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    ―緊急 特別記事―  
 
 邪宗破折エホバの証人 
【洗脳集団は難しいということをまず肝に銘じるべき】                      

  《はじめに》
 本だけでなく、実際にその集団や教えに触れてみなければ、分からない部分もかなりあると思います。今回、R・Mさんが、果敢にエホバの王国会館に向かわれたことに、深く敬意を表するものであります。
 折伏は、人を選ばず、邪宗邪義に苦しんでいる人を救うことが目的ですので、エホバの証人も避けては通れない人達です。
 しかし、カルト教団の場合、拉致や監禁という事態も想定できますので、遊び半分で近づいてはいけません。
 
 今回、Mさんのレポートによって、彼等の様子や、色々な書物から教義や行動を学べば学ぶ程、カルト教団の怖さ・無責任さ・根の深さを実感しました。
 一言で言うと、一般信者は哀れです。終末思想を信じ、現実社会から目を背け生きています。
 しかも、偏頗な狂った教義によって命まで落とす人がいるのです。
 彼等を、呪縛から解き放ち、覚醒させるには、生半可な知識や気持ちではとうてい叶わないと思いました。

 エホバは、全員が非常に熱心に活動し、彼らの集会は毎週夜あって(宣伝活動は別)ほぼ100%の出席率だそうです。

 カルト信者は、洗脳が解けかかっても、教団に戻すと強力な再洗脳をされるので、決して戻してはいけないそうです。
 そして、彼らは宣伝(本を渡す)すれば天国に行けると教えられているので、あちらの話を一方的に話すだけで、基本的に聞く気はありません。それは、聞いてはいけない(聞くと教えに疑いを持つ)と洗脳されているからです。

 戸別に訪問するエホバの証人は「聖書を読みませんか」とやさしく誘いますが、しかし、実際に学び始めると読むのは聖書ではなく、"ものみの塔"の出版物なのです。
 司会者という名のエホバの証人と1対1で学びますが、まず、その出版物のひと区切りを読ませられ、次にそのページの下の欄外に掲載されている質問に答えさせられます。その場合は、その出版物に書かれてある文言で答えなければなりません。自分で考えた言葉で同じ趣旨のことを答えても、やり直しを求められます。また、彼らの王国会館へ行くようになると、多勢の中で間違った答えをすることがないようにと、予習もするようになります。このようにして何度も質問と回答を繰り返すうちに、その出版物の考え方や教えに同調させられ、それが頭の中で定着し、そして遂にはそれ以外の考えができなくなるのです。それは巧妙なマインドコントロールです。
 そこには予告があります。「聖書を学ぼうとすると家族の反対があるかも知れません。それをするのはサタンです」と。現実にそれが起こったときに、「ああそうだ。書かれていたとおりになった。この出版物は正しいのだ。私はそうならないぞ。」と思い込むようになるのです。
 このようにして、エホバの証人は"ものみの塔"の出版物に書いているとおりに考え、決め、行動するようになります。どんなにおかしなことであっても、どんなに根拠のないことであっても信じるのです。
 彼らは、"ものみの塔"やその教理を批判する文書は元より、他の公正な印刷物をも読むことが許されていません。また、先述のとおり、信徒以外の一般の人と交際することも禁止されます。これは、情報しゃ断といって、カルトがよく用いる手段なのです。こうなると、自分たちが正しいのか否かを検証する手がかりがありません。どんなに批判があっても見つめ直すことができません。そして、一切の疑問や否定的な考え方、批判的思いをすてるように、絶えず教育され、とうとう"ものみの塔"という組織がいうとおりに動くロボットのようになります。
 そうなっては、どんな、道理にかなった健全な意見や忠告にも耳をかさなくなり、「これは迫害だ」とか、そのように言う人々を「サタン(悪魔)の手先だ」とみなすようになります。その結果、なかなか正気に立ち返ることができません。恐ろしいことです。

 今回のレポートにある宣教師の話もそうですが、やはり洗脳というのは同じ話を繰り返し聞かせるのですね。
 レポートにありました、会館内部の正面の壁の 
       「良いたよりについて徹底的に証しなさい」。
          - 使徒 20:24。
 これは、他宗に詳しい同期生に聞いてみると、『新使徒言行録20章24節』に
 『しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』
という節があり、これだろうということです。
 聖書は第何章何節、という風に細かく区切られていて、何々書の何章何節と言えば、即座に当該箇所を見ることが出来るようになっています。
 (※御書だと何々御書の何ページ何行目という表現しかできませんが...)


