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六十八世法主日如上人猊下御指南抄
                             年度/22〜23| 24〜2728〜30


   〈平成二十七年十二月〉
 折伏というのはその人を救うことでありますが、その人が救われるためには、ただ入信をしただけでは、過去遠々劫からの罪障を消滅し、本当の幸せを掴むことはできません。その人が自行化他の信心に励むところに、成仏の道が開かれてくるのでありますから、「成仏は持つにあり」と御教示あそばされているのであります。(中略)
 具体的には、折伏をしたら信心の基本を正しく教えることが大事でありまして、朝夕の勤行を教え、戒壇の大御本尊様への登山参詣を教え、御講への参詣を教え、折伏することを教えていく、すなわち自行化他の信心を教えていく、これが育成であります。・・全文はこちら
 
平成27年9月度 広布唱題会の砌 於 総本山客殿
 

  十一月度
 手を抜かずに折伏を続けていくことが極めて大事であります。
 忙しい中にも時間を作り、弛まず折伏を続けていくところに自他の成仏、すなわち己れ自身の一生成仏もかない、苦悩にあえぐ人々を救うことがとができるのであります。・・全文はこちら

 御指南集I47頁 
 
 

 十月度
 帰命ということには色々な解釈がありますけれども、一つには、我々の一生というのは、言うなれば、我々に与えられた時間であります。ですから、命を奉るということは、その尊い時間を、一生の間で、どれだけ仏様に奉ることができるのかということとも言えるでしょう。それを変に誤解して、腹を切ることだけが命を奉るというような考えを持つ人がいたとすれば、そのようなことではないのです。やはり、我々に与えられた尊い時間を、どれだけ仏様のために広宣流布のために、一切衆生救済のために使えるかということなのです。 平成成二十七年法華講夏期講習第二期
 

 九月度
 講中全体が不自惜身命の断固たる決意と異体同心の団結をもって折伏を行ていけば、いかかる障魔にも負けない、足腰の強い講中を構築することがでるのであります。そのためには、講中に在って、限られた人だけが折伏をうのではなく、講中全員が強力に折伏を行えるように育成をしていくことであります。・・全文はこちら 
大日蓮・平成二十四年二月号 
 

 八月度
 四法とは、解かりやすく言えば、
一、常に仏の大慈大悲によって護られていることを認識するこ。
二、いつも功徳の元となる善い行いを心掛けるこ。
三、正定聚(しょうじょうじゅ)に入る、すなわち必ず仏に成るべく決定(けつじょう)されている者になること。
四、常に一切衆生を救う心を起こすこと。
 この四法を成就すれば、如来の滅後においても必ずごの経、すなわち妙法蓮華経を得る、つまり成仏することができると説かれているのであります。 
平成二十七年七月一日唱題行の砌 
 

  七月度
 夫(それ)信心と申すは別には」れなく候」(一四六七頁)とありますが、信心とは、ことさら力んで、身構(みがまえ)えて行うものではなくして、我々の普段の生活のなかで、ごく当たり前に行われるものでなければならない、という意味であります。例えば、朝夕(ちょうせき)の勤行にいたしましても、あるいは折伏にいたしましても、信心そのものが日常のなかで、至極当然のこととして行なわれなければならない、ということであります。・・全文はこちら
 
平成27年夏期講習会第一期
 

  六月度
 今、不幸な方々がたくさんんいる中で、法華講は何をすべきか。戒壇の御本尊様を信じなくなってしまった、創価学会の哀れな姿を見てくだい。この学会員を救っていけるのは、我々だけなのであります。我々の責任において、すべてを救っていかなければばなりません。
 私は、師匠であった妙観院日慈上人から「信心とは折伏なり」と教わりました。
 まさしく、私もそのように思います。我々、日蓮正宗は折伏の集団であります。つまり、世の中を良くし、人々を幸せにしていく集団なのです。・・全文はこちら
 法華講講頭会の御指南
 

 五月度
 今、不幸な方々がたくさんいる中で、法華講は何をすべきか。戒壇の大御本尊様を信じなくなってしまった、創価学会の哀れな姿を見てください。
 この学会員を救っていけるのは、我々だけなのであります。我々の責任において、すべて救っていかなければなりません。
 私は、師匠であった妙観院日慈上人から「信心とは折伏なり」と教わりました。
まさしく私もそのように思います。我々、日蓮正宗は折伏の集団であります。つまり、世の中を良くし、人々を幸せにしていく集団なのです。 ・・全文はこちら
 
