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法主日如上人猊下御指南抄 
 
                                  年度/22~23| 24~2728~30 


 
  〈十二月〉
平成二十三年十二月度
 世間的に言っても、世のため人のために尽くすことは、自分自身がそこに生きがいと喜びを感じ、自らの成長が図られ、充実した人生を歩むことができると言われております。
 仏法においてはなおのこと、折伏によって一人でも多くの人々を幸せに導くことは、我ら地涌の菩薩の眷属として最も重要なことであり、これこそ最高の喜びであります。その折伏には、また自らも幸せになり他をも幸せとする、自利利他の大きな功徳を存しているのであります。
 そもそも、末法の衆生は本未有善であります。その本未有善の荒凡夫が成仏をするためには、爾前諸経に説かれるような(りゃっ)(こう) 修行や、末法の衆生には到底不可能な六波羅蜜等の修行を経なくとも、ただ寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経を受持し、自行化他の信心に励んでいくことによって、必ず成仏がかなえられるのであります。十一月度広布唱題会の砌 
 
 
  十一月  
  「冥冥(めいめい)の志なき者は、昭昭(しょうしょう)の明なく、昏昏(こんこん)の事なき者は、赫赫(かっかく)の功(こう)なし」という言葉があります。
 「冥冥の志」とは、人の知らないところで努力することであります。「昏昏の事」とは、心を打ち込んで集中することであります。つまり「目に見えぬ努力を積み重ねない者には、栄誉が訪れるはずがないし、目につかぬところで仕事の手を抜く者には、輝かしい成果があるはずもない」という意味であります。
 折伏も同様でありまして、手を抜かずに折伏を続けていくことが、極めて大事であります。忙しいなかにも時間を作り、弛まず折伏を続けていくところに自他の成仏、すなわち己れ自身の一生成仏もかない、苦悩にあえぐ人々を救うことができるのであります。十月度広布唱題会の砌  

 
 
十月 
 私どもは御本仏大聖人の御金言のままに、確信を持って、世のため人のため、真の仏国土実現へ向かって謗法を破折し、折伏を実践していくことが今、謗法の害毒によって迷走し続ける日本を、また世界を救うためにも最も必要とするところであり、かつまた我ら本宗僧俗に課せられた最も大事な使命であり責任であることを、一人ひとりがしっかりと銘記していただきたいのであります。
 本年は「実践行動の年」であります。座して広布を語るのではなく、立ち上がり、実践行動をもって広布に(てい)(しん)していくことが最も大事なのであります。
 どうぞ各講中は、僧俗一致・異体同心の団結と果敢なる実践行動をもって、平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、そしてそのためにも本年度の誓願を必ず達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。 八月度 広布唱題会の砌 
 
 
  九月
 僧侶である指導教師と心を一つにして戦っていくということを、しっかりと念頭に置いてやっていけば、必ず広宣流布は達成できる、また近い目標としての平成二十七年の誓願も、必ず達成できると思います。
 したがって、もし、なかなか達成することができないところがあったとすれば、異体同心の姿のなかのどこかに亀裂があるのです。そのことをよく考えていただきたい。
 そしてまた、異体同心というのは、どこに心を合わせるかということが大切なのです。とかく、自分の意見だけが正しくて、他のみんなが間違いだと思い込み、みんなを自分に従わせようとしてしまいがちです。みんながそんな考えを持てば、けんかになってしまうのは当然です。これではいけません。
 では、どうすればいいのか。それは、広宣流布の一点にすべての焦点を合わせていけばよいのです。私(わたくし)の心をなくして、そして自分の心を仏様に捧げ、広宣流布に捧げて戦っていけば、異体同心できるのです。
本年度夏期講習会第一期の砌  
 
 
 

 八月
 天下泰平・国土安穏は、我らが等しく願うところであります。
 仏法には依正不二の原理が説かれておりまして、正報たる我ら衆生と依報たる国土世間とは、全く無関係にあるわけではありません。『瑞相御書』には、

 「人の(よろこ)び多々なれば、天に(きち)(ずい)をあらはし、地に(たい)(しゃく)(うごき)あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に(きょう)(よう)(しゅっ)(たい)す。(しん)()の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし」(同九二〇㌻)

