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 先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし

 
 
八風におかされない信心を
 
 
 
今月の御報恩御講の法話は、あきるの地区のRさんから要望がありましたので、「八風」についてお話しをさせていただきます。
 この、御講の講題ですが毎月頭を悩ますものでありまして、今回のように「これについて聞いてみたい」と言って下さると大変助かります。
 「八風」とは、四条金吾殿御返事(御書 一一一七頁)・別名『八風抄』に大聖人様がお説になっておられまして、先月の御講の『内薫外護の法門』に通じる部分があります。
 今一度、先月号の『妙彩』と合わせて読んでいただけますと、どういう生き様が仏様の御心に叶った生き方なのかということが分かってくると思いますので、是非ともお願い致します。
 
 『四条金吾殿御返事』と申しましても十六通もありますので、区別する意味もあり、それぞれ御書の内容に応じて、『煩悩即菩提御書(ぼんのうそくぼだいごしょ)』『梵音声御書(ぼんのんじょうごしょ)』『此経難持御書(しきょうなんじごしょ)』『衆生所遊楽御書(しゅじょうしょゆうらくごしょ)』などと古来より別名が付けられています。
 この『八風抄』は、建治三(一二七七)年四月、日蓮大聖人様が五十六歳の御時、四条金吾氏に与えられたものです。御真蹟はその大半が現存せず、断簡が京都妙覚寺と地上本門寺(いずれも日蓮宗)にわずかに保管されています。
 本抄をいただいた四条金吾は、父・頼(より)員(かず)、母・妙法尼の間に生まれました。父・頼員は当時、極楽寺良(りよう)観(かん)の熱心な信徒である北条家一門の朝(とも)時(とき)とその嫡子・光(みつ)時(とき)に仕えていました。
 大聖人様が佐渡配流(はいる)から鎌倉に戻られ、身延へ入山されると、金吾は「今こそ主君よりの大恩に報いるべき時である」と決意し、それまで控えてきた主君への折伏を敢(かん)行(こう)しました。しかしこれによって金吾は、光時より不(ふ)興(きよう)をかってしまったのです。すると、主君からの信頼を一身に受けていた金吾を面白く思っていなかった同僚たちは、ここぞとばかりに「主君に忠実でない」などと金吾に関する讒(ざん)言(げん)を始めました。
 そして建治二(一二七六)年の秋、とうとう主君より金吾に対して遠い越後への減(げん)俸(ぽう)左(さ)遷(せん)命令が下され、さらに翌年春、これを承(しよう)諾(だく)しなかった金吾に対し、同僚から非難の声が多く出されるようになりました。いよいよ窮(きゆう)地(ち)に追い込まれた金吾は、訴(そ)訟(しよう)を起こして種々の申し開きをしようと決意し、その旨を大聖人様に報告しました。
 その手紙をご覧になった大聖人様から、重ねて金吾に対して「大恩ある主君を恨(うら)むことなく、一途に君臣の道を守れば、必ず諸天の加護がある」旨が示され、一層の忍耐をもって信行に精進すべきことを示されたのが本抄です。
  大聖人様への書状の中で金吾は、所(しよ)領(りよう)替(が)えなど種々の迫害について、これ以上我慢できない旨を切々と訴え、訴訟を行う決意を大聖人様に打ち明けたようです。
 これに対して大聖人様は、まず金吾の信行増進のために御本尊を下付する旨を述べられます。そして、一連の処置は主君の本意ではなく、同僚の嫉(しつ)妬(と)による讒(ざん)言(げん)が原因となっているように思われる。よって主君から一族が受けたこれまでの大恩を忘れ、安易に訴訟などの暴(ぼう)挙(きよ)に出るべきではないと金吾を誡(いまし)められています。
 次いで、賢人といって多くの人徳を持ち、世の人々から尊敬される立派な人物は、喜(き)怒(ど)哀(あい)楽(らく)等の八風によって心を動かされるものではないこと。そして、そういった賢人こそ、諸天の加護を得て自らの大願を必ず成就できる旨を示されています。故に、金吾が今回の処置によって立腹し、道理に背いて主君を恨むようなことがあれば、いよいよ窮(きゆう)地(ち)に立たされることになる旨を警(けい)告(こく)されています。
 続いて大聖人様は、大(だい)学(がく)三(さ)郎(ぶろう)や池(いけ)上(がみ)宗(むね)仲(なか)、波木(はき)井(り)実(さね)長(なが)らを例にとり、仏法の師である大聖人様と信徒とが心を合わせて祈らなければ、決してよい結果を得ることができない旨を厳しく忠告されています。一方で大聖人様は、たとえ師匠と信徒が心を合わせて祈りを尽くしたとしても、邪法、特に真言の悪法による祈りは決して叶わないことを、源平合戦、承(じよう)久(きゆう)の乱の故事を例として示されています。
 最後に、いま一度、所領替えの件については、自(じ)暴(ぼう)自(じ)棄(き)に陥(おちい)ることなく神妙な態度で主君に仕え、難を乗り越えるまで辛(しん)抱(ぼう)するよう念を押されています。
 