法華講講頭会の御指南
 

 五月度
 来るべき平成三十三年の戦いは、今の様々な状況から見ると、けっして楽いではなく、厳しい戦いになると思います。けれども、邪義邪宗を破折して正法を弘めていくという厳しい戦いだからこそ功徳があるのです。その渦中にあえて臨んでいく決意と行動を起こさなければ、我々は本当の幸せを掴むことはできないのであります。 
法華講講頭会の御指南 
 

 四月度
 折伏と育成を比べて、折伏といいますと積極的・攻撃的であり、育成というと消極的・保守的であって、守りという捉之方をする人かおりますが、実際はそうでは無いのです。両方とも化他行で一体ですから、これをしっかりと行わないと、世代交代がうまくいかないうことがあるのです。
 だから、支部のなかには活動する人がいるのだけれども、その人たちがだんだん年をとってくると、跡継ぎがいないからガタッと折伏能力が落ちてしまうということが実際にあるのです。これではだめなのです。
 (略)育成をおろそかにすると、講中は衰退してしまって、昔の面影だけが残ったような形になってしまうのです。 ・・全文はこちら
 
講頭お目通りの砌 平成24年1月
 

 三月度
  自分だけのために、いくらお題目を唱えても、だめですよ。「末法に入って今日蓮が唱ふ所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(五九四頁)ですから、やはり折伏をしなければ本物ではありません。
 だから、時々「私は一生懸命、信心をしているのだけれども、なかなか功徳がない」と言う人がいますけれども、では、どういう信心をしているのか。それが自分のためだけの信心であるならば、それは二乗根性に等しい信心ですから、そこには本当の功徳はありません。
 広宣流布というのは化他行ですから、広宣流布を忘れた信心であるならば、いくら行っても意味はありません。
 そこに我々が毎日毎日、折伏を行じていく尊い理由があるのであります。法華講夏期講習会第一期(平成二十六年五月十八日
 

  二月度
 折伏した人を育てる、育成するということは大事です。そのことをしっかりと行うことによって、本当に力のある講中に必ずなっていきます。
 しかし、育成をおろそかにすると、講中がだめになってしまうのです。折伏はしたけれども、勤行も教えない、御講に来ることも教えない、御登山することも教えなければ、どうなってしまうでしょう。それまでの下種折伏が、全く無になってしまいます。
 せっかく縁あって救われた人が、また遠ざかってしまいますよ。
 もしも、そうなったならばは折伏した人の罪です。
 ですから、我々は育成ということしっかりと心掛けていかなければめなのです。自行化他にわたる題目を唱えていくなかでは、一人ひとりがそのことを、しっかり見直してだきたいと思います。
 ・・全文はこちら
平成二十四年度法華講夏期講習会 第三期
 

 平成二十七年一月度
 我らは血脈正統の本宗に身を置く我等は、身の福徳を心から深謝すると共に、猶一層の精進を以って、創価学会の邪義を破折し、邪義謗法の害毒によって苦しんでいる人々に対して、破邪顕正の折伏を実践すると共に、一天四海本因妙広宣流布を目指し、近くは、第二祖日興上人の御生誕七百七十年を晴れて迎えられますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。
 平成二十七年一月一日 新年之辞  
 

 十二月度
 広宣流布は我々の努力なしでは達成することはできません。
 そこに今、我々が大聖人様の弟子檀那として、一切衆生救済の慈悲行である折伏をなすべき大事な使命があり、責務が存していることを知らなければなりません。そして、その使命と責務を果たしていくところに、我ら自身もまた広大なる御仏智を(こうむ)り、計り知れない大きな功徳を享受することができるのであります。 平成二十六年十一月二日 広布唱題会の砌
 

 十月度
  妙法の力は広大無辺にして、いかに罪障深き者でも必ず救うことができますが、ただし、これも信心の厚薄によることを忘れてばかりません。
 故に『目女御前御返事』には、
 「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり。信心の厚薄によるべきなり」(同1388)
と仰せられているのであります。(中略)
 悪逆非道の提婆達多であろうが、蛇身の竜女であろうが、一切衆生ことごとくを救済し、成仏の直道に導けるのは大聖人様の仏法以外にはないことを、一人ひとりが銘記し、講中の総力を結集し、異体同心して折伏を行じ、もって誓願は必ず達成されますよう心からお祈りする次第であります。 
平成二十六年八月度 広布唱題会の砌
 