と仰せであります。
 すなわち、(しょう)(ほう)たる我ら衆生が一切の謗法を捨てて、大乗の一善たる本門の本尊に帰依すれば、妙法蓮華経の計り知れない(りき)(ゆう)によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化され、それが個から全体、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて()(ほう)たる国土世間に及び、仏国土と化していくのであります。 平成二十三年七月度 広布唱題会の砌
 
 
七月
 今、宗門は僧俗一致して、来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成のために、総力を挙げて前進をしております。
 かかる時に当たり、私どもは深くこの御金言を拝し、大御本尊様への絶対の確信と広大無辺なる功徳を信じ、一人残らず折伏(ぎゃっ)()の戦いに()せ参じ、誓願達成のために挺身をしていかなければなりません。
 二十七年・三十三年の目標を達成するためには、まず眼前の目標たる本年度を必ず勝利することであります。
 そのためには、失敗を恐れず、まず動くことであります。信心とは実践であります。
 自分を取り巻く人のなかで未入信の人がいたら、直ちに行動を起こし、下種折伏することが必要であります。
 折伏に当たっては、御本尊様の偉大なる功徳を、魂を込めて話をすることであります。心から相手の幸せを願い、折伏することが大事なのであります。
 どうぞ皆様には、今日、お話を申し上げましたように、この大御本尊様を受持信行する者は、大御本尊様の広大無辺なる功徳と、あらゆる仏、菩薩、二乗、諸天等の守護が必ずあることを忘れずに、勇気を持って、いよいよ折伏に励んでいただきたいことをお伝えして、本日の話といたします。 平成二十三年六月度 広布唱題会の砌

 
 
 六月
 末法の修行は自行化他にわたる題目が肝要であります。
 したがって、唱題行にしても、唱題が唱題だけで終わらず、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出ろことが肝要なのであります。
 要は「実践行動の年」にふさわしく、一人ひとりが、理屈ではなく、折伏実践の行動を起こすことであります。
 「座して食らえば山も(むな)し」という言葉がありますが、たしかに、働かないでいれば、豊富な財産もやがてはなくなってしまいます。同じように、信心も折伏を行じなければ、今まで積んできた功徳もいつの間にか、なくなってしまいます。
 我々一人ひとりが一生成仏を果たし、仏国土を実現するためには、地涌の菩薩としての振る舞い、すなわち「(じょう)()菩提、()()衆生」の誓願のもと、唱題を重ね、折伏を行じていくことが最善の方途であることを知らなければなりません。
 特に、今回の東日本大震災の惨状を目の当たりにする時、その感を深くするものであります。平成二十三年五月度 広布唱題会の砌
 