 所詮は外道の教えですので、内容的には、浅い教えです。たいしたことありません。
 折伏の上で、肝に銘じておく必要があるのは、一度は正法に縁をして、その上で背いた者達の方がタチが悪ということです。(佐渡御書にあり)。
 学会・正信会・顕正会などありますが、中でも、私たちは特に学会員を、とことん折伏しなければいけないと思います。
 学会は御歴代上人を誹謗し、あらゆる手段を講じて、宗門や猊下を陥れようとしています。
 さらに、日蓮正宗の本尊と教義を盗用し、世界平和という美辞麗句の基に、大勢の会員を地獄へ引き入れようとしています。
 「現代の一凶」である学会の折伏は、各自が常に念頭に置いていただきたいと思います。


《地球の終末に関する予言はすべて外れる》
 エホバの証人は、チャールズ・ラッセル(一八五二~一九一六)によって始められたアメリカ生まれのキリスト教です。
  ものみの塔は、信徒が切迫感をもって戸別訪問するようにと、常に、「世の終わりが近い」と強調します。団体が設立された当初(1879年)から現在に至るまで、少なくとも6回は世の終わりを予言したほか、他の予言もしています。勿論ことごとくはずれていますが、そのたびに、指導層は謝罪することもなく、むしろ「新しい光が与えられた」と言って、あっさりと訂正したり、またぞろ新しい予言を発表したりしてきました。
  信者は、その予言を伝え歩くために、進学や結婚の夢を捨てたり、正規の仕事をやめたり、家や財産を処分したりしています。
 そして、その年が近づくと、「まもなく終末がやってくるので仕事よりも伝道の方が大切」「大学へ行っても卒業の年には終末がある」[家や財産は何の役にもたたない」といった警告をしてきた。だが、実際に終末はやってこなかった。
 
 =はずれた予言の例=

 1914年 「諸国民の時は終わる」「ヨーロッパの目下の大戦は聖書のハルマゲドンの開始だ」
 1914年 「第一次大戦で勝利する国はなく、すべての国が滅びる」
 1917年 「1918年に教会が滅びる」
 1920年 「1925年に旧約聖書の聖徒たちが完全な人間として、目に見える形で復活する」
 1940年 「大英帝国がナチス・ドイツによって滅ぼされる」
 1941年 「数ヶ月で、ハルマゲドンに突入する」
 1941年 「第二次世界大戦では枢軸国も自由主義陣営も、決定的勝利を収めない」
 1975年 「秋にはキリストの千年王国が始まる」
 
 
問い①
予言が外れ、何の責任も取らない教団がまともだと思えません。こういう教団をカルトと言うのではありませんか?

問い②
終末が来る来ると未だに言い続けますが、いつ来るのですか?1914年の世紀末の予言を外した時に、何度も預言を訂正し、それでも外れた時、「1914に生まれた人が完全に死滅するまでには起きる」と引っ張って、今に至っていますよね?
1914年に生まれた人も、もうすぐ100才ですよ。
 
 
 
《教義や信条の度重なる変更》
=輸血拒否=
 社会的にも問題となりましたが、ものみの塔は、輸血禁止を教理として掲げ、エホバの証人たちに輸血を拒否するよう教えています。教えるだけでなく、現実に輸血を要する事態が生じたときは、その指導者や仲間たちがかけつけ、輸血を拒否するよう説得するのです。エホバの証人団体はこのことから生ずる結果に責任を取らなければなりません。彼らは、聖書が輸血を禁止していると主張しますが、キリスト教会でもその他の誰であっても,そんな解釈はしません。

問い①
『1985年6月に川崎市で、10歳の男子が交通事故のため、救急病院に運び込まれた。診断は、両足骨折、入院60日。医師団は手術に取りかかろうとしたが、駆け付けた両親はエホバの証人であったため手術に必要な輸血を拒否。医師団や警察も懸命に説得したが、両親はエホバの証人指導者たちの教えに従い、拒否し通した。結局、子供は5時間後に失血死した。』
このことをどう思いますか?