  九月度
 まさに今、私どもは宗門挙げて、法華講員五〇パーセント増の誓願達ヘ向けて、昼夜を分かたず懸命に折伏を行じておりますが、この誓願達成のために絶対不可欠な要件とは、講中が志を同じくして一体となり、一致団結・異体同心したこ釈戦いを展問していくことであります。 
 ただし、この団結が言葉だけのものであったり、単なる掛け声であったり、表向きだけのものであったり、他人頼みだけのものてあったりしては、真の団結とはならず、誓願は違式できません。
 つまり異体同心の団結とは、言葉ではなく、実践を通して初めて生まれるものであって、口でいくら 「団結、団結」と叫んでも、実行が伴わなければ大聖人様の御意にかなうものではありません。
 講中が一結して、誓傾達の一点にすべての行動の焦点を合わせ、共に折伏に歩き、共に広布を語り、共に励まし合い、共に障魔を打ち砕き、共に困難を乗り越え、お互いが信心を根本とした実践活動を通して、初めて真の団結が生まれるのであります。 
平成二十六年八月度 広布唱題会の砌 
 

  八月度
 妙法信受の功徳は、爾前権経で説くような歴劫修行や改転の成仏、すなわち女人が女身を改めて男子となって成仏することや、悪人が善人となって成仏するのではなく、女人であれ、悪人であれ、たとえいかなる人であろうとも、その身そのままに成仏することができると説かれているのであります。
 ただし、そこには大事な条件がありまして、本門戒壇の大御本尊を()(みょう)()()の本尊と仰ぎ奉り、無二に信じ奉る()()(わっ)(しん)の信心こそ、肝要であることを忘れてはなりません。
 よって法華経譬喩品には、智慧第一と言われた舎利弗すら信心によって得道したことを()げて、「以信得入」すなわち、ただ信のみが仏道修行の(よう)(てい)であると説かれ、一切衆生はことごとく、信心をもって成仏することができるのであると仰せられているのであります。
  と同時に、その信心は単に自己のみの信心ではなく、自行化他にわたる信心こそ肝要であります。
 どうぞ皆様には、今日を機にさらに強盛なる信心に住して、全支部が必ず誓願を達成されますようお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。・・全文はこちら
平成二十六年七月度 広布唱題会の砌
 

 七月度 
 妙法信受の功徳は、爾前権経で説くような歴劫修行や改転の成仏、すなわち女人が女身を改めて男子となって成仏することや、悪人が善人となって成仏するのではなく、女人であれ、悪人であれ、たとえいかなる人であろうとも、その身そのままに成仏することができると説かれているのであります。
 ただし、そこには大事な条件がありまして、本門戒壇の大御本尊を()(みょう)()()の本尊と仰ぎ奉り、無二に信じ奉る()()(わっ)(しん)の信心こそ、肝要であることを忘れてはなりません。
 よって法華経譬喩品には、智慧第一と言われた舎利弗すら信心によって得道したことを()げて、「以信得入」すなわち、ただ信のみが仏道修行の(よう)(てい)であると説かれ、一切衆生はことごとく、信心をもって成仏することができるのであると仰せられているのであります。
  と同時に、その信心は単に自己のみの信心ではなく、自行化他にわたる信心こそ肝要であります。
 どうぞ皆様には、今日を機にさらに強盛なる信心に住して、全支部が必ず誓願を達成されますようお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。  大日蓮 平成二六年六月号
 

  六月度
 自行化他と言われるように、唱題と折伏は一体であります。つまり、自行と化他は一体でなければなりません。同じように、唱題と折伏は一体であります。
 したがって、今、申し上げました通りに、まず唱題をしっかりする。しかし、唱題が唱題だけに終わるのでけなくして、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが、極めて大切であります。このことを、皆様方にはよくよく、しっかりと銘記していただきたいと思います。
 したがって、もし唱題がしっかりと行われていませんと、そこに必ず魔が入るのです。
 唱題をしないと、そういうすきまを自分自身や講中に作ってしまうのです。
 法華講講頭会の瑚 大目蓮・平成二五年五月号
 

  五月度
 『法華初心成仏抄』には、
 「とてもかくても法華経を()ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は(どっ)()の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(同 一三一六n)
と仰せであります。
 まさしく一切衆生救済の最善の慈悲行こそ折伏であり、その折伏は、妙法の話を聞いて信じた人はもちろんのこと、「毒鼓の縁」が示すように、たとえ聞く心がない人でも、やがて妙法を耳にした縁によって、必ず逆縁成仏することができるのであります。
 されば、今、我々はこれらの御金言を一人ひとりが心肝に染め、地涌の菩薩の眷属としての振る舞いと、異体同心の団結をもって、来たるべき明年の日興上人御生誕七百七十年、法華講員五〇パーセント増の誓願達成へ向けて、破邪顕正の大折伏戦を実践していくことこそ、今、最も肝要であり、急務であります。
 どうぞ皆様には、誓願達成を期して、講中一結して唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出て、すべての支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。平成二十六年 四月度 広布唱題会の砌
 