 
 五月(全文掲載)
 本日は、四月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 まず初めに、このたびの東日本大震災により被災された皆様、同じく災害に遭われた本宗信徒の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 この大震災によって、多くの方が尊い命を亡くされましたことに、悲しみの念を深くするとともに、犠牲となられた方々の御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
 被災者の皆様が、このたびの痛みを一日も早く(いや)され、再び未来へ向かって力強く立ち上がり、強盛なる信心をもってこのたびの大難を克服せられますよう、心からお祈り申し上げるものであります。
 このたびの大震災を見て、かねてより大聖人様が『立正安国論』において警鐘を鳴らされていたことが空事(そらごと)ではなく、まさしく現実であることを厳しく知らされた思いであります。
 『立正安国論』には、(しょう)()元(一二五七)年八月二十三日の大地震をはじめ、近年より近日に至るまで(ひん)(ぱつ)する天変、()(よう)()(きん)疫癘(えきれい)等の惨状を見て、その原因は、世の中の人々が皆、正法に背き、悪法を信じていることにより、国土万民を守護すべきところの諸天善神が所を去り、悪鬼・魔神が便りを得て住みついているためであるとされております。そして、正法を信ぜず悪法を信ずることによって、三災七難等の災難が起きると、仁王経、大集経、薬師経等を挙げて、その理由を述べられ、これら不幸と混乱と苦悩を招いている原因はすべて謗法にあり、この謗法を対治して正善の妙法を立つる時、国中に並び起きるところの三災七難等の災難は消え()せ、積み重なる国家の危機も消滅して、安寧にして盤石なる仏国土が出現すると仰せられています。そしてさらに、こうした災難を防ぎ、仏国土を建設するためには、一刻も早く謗法の念慮を()ち、「実乗の一善に帰せよ」と(いさ)められているのであります。
 「実乗の一善に帰せよ」とは、万民一同が謗法の念慮を断ち、実乗の一善、すなわち三大秘法の大御本尊に帰依することであり、実乗の一善に帰することが、人々の幸せと国土を(やす)んずる絶対不可欠な要件であると仰せられているのであります。
 すなわち、仏法においては依正不二の原理が説かれ、主体たる正報と、その()りどころたる依報とが一体不二の関係にあることを明かされているのであります。
 故に、大聖人様は『瑞相御書』に、
(それ)十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は(たい)のごとし」(御書 九一八㌻)
と仰せられているのであります。
 よって、正報たる我ら衆生の六根のあらゆる(はたら)きが、そのまま依報たる国土世間へ大きく影響を与えているのであります。
 例えば『諸経と法華経と難易の事』には、
「仏法やうやく(てん)(どう)しければ世間も又(じょく)(らん)せり。仏法は(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(同 一四六九㌻)
と仰せられ、さらにまた、先程の『瑞相御書』には、
「人の(よろこ)び多々なれば、天に吉瑞(きちずい)をあらはし、地に帝釈の(うごき)あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に(きょう)(よう)(しゅっ)(たい)す」(同 九二〇㌻)
と仰せられているのであります。
 この依正不二の原理は、凡夫の智慧をもっては到底、計り知ることのできない、仏様の透徹された智慧であり、三世十方すなわち、無限の時間と空間を通覧せられて、宇宙法界の真理を悟られた仏様が明かされた絶対の知見であります。
 したがって、宇宙法界の根源の法たる妙法に照らして示された、この依正不二の大原則を無視して、今日の如き混迷を極める惨状を救い、真の解決を図ることはできないのであります。
 すなわち『立正安国論』の正意に照らせば、正報たる我ら衆生が一切の謗法を捨てて、実乗の一善たる三大秘法の随一・本門の本尊に帰依せば、その不可思議広大無辺なる妙法の(りき)(ゆう)によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化され、それが個から全体へ、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて依報たる国土世間をも変革し、仏国土と化していくのであります。
 反対に、我々衆生の生命が悪法によって濁れば、その濁りが国中に充満し、依報たる国土の上に様々な変化を現じ、天変地夭等となって現れてくるのであります。
 これが『立正安国論』に示された原理であり、この『立正安国論』に示された大聖人様の御正意を(たい)して、仏国土実現を目指して一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行じていくのが、我ら本宗僧俗の大事な使命であります。
 もちろん、今、大震災の復興へ向けて、各機関の方々、ボランティアの方々、国内のみならず、国外からも支援の手が差し伸べられていることは大いに評価すべきであり、賞賛に値する行為であることは間違いありません。
 しかしまた、さらに根本のところか、仏法の視点に立って、今、我々がなすべきことは何かといえば、私ども一人ひとりが『立正安国論』の御理想実現へ向けて、一人でも多くの人に、また一日でも早く、一人ひとりの(しん)(でん)に妙法の仏種を植え、折伏を行じていくことが、今、なすべき最も大切なことであります。
 どうぞ、皆様には、
「大悪をこ()れば大善きたる」(同 七九六㌻)
との御金言を確言し、僧俗一致してますます信心強盛に折伏に励まれますよう、心から願うものであります。
 なお、今回の大震災に当たり、宗門といたしまして義援金を募集したところ、全国の寺院、僧侶、寺族、御信徒から多くの寄金をお届けいただき、心から厚く御礼を申し上げます。このあと、宗務院におきまして配分などを検討の上、災害復興に向けて供してまいりたいと思います。皆様方の御協力に心から感謝申し上げ、この席を借りて厚く御礼申し上げます。まここに有り難うございました。
 以上、本日はこれをもって挨拶とさせていただきます。 平成二十三年四月度 広布唱題会の砌
 
 
 四月
 現在の如き、人心が極度に荒廃し、世の中が乱れ、すべての社会現象が混迷を極めている原因は、ひとえに謗法の害毒にあり、その謗法を退治していかなければ、自分自身の幸せも、他の人々の幸せも、混(こん)沌(とん)とした現状を打開することも、平和な仏国土を築いていくこともできないのであります。
 今こそ我々は、一切衆生救済の秘法たる大聖人の本因下種の仏法をもって、世のため、人のため、真の世界平和実現を目指して立ち上がり憂国(ゆうこく)の士となって折伏を行じていくことが、最重要課題であることをよくよく認識し、異体同心・一致団結して、すべての法華講員が折伏に励まれますよう心から願うものであります。「如来の室とは、一切衆生の中
 平成二十二年 元朝勤行の砌

