ホーム 日蓮大聖人御書の一節日如上人猊下御指南抄

法主日如上人猊下御指南抄 
 
                                  年度/22~23| 24~2728~30 
 
 
 十二月
 
 我々の戦いは、御本仏大聖人様の御遺命のままに、世のため、人のため、一切衆生救済のため、一天四海本因妙広宣流布を目指した崇高なる戦いであります。
 されば、今、我々も、万難を排して妙法広布に生きることこそ、大聖人様の弟子檀那として、最も価値ある生き方ではなかろうかと思います。

              平成二十五年十月 広布唱題会の砌
 

  十一月
  折伏はしたが、育成をないがしろにしてしまえば、折伏された人にとっても不幸であり、折伏した人もまた、無慈悲の侮りを受けることになります。
 その育成を図るためには、講中がいかに育成が大事であるかを銘記して、講中全体が育成に真剣に取り組んでいかなければなりません。
            平成二十七年十一月 広布唱題会の砌
 

  十月
 大聖人様は『上野殿御消息』に、
「されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり」(御書九二三頁)
と、仰せであります。
すなわち、妙法を持ち、信心をしている人は、それ自体がおのずと父母の恩を報ずることになっているということであります。たとえ、自分の心では親の恩を報ずることになるとは思っていなくとも、御本尊様の広大無辺なる仏力・法力によって、恩に報いることができるのであると仰せられているのであります。
             平成二十五年度 少年部大会の砌
 

  九月
  「艱難、汝を玉にす」という言葉もあります。
行く手を阻む様々な困難を乗り越え、物事を成就していくことは、たしかに難事ではありますが、しかし自行化他の信心に励み、諸難をものとせず、己れを磨き、所願を達成していくところに、我々の一生成仏の鍵があることを銘記すべきであります。

    平成二五年十月 広布唱題会の砌
 

  八月
  今、末法は「邪智・謗法の者の多き時」であり、この時は、何を差し置いても折伏ををもって謗法を破折して、塗炭お苦しみに喘ぐ人々に妙法を下種し、一人でも多くの人を救っていかなければならないのであります。

    平成二十五年八月 広布推進会の砌
 

  七月
  『辨殿御消息』には、
 「なづきをくだきているのに、いままでしるしなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ」(御書九九八)
と仰せられ、頭が砕けるほどに祈り祈っても、祈りがかなわないのは「心のひるがへる人」すなわち、異体異心の者がいるからであると、厳しく御制裁あそばされているのであります。
 まさに、広宣流布の戦いにおいて最も大事なことは異体同心の団結であることを、一人ひとりが心に刻み、広布達成を期して、これからもなお一層の団結を固めていくことが肝要であります。

    平成三十年四月二十一日 於台湾 
 

  六月
  不幸の根源となる謗法を退治するためには、まず第一に大御本尊様への微動だにもしない、確乎不抜(ふばつ) の絶対的確信を持つことであります。その大御本尊様 への絶対的確信のもとに、謗法厳戒の宗是を固く守り、自行化他の信心に励むところ、必ず転迷開悟の大功徳を享受することができるのであります。
 大御本尊様 は『御講聞書』に、
今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益(りしょうとくやく)有るべき時なり。
と仰せであります。
     平成二十七年八月 広布推進会の砌
 

  五月
  我々の一人ひとりの折伏は、小さなことに感じるしかもしれません。しかし、みんなで折伏すれば、大きく変わるはずです。つまり、我々一人ひとりの折伏は、手を抜いてはダメなのです。この一人ひとりの折伏こそが大きな力になっていくのです。「一文一句なりともかたらせ給ふべし」というのが、大聖人様 の御言葉です。たとえ一文一句なりとも、折伏していくことが大事なのです。

