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日蓮大聖人御書の一節
毎月の暗記御書
                                  20年2223〜2526〜30
水は寒(さむさ)積(つ)もれば水となる。雪は年(とし)累(かさ)なって水精(すいしょう)となる。悪積もれば地獄となる。善(ぜん)積もれば仏となる。 『南条殿女房御返事』 平成新編御書一二二七頁

〈通解〉 水は寒さが積もれば氷となる。雪は月日を重ねて水晶となる。悪が積もれば地獄となる。善が積もれば仏となる。※「古代中国では、水晶は千年を経た老氷や雪が化したものと考えられていた」 (平成22年12月)
いかなる事ありとも、すこしもたゆむ()事なかれ。いよいよはりあげてせむ()べし。たとい命に及ぶとも、すこしもひる()事なかれ。 兵衛栄殿(ひょうえさかん)御返事』 平成新編御書一一六六頁

〈通解〉 どんなことがあっても、少しも信心を弛めてはなりません。いよいよ声を張り上げて、(父上の信じている教えの間違いを)責めなさい。
 例え命に及ぶことが起ころうとも、少しでも怯んではなりません。(11月)
悪の中の大悪は我が身にその苦をうくるのみならず、子と孫と末七代もでかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。 『盂蘭盆御書』  平成新編御書一三七七頁

〈通解〉 悪の中でも大悪とは、自分自身がその報いを受けるだけでなく、子供や孫さらには七代先まで苦しむことになる。善の中でも大善は、同じように(自分だけでなく末七代の眷属まで功徳が及ぶであろう。)(10月)
 

敵はねらうらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か。是につけても能く能く御信心あるべし。 『四条金吾殿御返事』  平成新編御書一二九二頁

〈通解〉 敵は狙っているのだろうが、あなたの法華経への信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励ん でいきなさい。(9月) 
正法を弘めん者、経教の義を悪しく説かんを聞き見ながら我もせめず、我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば、仏法の中の敵なり。 『聖愚問答抄下』 平成新編御書四〇四頁

〈通解〉 邪義邪教の者たちが、誤った教えをいろいろ説いているのを見ていながら、聞いていながら、自分自身も折伏せず、そしてさらに、もし自分の力が足りなければ、国主に申し上げてでもこれを退治しないのであれば、それは「仏法の中の敵」になる
(8月)
法華経は草木を仏となし給ふ。いわうや心あらん人をや。法華経はの焼種(しょうしゅ)二乗を仏となし給ふ。いわうや生種(しょうしゅ)の人をや。法華経は一闡提(いっせんだい)を仏となし給ふ。いわうや信ずるものをや。 『上野殿御返事』 平成新編御書一三八〇頁

〈通解〉  法華経は草木でさえ成仏させることが出来ます。心のある人間なら言うまでもありません。法華経は仏になる種が燃えてしまい成仏不可能される、声聞・縁覚のひとでさえ成仏させることが出来ます。ましてや、仏になる種をもっている人なら言うまでもありません。法華経は仏法を信じず誹謗する者(堕地獄確定者)でさえ成仏させられるのです。ましてや信じている人なら言うまでもありません (7月)

父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給ひて候。 『刑部左衛門尉女房御返事』  平成新編御書一五〇六頁

〈通解〉 父母に御孝養を尽くす気持ちのある人々は、法華経を贈りなさい。教主釈尊は、父母の御孝養をされるとき、法華経の功徳を贈られているからである。(6月)
たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の(ともしび)は消えやすし。無益(むやく)の事には財宝を()くすに()しからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をもの()()く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを()ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。 『新池御書』  平成新編御書一四五七頁


〈通解〉
たまたま人間に生まれた時には、名聞名利の風が激しく、仏道修行のは消えやすいものである。無益ことには財宝を使い果たしても惜しく思わないのであるが、仏法僧に少しの供養をすることをいやがることはただ事ではない。地獄の使が勇(いさ)み立っているのである。寸善尺魔というのはこれである。(5月)

瞋るは地獄、貧るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖は冥伏(みようぶく)して現はれざれども委細(いさい)に之を尋(たず)ぬれば之有るべし。 『観心本尊抄』 平成新編御書六四七頁

