ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第186号)  
   
 
   聴聞する時はも(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども、とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり  
   登山の意義について その2  
   
 【仏道(ぶつどう)修行(しゅぎょう)根本(こんぽん)である登山(とざん)
 
宗祖(しゅうそ)日蓮(にちれん)大聖人(だいしょうにん)御在世中(ございせちゅう)には、篤信(とくしん)(だん)(のつ)が、佐渡(さど)へ、身延(みのぶ)へと大聖人(だいしょうにん)(さま)へのお目通(めどお)りを()たす(たび)をしたことが、御書(ごしょ)(なか)にうかがわれます。
 なかには、
一人(ひとり)(おさな)女児(じょじ)()れた女性(じょせい)が、戦乱(せんらん)荒廃(こうはい)した世相(せそう)(なか)をはるばる佐渡(さど)大聖人(だいしょうにん)のもとへお(たず)(もう)()げ、その信心(しんじん)(たた)えられ「(にち)(みょう)聖人(しょうにん)」と(たた)えられたと御書(ごしょ)にあります。

 『
(にち)(みょう)聖人(しょうにん)御書(ごしょ)』を(はい)しますと、(にち)(みょう)聖人(しょうにん)は、鎌倉(かまくら)在住(ざいじゅう)女性(じょせい)信徒(しんと)であり、(おと)御前(ごぜん)(はは)であると考えられています。当時夫(とうじおっと)とは離別(りべつ)しており、女手(おんなで)ひとつで(おさな)(おと)御前(ごぜん)養育(よういく)していたことが(はい)せられます。
 
大聖人(だいしょうにん)(さま)佐渡(さど)配流(はいる)され、鎌倉(かまくら)においても退転者(たいてんしゃ)続出(ぞくしゅつ)しましたが、(にち)(みょう)聖人(しょうにん)純粋(じゅんすい)信仰(しんこう)(つらぬ)かれました。大聖人(だいしょうにん)(さま)(した)気持(きも)ちは()さえ(がた)く、(おさな)(おと)御前(ごぜん)()(けわ)しい(やま)()え、荒海(あらうみ)(わた)り、はるばる大聖人(だいしょうにん)(さま)をお(たず)ねしています。
 
大聖人(だいしょうにん)(さま)は、その純粋(じゅんすい)健気(けなげ)なる信心(しんじん)を称(たた)え、女人(にょにん)としても弟子(でし)檀那(だんな)としても異例(いれい)聖人号(せいじんごう)(あた)えられたのです。
 この
御書(ごしょ)最後(さいご)
 
あなたは、日本(にほん)第一(だいいち)法華経(ほけきょう)行者(ぎょうじゃ)女人(にょにん)です。そこで、不軽(ふぎょう)菩薩(ぼさつ)()になぞらえて、名()を〝(にち)(みょう)聖人(しょうにん)〝とおつけします。鎌倉(かまくら)より佐渡(さど)(くに)までは一千余里(いっせんより)(およ)び、(やま)(うみ)をはるかにへだて、風雨(ふうう)(とき)(さだ)めずおそってくる。また、山賊(さんぞく)海賊(かいぞく)充満(じゅうまん)している。さぞ現身(げんしん)(さん)悪道(あくどう)()()けたことでしょう......あなたのお()()いに(たい)する(わたし)心情(しんじょう)(ふで)()()くすことはできません』と()べられ、(むす)ばれています。

 
(にち)(みょう)聖人(しょうにん)には(かえ)りの金銭(きんせん)はほとんどなく、大聖人(だいしょうにん)(これ)()って、(さき)だって依頼(いらい)された法華経(ほけきょう)書写(しょしゃ)して(いちの)(さわ)入道(にゅうどう)(わた)し、借金(しゃっきん)をして(かえ)りの旅費(りょひ)手渡(てわた)したのです。これからも(こころざし)(かさ)ねて信心(しんじん)(つらぬ)いていきなさいと慈愛(じあい)あふれるばかりに(にち)(みょう)聖人(しょうにん)約束(やくそく)()わして(はは)(むすめ)鎌倉(かまくら)()かったのです。

 また『
(おと)御前(ごぜん)御消息(ごしょうそく)』には、
 『御勘気(ごかんき)をかほりて
佐渡(さど)(しま)まで(なが)されしかば、(とい)ひ訪(とぶら)ふ(ひと)もなかりしに、女人(にょにん)御身(おんみ)としてかたがた御志(おこころざし)ありし(うえ)(われ)()たり(たま)ひし(こと)うつゝ(現)ならざる不思議(ふしぎ)なり。()(うえ)いま(今)のまう(詣)で(また)(もう)すばかりなし。』(新編(しんぺん)八九六(ぺーじ)
とあり、
佐渡(さど)のみならず身延(みのぶ)へも大聖人(だいしょうにん)(さま)をお(した)いし(たず)ねていることが(はい)されます。
 また、
大聖人(だいしょうにん)(さま)身延(みのぶ)御入山後(ごにゅうざんご)には、(つた)えられるところによると、阿仏房(あぶつぼう)弘安(こうあん)二(一二七九)(ねん)(がつ)二十一(にち)、九十一(さい)をもって()くなるまで、八十六(さい)から九十一(さい)(いた)る六年間(ねんかん)佐渡(さど)より(けい)(かい)登山(とざん)しているといわれています。
 
