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【信心の原点(改訂版) 東中国布教区編より抜粋】
 所作仏事(宗化儀の理解のために)


○二座・三座=二座・三座は五座の勤行の中にあっても中心となる、最も大切な勤(つと)めです。
 「帰依三宝(きえさんぽう)」という言葉がありますが、そもそも仏・法・僧の三宝に帰依帰命するのが仏教です。よって、帰依三宝の証(あか)しとして、仏祖三宝尊に対し奉り、御報恩謝徳(しゃとく)を申し上げるのが、二座・三座の意義と言えます。観念文にその趣旨がよく示されております。


○観念文(かんねんもん)=五座それぞれに観念文がありますが、その座の勤めの趣旨を深く心に思念(しねん)して、御本尊に申し上げるのが観念文です。
 三宝が世にましますが故に、私たちは仏道修行し、我が身の罪障消滅もかなえられるのですから、仏祖三宝尊への御報恩謝徳は、万死をもってしても、報じきれるものではないとの思いをもって、二座三座の観念を致すべきです。


○三宝=仏教を構成する三要素として、仏と法と僧があげられます。法を衆生に説かれる仏様と、その教えの内容・教法と、また仏様の教えを信仰し、流布伝授していく僧があって、仏教は成り立っているわけです。よって、その仏と法と僧を仏教における三つの宝として、崇(あが)め敬(うやま)い、供養していく事が、信仰者として最も大切なことです。『新池御書』(一四六一頁)に「法をこころえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ仏を供養すべし」とあります。


○当宗の三宝=一般仏教にあっては、現前三宝(げんぜんさんぽう)(釈尊在世)・住持三宝(じゅうじさんぽう)(釈尊滅後)等と時代に応じてそれぞれの三宝を立て、また爾前権宗各宗派でも様々に三宝が立てられています。
 当宗にあっては日寛上人の『当流行事抄』に、「末法は文底下種(もんていげしゅ)の三宝を信ずべし」との、適格な御指南があります。文底下種の三宝とは、久遠元初の仏法僧の事で、すなわち久遠元初の仏法とは、自受用報身如来であり、末法に日蓮大聖人として御出現になられました。
 久遠元初の法宝(ほうほう)とは、自受用報身如来証得(しょうとく)の南無妙法蓮華経であり、末法に本門戒壇の大御本尊として顕わされました。
 また久遠元初の僧宝(そうほう)とは、本門弘通(ほんもんぐつう)の大導師御開山日興上人です。 更に、日目上人以下歴代の血脈付法(けちみゃくふほう)・法主上人も、今日まで御大法を正しく伝持されてきた正師(しょうし)であり、僧宝に連(つら)なるお方として、御報恩を申し上げるのです。 以上が、当宗に立てられる三宝であり、私たちの勤行も、文底下種三宝への御報恩謝徳であることを忘れてはなりません。


○三宝一体(さんぽいったい)=三宝とは仏・法・僧と、一応三つに分けられますが、三宝一体として拝していくのが道理です。例えば、久遠元初の法宝たる南無妙法蓮華経は、因果倶時・本有常住の本法ではありますが、それは悟達された御本仏がましまして初めて、この法が顕示(けんじ)され建立されて、衆生にその貴(とうと)さが知らされるのです。
 また御本仏も、本法を悟ることによって、本仏たりうるのであり、法を離れた仏はありえません。
 更には、仏と法が存在しても、僧がなければ仏法を後世に伝授流布していくことが出来ず、また僧は法・仏があってこそ、初めてその使命が顕われるのです。このことは、大聖人様が『四恩抄』(二六八頁)の中で明確に説かれ、また『真言見聞(しんごんけんもん)』(六〇八頁)には「凡(およ)そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」と示されております。
 三十一世日因上人は、「当宗出家の当体即仏法僧三宝なるが故、又本理を以て法と為し、智慧を以て仏と為し、慈悲を以て僧と為(な)る故に、僧宝を供養すれば自ら仏界の供養となる義なるべし」(富要一巻一九二頁)と示されています。即ち三宝一体の義から、僧を供養することは、そのまま仏様への供養となることを説かれているのです。

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