  法顕寺板御本尊入仏式の砌平成二十九年十月 
 

  四月
  世の中の多くの人々は、自分の死を眼前にしなければ、生死の問題を真剣に考えようとはせず、頭では解っていても、日頃の煩雑さに紛れ、あるいは快楽や世間の名聞や体裁に報われて、虚しく一生を過ごし、六道を輪廻しているのが現状であります。しかしながら、いかなる人も死を免れることは出来ないのでのでありますから、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を信じ、生死の理を正しく領解して、未来永劫にわたる幸せの境界を、今こそ築いていくことが、最も肝要なのであります。
  平成二十九年十月 広布唱題会の砌
 

  三月
  ます。我々の折伏は、理屈の言い合いではないのです。邪義邪宗の害毒によって苦悩に喘ぐ人を救っていくのですから、これはお題目しかないでしょう。お題目を唱えて、我が命に大きな後仏智を頂き、その心で折伏をしていくことが大事なのであります。
           平成二十七年法華講夏期講習会
 

  二月
  大聖人様は、桜梅桃李ということをお示しになっているように桜は桜、梅は梅と、それぞれが長所をしっかり伸ばし、広宣流布という一点に力を合わせていくところに真の団結が生まれてくるのです。
           平成二十七年法華講夏期講習会
 

  平成三十年一月
  仏法の上から申し上げるならば、自分を折伏してくれた人に対する感謝と恩返しは、今度は自分が折伏する立場に立って、いまだこの大法を知らない人のために、一切衆生救済の秘法たる大聖人の仏法を説いていくこと、すなわち折伏することこそが、最高の恩返しとなるのであります。
           平成二十九年九月三日 於 総本山
 

  平成二十九年十二月
  私達日蓮正宗僧俗の真実の報恩行とは、三大秘法の御本尊様を御建立あそばされた大聖人様の大慈大悲をお心とし、不自惜身命の信心で破邪顕正の折伏を実践するところにあることを、よく明記するべきであります。
          
平成二十九年九月三日 於 総本山 
 

  十一月  
  お題目をしっかり唱えて折伏する、これが私達の信心の原点であります。
 それが、世の中のためでもありますが、同時に、自分自身の一生成仏のためでもあるわけです。このことを念頭に置いて、これからもしっかりと頑張っていただきたいと思います。
        平成二十九年五月二十八日 法華講夏期講習会第二期の砌
 

 十月 
  結局、折伏は、出来ないのではなく、やらないからできないのです。だから、やれば必ず出来るのです。大聖人様の弟子檀那たるならば、たとえ一文一句なりとも、折伏することが肝要であります。『諸法実相抄』のなかで、大聖人様は、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と、たとえ一文一句なりとも折伏をしなさいとおっしゃっております。
        平成二十九年五月二十八日 法華講夏期講習会第二期の砌 
 

   九月
  折伏は、間違った宗教への頑迷な執着を取り除き、真の幸せを招来する正しい信仰に導き入れる最善の方途であります。それだけに、単なるものの勧誘とは異なり、相手の命に食い込む真剣な対話がなければならないのであります。折伏する側の言葉、態度が相手に与える影響は極めて大きいことを知らなければなりません。
 したがって、折伏に当たっては、まず己自身が大御本尊様の広大無辺なる功徳を拝信して、絶対的な確信を持って唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に当たることが肝要であります。
        平成二十九年七月二日 於 総本山
 

  八月

  常に信心を中心にして対処していくことを、きちんと頭の中に入れておかなければだめなのです。何かあったら、お題目で乗りきる、折伏で乗りきる。これはあらゆる事に通じます。これが、我々の信心ななのです。
 人生にはいろいろなことがありますけれども、信心の根本をしっかりと持っていれば、きちんと御本尊様に対する絶対信をもって一生懸命にお題目を唱え、折伏することによってどのような大変な問題も乗り越えていくことができるのであります。  
       平成二十九年五月二十一日 於 総本山
 

