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  (なんじ)信仰(しんこう)(すん)(しん)(あらた)めて(すみ)やかに(じつ)(じょう)(いち)(ぜん)()せよ
 何故(なぜ)他宗(たしゅう)邪宗(じゃしゅう)()うか
 
     
 

  今日は、「何故他宗を邪宗と云うか」と題して少々お話をさせていただきます。
 なぜ、日蓮正宗では他宗を邪宗と云うかと言いますと、これは実に単純明快でありまして、宗祖日蓮大聖人様がそう仰せになられるからであります。
 これだけですと、あまりにもあっけなく話が終ってしまいますので、これから御説明させて頂きます。
 また、今日の話は引用文も多く、難しい個所もあるかも知れませんが、これから皆さんが折伏する際に、少しは参考になるかと思われますので、少々我慢して聞いて頂きたいと思います。
 この間違った教えを、大聖人様は邪宗・邪教、即ち邪(よこしま)な教えと一言で破折されています。
 この邪とは大辞林には「心がねじ曲がって正しくないこと。また、その人。よこしま。不正。」とあり反対語は「正」であります。
 世間一般では、日蓮正宗が他宗を邪宗と言うものですから、「他の宗教の悪口を言うのはおかしい」「お宮参りや初詣も禁止している」「お祭りやクリスマスも出来ないし、教会で結婚式も挙げられない」と批判します。
 信仰に関して確固たる信念も無く、あまりにも宗教に無知な発言です。
 本宗でただ他宗の悪口を言っているのではありません。世の中で一番肝心なのは因果の法則です。原因結果というものを無視したら、世の中は滅茶苦茶になってしまいます。 
 この因果の法則をちゃんと教えて下さったのが仏様なのです。
 仏教以外の教えは、いずれも因果を無視したり、あるいは部分的な浅い因果しか説いていない教えです。例えば、キリスト教などでは巧みに天地創造説や造物神思想、処女懐胎を立てますが、それも因果を断絶する邪見に過ぎません。
 邪見ですから、人間の持っている正しい知性・理性を、むしろくらませるような教えとなるのです。
 更にキリスト教では神様が人間を造ったといいますが、その神様がどこに存在するのか、はっきりしません。ただ、目に見えない、そういう神があるということを信ずるのが信仰だといいますけれども、これはまだ、その宗教の内容が本当に正しいものではないからであります。
 あるいは、アラーの神とか、そのほか色々な神を説きますが、それらはただ、そう信ずるというだけであります。
 これに対し仏教は、過去・現在・未来の三世にわたり、宇宙間の一切の事象が因果によって存することを示し、徹底した正しい因果の理の上から人生の指針を示す教えであります。
 因果の考えを忘れてしまったならば恐ろしいことなのです。因果があって初めて世の中は立派にもなれば、幸せにもなるのです。
 大聖人様は『諸経と法華経と難易の事』に、
 「仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書 1469頁)
と仰せのように、仏法と世間は、ちょうど体と影のような関係にあります。したがって、間違った宗教が弘(ひろ)まれば、影に当たる世の中が必ず乱れるのです。