阿仏房(あぶつぼう)千日(せんにち)(あま)夫妻(ふさい)入信(にゅうしん)は、大聖人(だいしょうにん)佐渡(さど)御流罪(ごるざい)となってからですから、文永(ぶんえい)八(一二七一)(ねん)年末(ねんまつ)阿仏房(あぶつぼう)八十三(さい)(とき)でした。それから(まる)年後(ねんご)文永(ぶんえい)十一(一二七四)(ねん)(がつ)大聖人(だいしょうにん)御赦免(ごしゃめん)となって鎌倉(かまくら)にお(かえ)りになり、その三ケ月後(げつご)には身延(みのぶ)入山(にゅうざん)されています。この(とき)阿仏房(あぶつぼう)は八十六(さい)でした。
 
大聖人(だいしょうにん)帰依(きえ)した二人(ふたり)人目(ひとめ)(しの)び、夜中(よなか)大聖人(だいしょうにん)庵室(あんしつ)(おとず)れては、(めし)供養(くよう)し、大聖人(だいしょうにん)御命(おいのち)()ぎまいらせたのです。
 
千日(せんにち)(あま)へのお手紙(てがみ)には、
 『
地頭(じとう)地頭(じとう)(など)(ねん)仏者(ぶつしゃ)(ねん)仏者(ぶつしゃ)(など)日蓮(にちれん)庵室(あんしつ)昼夜(ちゅうや)()ちそいて、(かよ)(にん)あるをまどわさんと()めしに、阿仏房(あぶつぼう)(ひつ)をしおわせ夜中(よなか)度々御(たびたびお)わたりありし(こと)、いつの()にか(わす)らむ。 (ただ)悲母(ひぼ)佐渡(さど)(くに)()まれかわりて()るか』(千日(せんにち)(あま)御前(ごぜん)御返事(ごへんじ) 新編(しんぺん)一二五三(ぺーじ))と(おお)せであります。
 
大聖人(だいしょうにん)仏法(ぶっぽう)(しん)ずる(もの)で、阿仏房(あぶつぼう)夫妻(ふさい)の我が()危険(きけん)をも(かえり)みぬこのお姿(すがた)に、(かん)()らない(ひと)はいないはずです。

 
御書(ごしょ)には一々(いちいち)登山(とざん)についての記述(きじゅつ)はありませんが、九十(さい)(おり)最後(さいご)登山(とざん)となった弘安(こうあん)元年(がんねん)(うるう)(がつ)十九日付(にちづ)けの千日(ちひ)(あま)(あた)えられた、(べつ)のお手紙(てがみ)には、
 
(年々(ねんねん)(おっと)御使(おつか)ひとして御訪(とぶら)ひあり』(千日(せんにち)(あま)御前(ごぜん)御返事(ごへんじ) 新編(しんぺん)一二九〇(ぺーじ)
 とあるところより
(はい)すると、(すく)なくとも前年(ぜんねん)(けん)()(ねん)(一二七七)にも登山(とざん)されていることが()かります。

 ところで、
弘安(こうあん)元年(がんねん)の九十(さい)という高齢(こうれい)をもっての最後(さいご)登山(とざん)は、まさに()覚悟(かくご)しての一人(ひとり)(たび)であっただろうと(かんが)えられますが、一体(いったい)(なに)阿仏房(あぶつぼう)をしてそこまで決意(けつい)させたのでしょうか?ここに(わたし)たちがよく()()仏房(ぶつぼう)登山(とざん)精神(せいしん)垣間見(かいまみ)ることができるのです。
 この
(とき)登山(とざん)は、(どう)弘安元(こうあんがん)(ねん)(がつ)二十八日付(にちづ)けの『千日(せんにち)(あま)御前(ごぜん)御返事(ごへんじ)』(新編(しんぺん)一二四八(ぺーじ))によると、この(とし)の七(がつ)()佐渡(さど)出発(しゅっぱつ)し、同月(どうげつ)二十七(にち)の申(さる)の(こく)夕方(ゆうがた)四時(よじ)(ごろ))に身延(みのぶ)庵室(あんしつ)到着(とうちゃく)しています。阿仏房(あぶつぼう)(あし)佐渡(さど)から身延(みのぶ)まで二十一日間(にちかん)(三週間(しゅうかん))かかったということになります。