 
  七月
  厳しい戦いであればこそ、困難を乗り越え、戦いきって請願を達成した時の喜びと充実感は計り知れないものがあると思います。かつ、様々な障魔や障害を乗り越えて、請願達成に戦っていくことは、一人ひとりが御本仏大聖人様の弟子檀那として、御遺命を拝して広布の戦いに挺身しているわけでありますから、その功徳はまことに計り知れない大きなものがあると存じます。
 されば、皆様には誓願達成へ向けて、なお一層の御精進を願うものであります。   

      平成二十五年八月度広布唱題会の砌
 

  六月
  徳を積むことは、まことに大事なことであります。同じことを言っても、徳のない人の言葉は相手に通じません。まさに徳を積むと言うことが、非常に大事なことでありまして、その徳を積む秘訣こそ、唱題であります。
 しっかりとお題目を唱えて、妙法の功徳を我が身に植え付けていくことが大事なのです。
          法華講講頭会でのお言葉
 

  五月
  よく聞く話ではありますけれども、折伏できない理由に折伏できない理由に「小さい支部だから」「都会と違って田舎だから」「大きい支部だから」「いくら言ってもみんながやらないから」などなど、これは愚痴ではあります。愚痴を言って、負けた理由を他人に転嫁するようなことは、かえって講中の和を乱し、ますます泥沼化するだけであります。
        法華講講頭会でのお言葉
 

  四月
 我々は人間に生まれてきて、そして何をなすべきなのか。(中略)やはり世のため」人のために尽くしていくということが大切なのであり(中略)我々が折伏をするのは、やはり一切衆生救済という慈悲行に徹するからであり、世のため、人のためなのです。そこに尽くしていくところにまた、己に尽くす因が篭められてくるのです。
        (折伏要文59頁)
 

  三月  
 折伏をしてそのままにしておくことは、あたかも赤ん坊を産んでそのままにするようなものであり、これほど無慈悲なことはありません。また、育成をおろそかにするようなことがあれば、まことにもって、その人に対しても、また自分自身に対しても無責任極まる行動となってしまいます。
        二月度  広布唱題会の砌

 

  二月
   謗法に接触したならば、我々は折伏をすればいいのです。
折伏をしないで、まあまあ、やあやあと、お世辞ばっかり言って付き合っていると、やはり仏罰が下りますよという事です。
 大聖人様の教えは、非常に厳しいところがある。けれども、本当に私たちが幸せになろうとするならば、やはり謗法は絶対にしてはいけないのです。
 創価学会の姿を見てご覧なさい。
 戒壇の大御本尊様に対する信仰を否定してしまった。初め皆さん方も、その差は少しだったと思うかも知れません。しかし、何年も経った今はどうでしょう。完全に邪義邪宗そのものでしょう。学会自身も昔は、そういう謗法を破折していたのです。しかし今や、破折していた邪義邪宗になってしまった。だから、やはり小さな謗法から、しっかりと気をつけていかなければならないのです。
          大百法29年2月1日 教徳寺移転新築の砌
 

   平成二十九年一月
   折伏と育成は一体であり、折伏した人を正しく育成していく責任は、折伏した人は勿論のこと講中全体の責任であります。
 講中が折伏と同様、組織を挙げて育成に取り組むことによって、はじめて激烈なる広布の戦いに耐え得る強靱な組織が構築され、更に教線を拡大して一天広布に向かって大きく前進することが出来るのであります。
         平成29年1月1日 新年の辞より
 

  平成二十八年 十二月
 大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「善なれども大善をやぶ()る小善は悪道に堕つるなるべし」(御書 三二三㌻)と仰せであります。すなわち、自分だけの幸せを求める信心は、たとえそれが善であったとしても、その善は「大善をやぶる小善」であり、「悪道に堕つるなるべし」と厳しく仰せられているのであります。
 そもそも、自分だけの幸せを求めて利他に欠けた、つまり折伏行に欠けた利己的な信心は、仏様が最も嫌った姿勢であります。爾前経において、二乗が(よう)不成仏、すなわち永遠に成仏できないと嫌われたことも、ここに起因しているのであります。
 されば、私どもは一人ひとりが自行化他の信心に徹し、自らも(ごう)(じょう)なる信心に励むとともに、邪義邪宗の害毒によって苦悩に(あえ)いでいる多くの人々に対して、救いの手を差し伸べ、折伏を行じていくことが、今、最も大事なのであります。
           平成28年10月度広布唱題会の砌
 