問い②
1940年12月25日の『ものみの塔』には950㏄の輸血をした婦人の体験が掲載されています。この頃は教団も輸血を認めていました。どう思いますか?

問い③
1945年7月1日号の『ものみの塔』ではじめて輸血拒否が発表されました。これは『ものみの塔』発刊後66年後の事であり、いまのエホバの証人の主張が正しいとするなら、それ以前の教義解釈が間違っていたとなりますよね?
問い④
輸血拒否は、血だけを神聖視する偏頗な思想ではありませんか?

=予防注射拒否=
 ものみの塔は、かつて予防注射すらも禁止した時期がありましたが、良心的判断ということで、180度転換し、解除しました。

=臓器移植拒否=
 臓器移植についてもエホバの証人は「人食いの行為である」と厳しく禁止していたが、現在では「個人の意思を尊重する」と変更している。

問い①
人命に関わる重大な問題を、このように無責任で場当たり的な教理を振り回した前歴をどう思いますか?

問い②
血液成分を含む血友病製剤などの使用を認めておきながら、血漿(けっしょう)使用を禁ずるのは矛盾していませんか?

問い③
多量の血液を含んでいる臓器の移植を認めておきながら、輸血を否定するのは矛盾していませんか?

問い④
他人の血液による利益を受けながら、献血を禁止するのは身勝手ではないですか?

問い⑤
医療従事者を困らせないよう、自らの信条に基づく病院を建設すべきではありませんか?


《エホバの教えでは普通の日常生活すら困難》
=家庭崩壊につながる =
 エホバの証人の多くは主婦です。エホバの証人になると、野外奉仕という名の戸別訪問を求められます。強制と表向きでは言いませんが、実質上ノルマ化され、毎日1~3時間の割りで、戸別訪問して歩きます。また、平日の夜には、彼らの施設「王国会館」で学びや訓練の時があり、毎週4~5時間は家を空けることになります。
 そうなると、どうしても家事がおろそかになり、他の必要なことも切り捨てざるを得ません。また、一家団らんのときも失われます。それは、家族にとって、特に夫にとって面白いはずがなく、不満になり、小言になり、夫婦喧嘩になります。「もう、やめてしまえ!」と怒鳴ってしまうでしょう。
 しかし、エホバの証人になったときからその事態に対して予防線がしっかりと張られています。「家族からもきっと反対や迫害があるだろうから、それに負けてはいけない」と。だから、家族がいくら道理に基づいてさとそうとしても、ひるんだり、妥協したりすることはありません。かえって、さとす夫にサタン(悪魔)がついていると言ったり、ときには子供にそう吹きこんだりしますから、ますますこじれてきます。
 エホバの証人の多くの家庭において、離婚、別居の事態が発生しています。

問い①
現実の生活で、家庭円満になれない教えが正しいとは思えません。いかがですか?

=健全な社会人であることを否定し、子供の活力を失わせる=
 エホバの証人は、地上の国家や国連などがサタンの支配下にあるとし、あらゆる選挙を否定し、投票しません。警察官や自衛官、政治家になるなど、政治的なことにかかわってはいけないとし、地域の自治活動にも参加しません。
 また彼らは、誕生日や母の日、キリストを信じながらクリスマスさえも祝うことが非難され、年賀状やお歳暮も禁止されます。特に問題なのは、信徒以外の一般の人は、悪魔の側についているので、これと交際してはならない、と教えられることです。

 さらには、この教えを子供にまで強制します。不信者との交際を止め、学級委員にならず、その選挙にも参加しないよう教えます。クラブ活動や武道の授業は休ませます。特に、この世の終わりが近いからと言って、大学への進学や普通の就職、そして結婚すらあきらめるように誘導します。

 エホバの証人は、子供が小さい時から実際にムチのようなものでたたいてしつけますから、おとなしい子にはなりますが、はつらつさや快活さに欠け、活力のない子に育ちます。社会への貢献を考えず、エホバの証人(ものみの塔)の組織に忠実なだけの人間になるのです。これでは、子供の人生を大きく損なうことになってしまいます。


問い①
本当は、あなたも道路や福祉や秩序維持など、自分達も国家や地域社会の恩恵をいっぱい受けているのですが、それも否定するのですか?