〈通解〉 瞋(いか)るは地獄界、貧(むさぼ)るは餓鬼界、癡(おろ)かは畜生界、諂曲(てんごく)なのは修羅界、喜ぶは天界、平らかなるは人界である。このように他人の相(そう)には六道(ろくどう)がすべてそなわっている。四聖は冥伏(みようぶく)していて現はれないけれども、くわしく探し求めるならば、必ずそなわっているのである。つも退せず信ずることである。
(4月) 
(そもそも)今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへ()()つばかりをも()へども、とをざかりぬれば()つる心あり。水のごとくと申すはいつもたい(退)せず信ずるなり。  『上野殿御返事』 平成新編御書一二〇六頁

〈通解〉 今の時、法華経を信ずる人の中に、或は火のごとく信ずる人もいる。
或は水のように信ずる人もいる。火のような信心というのは、聴聞した時には燃え立つ、時がたつと退退転の心・捨てる心が起こってくるのである。水のような信心とは、いつも退せず信ずることである。(3月)

(しん)(みち)(みなもと)功徳(くどく)(はは)()へり。菩薩(ぼさつ)五十二(ごじゅうに)()には(じゅ)(しん)(もと)()(もろもろ)悪業(あくごう)煩悩(ぼんのう)不信(ふしん)(もと)() す。『念仏無間地獄抄(ねんぶつむけんじごくしょう) 平成新編御書三十八頁


〈通解〉 信は仏道の根源であり、功徳を生ずる母であるという。菩薩の修行の位(くらい)である五十二位においては、十信を本とし、十信の位では、信心をはじめとしている。また、もろもろの悪業や煩悩は不信を本とするのである。
(2月) 
悪知識と申すは甘くかたらひ(いつわ)()(ことば)(たく)みにして愚癡(ぐち)の人の心を取って善心を破るといふ事なり。 『唱法華題目抄』 平成新編御書二二四頁

〈意訳〉 悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心を破るということである。(平成22年1月)
法華経を余人の()み候は、口ばかりことば()ばかりは)めども心は()まず、心は()めども身に()まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。『土籠御書平成新編御書四八三頁

〈通解〉法華経を他の人が読む場合においては、口先ばかり、単なる言葉はかりとしては読むけれど、心では読んでいない。たとえ心では読んでいても、自分のみにあてはめて読んでいない。色心の二法にわたって法華経を読まれたことこ最も貴いのである。(平成21年12月)
(すべ)て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。(よろい)を著たる兵者(つわもの)は多けれども、(いくさ)に恐れをなさゞるは少なきが如し。『松野殿御返事』平成新編御書一〇四九頁

〈通解〉すべて凡夫の菩提心(悟りを求める心)は悪縁にたぼらかされることが多く、事にふれて移りやすいものです。鎧を着た兵士は大勢いるが、戦いになったとき恐れないものは少ないようなものであります。(11月)
(それ)人身を()くる事はまれなり。(すで)にまれなる人身をうけたり。又あひがた(値難)き仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり。『寂日房御書平成新編御書一三九三頁

〈通解〉人間として生まれてくることは希である。すでにその希である人身を受けているのであり、そのうえにまた、あいがたき仏法ににもあったのである。その同じ仏法の中にも、法華経の題目に巡りあうことができて、ついに題目の行者となった。あなたはまことに過去世に十万億の」諸仏を供養した宿縁深厚の人である。(10月)
 
しを()()ると()つと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏にな又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ) りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。 『兵衛志殿御返事 平成新編御書一一八四頁

〈通解〉
潮が干るときと満るときと、夏・秋・冬・春の四季の変わり目には、必ずそれまでとは違いが表れるものである。凡夫が仏になるときも又これと同じで、必ず三障四魔という障害が起こってくるのであり、このような障魔が現れてきたとき、賢者は喜び、愚者はおそれて退くのである(9月)
(およ)そ仏法と云ふは、善悪の人をゑらばず、皆仏になすを以て最第一に定むべし。是程の理をば何なる人なりとも知るべきなり。『星名五郎太郎殿御返事』平成新編御書三六四頁

 〈通解〉
およそ仏法というのは、善人、悪人をえらばず、すべての人を成仏させることのできる教えを最第一に定めるべきである。。これほどの道理はいかなる人であっても知るべきことなのである。(8月) 
不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。父母となり其の子となるも必ず宿習なり。『寂日房御書 平成新編御書一三九三頁

〈通解〉このような日蓮を生んだ父母は日本国の全ての人々の中にあっては、大果報の 人です。父親となり母親となる、子供として生まれる、このことは過去世におい て積んだ善悪の行いによって定められたものです。(7月)

今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚(くどくじゅ)(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空(こくう)にも余りぬべし。然るを毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。(いよいよ)はげむべし、はげむべし。 『四条金吾殿御返事』  平成新編御書一五〇二頁