 それでは、八風についてご説明致します。八風とは、『仏(ふつ)地(ち)経(きよう)論(ろん)』等に説かれたもので、仏道修行者の心を動揺させ、修行を妨(さまた)げる八種の風をいい、八法とも呼ばれます。
 その八種とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)をいい、これによって心が定まることなく揺らぐために、風になぞらえて八風といいます。
 『仏地経論』に、
 「可(か)意(い)の事を得るを利(うるおい)と名け、可意の事を失ふを衰(おとろえ)と名け、現ぜざる誹撥(ひはつ)を毀(やぶれ)と名け、現ぜざる讃(さん)美(び)を誉(ほまれ)と名け、現前の讃美を称(たたえ)と名け、現前の譏撥(きはつ)を譏(そしり)と名け、身心を逼悩(ひつのう)するを苦(くるしみ)と名け、身心を適(てき)悦(えつ)するを楽(たのしみ)と名く」
と説かれています。
 この八風をもう少し詳しく述べますと、
 ・利(うるおい) …利益のあったとき。あらゆる物が自分の意のままになること。金銭的・  物質的、あるいはそれに準ずる利益が思いのままに手に入ってくること。
 ・誉(ほまれ) …自分の知らないところで讃(たたえ)られること。名(みよう)聞(もん)名(み よう)利(り)・名誉欲に執着することもこれに当たる。
 ・称(たたえ) …自分の目の前で他人から称賛されること。
 ・楽(たのしみ)…よろこばしい事のあったとき。また本道を忘れ一時的な享(きよう)楽(ら く)に耽(ふけ)ること。
  の四(し)順(じゆん)すなわち、順風の時におごることなく。
また、
・衰(おとろえ)…体力が弱っているとき。また自分の意のままにならないことで、「利」に対し、あらゆる福徳を損なうこと。
・毀(やぶれ)…自分の知らないところで悪評を受けること、陰口を言われたとき。
・譏(そしり)…そしられたとき。
・苦(くるしみ)…つらい事がおこったとき。
四違(しい)という逆風の時にも、嘆き悲しむといった自分の弱い心に翻(ほん)弄(ろう)されないということです。
 