問い②
仏法では、国土の恩・一切衆生の恩など説きます。現実にこの世に一人で生きてはいけませんし、エホバの信者だけの世話になって生きていくことは不可能です。どうお考えですか?

問い③
社会的に自らを隔離してしまう教えですが、おかしくありませんか?

問い④
〔1969年8月8日「目ざめよ」15ページ〕では
『(世の終わりが近い)ゆえに、若い人は、この体制の差し伸べるいかなる立身出世の道をも決して全うすることができません。もし、あなたが今高校生で、大学教育を志しているとすれば、大学を卒業して、専門的な職業に携わるには少なくとも4年、場合によっては6年もしくは8年もかかるでしょう。しかし、この世は、その時までにどうなっているでしょうか。』
と、40年前に説かれています。
現実に、この世は滅んだのでしょうか?滅んでいませんよね?
これが正しい教えと言えるのでしょうか?
エホバの教えを信じ、この頃進学や就職も進路変更した人の人生はどうなるのですか?
本当によかったと思っているのでしょうか?

問い⑤
あなた方の教義を本気で実践するには、無人島に全員で移り住み、衣食住その他すべてを自分達でまかない暮らしていくしかないと思いますがいかがでしょうか?

問い⑥
あなた方は、将来、忠実なエホバの証人14万4千人が統治する王国政府を待ち望んでいるようですが、いつ実現するんですか?
ずいぶん具体的な数字の割に少ない数ですが、その数に入らない信者はどうなるのですか?


《教義破折》
①神が造ったという完全な命・完全な人間のアダムとエバ。その完全なはずの人間が何故罪を犯すのか?
それを造り出した神も不完全ということにならないのか?

②そもそも人間は、猿から進化したのであり、アダムとエバの話は茶番でしかない。近親相姦を繰り返し、人類は増えていったというのか?

③アダムとエバの罪を許さず、人間に寿命を与えた神エホバは無慈悲ではないのか?

④神は人類を救うために、イエスを人に捧げたと言うが、生け贄にしたという事なのか?
人間に殺される神の使いとは何なのか?神は人間を越えた存在で、人間が殺す事など出来ないのではないのか?
イエスを生け贄にすること自体、神の傲慢であり無慈悲ではないのか?神ならば、最初からアダムとエバを許せば良いのではないのか?

⑤神の子である人間に何故、生まれながらに差別があるのか?神が完全ならそれは失敗なのか?
神の介入によって無くなってしまうような命は最初から「永遠の命」という命題を損なっているのではないか?

⑥神の王国は天にあるというが、どこにあるのか?サタンはどこにいるのか?
エホバの存在、神の国、ハルマゲドンの存在を証明できますか?

⑦仏は、信じる人も反対する人も共に縁した者を救うと説くが、エホバは信じない者は救わないと説く。無慈悲な神もいるもんですね?

⑧生きることはみじめであり、エホバの信徒には前途に希望と喜びがあると説く。現実社会を否定し、架空のハルマゲドンや神の王国を信じても、本当の救いにはならないのではないですか?
人が永遠の命になるとどうなるのですか?それがどういう幸せになるのですか?
人類の解放の見込みとはいつですか?

⑨次々と預言が外れ、大事な教義を無節操に変えていく教えが、本当に正しいと言えますか?

⑩仏教では、切り文といって、仏の言葉を自分の都合のいいように切り取って真意を曲げて解釈することを恥ずべき事だとしています。
エホバの証人がもち出す聖書が「新世界訳聖書」といって、大変問題のある聖書であり、さらにそれを"ものみの塔"により、独特の教理に合わせて改ざんされていると、他のキリスト教団から指摘されています。
この指摘をどう思いますか?