〈通解〉今この所(法華経の行者の所住の地。大聖人当時の身延山、現在は総本山大石寺)も、珠玉の多い蓬莱山(ほうらいさん)栴檀(せんだん)の生ずる摩黎山(まりせん)などと同じように、仏菩薩が住まわれている功徳の聚(あつま)った国土である。法華経を読誦して多くの月日を送り、読誦した法華経の功徳は虚空(こくう)に満ちているであろう。それを毎年たびたびの御参詣によって、無始の罪障も定めて今生一世に消滅するであろう。いよいよ励んでいきなさい。 (6月)
日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、(なお)(たと)へにあらず。か()こきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし。 妙法尼御前御返事 平成新編御書三十八頁


〈通解〉私日蓮は、幼少の時から仏法を学んできたが、念願したことは「人の寿命は無 常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露というのは単なる譬え ではない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるかわからな いのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習お う」というものである。 7月 『寂日房御書』  不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり 。父母となり其の子となるも必ず宿習なり。(5月) 
像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。 三大秘法稟承事 平成新編御書一五九四〜五頁

〈通解〉南岳大師や天台大師が「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えましたが、自 らの修行を目的とした題目であり、人々を教化する「化他」の題目ではありませ んでした。これは理行なのです。それに対し、日蓮が末法に唱える題目は前代と は違った題目です。どのように違うかといえば、自行と化他とが共に具わった題 目なのです。自らが成仏するためだけではなく、周りの人々の成仏も同時に実現 することの出来る南無妙法蓮華経の題目なのです。(4月)
 
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の(あいだ)は諸仏入定(にゅうじょう)(ところ)なり、舌の上は転法輪の所(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)正覚(しょうがく)(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。 『南条殿御返事』 平成新編御書一五六九頁

〈通解〉教主釈尊の一大事の秘法(本門の本尊)として霊鷲山にて相伝し、日蓮の肉団の胸中に秘して隠し持っている。であれば日蓮が胸の
は諸仏入定であり、舌の上は諸仏が法論を転ずる所、(のど)は誕生の処、口中正覚の悟りを開く場所である。このようなう思慮を絶した尊い法華経の行者が住むところであるので、どうして霊山浄土に劣ろうか(3月)
三十三のやく()は転じて三十三のさいは()ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか()うなり、福はかさ()なり候べし。 『四条金吾殿女房御返事』 平成新編御書七五七頁

〈通解〉三十三の厄(やく)はかえって三十三の福となるでありましょう。 「七難即滅・七福即生」というのはこのことです。年は若くなり、福運は重なっ ていくことでしょう。(2月)
正月の一日は日のはじめ、月の始め、とし()のはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさして()つがごとく、日の東より西へわたりてあき()らかなるがごとく、とくもまさり人にもあい()せられ候なり。『十字御書平成新編御書一五五一頁

〈通解〉正月の一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、そして春の 始めであります。これを正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から 東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡って行くにしたが って明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです。 2月 『四条金吾殿女房御返事』  三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生 とは是なり。年はわかうなり、福はかさなり候べし。(平成21年1月)
世間・出世善き者は乏しく、悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ(あなが)ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少(さしょう)なり。汝只正理を以て(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。『 聖愚問答抄 』平成新編御書 四〇二頁


〈通解〉世間のうえからも出世間のうえからも、善人は少なく、悪人が多いことは、目に見えて明らかである。そうであるならば、どうして信じている数が少ないことを卑しみ、多いことを価値あるものだとするのか。土砂は多いけれども、米穀は稀である。木の皮はたくさんあるが、布絹はわずかである。あなたは、ただ正しい道理を第一とすべきであり、別して信じている人数が多いかどうかを判断基準にしてはならない。平成20年12月

心は日蓮に同意なれども身は別なれば、()同罪(どうざい)のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ(まい)らせけるこそありがたく候へ。今は御用ひなくもあれ、殿の御(とが)(のが)れ給ひぬ。『主君耳入此法門免与同罪事』平成新編御書七四四頁

〈通解〉あなたは、心は私(日蓮)に同意していても、身体(からだ)は謗法の主君に(つか)える身であるため、与同罪からは(のが)れられない立場にあった。しかし、主君に対してこの法華経の法門を説いて聞かせたことは、まことに尊いことである。主君は今は信心をしなくても、主君を折伏したことにより、あなたは与同罪を(まぬが)れることができたのである。(11月
法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。『最蓮房御返事』平成新編御書六四二頁