 私たちは先の四順に遭(あ)っては有(う)頂(ちよう)天(てん)になって喜び、後の四違に遭っては悩み落ち込んだりします。たとえば、財産を得れば事物の有り難さを忘れて、さらに多くの財物を欲するようになり、また名誉を得れば謙(けん)虚(きよ)さを忘れ、慢(まん)心(しん)を持つことになるわけです。
 一方、我が身が衰え病苦に悩まされれば自(じ)暴(ぼう)自(じ)棄(き)になり、生きる希望まで失ってしまう人もいます。そして凡夫は、常にこうした種々の状況の変化に左右されては本心を失い、迷い苦しみの六道を彷徨う(さまよう)ことになるのです。
 一切衆生は常に四順を欲し、四違を忌(き)諱(い)するゆえに、八風に侵されながら生き続けているといっても過言ではありません。
 大聖人様は『此の八風にをかされぬ人をば必ず天はもほらせ給うなり』と、これら八つのことに振り回されずしっかり信仰すれば、必ず諸天は守ってくれると教えられています。
 また、大聖人様は、同じく四条金吾に与えられた別の御書中に、
 「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」
と示されているように、苦悩の中にあっても、いかなる状況の変化があろうとも、一切を御仏智に任せ、朗々と題目を唱え続けて自身を見失わない人こそが真の賢人であり、御本尊様の功徳はもちろんのこと諸天の加護も得て、いかなる祈りをも叶えていくことができるのです。
 これは、一見簡単そうですが、難事中の難事なのです。
 大聖人様は、
 「をを心(むね)は 利(うるおい)あるに·よろこばず・をとろうるになげかず 等の事なり」
と「八風」について仰せであります。
 要するに、“安易に一喜一憂するな”ということであり、目先のことにとらわれて、いい気になったり、めげたりするのは、愚かな人の生き方であるということです。
 また、『新池殿御消息』では、「貧なる者は 富めるを へつらひ 賤(いやし)き者は貴きを仰ぎ 無勢は多勢にしたがう」
と世間一般での“ならい”について述べられています。凡人が自分にない物を常に求め続け、 仏説よりも世間での評価のほうを重要視して、その言葉に従ってしまうというということを示されています。
 
 余談ですが、南条時光は大聖人様から「上野賢人」と称されました。
 身延に入山された大聖人様への御供養は、諸(しよ)檀(だん)越(のつ)中(ちゆう)随(ずい)一(いち)であり、現存する御消息から、定期的に継続されていたことが推察され、水の流れるが如き不退の信心と、厚い外護の姿を知ることができます。
 また、時光の功績は、不自惜身命の折伏行が挙げられます。本門戒壇の大御本尊御建立の契機となった熱原法難に際しては、農民信徒のリーダーとして、身命を顧(かえり)みずに、信仰の団結を支える活動に挺(てい)身(しん)し、二十一歳の若さで、大聖人様から「上野賢人殿」との尊称を賜わりました。
 日顕上人は(平成十七年五月度 広布唱題会の砌)
『「竜門御書」には宛名が「南条時光殿」ではなく「上野賢人殿」となっております。この「賢」という字は「かしこい」という字であります。世間一般的に賢いという言葉は使いますけれども、仏法の上からの境界においてこの「賢」という字を使うということはたいへん意義が深いのであります。「賢」に対する「聖」という語もありますが、これはさらに一段上になりますけれども、「賢(けん)聖(せい)」と熟語することもあります。この「賢人」「聖人」ということは仏法の上から、本当に事理を弁(わきま)え、さらに仏法の真実の意義を深く体したところの尊い功徳を成就しておる方という意味でありまして、それをわずか二十歳の、たとえ上野の郷主ではあっても、大聖人様が「賢人」とお示しになっておるところに、当時の状況を鑑(かんが)みつつ、大聖人様の御信頼が深くあらせられたということを拝するのであります。その意味からも、時光殿はこの大聖人様のお手紙に奮(ふる)い立(た)ったことと思われるのであります。』
と仰せであります。
 また、この年の虫払大法要では、血脈法体を御相承された御境界から日顕上人は、
『この宛名は実に他のあらゆる弟子檀那へ与えられた御書に類例を見ないのであり、それは上野殿に対し「上野賢人殿御返事」つまり賢い人と記されておることであります。しかしこの時、上野殿すなわち南条七郎次郎時光殿は、年(とし)歯(は)わずか二十一歳であります。いかに信仰強き上野の地頭とはいえ、二十一歳の若者に対し「賢人」の呼称を与えられることは、時光殿の信仰と人柄が大聖人様の御眼より御覧になって、いかに優れておられたかが拝されるのであります。
 しかも、この御真蹟の文字をよく拝しますと、この「賢人」の賢という字は、実は大聖人様が書き直された跡が歴然としておるのです。つまり大聖人様は一旦「上野聖人」、「賢」の字ではなく「聖」という字をお書きになって、そののちに聖を賢の字に改め給うた墨の跡が拝せられるのであります。これは大聖人様のお心において、南条時光殿は法華経を守り継ぐべき最大の信力・行力を持つ信者の模範として映ぜられたことから一旦は「上野聖人」と書かれながら、時光殿が年歯二十一歳の若さであることに思い直され、聖の字の上をなぞられて賢の字に書き変えられた如くであります。』
と、御指南されています。
 