 この
(とき)阿仏房(あぶつぼう)生命(せいめい)()()し、不惜(ふしゃく)身命(しんみょう)決意(けつい)をもって一人(ひとり)登山(とざん)断行(だんこう)した理由(りゆう)は、出発(しゅっぱつ)する一ケ(げつ)ほど(まえ)になりますが、六(がつ)(にち)()けで大聖人(だいしょうにん)より(たま)わった一通(いっつう)(みじか)いお手紙(てがみ)によるものと(かんが)えられるのです。
 そのお
手紙(てがみ)には、
 『
(しか)るに正月(しょうがつ)より今月(こんげつ)(がつ)(ついたち)(いた)連々(れんれん)()(やまい)息(や)むこと()し。()ぬる事疑(ことうたが)()(もの)か』(阿仏房(あぶつぼう)御返事(ごへんじ)新編(しんぺん)一二二九(ぺーじ)
 と
(しる)されてあります。
 
阿仏房(あぶつぼう)は、大聖人(だいしょうにん)(みずか)らの死の予告(よこく)(ぶん)驚愕(きょうがく)したことでしょう。そして、「()きておられる(うち)に、もう一度(いちど)大聖人(だいしょうにん)(さま)にお()いしたい。」との、大聖人(だいしょうにん)への渇仰(かつごう)恋慕(れんぼ)(おも)いが()()(つの)っていったと(おも)われます。
 と
同時(どうじ)に、長年(ながねん)念仏(ねんぶつ)信仰(しんこう)をしていたが、正法(しょうほう)帰依(きえ)できた(よろこ)びとその大恩(だいおん)大聖人(だいしょうにん)直接(ちょくせつ)(もう)()げたい、との(おも)いも日増(ひまし)しに(ふく)らむばかりであり、この(ふた)つの(おも)いが()()しての登山(とざん)決意(けつい)させたのではないでしょうか。

 
翌年(よくとし)弘安(こうあん)(ねん)(がつ)二一日、阿仏房(あぶつぼう)はその生涯(しょうがい)()じました。大聖人(だいしょうにん)千日(せんにち)(あま)に、法華経(ほけきょう)明鏡(めいきょう)()らして()れば、あなたの(おっと)は(成仏(じょうぶつ)して)(りょう)鷲山(じゅせん)多宝塔(たほうとう)(なか)に、(ひがし)()きにいらっしゃいますよ、と激励(げきれい)されています。阿仏房(あぶつぼう)千日(ちひ)(あま)子息(しそく)藤九郎(とうくろう)(もり)(つな)父母(ふぼ)(こころざし)()いで佐渡(さど)北陸(ほくりく)方面(ほうめん)()(きょう)(はげ)みました。さらに曾孫(そうそん)(にょ)(じゃく)(にち)(まん)年少(ねんしょう)より富士(ふじ)(のぼ)って日興(にっこう)上人(しょうにん)(つか)え、北陸(ほくりく)における仏法(ぶっぽう)中心者(ちゅうしんしゃ)(めい)じられています。千日(せんにち)(あま)は、()(まご)(かこ)まれながら、正安(しょうあん)(ねん)(一三〇二(ねん))に()くなりました。

 
現在(げんざい)(こと)なり、交通(こうつう)機関(きかん)(まった)くなく、一歩(いっぽ)一歩(いっぽ)(あし)(はこ)び、山河(さんが)()えての登山(とざん)でありました。距離(きょり)時代(じだい)()えて、総本山(そうほんざん)大石寺(たいせきじ)への登山(とざん)基本(きほん)精神(せいしん)は、これらの人々(ひとびと)の「一心(いっしん)(よく)(けん)仏不自惜(ぶつふじしゃく)身命(しんみょう)」の信心(しんじん)行体(ぎょうたい)(そん)します。この阿仏房(あぶつぼう)(にち)(みょう)聖人(しょうにん)()(ざん)精神(せいしん)が、後世(こうせい)(だん)(のつ)(おお)きな影響(えいきょう)(あた)えたことは()うまでもありません。

 これら
当時(とうじ)(だん)(のつ)は、現前(げんぜん)される(ほとけ)(さま)渇仰(かつごう)恋慕(れんぼ)(おも)いを懐(いだ)いて、お目通(めどお)りを(ねが)ったのです。信仰(しんこう)(しん)にはこのような渇仰(かつごう)恋慕(れんぼ)真情(しんじょう)があって(しか)るべきで、もしその気持ち(きもち)(うす)かったり、これを否定(ひてい)するような(ひと)があれば、本当(ほんとう)信心(しんじん)とはどのようなものなのか、御書(ごしょ)(つう)じてじっくり(はな)()うべきでしょう。
 