   四月度
 誓願達成の成否を決定するこれからの一年間の戦いはまことに大事であり、全国の各支部はこの戦いに完全勝利すべく、僧俗一致の体勢を調え、折伏に継ぐ折伏をもって誓願達成の戦いに臨んでいただきたいと思います。
 そもそも、折伏は一切衆生救済の最善の慈悲行であります。
 この折伏を断固たる決意と勇気をもって実践するためには、常日ごろからしっかりと唱題を重ね、その功徳をもって折伏に当たることが大事であります。
 されば『持妙法華問答抄』には、
 「願はくは『(げん)()(あん)(のん)()(しょう)(ぜん)(しょ)』の妙法を持つのみこそ、(ただ)今生の(みょう)(もん)後世の(ろう)(いん)なるべけれ。(すべから)く心一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも(すす)めんのみこそ、今生人界の(おも)(いで)なるべき」(御書 三〇〇n)と仰せであります。
 我ら末法の衆生は難を恐れていたのでは、過去遠々劫からのたび重なる罪障も、難も消滅することはできません。
  たとえ、いかなる困難や障害が(じゃっ)()しようが、無疑(わっ)(しん)の信に住し、微動だにしない強盛な信心があれば、転迷開悟の大功徳を必ず享受することができるのであります。
 ただし、「(かな)ひ叶はぬは御信心により候ベし」(同 一五一九n)と仰せの通り、我らの願いは、我々自身の信心いかんによって決まることを、よくよく銘記すべきであります。平成二十六年 三月度 広布唱題会の砌
 

   三月度
 世の中の不幸と苦悩と混乱の原因は、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあり、この謗法をそのままにして破折もせず、放置しておくことは、世間をはじめ我が身にとっても、知らず知らずのうちに与同罪を受けて、謗法の害毒に侵されることとなるため、厳しく謗法を責めよと仰せられているのであります。
(中略)
 たしかに、我々一人ひとりの力は小さくとも、広布へ向かって心を合わせ、一致団結していけば、やがて大海ともなり、須弥山ともなり、計り知れない大きな力となり、広布へ向かって大きく前進することができるのであります。(中略)
 まさしく、今、求められているのは、講中の一人ひとりが、誓願達成へ向けて共通の目的と強い意識を持ち、異体同心して破邪顕正の折伏を断固として行じていくことであります。平成二十六年 二月度 広布唱題会の砌
 

  二月度
 本年度は、いかなる困難や障害が起き、行く手を
(はば)もうとも、全支部ともに一致団結し、講中の総力を結集して縦横無尽に大折伏戦を展開し、本年度を必ず勝利して、もって平成二十七年の法華講員五十パーセント増の誓願を必ず達成されますよう、心から願うものであります。
 大聖人様は『開目抄』に、
 「今、日蓮、
(ごう)(じょう)に国土の謗法を責むれば、此の大難の来たるは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし。鉄は火に値()はざれば黒し、火と合ひぬれば赤し。木をもって急流をかけば、波、山のごとし。(ねむ)れる師子に手をつくれば大いに吼()ゆ」(御書 五七三n)
と仰せであります。
 我々が正法広布に身を捧げ、邪義邪宗の謗法を退治し、折伏を行じていけば、必ず魔が(しゅん)(どう)し、大難が超きることは(ひつ)(じょう)であります。しかし、その大難こそ、我々が過去に積んできた様々な罪障を呼び起こし、消滅する絶好の機会の到来を告げているのであります。大百法 平成二十六年一月度 広布唱題会の砌
 

 平成二十六年一月度 
 中国の故事に、
 「勇闘すれば則ち生き、勇ならざれば則ち死せん」
と云う言葉があります。
 力の限り戦えば生き残ることが出来ますが、そうでなければ生き残れないと云うことであります。
 応(まさ)に折伏もその通り、崇高なる一天広布の願業達成を目指して身軽法重・死身弘法の決意を以って随力弘通するところ、必ず諸天善神も守らせ給い、勝利は確約されるのであります。
 されば、大聖人は『種々御振舞御書』に、
 「法華経の肝心、諸仏の
(げん)(もく)たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提ろまらせ給ふべき瑞相に日蓮さきがけしたり。わたうども二陣三陣つゞきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし」(御書 一○五七n)
と仰せであります。
 第二祖日興上人御生誕七百七十年まで残り一年余、本年はすべての支部が「折伏貫徹」を旨に全力を出し切り、来たるべき平成二十七年の誓願達成へ向けて愈々御精進されますよう心から念じ、新年の辞とします。大百法 平成二十六年一月一日度度 第八七六号
 