 さて、『八風抄』ではさらに、
 「だんな(檀那)と師とをも(思)ひあ(合)わぬいの(祈)りは、水の上に火をた(焚)くがごとし」
とされ、僧俗が心を一つにして御本尊様に祈らなければ、すなわち僧俗一致・異体同心の信行によらなければ、いかなる祈りも叶わない旨を示されています。
 異体同心の第一義は、私たち僧俗が末法の御本仏日蓮大聖人様を大師匠と仰ぎ、常に大聖人様の御心を拝して信行に励むことをいいます。
 また『百六箇抄』に、
 「上(じよう)首(しゆ)己下並びに末弟等異論無く尽(じん)未(み)来(らい)際(さい)に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法(ちやくちやくふほう)の上人を以て総(そう)貫(かん)首(ず)と仰ぐべき者なり」
とあるように、大聖人様の滅後、大御本尊様を根本とする末法下種仏法の一切は、日興上人にことごとく付(ふ)嘱(ぞく)され、さらに日目上人以下御歴代上人に唯授(ゆいじゆ)一(いち)人(にん)の血脈相承として正しく伝えられています。
 ですから、大聖人様の御心は今、時の御法主上人猊下であらせられる日如上人のもとにあり、僧俗は共に御法主上人猊下の御指南に異体同心して随順することが肝要なのです。 私は、本山からこの慈本寺に赴任させていただくに当たり、日如上人から、
 「日蓮正宗には住職固有の教義もなければ、住職固有の信徒もいない。そこをはき違えないようにしなさい。」と御指南賜りました。
 常にこの御指南を身に体して、私自身法務を勤めさせて頂いておりますし、皆さんの指導教師として足り得る人間になりたいと常に願っております。もし、私の考え方や行動で腑に落ちない点がありましたら、迷いながら信心をするほど不幸なことはありません、どうぞ遠慮無く御意見を言って頂きたいと思います。
 これら師弟の筋目を守り、僧俗が心を一つにして御本尊様に祈るならば、支部の折伏誓願も、個人の祈りも成就していくのであります。
  本抄を賜った後も、四条金吾にとっては状況が好転するどころか、厳しくなる一方でした。
 先月も述べましたが、二ヶ月後、法華誹謗の説法を行った竜象(りゅうぞう)房という僧侶を、大聖人様の弟子である三位房(さんみぼう)が完膚(かんぷ)なきまでに破折しました。この時金吾も三位房に同行していたところ、逆恨みした竜象房は極楽寺良観と結託し、「金吾らが徒党を組んで乱入し、暴力で法座を乱した」と、虚偽の訴えを幕府に起こしたのです。
 良観の策謀を真に受けた光時は立腹し、とうとう金吾に対して、大聖人様の信仰を捨てる旨の起請文を書くように命じました。さもなくば所領を没収するという厳しい処置でした。
 しかるに金吾は「たとえ所領を没収されようとも、法華経を捨てる起請文は断じて書かない」旨を大聖人様に誓い、あくまでも大聖人様の御指南に従って一心に唱題に励みました。
 その後しばらくして国内に流行病が蔓延し、主君も病に倒れました。いかなる治療も効果を発揮しなかったため、主君はやむを得ず医道にも長じた金吾の治療を受けることになったのです。金吾の真心からの治療の結果無事回復し、金吾は主君の信頼を取り戻しました。そして、金吾は以前よりも多くの所領を賜ることができたのです。
 こうして、最後まで大聖人様御指南を守り続けた金吾は、見事に御本尊受持の大功徳を顕すことができたのです。

 私たちは御本尊をしっかりと受持し、御法主日如上人猊下の御指南を身口意の三業の上から正直に拝していくことが肝要です。その実践こそ、根のしっかりとした、八風に紛動されない強盛な信心が築かれるのです。
 順風の時も奢らず、御報恩感謝申し上げ、逆風の時にも嘆き悲しむといった自分の弱い心に翻弄されずに、日々精進してまいりましょう。

 
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