 私は、何度か皆さんに正直が大切だと申し上げておりますが、邪宗を信じておりますと、自分の利害・欲得のために、自分だけのために嘘を言い、思っている事と話すことが違い、行動も見せかけのものになってしまいます。
 様々な意味で身口意の三業がバラバラになっているのです。ですから頭が混乱してきて福徳も少なくなり、功徳も生ぜず、様々な悲劇や不幸が現れてくる原因が生ずるのです。この身口意の三業が一致して大きな功徳を成ずる道はただ一つ、法華経の道以外にないのであります。
 法華経を説かれる前の、爾前教においては釈尊自身が、意と口とが違ったことをおっしゃっています。これはやむをえずおっしゃったのです。また、やむをえずおっしゃったから方便と言うのですが、やはり方便は方便なのです。その教えが、ある一部分の機根の人には適当でありましたので、正法・像法時代には、それによって一往の功徳を得たり、またそれによって真実の道に入るべき因縁をなしたのでありますが、しかし末法においてはそのような必要はもう既にないのであります。
 したがってそういう方便の教えが、偽物になった形で存在している各宗の宗教はことごとく邪宗であり、大聖人様が「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」というように仰せになって破折をあそばされています。我々はこの破折をはっきりと受け賜わり、権教においての方便、いわゆる身口意の三業がそろわないような宗教においては、本当の幸せを得ることはできないのである、ということを知らねばなりません。
 にわかに信じ難いかも知れませんが、天変地夭、戦乱、飢餓など、繰り返し起る暗澹(あんたん)たる世相の原因は、間違った教えにより引き起こされるのです。
 その為大聖人様は、数々の法難にあわれたにも関わらず、御自身の身をなげうって天下泰平・国土安穏を心から願われ、国を諫め積極的に布教活動をなされました。
 日蓮大聖人は、『新尼御前御返事』に、
 「謗法の法師一閻浮提(いちえんぶだい)に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃(かんばつ)・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉(ききん)・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人々各々甲冑(かっちゅう)をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給(たま)はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕(お)つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱るべし」(御書 七六四頁)
と仰せられています。
 この御金言の意とするところは、〝邪宗謗法の者が国土に充満して正法正師に法難をこうむらせる時、その国土を守護する諸天善神が怒りをなして、大地震等の天変地夭・大疫病・大不況など多くの大災難が相次ぎ起こってくる。
 しかし、御本尊を信じて行くならばそうした諸天善神の力用(りきゆう)をもって、万民は難を逃れる〟というのであります。
 立正安国論奉呈から750年になろうとする現代でも、第二次世界大戦の悲惨さを世界の人々が体験し、戦争は愚かな行為であり、人命は大切だと誰しもが分かっていても、世界のあちこちで内紛が絶えません。
 アメリカは平和のためだと言いながら、イラクへ戦争をしかけ、大量破壊兵器も見つからず、恨みの連鎖により戦いは泥沼化しています。
 さらに政治・経済をはじめ、あらゆる方面に大混乱を来たし、誰もが大きな不安に包まれています。
 国内でも、無差別殺人、親殺し子殺し、自殺は優に及ばず、一昔前にはあまり無かったような、「給食費の未払い」「振り込めサギ」「食品偽装問題」「訴権の乱用」など人命軽視・モラルの崩壊などが顕著になってきました。
 最早、何が正しく何が間違っているのかも解りずらくなってしまった今の世の中で、間違っている事にも気づかずに生活している人がとても多いと感じます。
 正しい事だと思ってやっている事でも実際は間違っていたり、またその逆であったりします。本当に大切な事は、はやく真実に気づいてそれを実践していく事なのです。
 日蓮大聖人は「当体義抄」に人々の即身成仏の要諦について、
 『日蓮が一門は、正直に権教(ごんぎょう)の邪法邪師(じゃほうじゃし)の邪義(じゃぎ)を捨てて、正直に正法正師の正義を信ずる故に、当体蓮華(とうたいれんげ)を証得(しょうとく)して常寂光(じょうじゃっこう)の当体の妙理(みょうり)を顕(あら)はす事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり。』(御書 七〇一)
と明言されています。正直に正法正師の正義に付いて正義を修する事が肝心なのです。
 『妙法比丘尼御返事』には、
「謗法と申す罪をば、我もしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(同一二五八頁)
とも御教示されています。
 大聖人様は立宗宣言以来、四箇の格言を事あるごとに説かれました。
 これらの教祖も、進んで謗法に手を染めた訳ではありません。正しい教法と錯覚しつつ、邪法に心を寄せるのです。もちろん、「人々に尽くす生き方」なる抽象論で、法の正邪が決するわけもありません。
 いかに人々に尽くそうと、間違いは間違いであり、邪法に依る限り、真の幸福を得ることはけっしてできないのであります。
 大聖人様は、何もやみくもに諸宗を破折されたのではありません。
 正しい宗教と間違った宗教を見極(みきわ)める方法・基準として、天台大師の「五時(ごじ)八教(はっきょう)」「四(し)重(じゅう)興(こう)廃(はい)」等を用いられ、さらに日蓮大聖人の御教示として「宗教の五綱(ごこう)」「五(ご)重(じゅう)相対(そうたい)」「五(ご)重(じゅう)三段(さんだん)」「三証(さんしょう)」等があります。
 大聖人様は、これらの判定方法によって、一切の宗教の勝劣・浅深を余すところなく説き明らかにされました。
 大聖人様の大法は、他の邪宗・邪義と異なり、あらゆるところから拝し、あらゆるところから考え述べつつも、人生万般、宇宙法界の一切の真義を込められ、また説ききられてた大仏法であります。
 これらを全部御説明しようとするならば、この御講の時間では不可能でありますので、次の機会にお話いたします。
 また、「日蓮正宗は、正しいというだけで、科学的に証明されていない。」という人がいます。
 しかし、仏説は科学をはるかに超えた教えでありまして、宇宙観一つをとっても、天地雲泥の差があります。
 学問の世界では現在ビッグバンが宇宙の始まりであるとか、素粒子の世界でも科学的理論付けがなされているようです。しかしながら、このような学問では一切解決できないのが宇宙です。例えば「ビッグバン」が宇宙のはじめと仮定しましても、「・・ではそのビッグバンはどのようにしてできたのか、その前はどうだったのか......、そしてその前は?・・・」と続きます。つまり永久に平行線をたどるわけです。
 更に、大聖人様の仏法は、釈迦仏法の何千億倍も深いのです。我々末法の何の善根も積んでいない「荒凡夫」の頭では絶対に理解出来得ないのです。
 良く折伏されて「解かったら信心するよ」みたいなことを言うかたがいますが、永久に解からないで終わるのです。釈迦にしても天台大師にしても一生涯にわたり仏法を思索なされ我々にお説き下さっておられます。
 ただ「以信代慧」と言って、信心をもって智慧に代えさせて頂くのです。仏法では「成・住・壊・空」の四劫と言って人智を遥かに超えた時間・空間に渡り誕生から消滅までを無限に繰り返してゆくと説かれています。
 科学で言うビックバンなどはその変転の一部分なのです。ビックバンでは我々の住む宇宙は150億年前から膨張してるとのことのようですが、一方では膨張から収縮している宇宙もあるとも聞いています。
 それらの「泡宇宙」を無数に含む全体の法界は、どこまでいっても際限無いのです。(無始無終・本有常住)
 また別の見方からすれば、最初に「時間・空間」があってその中に「南無妙法蓮華経」があるのではなく、「南無妙法蓮華経」そのものに本来、時間と空間への傾向性とも言える法理が備わっているとも言えるのです。また単に空間(法)としての宇宙があるのではなく「人法一箇」と言って即大聖人様の御当体でもあらせられるのです(法界即日蓮)
 これらは大聖人様の深い御指南書である「当体義抄」「三世諸仏総勘文教相廃立」等に詳しくお述べされておられますが、信心を持って拝させて頂かない限りは実感としての理解は出来ません。
 仏説に次のような「毒矢の例」がありますので紹介しておきます。