 
 
 三月  
 今、宗門は折伏の気運が大いに高まり、僧俗一致しての取り組みによって昨年は国内外ともに大きな成果を上げることが出来ました。
 その中でも特筆すべきは、インドであります。海外部からの報告によりますと、昨年、インドのムンバイ地方では約一千二百人の方が御受戒をお受けになりました。その活動のもとになったのは、わずか三人からの折伏であります。
 一人はご婦人で、元マレーシア人でありますが、三十年前に日本に帰化し、十年前に入信し、今はインドのムンバイにある旅行会社を経営しています。
 もう一人は、この方の兄に当たる方で、今はインドに帰化して、ムンバイに住んでおります。この方が一昨年、心臓病を患い緊急手術をいたしました。医者によると九十九パーセント命が助からないとのことでありましたが、前々から妹さんより折伏を受けており、お題目をあげ始めたのであります。その結果、手術も無事成功し、大きな功徳をいただいたのであります。そしてその後、一念発起して、妹さんと、あと一人のインド人の方と三人で折伏に立ち上がったのであります。
 三人目の方は、インド人の方で、ムンバイ地方の一粒種的存在でありましたが、活動する同志もなく、一人信心を続けていましたが、今、申し上げたように、このご兄姉と出会い、力を合わせ、三人で折伏活動を
開始したのであります。その結果、驚くことなかれ、昨年は千二百人の方々が御受戒を受けられたのであります。まさに驚異的な数字であります。
 さらに今般、現地から海外部に電話があり、「現在、六百名の方が御受戒を待っています。いつ御受戒に来てくれますか」と言ってきたということであります。
 わずか三人から始めた折伏も、三人が心を合わせ、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、何も恐るることなく、本気で折伏を実践していけば、折伏の輪は波状的に広がり、かくの如く、千二百人もの人を入信させることが出来るのであります。、まさに、折伏は「本気になってやればできる」という証であります。
平成二十三年二月度 広布唱題会の砌
 
 
 二月
  『御講聞書』には、「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(御書一八一八頁)と仰せであります。
 すなわち、今、末法は折伏を行じて、初めて仏様の大きな功徳を受けることができるのであります。まさしく、悪業の因縁を断ち、充実した境涯を築き、幸せな日々を送り、功徳に満ちた人生の構築を願うならば、まず折伏を行ずべきであります。そして、それが今日、広布へ向かって前進する我ら本宗僧俗のなすべき使命であり、これが最善の道であることを、我々はよく銘記するべきであります。
 貪瞋癡の三毒によって苦しむ人々を救う道は、ただ折伏しかないことは、皆様も充分、御承知のことと存じます。しかし、承知していただけでは意味がありません。
 本年は理屈ではなく、一人ひとりが、「実践行動」を起こして折伏を行じ、自らも大御本尊様の広大なる功徳を享受するとともに、塗炭の苦しみにあえぐ多くの人達を救い、もって仏祖三宝尊への御報恩を尽くされますよう心からお願い申し上げ、本日の挨拶といたします。

 
平成二十年八月 広布唱題会の砌
 
 
平成二十三年一月
 昨今の諸相を見ますと、貪瞋癡の三毒強盛にして人心は極度に荒廃し、ために国内外ともに混迷を極め、多くの人達が不安を抱き、内憂外患しているのが現状であります。
 しかし、こうした現状を見て、今こそ我々は、大聖人がお示しあそばされた『立正安国論』の原理に基づいて、破邪顕正の戦いをより一層、強力に推進していかなければなりません。
 もちろん、末法において折伏を行じていくことは容易なことではありません。
 『唱法華題目抄』には、「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑い無し」(御書231頁)と仰せの如く、末法の衆生は本未有善にして、成仏得道なり難き人々が大半であるからであります。
平成二十〇年八月 広布唱題会の砌
 
