先し範を示して、お子さんを教化育成していくことです。時には厳しくそして優しくけじめを付けた教化育成が必要です。
 法統相続で一番重要なことは寺院参詣です。寺院参詣を考えた上で、教化育成することであります。
 お寺へ参詣するときは、必ず御念珠と御経本を持たせることを習慣付けて下さい。そして寺院に安置されている御本尊様が在す本堂は、心が落ち着く物静かな悟りを得られる大切な場所であることを教えていきます。この気持ちを育てることが、世間とは全く違う清浄なところであると、意識を育てることが出来ます。
 そしてお子さんが、人生の迷い悩みに直面したとき、自然と御本尊様に向かう姿勢が出来ます。それぞれの年齢に来たときお子さんの心まで、親御さんが見えなくなる場合があります。この時しっかりとお子さんに法統相続できていれば、御本尊様に安心してお任せできるのであります。そのため法統相続は非常に大切です。
 世の中では正しい法を知らないために、結婚生活の現実に目もくれず、一時的な感情に走って結婚する形が多く見受けられます。つまり、三毒(
貪瞋癡(とんじんち))の貪欲(どんよく)に染まった結果です。
 信心をして、御本尊様から智慧を頂けば三毒に左右されない結婚観に立ち、令法久住の法統相続を正しく行うことが出来ます。
 法統相続には、父の役目と母の役目があります。父親にしかできない育成と母親にしかできない育成があります。つまり、父母の異体同心により法統相続がスムーズに行きます。仕事と生活の他に、子供の育成にも心をやらなければいけません。子供の育成を怠ると将来において弊害が生まれます。 
 父親の役目には、威厳と厳格さが大事です。それが失われかけている現在、勤行唱題により御本尊様から「主徳」と「親徳」を頂くことで、威厳と厳格さを自然と具えていきます。
 子供は千差万別ですし、親の因縁を背負って生まれてきています。子育てのマニュアルは掃いて捨てるほど氾濫していますが、最後は御仏智をいただくしかないのです。
 母親の役目は、優しさや慈愛です。
貪瞋癡(とんじんち)の三毒に左右されることなく、御題目を唱えて変毒(へんどく)為薬(いやく)し、優しさと慈愛に満ちた人格で、子供を育成することが必要です。子供の微妙な心の変化を見逃すことなく、日々勤行唱題を根本に五感を鋭く磨く必要があります。五感を常に磨くことで微妙な子供の心理が分かるはずです。子供に家事や仕事で気持ちが集中出来ない問題もありますが、「柔和忍辱衣」を心がけ忍耐力をもって対応することが大切です。
 様々な自分自身に力がないことを御本尊様から御教示いただき、それがまた智慧に変わり、子育てに活かされるはずです。
 夫婦喧嘩は、法統相続にマイナスとなります。子供が幼少の頃は、判断基準が未熟なため、心に多くの障害を植え付けトラウマを形成しかねません。夫婦喧嘩をする暇があるなら、御本尊様に向かう時間に費やしましょう。夫婦喧嘩は、一家和楽を破壊する原因となります。夫婦喧嘩は、三毒が強盛になるため心が汚れていることを物語っています。唱題をして心の汚れを御本尊様に洗い流して頂くことが必要です。夫婦間の御本尊様に向かう姿を見て、子供は育ちます。そして自然と勤行唱題を覚えていきます。
 夫婦には例外として、夫だけが信心している場合と嫁だけが信心している場合というケースもあります。この場合は、また違った法統相続に於ける教化育成があります。信心が夫だけであれば、嫁さんの部分もある形で補い、信心が嫁だけであれば、夫が育成する部分を補わなければいけません。
 その方法は、御本尊様に向かう勤行唱題にあります。御本尊様は「主師親の三徳」を余すところなく具えています。つまり、御本尊様から智慧を頂いて補っていきます。
 要は、どれだけ真剣に子供の将来を思い、御本尊様に願っていけるかに尽きるのです。


        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 

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