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  信心の原点(改訂版) 東中国布教区編より抜粋】
  所作仏事(宗化儀の理解のために)
 

初座の意義=諸天に妙法の法味を捧(ささ)げるの意です。
 以下に、御書等にもとずいて、その法義的裏付けを考えてみます。


諸天は法華経の行者を守護=『神国王御書』・『祈禱抄』には、法華経序品・陀羅尼(だらに)品の説相(せつそう)によって、法華経の行者があれば、諸天は必ず守護を為すことを釈尊に誓ったことが、説かれています。


神天上(かみてんじょう)の法門=一方、大聖人様当時の日本国のように(今日もそうですが)、国土が謗法であれば、諸天は妙法の法味(ほうみ)に飢えて、天に帰ってしまい、その後を悪鬼が乱入し、様々な災いを起こすことが、『立正安国論』(二三四頁)をはじめ、諸御書に示されています。
 しかし、「此の大菩薩(八幡神)は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖(す)み給ふべし」(諫暁八幡抄 一五四三頁)と説かれ、法華経の信行者がいれば、その頭には宿るのです。


諸天は本仏の力用(りきゆう)の一分=『法華取要抄』(七三四頁)や『日眼女釈迦仏供養事』(一三五一頁)に、大梵(だいぼん)天・帝釈(たいしゃく)天・日天・月天そして天照大神・八幡大菩薩等の諸天善神が、その本地は教主釈尊、内証は久遠名字の妙法蓮華経であると説かれています。またこれを『報恩抄文段』には「十方三世の諸仏乃至梵帝日月天神地祇、皆本地自受用一仏の内証に帰る」とあります。
 即ち、諸天善神は御本仏自受用身の垂迹(すいじゃく)であり、その働きも御本仏の力用の一分であるとするのが、大聖人様の御法門です。故に『国府(こう)尼御前御書』(七四〇頁)に、「日蓮を恋しく想うのであれば、つねに出(いず)る日、夕べに出る月を拝みなさい。その中に自分はいつとはなく、影を浮かべるであろう」(趣意)との、大変有難い御教示もあります。
 これを受けて、『日有上人聞書』には、自受用報身如来の御当体である大聖人様が、三世不退に利益を垂(た)れ給うお姿を、毎朝東天に昇る日輪の中に拝する意味で初座の勤行があると、このように説かれています。(富要二巻一六一頁趣意)


東天に向く理由=日達上人御教示に、諸天善神はいたる所にましますが、伝教大師も「東は諸方の始めなり」と申され、一応太陽のある所をもって、諸天善神の在(おわ)します所として、そこに敬意を表し、お題目を上げて法味を捧げるとの仰せがあります。
 また日顕上人は、大聖人様が毎朝東を向いて、諸天を拝された。日興上人もそのお姿を拝し、同じように東天を拝し、それが当宗に今日まで伝わってきている旨の、御指南をされています。


初座のまとめ=以上に挙げた諸点より、当宗で諸天の勤めを行ずるわけをまとめれば、一には、法華経の説相により、諸天が法華経の行者を守護することを誓った故に、題目の法味を捧げ守護の威力を増さしめること。二には、諸天の働きといえど、御本仏自受用身の力用の一分であること。三には、東は諸方の始めであり、宗開両祖の東天を拝するお姿が、本宗の勤行の化儀として整足されたこと、この三つにまとめられるかと思います。


諸天の守護も行者の信心にあり=『日有上人聞書』に、信心余念なく妙法蓮華経を唱えれば、我が身即妙法の体であり、諸仏諸神は用(ゆう)(自己の信心より起こる作用、働き)となる。故に、別に外より諸仏諸神が来て我々を守ってくれるわけではないとの仰せがあります。(富要二巻一四一頁)信心決定(けつじょう)のところ、凡身即仏身となる下種仏法の要諦(ようたい)を示された、大切な御教示です。

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