 
  十二月(全文掲載)
 本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「広布前進の年」も、いよいよ十一月に入り、各支部ともに誓願達成へ向けて日夜、御精進のことと思います。
 本年度の戦いが、平成二十七年・三十三年の目標達成にとって極めて重要であることは、皆様方も重々御承知のことと思います。どうぞ、皆様には残り(ふた)(つき)、全力を傾注して、全支部が本年度の誓願を必ず達成されますよう、なお一層の御精進を心からお祈りする次第であります。
 さて、法華経の提婆達多品を拝しますと、
「未来世の中に、()し善男子、善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に(しん)(きょう)して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄、餓鬼、畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん」(法華経 三六一㌻)
と仰せであります。
 提婆達多品は、大きく分けると二段に分けられ、前半は提婆達多の成仏、すなわち悪人成仏が説かれ、後半は八歳の竜女の成仏、すなわち女人成仏が説かれております。
 このうち提婆達多については、『大智度論』には阿難の兄、釈尊のいとこに当たるとされ、幼いころから釈尊に敵対し、のちに出家して釈尊の弟子となりましたが、名聞名利の念が強く、高慢な性格から退転して、五逆罪を犯して地獄に()ちたと言われております。
 普通、五逆罪と言いますと、『聖愚問答抄』にもお示しの如く、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身の血を出だし、和合僧を破す、の五つを指しますが、提婆達多が犯した五逆罪とは、まず初めに、釈尊に替わって教団を指揮しようとして、五百人の()()を誘惑して和合僧を破ったこと。二番目に、大石を落として仏身より血を出したこと。三番目に、阿闍世王を(そそのか)して(すい)(ぞう)を放ち、仏を踏み殺させようとしたこと。四番目に、蓮華比丘尼をこぶしをもって殺したこと。五番目に、毒を手の爪に塗って、仏足を礼するふりをして仏様を傷つけて殺そうとしたこと、この五つであります。この結果、提婆達多は、大地が()け、生きながら地獄に堕ちたと言われています。
 このように、提婆達多は極悪非道の罪を犯したのでありますが、釈尊が昔、国王と生まれ、大乗のために王位を捨て、大乗の法を求めて修行をしていた時、妙法を(たも)つ阿私仙人に会い、千年の間、この仙人に身命を尽くして仕え、仏道修行に励み、ついに仏に成ることができたのであります。この時の仙人こそ、実は今の提婆達多であり、これによって提婆達多は天王如来として、未来成仏の記別を与えられたのであります。
 これは、ひとえに妙法の()(りき)によるものであります。つまり、爾前諸経におきましては、十界互具一念三千が明かされないために、悪人は悪を滅して善を修し、善人となって成仏するか、あるいは一切の煩悩を断じなければ成仏できないとされてきたわけであります。
 しかし法華経では、十界互具一念三千が説かれ、九界の迷いの衆生の生命のなかに尊極無比の仏の生命が秘められており、地獄の衆生も仏に成りうるし、いかなる者でも成仏できる可能性を示されているわけであります。
 故に『一念三千法門』には、
(およ)そ此の経は悪人・女人・二乗・(せん)(だい)(えら)ばず。故に皆成仏道とも云ひ、又平等大慧とも云ふ。善悪不二・邪正一如と聞く(ところ)にやがて内証成仏す。故に即身成仏と申し、一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ。義を知らざる人なれども唱ふれば(ただ)仏と仏と(よろこ)び給ふ。『我即歓喜諸仏(やく)(ねん)』云云」(御書 一一〇㌻)
と仰せられているのであります。
 すなわち、妙法への信によって、提婆達多をはじめ悪人も女人も、一切衆生がすべて即身成仏できるとする至極の法門が説かれているのが法華経であり、その法華経とは、(こん)()末法に約して申せば、すなわち本因下種の妙法蓮華経であります。この偉大なる妙法蓮華経の功徳によって、悪逆の提婆達多も未来成仏が保証され、一切衆生もことごとく成仏することができたのであります。
 ただし、ここで肝心なことは、経文に「浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者」とあるように、「浄心」すなわち清浄な心で仏様を信じ敬い、「疑惑を生ぜざらん者」すなわち仏様に対して、疑いの心を持たずに信じきっていくことが、最も肝要なのであります。
 「()()(わっ)(しん)」すなわち「疑い無きを信と()う」という言葉がありますが、私どもの信心に約して言えば、大御本尊様に対し奉り絶対の信を取り、疑いを持たず信じていくことが成仏得道のためには最も大事なことなのであります。
 故に『御義口伝』のなかには、
「一念三千も信の一字より起こり、三世諸仏の成道も信の一字より起こるなり。此の信の字は(がん)(ぽん)の無明を切る所の利剣なり。其の故は、信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり」(同 一七三七㌻)
と説かれております。