⑪そもそも、キリスト教自体、仏教思想に影響されて説かれたモノであると指摘されています。西方極楽浄土思想と・天国の思想、この世は苦しいばかりであるとする現実逃避の思想。念仏信仰と根底に流れる思想は同じです。いかがでしょうか?

⑫死んでからどうとか、そのうちにというより、現実にいま生きている我々が、様々な問題を解決し、前進出来る教えが本物の教えではないですか?

⑬ありもしない、エホバ、ハルマゲドン、神の国を説き、存在すら確かめられないが、そう信じることが信仰だというのは、信仰でも何でもありません。
どんな辛い事があろうと苦しい事があろうと頑張って、この我々の住んでいる国土を正しく幸せにしていこうというのが法華経の精神です。これと反対なのがエホバの教えで、早く悪い世の中を捨てて、神の国へ行って永遠の命を授かり救われようとする思想、これは全く自分自身を否定する考え方に陥ってしまいます。いかがですか?

⑭人間が生きていく限り、生老病死や愛する人との別れ、嫌いな人との出会い、欲しいモノが手に入らないなどの苦しみはどんな人にも起こるのです。
これを否定したり、無視しても何の救いにもなりません。
本物の教えには、四苦八苦を優々と乗り越えていける力があるのです。

⑮物事にはすべて、因果の理法といって、原因と結果があります。それを無視した教えを仏法では外道の教えといって、すべて否定します。

⑯キリスト教でいうサタンというのは仏教で言う「苦」に相当する、という主張を見たことがあります。
仮にサタン=苦 としたとしても、その解消方法において仏教とキリスト教とでは天地の差があります。キリスト教では絶対悪を排除、というスタンスを取り、悪と名指しされたが最後、二度と救われない立場になってしまい、救世主の救いに与ることが出来ない。魔女狩りやイエス殺しの民族としてユダヤ人迫害などがそのスタンスの弊害として指摘できるでしょう。
一方、仏教では、言うまでもなく、染浄の不二を説いて、如何なる愚劣な存在でも、仏性が備わっている。また苦は因果の理法によって自ら招き寄せたものであるとして他に責任を求めない、客観的に見ても非常に勝れた教えであると思います。

⑰エホバの証人の主張をまとめると、人類が苦しむのは、アダムとイブのせいで神様が怒っているからなんでしょう? ということは、神様が諸悪の根元だと思いますけど、どうですか?