身延(みのぶ)におられる大聖人(だいしょうにん)(さま)が、(とお)(はな)れた佐渡(さど)国府(こう)(あま)()ばれる(かた)()された御消息(ごしょうそく)に、『もし大聖人(だいしょうにん)(こい)しく(おも)うのであれば、日夜(にちや)姿(すがた)(あらわ)()(がつ)()かって(おが)みなさい。その(なか)自分(じぶん)はいつも貌(すがた)を()かべるでありましょう』と、まさに御本仏(ごほんぶつ)境界(きょうかい)から(おお)せられています。(国府(こう)(あま)御前(ごぜん)御書(ごしょ)新編(しんぺん)七四〇(ぺーじ))

 
大聖人(だいしょうにん)(さま)御入滅後(ごにゅうめつご)信心(しんじん)する(わたし)たちは、大聖人(だいしょうにん)御魂魄(ごこんぱく)である本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)のもとへ登山(とざん)参詣(さんけい)することこそ、国府(こう)(あま)への御消息(ごしょうそく)(しめ)された大聖人(だいしょうにん)の御意(みこころ)にかなう信心(しんじん)なのです。また実際(じっさい)そのようにして、本宗(ほんしゅう)信心(しんじん)は七百年間(ひゃくねんかん)(つた)えられてきました。
 たとえば
讃岐本門寺(さぬきほんもんじ)信徒(しんと)が、為政者(いせいしゃ)圧力(あつりょく)強引(ごういん)重須(おもす)(北山(きたやま))本門寺(ほんもんじ)信徒(しんと)にされた時代(じだい)があっても、七百年間(ひゃくねんかん)富士(ふじ)大石寺(たいせきじ)(わす)れずに信仰(しんこう)してきました。
 また
江戸(えど)時代(じだい)金沢藩(かなざわはん)武士(ぶし)たちの「()(まい)り」は、主君(しゅくん)()まる吉原(よしわら)宿(やど)夜半(やはん)(ひそ)かに()()し、大石寺(たいせきじ)まで(はし)()けて御宝蔵前(ごほうぞうまえ)石畳(いしだたみ)端座(たんざ)し、戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)遥拝(ようはい)したのです。これら先人(せんじん)たちの姿(すがた)は、法華講(ほけこう)(しゅう)信心(しんじん)(かがみ)として、幾世代(いくせだい)()ても(かた)()がれることでしょう。

 
本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)建立(こんりゅう)機縁(きえん)は、熱原三(あつはらさん)烈士(れっし)不退(ふたい)信心(しんじん)昇華(しょうか)して、御図顕(ごずけん)されたと(つた)えられるのですが、その()(さき)()げた(れい)のごとく、まさに(いのち)がけとも()うべき戒壇の(だい)御本尊(ごほんぞん)渇仰(かつごう)の歴史(れきし)(きざ)まれてきています。それを()()(わたし)たち日蓮(にちれん)正宗(しょうしゅう)僧俗(そうぞく)は、総本山(そうほんざん)登山(とざん)をいささかも疎(おろそ)かにかんがえてはならないと(おも)います。

 
 【
三門(さんもん)意義(いぎ)
 総本山(そうほんざん)参詣(さんけい)すると、まず堂々(どうどう)とした朱塗(しゅぬ)りの三門(さんもん)(とお)ります。通常(つうじょう)は「山門(さんもん)」の文字(もじ)使(つか)いますが、大石寺(たいせきじ)場合(ばあい)は「三門(さんもん)」と()(なら)わしになっています。
 「
三門(さんもん)」とする意味(いみ)(にっ)(たつ)上人(しょうにん)は、
 『
当家(とうけ)三門(さんもん)は、()(しゃく)するならば、発心(ほっしん)修行(しゅぎょう)菩提(ぼだい)(さん)()とすべきだが、それもまた智慧(ちえ)にとらわれた解釈(かいしゃく)で、本宗(ほんしゅう)教義(きょうぎ)にははずれる。王城(おうじょう)東方(とうほう)発心門(ほっしんもん)南方(なんぽう)修行門(しゅぎょうもん)西方(せいほう)菩提門(ぼだいもん)北方(ほっぽう)涅槃門(ねはんもん)でありますが、(ひがし)西(にし)(みなみ)三門(さんもん)一門(いちもん)としたので、あえて名称(めいしょう)をつけるならば信門(しんもん)とつけるべきである((しゅ)())』((にっ)(たつ)上人全集(しょうにんぜんしゅう)(しゅう)(かん)・五一三(ぺ-じ))と御教示(ごきょうじ)されています。
 