 すなわち、大御本尊様に対する絶対の信、疑いを持たない無疑曰信の信が成仏を(けつ)(じょう)する最大の要因であり、この信を貫いてこそ初めて、我々末法本未有善の荒凡夫は成仏することができるのであります。
 故に『四条金吾殿御返事』には、
「ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、()れたる()くち()に火を()()くるがごとくなるべし。はげみをなして(ごう)(じょう)に信力を()だし給ふべし」(同 一四〇七㌻)
と仰せられ、いかに大御本尊様の御威光が広大無辺であったとしても、行ずる者が御本尊様に疑いの心を持ち、不信のままに祈りを捧げても、広大なる御本尊様の功徳を(きょう)(じゅ)することはできないのであります。つまり、御本尊様の仏力・法力がいかに絶大であろうとも、我らの信力・行力が欠けていたのでは四力成就に至らず、祈りはかなわないのであります。
 また、法華経の譬喩品には、智慧第一と言われた舎利弗すら、己れの智慧才覚によって成仏したわけではなく、「以信得入」すなわち信によって得道することができたことを挙げて、ただ信のみが成仏得道のための要諦であると説かれているのであります。
 したがって、我々も同様、大御本尊様への絶対の信によって成仏が決まるのでありますから、なお一層の強盛なる信心が肝要であります。
 もちろん、この信とは、自行だけの信心ではなくして、自行化他にわたる信心でなければなりません。大聖人様は『如説修行抄』に、
「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は(とう)(じょう)堅固・(びゃく)(ほう)(おん)(もつ)の時と定めて権実(ぞう)(らん)の砌なり。敵有る時は(とう)(じょう)(きゅう)(せん)を持つべし、敵無き時は弓箭(ひょう)(じょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の()の時は権教有って敵と成る。まぎ()らはしくば実教より(これ)を責むべし(中略)されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経(ひと)り成仏の法なりと(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(同 六七二㌻)
と仰せであります。
 たとえ五逆罪を犯した悪逆の提婆達多でさえも、成仏できる妙法の偉大なる功徳を、自分一人だけのものとしないで、(とん)(じん)()の三毒に害せられ、苦悩にあえぐ、より多くの人達を正しい信心に導いていくことが、大聖人様の弟子檀那として今、最も肝要であり、これこそ御本仏大聖人のお心にかなう自行化他の信心であります。
 所詮、世の中においては、一人だけの幸せは存在しません。『立正安国論』には、
「汝(すべから)く一身の(あん)()を思は、ゞ先づ四表の(せい)(ひつ)を祈るべきものか」(同 二四九㌻)
と仰せであります。
 「四表」とは、東西南北の四方、転じて世の中、天下のことであります。「静謐」とは、世の中が平和で穏やかに治まっていることであります。すなわち、我々が平和で安穏なる生活を望むならば、まず世の中が平和で穏やかであるように祈らなければならないと、このように仰せられているのであります。
 この「世の中」とは、小さく言えば家庭とか、あるいは自分を取り巻く身近な環境を言うこともありますし、大きく言えば社会および国全体、世界全体を言うこともあります。
 いずれにいたしましても、自分を取り巻く環境世界と我々との関係は極めて密接な関係にあり、例えば、戦争などが起これば個人の小さな幸せは立ち所に消えてしまいます。世の中が静謐でなければ、個々人の幸せは確立しないのであります。その世の中が静謐であるためには、大聖人が、
「早く天下の静謐を思はゞ(すべから)く国中の謗法を()つべし」(同 二四七㌻)
と仰せの如く、不幸の根源である国中の謗法を断つことであります。
 なぜなら、世の中の不幸と苦悩と混乱の原因は、すべて謗法の害毒によるからであります。このことは、既に大聖人様が『立正安国論』において警鐘を鳴らし、明言しておられるとおりであります。
 その「謗法を断つ」とは、すなわち折伏を行ずることであります。己れ自身の幸せと世の中の幸せは深い関係にあることを知り、自他共に成仏していくところに真の幸せがあり、そのためには一人ひとりが折伏の大事と功徳と尊さを自覚して、妙法広布に(てい)(しん)していくことが最も肝要なのであります。
 特に、昨今の世情を見ると、謗法の害毒によって人心が極度に荒乱し、(こん)(とん)とした様相を呈しております。こうした現状を見るとき、我々は一人でも多くの人達が、不幸の根源である邪義邪宗の謗法を捨てて、本門戒壇の大御本尊様に帰依せられるよう、全魂を込めて折伏を行じていかなければならないと思います。一人ひとりの幸せはもとより、すべての人々の幸せと世界平和の実現は、我々が等しく願うところであります。
 されば、『立正安国論』の原理に照らし、広布実現を目指して、今こそ「広布前進の年」にふさわしく、一人ひとりが真剣に折伏を行じていかなければなりません。
 どうぞ、皆様には本年「広布前進の年」、残り(ふた)(つき)、誓願達成へ向けていよいよ御精進くださるようお願いいたしまして、本日の挨拶といたします。
平成二十二年十一月 広布唱題行の砌