    十一月 
 私達は強盛に折伏を行じていけば、様々な難が競い起こることは必定であります。しかし、それは大聖人様の仏法が正しいからであり、間違った教えでは、魔も驚きませんし、騒ぎもしません。
 私共が正しい信心をしているからこそ、様々な難が蠢動し、難が襲ってくるのであります。
 (中略)私どもは「魔競わずば正法と知るべからず」との御金言をしっかりと心肝に染め、いかなる難が競い起きようが、それを奇貨とし、決然として障魔を打ち払い、折伏を行じていく時、必ず転迷開悟の大功徳を享受し、即身成仏の本懐を遂げることが出来るのであります。
                  大日蓮 平成28年10月号第848号

 

   十月 
  大聖人様は『十法界妙因果抄』に、「慳貪無き諸の善人も謗法に依り亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依って餓鬼道に堕することは、智者に非ざれば之を知らず。能く能く恐るべきか」
 と仰せられていますが、謗法の人に親近して、いつの間にか影響を受けて謗法に与同してしまうことが間々ありますが、それを避けるためには、とにもかくにも法華経を強いて聞かせることが肝要であります。なぜなら、信ずる人は仏に成り、謗ずる者も毒鼓の縁となって必ず成仏するからであります。
 また、己自身も与同罪受けることなく、成仏得道の道を歩むことができるのであります。
 もちろん、ここで「法華経」と仰せられているのは、法華経の肝心たる本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。
         平成28年8月度広布唱題会の砌 

 

   九月  
 大聖人様は『最蓮房御返事』に、
「信心に退転無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行洗馬、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願も成就すべき成り」(中略)と、懈怠や詐りのない純真なる信心をもって、一切を大御本尊様 へ任せて、御金言のままに自行化他の信心に励むところ、後生は申すまでもなく、今生においても「息災延命」すなわち、災いをとどめ寿命を延ばし、災難や障害のない、幸福にして揺るぎない最高の境界、生活を送ることができ、広宣流布の大願も必ずかなうことが出来ると仰せられているのであります。全文はこちら
 平成28年唱題行(7月1日)の砌 於総本山

 

    八月

『世の中が混迷する原因は、その思想の乱れから起こるのであります。しかし、その思想の乱れは、なぜ起きるかと言えば、結局、間違った宗教によって起きるのであります。
 されば今、我々は、創価学会をはじめ間違った信仰によって不幸に喘ぐ多くの人々に対し、一日も早く、一切衆生救済の秘法たる日蓮大聖人様の正しい仏法を勧め、折伏していかなければならないのであります。
 『女説修行抄』には、「されば末法今の時法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673)と仰せであります。


 
平成28年6月度 広布唱題会の砌 於 総本山客殿

 

   七月度
 『立正安国論』の聖意に照らすならば、正報たる我ら衆生が一切の謗法を捨てて、実乗の一善たる三大秘法の随一、本門の本尊に帰依せば、その不可思議広大無辺なる妙法の力用によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化されます。それが個から全体へ、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて依報たる国土世間をも変革し、仏国土と化していくのであります。(中略)大聖人様の御聖意を体し、真の世界平和と仏国土実現を目指して、一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行じていくのが、我ら本宗僧俗の大事な使命であります。
 