総本山(そうほんざん)への御登山(ごとざん)は、(わたし)たち日蓮(にちれん)正宗(しょうしゅう)信心(しんじん)をする信徒(しんと)にとって大切(たいせつ)仏道(ぶつどう)修行(しゅぎょう)です。しかし、ともすると(うえ)()げた「発心(ほっしん)修行(しゅぎょう)菩提(ぼだい)」を()たせず物見(ものみ)遊山的(ゆさんてき)になってしまったり、また回数(かいすう)()ることによる()れから、緊張感(きんちょうかん)のない、(なん)となく(みな)()いていって、感動(かんどう)もなく下山(げざん)してしまったという登山(とざん)があるものです。
 しかし、
本来(ほんらい)登山(とざん)回数(かいすう)()せば()すほど、信心(しんじん)(ふか)まり、一層(いっそう)(よろこ)びがなくてはならないはずで、そうではないということは、どこかに登山(とざん)への()()(かた)、捉(とら)え(かた)油断(ゆだん)があるのではないでしょうか。
 
登山(とざん)(ただ)しい意義(いぎ)常に(つね)(むね)(うち)(おさ)()き、何度(なんど)回数(かいすう)(かさ)ねても、いつにあっても有意義(ゆういぎ)登山(とざん)をしたいものです。


 根源(こん)(もと)める()(ざん)
 「
()()(きょう)()く、(すべから)根源(こんげん)(たづ)ぬべし、()根源(こんげん)(まよ)(とき)んば(ぞう)(じょう)して真証(しんしょう)(みだ)さん」
 これは
(にち)(かん)上人(しょうにん)が『文底秘沈抄(もんていひちんしょう)』に引用(いんよう)された、(みょう)(らく)大師(だいし)の『弘決(ぐけつ)』の(もん)です。仏法(ぶっぽう)信仰(しんこう)根源(こんげん)()り、根源(こんげん)(もと)める信心(しんじん)がもっとも大切(たいせつ)で、もしそれを(おろそ)かにすると、ついには慢心(まんしん)()こして、正信(しょうしん)からはずれてしまうとの意味(いみ)です。
 
日蓮(にちれん)正宗(しょうしゅう)根源(こんげん)とは(もう)すまでもなく、日蓮(にちれん)大聖人(だいしょうにん)御本仏(ごほんぶつ)としての御魂(おんたましい)を、末法(まっぽう)一切(いっさい)衆生(しゅじょう)のためにとどめられた本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)です。総本山(そうほんざん)大石寺(たいせきじ)にまします戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)こそは、一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)(さん)大秘法(だいひほう)総在(そうざい)(だい)御本尊(ごほんぞん)(もう)()げ、末法(まっぽう)衆生(しゅじょう)はすべからく本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)帰依(きえ)信行(しんぎょう)してこそ、成仏(じょうぶつ)()たせるのです。
 