 
 十一月 
 
 一般社会においても、自分一人だけの幸せはありえないように、自他共の幸せこそ真の幸せであります。
 しこうして、 自他共の幸せを実現するためには、大聖人の御教示に照らして、折伏をもってする以外には道はないのであります。なぜなら、一切衆生救済の秘法は、法華経本門寿量品文底秘沈の大法たる妙法蓮華経以外にはないからであります。
 故に『報恩抄』には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」(同1036ページ)
と仰せであります。
 されば、今日、我々が地涌の菩薩の眷属として、この妙法蓮華経の大法をもって一切衆生救済の大願のもと、一心に折伏に励むことは、仏様の御意にかなう至高最善の仏道修行となるのであります。 
 平成二十二年十月 広布唱題行の砌
 
 
 十月  
 本来、御本尊を受け取ること自体が難事ではありますが、ことに持ち続けることはそれ以上に難しく、受持のなかでも持つことすなわち「持」に重点が置かれていることを、我々は銘記しなければなりません。
 さらに、ここで大聖人様は、御本尊様を受持する者には必ず難が起こると仰せられその難に振り回され、信心を続けていくことが困難であるが故に、特に「持つはかたし」と仰せられているのであります。
 しかし、振り返ってみますると「さる間成仏は持つにあり」と仰せのように、いかなることがあっても御本尊様を持ち続けていくところに難を乗り越え、何ものにも代え難い、絶対の幸せを築くくことができるのであります。
 平成二十二年九月 広布唱題行の砌
 
 
九月  
 自分自身を取り巻く人々のなかには、学校や職場での仲間や先輩・後輩、なかでも親友と言われる人、様々な恩恵を受けた人、お世話になった人、苦楽を共に歩んできた人、身近なところでは両親・兄弟・子供、親類縁者、色々な人がいると思いますが、そのなかで未入信の人がいたら、そして、その人の真の幸せを願うならば何を差し置いても折伏すべきであります。もし、家族のなかで未入信の人がいれば御受戒を受けさせ、一家和楽の信心に住すべきであります。
 相手との人間関係がこわれることを恐れて折伏もせず表面のみ親しくするのは、まさに「慈無くして詐り親しむ」、慈悲の心もなく詐り親しむ偽美的行為であり「彼が怨」であります。
 この失を逃れるためには、不幸と混乱と苦悩が原因がすべて邪宗邪義の害毒にあり、謗法を捨てて正法に帰することが幸せになるための最善の方途であることをはっきりと伝え躊躇せず折伏を実践すべきであります。
平成二十二年八月 広布唱題行の砌 
 
 
 八月
 
 大御本尊様への絶対的確信、無疑曰信の信心、すなわち「この大御本尊以外に絶対に幸せになれる道はない」との確信に満ちた我々言動が相手の心に響き伝わり、折伏成就に必ず結びついていくのであります。
 次に大事なのは、飽くなき行動であります。
 この不軽菩薩の飽くなき実践は、滅後末法の我々の折伏実践の方途を示唆されているものと思います。すなわち、すべての人に仏性ありとして、いかなる人にでもこの「二十四字の法華経」を説き、但行礼拝をしたこと、さらに信念を貫くことによって受けるいかなる困難・迫害にも耐えぬき、飽くなく法華経を説き続けたことは、今日の我々の折伏実践の上からもまことに大事なことであります。
 平成二十二年七月 広布唱題行の砌
 