 十二月度
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
 「今の世は
(じょく)()なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。()の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。(ただ)折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(御書 四〇三n)
と仰せであります。
 五濁にまみれた末法の本未有善の衆生を成仏に導き、救済する方途はただ一つ、末法の御本仏大聖人がお唱えあそばされた一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を、一人でも多くの人々に下種し、折伏を行じていく以外にはないのであります。平成二十五年 十一月度広布唱題会の砌
 

  十一月度 
 法華経に、「若有開法者 無一不成仏」(法華経一一八)という経文部あります。これは方便品のなかにある経文でありますけれども、この経文について大聖人様は「百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり」(御言一五七四)と仰せになっております。
 このことをもってして、私達は大きな功徳を頂戴しているのでありますけれども、併せて大切なことは、この御本尊様の大きな功徳を己れだけのものにするのではなくして、自行化他の信心、つまり自分ち、そして他の人をも救っていく、このことが末法においては大切であります。
丁義山真興寺落慶人仏式の砌、大目蓮・平成二四年六月号
 

  十月度 
 今の世の中を見ますると、いつも苦しんでいながら、いつの間にか苦しみに慣れてしまって、苦しみを苦しみとも思わず、惰性に流された生活から抜け出そうともしない。そのくせ、かりそめの苦しみに耽り、はかないつかの間の喜びに満足して、もっと大きな喜び、本当の喜びがあるにもかかわらず、それを求めようともしない。
 その様は、あたかも「三車火宅の替え」にあるように、燃えさかる家のなかに在って、危険が迫っているにもかかわらず、遊びほうけている子供達の姿と同じであります。
 私どもは、こうした人々に対して、苦しみの根源は何か、真の幸せを築くためには何をなすべきかを心を込めて説き、一人でも多くの人に大聖人様の仏法を下種結縁して、折伏を行じていかなくてはなりません。
平成二十五年九月度広布唱題会の砌 
 

  九月度 
 御本尊様のお力は、我々の信力・行力がなければ顕れてきません。御本尊様に当然、仏力・法力が備わっていらっしゃいます。しかし、その仏力・法力は我々の行力・信力と相俟(あいま)って、つまり四力が成就して初めて、功徳となって顕れるのです。だから、信力・行力を奮い起こして自行化他のの信心に励む、つまり、しっかりとお題目を唱えて、自分自身の幸せを願い、そして多くの人達の幸せを願っていくという信心姿勢が、今、最も大切ではないかと思います。
法華講夏期講う習会第二期平成二十五年八月号 大日蓮
 

  八月度 
 折伏は'第一に折伏された人に功徳があります。折伏された人は、大聖人様の仏法に帰依しますから'これは非常に大きな喜びです。
 そして'それと同時に'折伏した人にも功徳があるのです。つまり'過去遠々劫からの様々な罪障を'折伏によって消滅することができるのです。
 ですから'折伏は自分も'それから折伏した相手も'共に幸せになれる修行なのです。したがって'折伏を忘れてしまいますと'日蓮正宗の信心は成立しないのです。
 
大日蓮 平成二十四年十一月号
 

  七月度 
 寺院の興隆発展は、その国、その地域における正法弘通が進み、一歩一歩、力強く、かつ確実に広宣流布に向かって前進している証であります。
広宣流布への道のりは、大聖人様の御化導がそうであったように、二人、三人、百人と次第に伝え、下種折伏していくことが肝要であります。特に、末法本未有善の衆生は、自ら法を求めてくる方はほとんどありません。こちらから積極的に下種し、折伏をしていくことが大事なのであります。
 折伏は、たとえ相手が反対したとしても、妙法を下種しとことによって縁を結び、その縁によってやがて入信し、即身成仏の本懐を果たすことができるのであります。
(妙照院移転落慶法要・平成二十四年九月号)
 

  六月度
 我々は御本仏大聖人が御建立あそばされた本門戒壇の大御本尊を帰命依止の御本尊と拝し奉り、至心に妙法蓮華経と唱え奉るとともに、邪義邪宗の害毒によって苦しむ人達に対し、一切衆生救済の秘法たる妙法蓮華経を下種し、折伏を行じていくことこそ、今日における我らの最も大事な使命であることを自覚し、講中挙げてこれを実践していただきたいと思います。平成二五年三月 法華講連合会 第五十回総会の砌
 