(にち)(かん)上人(しょうにん)は『文底秘沈抄(もんていひちんしょう)』に大石寺(たいせきじ)本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)がましますゆえに広宣(こうせん)流布(るふ)根源(こんげん)であると(おお)せです。
 それは
()()えれば、本門(ほんもん)戒壇(かいだん)(だい)御本尊(ごほんぞん)(ただ)しく信仰(しんこう)する(ひと)世界(せかい)(ひろ)まってこそ、広宣(こうせん)流布(るふ)であると()えるのであり、(おな)題目(だいもく)(とな)え、法華経(ほけきょう)()(ひと)がたくさん()えたとしても、根源(こんげん)となるべき本尊(ほんぞん)()(ちが)えるごとき(おし)えが(ひろ)まっても広宣(こうせん)流布(るふ)とは()えません。たとえば、(おな)大聖人(だいしょうにん)(さま)御真筆(ごしんぴつ)でも、(まん)(ねん)救護(きゅうご)御本尊(ごほんぞん)根本(こんぽん)であるという(ひと)もいます。あるいは相伝(そうでん)教義(きょうぎ)()創価学会(そうかがっかい)のような教団(きょうだん)が、曼荼羅(まんだら)本尊(ほんぞん)のコピーをただ世界(せかい)(ひろ)めるようなあり(かた)が、(けっ)して広宣(こうせん)流布(るふ)(すす)めているとは()えないことは、(にち)(かん)上人(しょうにん)(きび)しい(おお)せに()らして(あき)らかなのです。
 御歴代上人(ごれきだいしょうにん)御開扉(ごかいひ)()り、参詣信徒(さんけいしんと)(たい)してなされてきた御説法(ごせっぽう)(のこ)されていますが、そこには、「当(とうざん)より授与(じゅよ)する(ところ)御本尊(ごほんぞん)一切衆生(いっさいしゅじょう)(のこ)らず(くだ)()かれたるこの御本尊(ごほんぞん)本門戒壇大御本尊(ほんもんかいだんだいごほんぞん))の()(ない)(しょう)を、代々(だいだい)看主(かんず)(貫主(かんず))(しょく)一器(いっき)(みず)一器(いっき)写す(うつ)如く(ごと)直授相伝(じきじゅそうでん)(もの)以って()これを写し奉り(うつたてまつ)与えしめる(あた)(こと)なれば、面々(めんめん)その()(じぶつ)(どう)向かって()も、直ち(ただ)にこの御本尊(ごほんぞん)(はい)奉る(たてまつ)(こと)よと(あい)(こころ)()て、受持信行(じゅじしんぎょう)(たてまつ)り、臨終(りんじゅう)(ゆう)べまでもこの御本尊(ごほんぞん)忘れ奉らざる(わすたてまつ)様致(よういた)さるべきなり」(第五十五(だい)(せい)(にっ)()上人(しょうにん)開帳(かいちょう)御法門(ごほうもん)
(おお)せら
れています。
  すなわち、
本宗(ほんしゅう)における御本尊(ごほんぞん)は、末(まつじ)御本尊(ごほんぞん)であれ、(かく)信徒(かくしんと)下附(かふ)される御本尊(ごほんぞん)であれ、本門戒壇(ほんもんかいだん)大御本尊(だいごほんぞん)(きざ)まれた大聖人(だいしょうにん)()(ない)(しょう)を、()歴代(れきだい)上人(しょうにん)直授相伝(じきじゅそうでん)のおから御書写(ごしょしゃ)遊ばされる(あそ)のです。ゆえに、各家庭(かくかてい)仏壇(ぶつだん)向かって()御本尊(ごほんぞん)拝す(はい)るときでも、常に(つね)根本(こんぽん)である本門(ほんもん)戒壇(かいだん)大御本尊(だいごほんぞん)をいるということを、臨終(りんじゅう)夕べ(ゆう)までわすれてはならないという御指南(ごしなん)です。
 「
御本尊(ごほんぞん)はすべて(おな)じである」「家庭(かてい)熱心(ねっしん)(おが)んでいれば、わざわざ登山(とざん)をする必要(ひつよう)はない」あるいは「登山(とざん)一生(いっしょう)一度(いちど)でよい」という創価学会(そうかがっかい)指導(しどう)が、いかに本宗(ほんしゅう)信心(しんじん)から(はず)れた、我見(がけん)(まか)せた考え(かんが)であるか、()らなくてはなりません。
 ()()()()戴いた(いただ)御本尊(ごほんぞん)(とう)して、戒壇(かいだん)大御本尊(だいごほんぞん)(はい)する」という 姿勢(しせい)こそ、本宗(ほんしゅう)信行(しんぎょう)
正しい(ただ)あり(かた)なのであり、(わたし)たちは可能(かのう)限り(かぎ)登山(とざん)参詣(さんけい)して、根源(こんげん)である本門戒壇(ほんもんかいだん)大御本尊(だいごほんぞん)(わす)れない信心(しんじん)をしたいものです。


 【
(ざい)(しょう)(しょう)(めつ)祈念(きねん)する登山(とざん)
 
(わたし)たちはどのようにして、罪障(ざいしょう)(しょう)(めつ)できるのかと()えば、
 『
白烏(はくう)(おん)をば黒烏(こくう)(ほう)ずべし。聖僧(せいそう)(おん)をば凡僧(ぼんそう)(ほう)ずべし』(祈祷抄(きとうしょう) 新編(しんぺん)六三〇(ぺーじ)
大聖人様(だいしょうにんさま)(おお)せです。この意味(いみ)は、

 
(むかし)ある(くに)(おう)(さま)狩り()出かけ(でか)途中(とちゅう)疲れて(つか)草原(そうげん)寝込んで(ねこ)しまいました。ところが、その(くさ)むらの(なか)に、一匹(いっぴき)毒蛇(どくへび)(ひそ)んでいたのです。その毒蛇(どくへび)(おう)(さま)めがけて(しの)()り、まさに()付こう()としたときです。どこからともなく、一羽(いちわ)白い(しろ)(からす)(からす)が舞い降りて(ま   お)来て()(おう)(さま)を嘴(くちばし)でつついて()()まさせたのです。まさに九死(きゅうし)一生(いっしょう)得た()とはこのことでしょう。(おう)(さま)(しろ)帰り(かえ)、その白い(しろ)(からす)恩返し(おんがえ)をしなければと思い(おも)早速(さっそく)家来(けらい)命じ(めい)(さが)させたのですが、どこにもおりません。
 そこで
家来(けらい)一人(ひとり)がこう言いました()。「(おう)(さま)白い(しろ)(からす)はいくら捜して(さが)もどこにもおりません。そのかわり黒い(くろ)(からす)はどこにでもたくさんおります。その黒い(くろ)(からす)に、白い(しろ)(からす)から受けた()(おん)返したら(かえ)いかがでしょうか」。
 それを
聞いた()(おう)(さま)は、「それはよいことに()がついた」と言って()黒烏(こくう)(おん)返し(かえ)たということです。
 これは
天台(てんだい)大師(だいし)()弟子(でし)である章安(しょうあん)(だい)()著した(あらわ)観心論疏(かんじんろんしょ)』という(しょ)()かれている(はなし)です。
 