 
 七月
 末法当世の人達は、直接、法華経を聞いて誹謗をしたわけではなくても、意味も解らずに、例えば神社・仏閣などへお参りをして、知らず知らずのうちに邪義邪宗の害毒を受けて、その結果、法華経に背き、地獄へ堕ちることになるのであれば、強いて法華経を説くべきであり、もし、素直に法華経を聞いて信ずる順縁の者は直ちに仏と成り、たとえ信じないで誹謗する逆縁の者であっても、法華経を
(そし)った縁によって法華経に触れ、仏種が植えられ、いったんは地獄に堕ちるが、それを縁として必ず仏に成れるのであると、このように仰せられているのであります。 平成二十二年五月 広布唱題行の砌
 
 
 六月
 
 我々は値い難き人界に生を受け、さらに値い難き仏法に値い奉り、一閻浮提第一の大御本尊様に巡り値うことができまして、最高の境界におります。
 この喜びは何事にも代え難い無上の喜びでありますが、我々はこのたぐいまれなる境界に心から感謝し、仏祖三宝尊に対し奉り衷心より御報恩謝徳申し上げるとともに、この功徳と歓喜を受け身として自分一人だけのものとせず、自行化他の御聖訓のままに、一人でも多くの人々に大聖人様の仏法を伝え、下種折伏していくことが今、最も肝要であろうと思います。
 なぜならば、折伏は最高の報恩行であり、一切衆生救済の慈悲行であるからであります。つまり、折伏することによって相手を幸せに導き、また自らも無始以来の謗法の罪障を消滅し、現当二世にわたって自他共に幸せになることができるからであります。
 平成二十二年五月  広布唱題行の砌
 
 
五月
 すべての支部は、年頭に当たり、それぞれ本年度の折伏誓願を立てたと思います。いかなることがあろうと、御宝前において立てた誓願は必ず達成するようにしなければなりません。誓願は、あくまで達成するために立てられたものであります。
 『開目抄』には、
「つなき者のならひは、約束せし事をまこの時はわするゝなるべし」(同 五七四㌻)
と仰せであります。
 私達はこのようなりを、けっして受けてはなりません。御本尊様の御前で立てた誓願を、講中が一致団結、全力を傾注して達成し、晴れて御本尊様の御照覧をいただくことほど無上の喜びはありません。
 平成二十二年四月 広布唱題会の砌 
 
 
 四月
 本年は「広布前進の年」であります。世界的に天変
地夭が続発している今日、世界の平和と安穏を実現する唯一の教えこそ、末法の御本仏大聖人様の仏法であり、その具体的実践方途こそ折伏であります。
 世の中が平和になってこそ、個人の幸せも実現できるのであります。故に『立正安国論』には、
「汝く一身の安堵を思はゞづ四表の静謐るべきものか」(同 二四九㌻)
と仰せであります。
 平成二十二年三月 広布唱題会の砌
 
 
 三月
 
 特に末代の衆生の成仏、不成仏は、罪の軽重によって決まるのではなく、その人の信、不信、すなわち信心があるか、ないかによって決まると仰せられているのであります。
 すなわち「以信得入」と仰せのように、信こそ成仏得道の道の要諦(ようてい)であります。
  大百連 平成二十二年二月
 
 
 二月 
 「如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是なり」
とあるように、「如来の室に入る」とは、大慈悲心を起こすこと。つまり自らの命の中に一切衆生を救済していこうという慈悲の心を起こすことです。
 これは折伏にとっては、極めて大事なことであります。相手を本当に救っていこうという心がないと、やはりその命は相手にどうしても伝わっていきません。
 ですから、慈悲の心を持って「この人を何としても救っていく」、「あの人の不幸を何としても打ち破っていく」、そういう慈悲の心を持つべきであるということであります。
夏期講習会第一期 平成十八年五月 
 
 
 平成二十二年一月
 
私どもは「大難来たりなば強盛の信心弥々悦びをなすべし」との御金言をよくよく拝し奉るべきであります。
 いかなる大難が競い起きようが、一生成仏への絶好のチャンスであると受け止め、なお一層の信心に励むところに、我々の成仏の道が必ず開かれてくるのであります。否、むしろ難を呼び起こすほどの闘いをしていくところにこそ、即身成仏、立正安国の道が開かれてくるのであります。
 平成二十年八月 広布唱題会の砌
 
 

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