 《参考資料》
 【インターネットの中の神々】生駒孝彰著 平凡社新書

 エホバの証人
 エホバの証人については日本でも批判的な書物や週刊誌の記事がかなり出ている。アメリカでは日本以上にその数が多い。インターネットのホームページでエホバの証人を検索していくと、「反対者の意見」というページがすぐに出てくる。しかも、宗教関係者や法律の専門家のものと同時に、「信者をやめた者」とするページがあり、その数だけでも数十にもなる。
 エホバの証人は、チャールズ・ラッセル(一八五二~一九一六)によって始められたアメリカ生まれのキリスト教である。彼は、聖書に真実があるという信念のもとで「シオンのものみの塔冊子教会」という宗教団体を作り、初代の会長となった。伝道の手段として家から家への訪問と、文書による伝道を中心として信者を増やしていった。
 その教義は新・旧両聖書をもとにしている。現在の世界を「悪魔が支配しているために犯罪、暴力、戦争、汚染等に直面している」とし、その悪魔の手先となっているのが他宗派の聖職者、資本家、政治家等々と説明する。ただ、その支配もまもなく終わる。なぜなら、「ハルマゲドンの大戦」が始まるからだ。この戦いは、キリストを総司令官とする神の軍団と悪魔を総司令官とする悪の軍団との戦いだが、もちろん神の軍団が勝つ。悪魔の軍団に加担した人々(前記の悪魔の手先、偽りを言う人、泥酔する人、他を惑わす組織に属する人等々)は、「酒ぶねの中でぶどうのように打ち砕かれる」か「生きたまま硫黄で燃える火の湖に投げ込まれる」という恐ろしい目にあう。
 この戦いの最中に信者たちは、ただ神(エホバ)の証人として戦いのなりゆきを見ていればよい(ここからエホバの証人という名がつけられている)。そして、戦いが終わると、最初のエデンの園のように美しく生まれ変わった地球で、キリストと共に千年間の素晴らしい生活ができる。
 ひとたび信者になると実にさまざまな規則に従わなければならない。そのなかで最も話題となっているのが輸血拒否に関する規則だ。拒否の理由について、旧約聖書のレビ記第十七章を解説してエホバの証人では、「生きものの魂はすべて血の中に入っている。それゆえ、それを食べるのは他の生物の魂を食べることになる」と説明する。輸血もそれと同様で非聖書的と断定する。その他、偶像崇拝の禁止、国の祝祭日の否定、特定の学校行事への不参加等々。同時に長時間の伝道の義務が課せられる。
 エホバの証人の公式のホームページは、他の宗派のものと比較すると特別変わっている、とはいえない。いかにも同派のものらしいのは「神とあなたの未来」と「医療と血液」ぐらいなものだ。この二つのページは、すでに紹介した教義からその内容が想像できよう。
 ところで、反対派のページにはさまざまなものが出てくる。そのなかで最も多いのがやはり輸血拒否に関するものだ。輸血拒否によって家族や友人が死亡した、として非難するもの、医学、法律、もちろん、宗教の立場から間違いを指摘しているもの等がすぐに出てくる。次に多いのか地球の終末に関するものだ。これまで、一九一四年、一六年、一八年、二五年、四一年、七五年、と何回も終末が予言された。そして、その年が近づくと、「まもなく終末がやってくるので仕事よりも伝道の方が大切」「大学へ行っても卒業の年には終末がある」[家や財産は何の役にもたたない」といった警告をしてきた。だが、実際に終末はやってこなかった。また、厳しい規則に対する非難も多い。その規則に従って生活するとなれば、とうてい普通の日常生活は困難だ。もっとも、エホバの証人はそれを「当然」と考えている。そして、信者たちの生活を批判する者たちは敵であるから彼らに背を向けているべきだ、としている。
 なお、終末の予言が何回も変えられたように、教義や信条がしばしば変更される。たとえば、アメリカの宗教界でほとんどの宗派が認めている臓器移植について、エホバの証人は「人食いの行為である」と厳しく禁止していたが、現在では「個人の意思を尊重する」と変更している。
 エホバの証人は世間に背を向けた宗派でありながら、全世界の信者教は四百五十万、アメリカのみで約百万とされている。


 ―緊急 特別記事―

 あきる野市『エホバの王国会館』潜入ルポ
                                   日時4月10日(金)午後7時~8時
                                    寄稿-F地区 女子部 R・M

【動機】
 ご批判の声もあるかと思いますが、今後の折伏に繋げたいと思っています。
 私の家に何度かエホバの信者が訪問し、とても迷惑でしたので、御住職にお話ししたときに、「K総代さんは、エホバの人を折伏中です。勉強のために彼らの誘いに乗って、どういう事をしているのか見ておくこともいいかもしれないですね。」と話して下さいました。
 あいにく、当日は他の講員さんの都合がつかないと言うことなので、お母さんと行ってきました。
 
【王国会館の様子】
 7時に駐車場に到着。まず、駐車場に車が一杯で驚きました。時間になったからか、整理する人はいませんでした。
 会館の場所が分からず、しばらく周辺をうろつく。コンビニの横にありました。
 中に入ると、既に始まっており、男性はネクタイを着用し、女性はスカートと身なりはきちんとしていました。
 席は、イス席で105席ありましたが一杯で、一番後ろのガラス張りの席(音響設備の横)に案内されました。すでに女性1名着席。名前や住所など何も聞かれず、すぐに案内されました。

・十字架等は無し。
・演台に生け花。
・演台の横に、グラスに入った赤ワインと皿にのったパン(パンといっても極薄のお好み焼きのような形状)。
・正面の壁には 「良いたよりについて徹底的に証しなさい」。
          - 使徒 20:24。
 と看板が掛けられていました。
※なんで「」の外に 。 が付くんだ?  20:24。これは時間か何かの暗号か??と?いっぱい
※後で話を聞いていて分かるのですが、この日は「記念式」といって彼らにとって一年間で最も重要な日らしく、我々の「御会式」のようなものに相当するようでした。