〈通解〉法華経の行者は、信心に退転なく身に(いつわ)りの親しみなく、すべてを法華経にその身を任せて金言のとおりするならば、慥かに後生は言うに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得て、広宣流布の大願も成就することであろう。(10月
願はくは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん。我を(たす)くる弟子等をば釈尊に之を申さん。我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を(まい) らせん。『顕仏未来記』平成新編御書六七八頁

〈通解〉ただひたすら願うことは、私を迫害し損(そこ)なおうとする国主たち
をまず最初に導こうということである。私を支(ささ)えてくれる弟子たちのことを、まず釈尊に申し上げよう。私を産(う)んで下さった両親た
ちには、まだ生きているうちにこの大善の功徳を差し上げたい。9月
わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。(中略) 法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげの()うがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかを()ばしさのそなえたるがごとし。『十字御書』平成新編御書一五五一頁

〈通解〉災いは口より出でて自分の身を破る。幸いは心より出でて我を飾る。(中略) 今また法華経を信ずる人は、幸いを万里の外より招き集めるであろう。影は体より生じているように、法華経を敵とする人の国は、体に影が添うように災いが現れるであろう。これに対して法華経を信ずる人は、最上の香木である栴檀(せんだん)が極上の薫香(くんこう)を具(そな)えているように、幸福の果報が顕(あらわ)れるであろう。8月) 
願はくは「現世安穏後生善処(げんせあんのんごしょうぜんしょ)」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。持妙法華問答抄平成新編御書三〇〇頁

〈通解〉 願わくは「現世は安穏であり、後世には善処に生まれる」と仰せの妙法を持つことのみが、今生の真の名聞であり、後世の成仏への手引きとなるのである。すべて心を一つにして、南無妙法蓮華経と我も唱え、人にも勧めることが、人間としての今生の思い出なのである。(7月
 

云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていまし()めざる事、眼耳の二徳(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして(いつわ)り親しむは即ち(これ)彼が怨なり」等云云。重罪消滅しがたし。阿仏房尼御前御返事 平成新編御書九〇六頁


〈通解〉 折伏をすることによって過去遠々刧の罪障を消滅することができるものを、謗法の者を見たり聞いたりしているにもかかわらず、自分の判断で誡めないのは、自分自身の眼耳の二徳も破れ、また相手に対しても大無慈悲となる。章安大師は、「慈悲の心なく、謗法の者に話しもせず、うわべだけ付き合う事は、かえって怨となってしまう」等、仰せである。これは重罪であり、この罪は消えがたいのである。(6月 

此の経を()()くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来れども「憶持不忘(おくじふもう)」の人は(まれ)なるなり。受くるはやす()く、持つはかた()し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に()ふべしと心得て持つなり。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書七七五頁

〈通解〉 この経(法華経)を聞いて信じる人は多い。しかし、大難が来た時に、聞き受けた通りに心に銘記して忘れない人はまれである。「受ける」ことはやさしく、「持つ」ことは難しい。しかるに、成仏は持ち続けることにある。5月) 
今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生(りしょう)(とく)(やく)有るべき時なり。されば此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に(たも)ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。『御講聞書』平成新編御書七七五頁

〈通解〉現在、末法は、南無妙法蓮華経の五字・七字の題目を弘めることによって、すべての衆生が成仏の大利益を得るべき時代である。そうであるから、成仏のための正行(しょうぎょう)である南無妙法蓮華経に、他の教法や修行を雑えるのはまちがいである。この南無妙法蓮華経の大曼荼羅御本尊を受持し、身口意(しんくい)の三業(さんごう)をもって、心で念じ口で唱え、全身で信心修行申し上げていく時なのである。(4月) 
 
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ(やぶ)れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は(これ)安全にして、心は是禅定ならん。此の(ことば)此の(こと)信ずべく(あが)むべし。立正安国論』 平成新編御書二五〇頁

〈通解〉貴方は一刻も早く邪法に対する信仰の心を改めて、速やかに最高の大善である実大乗の法華経に帰依しなさい。そうすれば迷いの多いこの世界は皆仏国土となるのである。仏国土がどうして衰えることがあろうか。仏国土の全体はすべて宝の国土である。この宝の国土がどうして壊れようか。国土に衰退や破壊がなければその処に居住する人々の身は安全であり心は平安である。この言葉を信ずるべきであり、崇めるべきである。平成
20年3月