(せつ)()(ちゅう)の「(はく)()」とは、(ほとけ)(さま)のことで、末法(まっぽう)(いま)御本仏日蓮大聖人(ごほんぶつにちれんだいしょうにん)のことです。「黒烏(こくう)」とは、大聖人(だいしょうにん)仏法(ぶっぽう)信心(しんじん)していない、あるいは知らない()(ひと)たちなどのことです。(おう)(さま)が、生命(いのち)救って(すく)くれた白い(しろ)(からす)捜して(さが)も、とうとう見つける(み )ことができなかったことは、それほど(ほとけ)(さま)から受けた()御恩(ごおん)大きく(おお)(わたし)たちがその御恩(ごおん)返そう(かえ)思って(おも)も、とても(かえ)()れるものではないことを(おし)えているのです。
 これに
対して(たい)世の中()には黒い(くろい)(からす)はたくさんいます。すなわち謗法(ほうぼう)(ひと)たちなどです。これらの人々(ひとびと)に、(はく)()すなわち末法(まっぽう)御本仏日蓮大聖人(ごほんぶつにちれんだいしょうにん)から(いただ)いた()(おん)返して(かえ)いけばいいのです。
 
次下(いか)の「(せい)(そう)(おん)をば(ぼん)(そう)(ほう)ずべし」との()(もん)同じ(おな)意味(いみ)で、(せい)(そう)とは(ほとけ)(さま)のことで、(ぼん)(そう)とは謗法(ほうぼう)(ひと)たちなどのことです。

 
(わたし)(たち)は、まだ(さん)大秘法(だいひほう)仏法(ぶっぽう)尊さ(とうと)知らない()人々(ひとびと)折伏(しゃくぶく)していくことによって、罪障(ざいしょう)消滅(しょうめつ)できるであります。
 
総本山登山(そうほんざんとざん)も、大御本尊(だいごほんぞん)(まえ)()法主(ほっす)上人(しょうにん)より直々(じきじき)罪障(ざいしょう)消滅(しょうめつ)()祈念(きねん)をいただくのですが、(わたし)たちもまた(あら)たなる(しゃく)(ぶく)(しょう)(じん)をお(ちか)いして()(ざん)することが肝要(かんよう)です。
 
登山(とざん)意義(いぎ)も、それぞれにおける信心(しんじん)状態(じょうたい)体験(たいけん)浅深(せんじん)年数(ねんすう)違い(ちがい)()()(かた)(さま)(ざま)でしょうが、(いま)(もう)()べたことを、(わす)れずにいて(いただ)きたいと(おも)います。

 いつも
総本山(そうほんざん)登山(とざん)致します(いた)感じる(かん)ことですが、(さん)(もん)から御影堂(みえいどう)までの塔中(たっちゅう)(みち)歩いて(ある)おりますと、どうして()()ぐではないのかと思う(おも)(かた)もいらっしゃるでしょう。実は(じつ)それには深い(ふか)意味(いみ)込められて()います。

 
(わたし)たち凡夫(ぼんぷ)には迷い(まよ)がつきものであり、大聖人様(だいしょうにんさま)のいらっしゃる霊山(りょうぜん)浄土(じょうど)、すなわち成仏(じょうぶつ)境界(きょうかい)には(だれ)でもかんたんに、()()ぐには行けない()のです。
 みんな
(ひだり)(みぎ)迷いながら(まよ)、それでも(みち)左右(さゆう)にある小さな(ちい)小川(おがわ)流れ(なが)のように、止まる()ことなく信心(しんじん)続けて(つづ)いって、はじめて成仏(じょうぶつ)することができるというのです。
 また、
()(つた)えられている(おし)えでは、(さん)(もん)から(じき)大聖人(だいしょうにん)拝する(はい)のは(おそ)多い(おお)ということもあるのです。
 かつて
参道(さんどう)石畳(いしだたみ)は、篤信(とくしん)のご婦人(ふじん)(かた)()供養(くよう)されたのですが、()供養(くよう)された(かた)はこの石畳(いしだたみ)自分(じぶん)信心(しんじん)にたとえ、自分(じぶん)踏まれて()慢心(まんしん)気持ち(きも)起こさない()ために御供養(ごくよう)させて戴いた(いただ)そうです。 