   五月度 
 一切衆生救済の最善の慈悲行であります。
 大聖人は『諌暁八幡抄』に、
 「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月廿八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(同1539)
と仰せられ、久遠元初の御本仏が末法に御出現あそばされ、宗旨を御建立あそばされた目的は、ただひとえに一切衆生をしてことごとく成仏の直道に導くためであることを明かされております。
 されば、私どもはこの御本仏大聖人の広大無辺なる大慈大悲のお心を深く拝し、一人ひとりが不動の信念を持って、一天四海本因妙広宣流布へ向かって、一意専心、折伏を行じ、もって御本仏大聖人の大慈大悲にお応えしていかなければならないと思います。
平成二五年四月度 広布唱題会の砌
 

   四月度
 我々の信心において何が大事かと申しますと、大御本尊様に対する絶対的な信、すなわち「無疑曰信」の信であります。
事実、折伏が盛んな支部は、講中一同が誓願達成のための唱題行を行い、講中一同が心を一つにして誓願達成へ向けて戦っております。
結局、折伏はもちろん、何事を成すのも唱題行を根本にして、弛まぬ努力をしていくことでありまして、この不断の信心を基本として講中の体勢を整え、折伏、御講参加、登山等に取り組んでいくことが、誓願達成の秘訣と言えるのであります。
平成二五年三月度 広布唱題会の砌 
 

   三月度
 今、日本乃至世界を見ると、人心は極度に撹乱し、世界の至る所で争いごとが絶えず、まさしく末法濁悪の世相そのままの状況を呈しております。こうした惨状を救い、真の世界平和と全人類の幸せを実現するためには、唯一、大聖人の仏法をもってする以外にはないことを、私どもは銘記すべきであります。
 特に、本年は「団結前進の年」であります。講中が文字通り「水魚の思ひを成して異体同心」して立ち上がり、一人も漏れず、広布の戦いに馳せ参じていくところに、本年「団結前進の年」と銘打った意義が存しているのであります。
平成二五年二月度広布唱題会の砌 
 

   二月度 
 昨年度の各支部の折伏達成状況を見ると、折伏が盛んなところは唱題も盛んで、諸般の事情で直接、折伏に参加できない人でも、寺院や拠点に集まって唱題をして折伏達成を御祈念し、講中全員が一致団結・異体同心して誓願達成のため動いております。
昨今の混迷を極める五濁乱漫たる世相を見るとき、今こそ、我々は日夜朝暮に唱題に励み、もって『立正安国論』の御聖意に照らして、一人ひとりが破邪顕正の折伏を行じていかなければならない大事な時を迎えていることを銘記すべきであります。平成25年1月度 広布唱題会の砌
 

   平成二十五年一月度
 講中全体が誓願達成の強い意識を持ち、たとえ折伏に参加する形は様々であっても、異体同心の団結と誓願達成の同一目的を持って、講中が一致団結して全員参加の折伏を実践していくことが大事であります。
 つまり、異体同心の団結を以て、全体行動を起こしていけば、如何なる障魔にも負けない強固な団結の輪が出来、堅牢にして活動的な講中を構築して誓願を達成することが出来るのであります。
 而して、この異体同心の団結と、折伏に立ち上がる気概と勇気を生む鍵こそ唱題行であります。新年の辞(大白法 第852号)
 
 

   十二月度  
 折伏した人を育てる、育成するということは大事です。そのことをしっかりと行うことによって、本当に力のある講中に必ずなっていきます。しかし、育成をおろそかにすると、講中がだめになってしまうのです。
 折伏はしたけれども、勤行も教えない、御講に来ることも教えない、御登山することも教えなければ、どうなってしまうのでしょう。それまでの下種折伏が全く無になってしまいます。せっかく縁あって救われた人が、また遠ざかってしまいますよ。もしも、そうなったならば、それは折伏をした人の罪です。
 平成二十四年度法華講夏期講習会第三期
 

   十一月度
 折伏は、我々の言っていることを、相手が信じてくれなければ何もなりません。相手の信頼に足る言葉、行い、意がなければ、折伏はなかなか成就しないのであります。
したがって、もし、折伏が思うようにできなければ、相手の強情さを嘆くのではなくして、自分自身の信心の弱さ、題目の足りなさ、信心の現証体験の足りなさを反省し、真剣に唱題に励み、御本尊へ祈り、不軽菩薩がそうであったように、飽くなく折伏を続けていくことが肝要であります。 
 平成二十四年七月法華講連合会結成五十周年記念大会の砌
 