 毒矢の例え
 マールンクヤと言う若い弟子がいた。かなり理屈っぽい人だったようだ。彼は「いろいろ考えたが世の中には解からない事が沢山ある。わかるものならばそれをはっきり解からせて欲しい。それがはっきりしない限り私はこれ以上修行が出来ない。」と言い次のような質問をした。 
 「世の中は常住なるものか それとも無常なるものか 世界に果てがあるのかないのか 霊魂と身体は同一か同一でないのか 死後の世界は存在するのかしないのか 」と言ったような問題に悩み釈尊に解答を迫ったと言う。
 「釈尊が世界が常住であると思うならそうおっしゃってください。それに応じて修行します。世界は常住でない無常なものだと思うならそうおっしゃってください それに応じて修行いたします。」
 それに対して釈尊はおおよそ次のようなことを言ったとされる。
 「ある人が毒矢に射られたとする。 すぐに治療しなければならないだろう。ところが医者にかかる前に 一体この毒矢を射た人は誰か どんな名前の人か 身長は どんな顔の人で どこに住んでいた人か どんな弓で射たもので どんな矢じりがついていたのかと言ったような理論を追求していたら 結局 死んでしまうだろう。」 「それとおなじで世の中は有限か無限か 霊魂と身体は同一か そうでないか人間は死後も存在しているのか そのような問題に答えたところで私達の苦なる人生の解決にはならない。そのようなことがはっきりしたら修行すると言うのは正しくない。 世の中が常住か 常住でないかについて見解を持ったところで 私たちの老死 憂い 苦痛 嘆き 悩み 悶えは依然としてここにある。 私はいま 現実のこれらの老死 苦を超えることを説くのだ。 悟りに達すればそのようなことは気にならなくなるであろう。」   
 お分かりのように、仏法とは現実社会で苦悩している衆生を救うことが最大の目的であります。したがって「生命」に関することを完璧に解き明かした「仏の悟り」、それが仏法であるということを認識して下さい。マールンクヤのように「それに応じて修行します」「信仰に入る前に解ったら信心します」と言ったところで、われわれ自身の幸福とは一切関係がないのであります。
 そして、仏法の中でも、日蓮正宗で説く如く、仏が現実に顕れ、現実に衆生の、また法界の尊い値打ちを自ら行じ、これを示して一切衆生を導ききるところの道理・文証・現証を具える宗教が果たしてどこにあるかといえば、そういう宗教は全く存在しないのであります。ただ一つ、日蓮正宗だけがその教えであります。
 つまり、どのような宗教、道徳、倫理、法律、教えなどよりも正法たる大聖人の法を最上位に置くということです。そこに信をもっていくことによって、宇宙を超えた究極の悟りが成就されるのであります。これを一生成仏というのであります。
 私たち日蓮正宗の僧俗は異体同心して一切衆生救済の使命に立ち、強盛な信心・唱題と、折伏・育成をもって、御命題たる決起大会・地涌倍増を必ずや達成してまいりましょう。
 

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