ホーム  勉強会目次  信心の原点NO20


 信心の原点(改訂版) 東中国布教区編より抜粋】
 所作仏事(宗化儀の理解のために)

 回向の意味
 =回転趣向(えてんしゅこう)の略で、自らの仏道修行の功徳善根を、自分以外のものにふり向けていくことを言います。
もともと回向とは、必ずしも亡くなった人に対してのみ行われるとは限らず、生きている親や友人・知人その他諸々(もろもろ)の多人・一切衆生に対しても、自分の功徳は回向されるべきものです。そしてその功徳は再び自分に返って来るというのが、回向の本義です。
『摩訶止観』には、「回向とは、衆善(しゅぜん)を廻らして菩提(ぼだい)に向かうなり。(乃至)声を回(めぐ)らして角(つのぶえ)に入るれば響きの聞こゆることすなわち遠きがごとし。回向を大利(だいり)ありとなす。」と説いています。
 つまり、角笛(とのぶえ)を通して声を出せば、自分の小さな声でも遙か彼方(かなた)にまで響いていくのと同じ様に、(正しい本尊を通して)一切衆生に回向をなせば、自分の小さな徳も、大きくふくらんで回(めぐ)っていき、再び自分に返って来るとのことです。「大利あり」とは大利益があるという意味でです。

乃至法界平等利益(ないしほうかいびょうどうりやく)自他俱安同帰寂光(じたぐあんどうきじゃっこう)
 =自分が修(おさ)めた勤行の功徳を、自分だけのものとせず、宇宙法界全てに平等に回らし、自他共に寂光土(じゃっこうど)(成仏の境涯)に帰す事が出来ますようにと、祈念して勤行を終わるのです。
 この化儀がどこから起こってくるかと言えば、法華経化城喩品に、「願わくは此の功徳を以って普(あまね)く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」とあり、古来からこの文は回向文(えこうもん)として、大切に扱われてきました。つまり、法華経の教えは個々の成仏、自分だけの成仏を目指すのではありません。なぜなら、一即一切・自他一如であり、自分の今あるも、すべては他のお陰を被(こうむ)っていると言うことです。(親・先祖は言うに及ばず、先生・友人・隣人・社会・国家・国土、そして辿(たど)って行けば、有形無形一切のものとのかかわりあいによって、自分の存在があるということです)そのような自覚に立ちますと、自分を取りまく衆生、更に有縁無縁法界すべてに対しても報恩感謝の念をもって、成仏を願っていかなくてはならないという気持ちが自然に湧いてくるはずです。
 大聖人様も『本尊問答抄』(一二八三頁)に、「願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請(きしょう)仕り候」と説かれていますが、これは、不自惜身命のお振る舞いで法華経を弘通し、御本尊を顕されたその功徳を、御自身の父母・師匠、そして一切衆生に回(めぐ)らしたいと、請願されている御文です。(父母・師匠の恩は当然かもしれませんが、一切衆生に回(めぐ)らしたいとの御意(みこころ)です)
 このようなことから、当宗の五座三座の最後には、必ず「乃至法界平等利益自他俱安同帰寂光」と観念するのです。(塔婆にも裏面に願文(がんもん)として「乃至法界平等利益」と書かれていますが、同じ意味です)


             勉強会目次