   六月度
 
「叶い叶わぬは御信心により候べし。全く日蓮のとがにあらず」(御書1519)
という御文があるのです。ここはしっかりと覚えなくてはなりません。朝夕の勤行もしない。お寺にも行かない、折伏もしない。にもかかわらず、たまたま十年に一回くらい御本尊様にお願いしてみようか、といったところで、それはだめなのです。やはり信心がなければならないのです。御本尊様の功徳は、信心の二時をとおして初めて体得することが出来るのであります。ですから、有名な御文として、「仏法は海の如し、唯(ただ)信のみ能(よ)く入る」(御書1388)という御言葉がありますように、仏法というのは広大無辺なる慈悲の上に立っているわけであります。(中略)
 仏法という海には、信心という入り口しかないのです。この信心がない状態でも、祈れば何でもかなうのいうと、けっしてそうではないのです。そこに、朝夕の勤行をはじめ普段の信心が大事だという所以(ゆえん)があるのです。
 

   五月度
  『聖愚問答抄』には、
 「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書403)
と仰せのように、かかる時にこそ、私どもは大聖人様の御金言のままに、身口意の三業にわたってしっかりと題目を唱え、その功徳と歓喜をもって、一切衆生救済の大願に立ち、いかなる障魔が競い起きようとも一歩も退かず、決然として破邪顕正の折伏を行じていくことが肝要であります。
 自らの幸せも、他の人々の幸せも、勇気と確信を持って力強く折伏を行じていくなかにこそ実現することを、けっして忘れてはならないのであります。

 

   四月度
  大聖人様は『弁殿御消息』に、
 「
なづき(頭脳)くだ()きていの()るに、いまゝでしるし()のなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ」(同 九九八頁)
と仰せになっています。
 「なづき」を砕くほどに、いくら祈りを込めて、祈りに祈っても願いがかなわないのは、そのなかに「心のひるがへる人」すなわち、異体異心の者がいるからだと仰せになっているのであります。
 まさに、我々の広布の戦いにとって、異体同心の団結がいかに大事であるかを、先程の『異体同心事』ならびに『生死一大事血脈抄』の御文をよくよく拝読し、まず講中の中心者である講頭、副講頭の方々がこのことをしっかりと認識して、異体同心の固い絆で結ばれた強い講中構築を目指していただきたいと思います。


 

  
   三月度
 
五濁にまみれた末法の本未有善の衆生を成仏に導き、救済する方途はただ一つ、末法の御本仏大聖人がお唱えあそばされた一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を、一人でも多くの人々に下種し、折伏を行じていく以外にはないのであります。
 すなわち、末法本未有善の衆生は、妙法の最高の仏縁に触れてこそ成仏得道がかなえられえるのであって、今こそ、順縁・逆縁を問わず、私たちは妙法を下種し、折伏することが大事なのであります。

     
広布唱題会の砌大日蓮・平成二五年一二月号
 
 
 

   二月度
   講中が一決するというのは、みんなが広宣流布の一点
に心を合わせていくことです。(中略)大聖人様は「桜梅桃李」(御書1797頁)ということをお示しになっているように、桜は桜、梅は梅と、それぞれが長所をしっかりと伸ばし、広宣流布という一点に力を合わせていくところに真の団結が生まれてくるのです。
 これが一番大事なことであり、これはしっかりとお題目を唱えていると、そういう心になるのです。お題目の功徳というのは、それほど広大無辺なのです。 ・・全文はこちら

 
 
   大百法・平成27年10月1日号
 

   平成二十八年一月
 
 
本年は「折伏躍進の年」であります。
 「躍進」とは辞書によれば、「踊りあがってすすむこと。勢いよく突進すること。目ざましい勢いで進出すること」等とあります。
 即ち、本年「折伏の年」は、全講中が僧俗一致・異体同心の団結のもと、身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴(ほうたい)し、地涌の菩薩の眷属としての自覚と誇りを持って、一天四海本因妙広宣流布を目指し勇猛果敢に折伏実践を急躬行(きゅうこう)して誓願を達成すべき誠に大事な年であります。
 その折伏誓願達成の為の絶対要件は、僧俗一致・異体同心の団結であります。

         
大日蓮二十八年一月号(新年の辞)
 
 
     
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