 本山(ほんざん)末寺(まつじ)親近(しんごん)しなければ信心(しんじん)(とお)ざかる】
 
大聖人(だいしょうにん)()上野(うえ)殿(どの)()返事(へんじ)』に、
 『
(そもそも)(そもそも)(いま)(とき)法華経(ほけきょう)(しん)ずる(ひと)あり。(ある)(ある)は()のごとく(しん)ずる(ひと)もあり。(あるい)(みず)のごとく(しん)ずる人もあり。聴聞(ちょうもん)する(とき)はも(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども、とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり。(みず)のごとくと申す(もう)はいつもたい(退)せず(しん)ずるなり』(新編(しんぺん)一二〇六頁) (ぺーじ)
信心(しんじん)の心がけについて御指南(ごしなん)されています。
 この
()(しょ)南条(なんじょう)時光(ときみつ)殿(どの)与えられた(あた)()(しょ)ですが、(わたし)たちの信心(しんじん)ははかないもので、ややもすると(おこた)()()ちが生まれて()きます。
 「
(みず)のごとくと申す(もう)はいつもたい(退)せず(しん)ずるなり」と仰せられた(おお)(みず)流れ(なが)るようなたゆまぬ信心(しんじん)は、総本山(そうほんざん)参詣(さんけい)()(いん)参詣(さんけい)によって得られる()のです。
 
(ぎゃく)に、大聖人様(だいしょうにんさま)の「とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり」との()言葉(ことば)は、総本山(そうほんざん)への登山(とざん)参詣(さんけい)軽んじ(かろ)所属(しょぞく)()(いん)信心(しんじん)活動(かつどう)から遠ざかり(とお)自分(じぶん)一人(ひとり)信心(しんじん)をしていたのでは、いずれは退転(たいてん)してしまうということです。
 日蓮正宗総本山大石寺(にちれんしょうしゅうそうほんざんたいせきじ)には代々の()法主(ほっす)上人(しょうにん)猊下(げいか)が、師弟(してい)相対(そうたい)して大聖人(だいしょうにん)以来(いらい)血脈(けつみゃく)相承(そうじょう)()()いでこられたことにより、大聖人(だいしょうにん)仏法(ぶっぽう)が寸分(たが)わず伝え(つた)られています。
 したがって
総本山(そうほんざん)登山(とざん)し、()法主(ほっす)上人(しょうにん)猊下(げいか)師弟(してい)相対(そうたい)信心(しんじん)取る()ことはまことに重要(じゅうよう)ですから、その機会(きかい)(かろ)んじてはいけません。

 これまで
登山(とざん)をしてこられた(かた)には経験(けいけん)があると思い(おも)ますが、登山(とざん)決心(けっしん)すると様々(さまざま)()競い(きそ)決心(けっしん)変えさせよう()とする(ちから)往々(おうおう)にして働く(はたら)ものです。本人(ほんにん)浅い(あさ)決意(けつい)原因(げんいん)場合(ばあい)もあれば、家族(かぞく)周囲(しゅうい)状況(じょうきょう)職場(しょくば)などの都合(つごう)登山(とざん)断念(だんねん)しなくてはならない場合(ばあい)もあります。したがって、登山(とざん)をするには、くれぐれも(こころ)()()めなくてはなりません。交通(こうつう)至便(しべん)現代(げんだい)は、(いえ)出て()登山(とざん)終えて()再び(ふたた)(かえ)()くまで、わずかな時間(じかん)日数(にっすう)要する(よう)のみです。()(ぶつ)(ぼう)(ころ)のように、数十日(すうじゅうじつ)をかけるということはまずありませんが、しかし登山(とざん)決意(けつい)したならば、その(とき)から自分(じぶん)登山(とざん)参詣(さんけい)(ぶつ)(どう)修行(しゅぎょう)始まった(はじ)考える(かんが)べきです。
 
(とく)(ほん)(ねん)は『(りっ)(しょう)(あん)(こく)(ろん)(しょう)()(けん)(よう)七五〇(ねん)』の重大(じゅうだい)(ねん)であります。それぞれの誓願(せいがん)として、御本尊(ごほんぞん)(まえ)披露(ひろう)できれば最高(さいこう)です。(にち)(じょう)勤行(ごんぎょう)(しょう)(だい)でも、予定(よてい)した登山(とざん)無事(ぶじ)叶え(かな)られるよう()祈念(きねん)するのは勿論(もちろん)、いざ出発(しゅっぱつ)してから帰宅(きたく)するまで、油断(ゆだん)、隙(すき)のないよう(とく)注意(ちゅうい)払う(はら)べきです。こうして登山(とざん)果たして()こそ、()(ぶつ)(ぼう)精神(せいしん)敵っ(かな)(しん)登山(とざん)となるのではないでしょうか。総本山(そうほんざん)登山(とざん)は、(わたし)たちの大切(たいせつ)(ぶつ)(どう)修行(しゅぎょう)であることを忘れ(わす)てはならないのです。

 
(わたし)たちは、常に(つね)慢心(まんしん)起こさず()にそして、塔中(たっちゅう)両脇(りょうわき)流れる(なが)小さな(ちい)小川(おがわ)のように、常に(つね)流れ(なが)るように日蓮(にちれん)正宗(しょうしゅう)信心(しんじん)続け(つづ)ていきたいものです。

 

        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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