  十月度
 昨年入信した間もない方でも、この御本尊様以外には絶対に幸せになれる道はないと固く確信し、一人でも多くの人を救っていきたいという、そういう大きな慈悲の心があれば、たとえ入信間もない方でも折伏はできることを実証しているのであります。
 つまり折伏は、本気になってやろうと思えば、だれでもできるということであります。難しいことを言う必要はありません。「この御本尊様以外には、幸せになれない」と確信し、その確信を真心込めて相手に伝えていくことが、最も肝要なのであります。
 したがって、折伏が進んでいる支部に共通して言えることは、こうした御本尊様に対する絶対的な確信を持っていること、そして時を惜しまず行動する、そのパワーであります。平成二十四年八月度広布唱題会の砌 
 

   九月度
 大聖人様の仏法は、一人ひとりの幸せを、そしてまた一人ひとりの幸せから多くの人の幸せに、つまり点から線、線から面へ広がっていく、いわゆる広宣流布を目指していく仏法であります。
ですから、まず折伏をすると、折伏された人が幸せになります。同時に、折伏した人も幸せになれるのです。過去遠々劫の様々な罪障、これが折伏によってみんな消えていくのです。
 平成二十四年度法華講講頭会の砌 
 

   八月度
 折伏によって人を救うということは、仏様のなされることを今、我々が仰せつかって行っているのでありますから、言うなれば仏様のお使いをしているということなのです。
 このことにはすばらしい功徳がありまして、折伏によって多くの人達を救うことは即、自分自身の過去遠々劫(おんのんごう)の罪障を消滅していくことになるのであります。
  大日蓮 平成二十四年五月号
 

  七月度 
 本年度は大中小、いかなる支部も必ず誓願を達成しなければいけません。「私のところはどうも…」などというようなことを頭のなかで考えたら負けなのです。そのようなことは一切考えないで、遮二無二、折伏に邁進していく。そうすると道が開かれてくるのです。開かれないのであれば、それは題目を唱えて折伏を行じていないからなのです。折伏せずに頭で考えるばかりで、「どうしよう、こうしよう、ああしよう」と言っているだけだったら、それは理の仏法なのです。理の仏法をいくら行じたとしても功徳はありません。行き詰まったら題目を唱えて、そして折伏に打って出る。これを飽くなく繰り返していってごらんなさい。その支部は必ず道が開かれていきます。
 夏期講習会第四期 大日蓮・平成二十二年十一月 
 

   六月度
 末法の衆生は本未有善なるが故に、本因下種の妙法をもって折伏する以外に救うことはできないのでありますから、不軽菩薩の振る舞いがそうであったように、いかに相手に罵られ、毀られ、怨まれ、嫉まれ、打たれようとも、また相手が聞こうと聞くまいと、相手の機根のいかんにかかわらず、強いて妙法を説き、ときには毒鼓の縁を結ばせて()(ごう)(どく)()して、妙法を受持し、仏道を成じさせることが肝要なのであります。
 (中略)
 まさしく『立正安国論』の原理によれば、大御本尊に対する絶対の確信と、我らの破邪顕正の折伏の実践によって、我が身を変え、世の中を変え、必ず仏国土を構築することができるのであります。 平成二十四年五月度 広布唱題会の砌
 

  五月度  
 折伏の際、難しいことを言う必要はありません。「このお題目を唱えていけば、必ず幸せになれます。悩みは解消します」と、まず最初に結論を教えてあげればいいのです。
 そうすれば、そこから色々な話が始まっていくのであります。回りくどいことを言っても、末法の衆生は聞きませんから、むしろ直截的(ちょくせつ)に、きちんと申し上げたほうがよいのです。
 色々な人間関係があって躊躇(ちゅうちょ)してしまうこともあろうかと思いますが、やはりその心を押しのけて、きちんと話をしてあげることが大事です。それが折伏なのです。摂受の考えになってしまってはいけません。やはり、まず大聖人様の仏法は最高なのだという確信を持つことが大切だと思います。
 「祈りとして叶(かな)わざる無し」(御書文段一八九n等)
というお言葉がありますが、祈りがかなうか、かなわないか、つまり折伏ができるか、できないかは、結局は私達の信力と行力、すなわち信心によるということになるわけです。
 だから、もしうまくいかないのであれば、それには原因があるのです。唱題が足りないか、あるいは実践行動が不足しているか、あるいは魔に負けているか、あるいは勇気がなく臆病であるか、あるいは小さな満足に浸ったまま、惰性に流された信心生活をしていないか、こういったことをしっかりと自分自身でチェックして直していけば、折伏は必ずできるのであります。
平成二三年一一月度 夏期講習会第五期の砌 
 