【牧師の話】
・今日は主の晩餐を再現する。イエスの残されたモノは人間に関係ある。
・創世記には、アダムとエバが神に反逆した為、それまで完全な命・永遠の命を持っていたが、その罪によって短命となると説かれる。
・そこで神は、人類を救うために、キリストを人類に捧げた。
・すべてのために、イエスの命を差し出す。
・完全な命は、イエスによって永遠の命になる。
・イエスのおかげで、我々は、永遠の命を取り戻す機会が開かれた。
・人類は解放される見込みが出た。
・キリストによって、エホバに祝福され、永遠の命となれる道が開けた。
・キリストは罪人となった人間と神の橋渡しをした。イエスの犠牲のおかげで神と和解できた。
・イエスが死んでくれたから、人類のすべての人が永遠の命を得られる道が開けた。
・聖書には天に昇れる人、天で新たな命を授かる人は、144,000人と説かれる。
・天に昇らず、地上で永遠の命を得たいと希望する人は、それも聞き入れられる。
・最近は凶悪事件も増え、肉親を殺された遺族が犯人の死刑を望む声がある。命には命で償うという考えで、それだけ命は尊いのです。
・悲惨な事件を残念に思う。
・人は老い、病気もあり、死があります。生きるのは惨めです。しかし我々には、神の祝福と導きがあり、前途には希望と喜びがあります。

《特徴》
※抑揚のない声で、淡々と話す感じ。
※何度も何度も、キリストのおかげでと言う。
※特徴的な言葉。「愛」「親切」「感謝」「ましくわえる」「導き」「祝福」「道が開かれた」
※「最近は凶悪事件も増え...」というくだりで、少しはいい話を聞けるかと期待するも、何もありませんでした。
※「人は老い、病気もあり、死があります。生きるのは惨めです。しかし我々には、神の祝福と導きがあり、前途には希望と喜びがあります。」という話で、『生きるのは惨めです』とのフレーズに内心「はあ~~~。おいおい。」と激しくツッコミを入れていましたが、横の女性は泣いており、「今ので何で泣けるの??」とカルトの恐ろしさを実感しました。

【パンと葡萄酒の祈り】
・パンはイエスの肉体。
・葡萄酒はイエスの血を表す。
・パンの祈りの前に、信徒代表が聖書の一節を引いてしゃべり、全員で祈りを捧げ「アーメン」と言う。
 (葡萄酒の祈りも同じ)
・全員で、手に持って横の人に渡す。

※内心、食べなさいとか飲みなさいと言われたら、断るしかないと思っていたのでホッとしました。
※当然、私達は祈りなど捧げませんでしたが、全員うつむいて手を組んでいた。
※思わず、こらえきれずに笑ってしまいました。

【賛美歌】
・この時も、信徒代表が登壇し、聖書の一節を引いてしゃべり、全員で祈りを捧げ「アーメン」と言う。
・おもむろに横の女性が音楽をかける。
・全員立って歌っていたが、我々は座って茫然としていると、ご婦人が歌集を手渡しに来たとりあえず受け取り、ながめてみた。

【終わって】
・歌集を貸してくれたご婦人が、色々話しかけてきた。
・「他の宗教を信仰していますが、エホバの考えは分かりました。」と返答。
・横の女性が、キラキラした涙目で「私も最初はそうだったんです。」と言う。
・我々は着席するなり、すごい勢いでノートにメモしていたので、将来有望な信者になると思ったのか、あっという間に取り囲まれる。
・誰に言われて来ました?どうして来ました?とか聞かれたので、チラシを出したら納得。
・駐車した車が邪魔だったらしく、移動するようにいわれたので、これ幸いと退席。
・何人かのおじいさんに握手を求められるも、笑顔で見えないフリをして通過。

※「ネタは仕入れたから、これから逆に破折しに行かせて頂きます。」と心に秘めて帰路についたのでした。



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