  四月度  
 本年も既に三月に入りましたが、ちょうど今から一年前、昨年三月十一日、東日本大震災が発生し、予想をはるかに超えた大津波によって東北地方は壊滅的打撃を受け、多くの方々が家を失い、家族を失い、悲惨な目に遭われましたが、これらの方々に心からお見舞い申し上げるとともに、今、振り返ってこうした惨状を見るとき、私どもは改めて『立正安国論』の御正意を拝し、我々が何をなすべきかを考えていかなければなりません。
 大聖人様は『立安国論』に、「(つらつら)微管を傾け(いささか)経文を(ひら)きたるに、世(みな)正に背き人(ことごと)く悪に帰す。故に善神(くに)を捨てゝ(あい)去り、聖人(ところ)を辞して(かえ)らず。(ここ)を以て魔来たり()来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書 二三四n)
と仰せであります。
 すなわち、天変()(よう)等の災難(こう)()の原因は、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」ことにあり、正邪をわきまえない邪義邪宗の謗法こそ、災難の根源であります。
 されば、同じく『立正安国論』には、
 「()()づ国土を安んじて現当を祈らんと(ほっ)せば、速やかに(じょう)(りょ)(めぐ)らし(いそ)いで対治を加へよ」(同 二四八n)
と仰せられ、さらに、
 「早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ(すべから)く国中の謗法を()つべし」(同 二四七n)
と仰せられています。
 すなわち、天変地夭等の災難を防止するためには、根本的な原因を抜き取って、弊害を大本からなくすことが肝要であり、そのための具体的な実践方途こそ、破邪顕正の折伏なのであります。 平成二十四年三月度 広布唱題会の砌   
 

  三月度
 広宣流布の戦いには、後退はもちろん、とどまることも、(ちゅう)(ちょ)も無用であります。ただ「実行前進」あるのみであります。
 そのためには、まず唱題が大事であります。何年も連続して折伏誓願を達成している支部は、皆、講中挙げて唱題を行い、その唱題の功徳と歓喜をもって一丸となって折伏を行じ、大きな成果を挙げております。
 唱題と折伏との関係は、まさしく()(そく)()()の関係にあります。
 どうぞ、皆様にはこれからも唱題に励み、折伏を行じ、必ず本年度の誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。 平成二十四年二月度 広布唱題会の砌    
 

  二月度 
 申すまでもなく、自行の題目とは唱題行であります。化他の題目とは、すなわち折伏行であります。唱題と折伏は一体のものであり、唱題こそが折伏のあらゆる活動の源泉となるのであります。
 折伏に当たって、何ものにも恐れない不動の信念と強い確信に立ち、あらゆる障魔を打ち払うためには、勤行・唱題をしっかりと行うことが肝要であります。
 折伏は、あふれんばかりの唱題の功徳と歓喜をもって打って出ることが、最も大事だからであります。
 大聖人は『祈祷抄』に、
「大地はさゝばはづるゝとも、()(くう)をつなぐ者はありとも、(しお)()()ぬ事はありとも、日は西より()づるとも、法華経の行者の祈りの()なはぬ事はあるべからず」(同 六三〇n)
と仰せであります。
 御本尊に祈り、広布に生きる使命を感じ、世のため、人のため、身軽法重・死身弘法の信念に燃え、強い確信をもって折伏を行ずる時は、必ず相手の心を動かすのであります。
 どうぞ、皆様には本年「実行前進の年」を悔いなく戦いきり、必ずや本年度の折伏誓願を全支部が達成されますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶とさせていただきます。平成二十四年一月  広布唱題会の砌  
 

  平成二十四年一月度
 大御本尊に対する絶対的確信と強盛なる自行化他の信心、
就中(なかんずく)破邪顕正の折伏こそ邪義邪宗の謗法を打ち払い、あらゆる障魔を打ち砕く秘訣であります。
 言い換えれば、講中全体が誓願達成の共通の認識を高め、不自惜身命の断固たる決意と異体同心の団結を以て折伏を行じていけば、如何なる障魔にも負けない足腰の強い講中を構築できるのであります。そのためには、講中にあって限られた人だけが折伏を行うのではなく、講中全員が立ち上がり強力に折伏を行えるように育成していくことであります。具体的に云えば、折伏したら、その折伏された人が折伏出来るように育てることであります。
 所詮、折伏と育成は共に化他行であります。申すまでもなく自行とは勤行と唱題であり、化他行とは折伏と育成であります。従って、共に化他行である折伏と育成はどちらが欠けても片寄った信心となり、これでは強い講中は育たず、大事な目標も達成出来ません。
 要は、折伏したら、その人が折伏できるように育成することが強い講中構築の極意であります。
  平成二十四年一月 新年の辞  


 
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