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 【信心の原点(改訂版) 東中国布教区編より抜粋】
 所作仏事(宗化儀の理解のために)
 

【信心の原点(改訂版) 東中国布教区編より抜粋】
 所作仏事(宗化儀の理解のために)

御本尊お給仕
○仕える=各家庭に御安置された御本尊へのお 給仕は、信心の最も基本であり、どんなに折伏が上手な人でも、教学の進んだ人でも、御本尊のお給仕がおろそかであれば、信心があるとは言えません。「法華経を 我が得しことは 薪(たきぎ)こり 菜つみ水汲み 仕えてぞ得し」との、提婆品採果汲水(さいかぎっすい)の古歌にありますように、御本尊に身をもってお仕えする心が、何よりも大切です。
 朝、起床洗面の後、仏壇のお掃除、お樒(しきみ)の水のとりかえ、お水のお供え等は毎日必ず行ってから、勤行を行うよう心がけましょう。
 なお、お給仕の際には、樒一葉をロに挟み、きちんとした身なりで致します。

○塵を払う=仏壇並びに仏間は、清浄にしておくことが肝要です。釈尊の弟子・修利槃特(すりはんどく)は自分の名前さえ覚えきれない愚鈍な人でしたが、釈尊から「汝はとにかく塵を払えと言うことだけを覚えよ」と言われました。以来、槃特はいっでも「塵を払え塵を払え」とつぶやいて掃除をしていたら、いつの間にか心の中の塵まで払われ、普明如来(ふみょうにょらい)の記別(きべつ)《成仏の保証》を得たということが仏典にあります。大聖人様も、「たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり、修利槃特等是なり。」(322頁)と仰せです。末法愚迷(ぐめい)の私たちも、仏壇等の塵は常に払っておきたいものです。

○お水の意味=人間にとって正(まさ)に命の水を、朝一番に御本尊にお供えすることは、大切な事です。仏法上は、仏にお供えするお水のことを閼伽(あか)といい、「功徳水」と意訳します。自らは汚れても、他を清める、菩薩の徳になぞらえます。また水は高さより低きに流れますが、これは仏の慈悲が、仏界の高きより九界の低きにまで、平等に流れていく姿をあらわしています。

○初お水(はつおみず)『汲み初め(くみぞめ)の水』=毎朝、最初のお水を御本尊お供え用として、汲み置きます。朝勤行の前にお供え申し上げ、夕勤行の前にお下げします。お供えの際には、樒(しきみ)の葉の先端部を器に入れてお水をそそぎます。器に付いている蓋(ふた)は、昼問はあけておき、夕刻お下げしてから、被(かぶ)せます。

○仏飯のお供え=朝炊きたての御飯を、自分達がいただく前にお供えします。(朝炊かない時は、炊いた時随時お供えする)

○お供えの仕方=専用のお給仕盆で仏飯の器をお運びし、身を低くしてお供えします。正座し題目三唱の後、「南無下種三宝御報恩謝徳御供養の為、南無妙法蓮華経」と観念致し、鈴三打、再び題目三唱して直ちにお下げします。(一日中お供えしている人がいますが、これはいけません)

○お霊供膳(おりょうぐぜん)=年中行事(お会式・お誕生会・宗旨建立会等の慶事、興師会・目師会・盂蘭盆・お彼岸等)また毎月の大聖人様の御命日には、真心をこめてお霊供膳を仕立てれば、御報恩の志しを現わすことができます。
 具昧(材料)は、肉・魚・鳥、五辛(ごしん)《にら・らっきょう・ねぎ・にんにく・はじかみ》等の臭いの強い野菜は避け、精進料理をお供えします。
(お霊供膳の作り方・供え方の詳細は、寺院にお尋ね下さい。)


華・香・灯・鶴丸について
○三具足・五具足=本宗では、御宝前の荘厳には、古来三具足又は五具足が用いられてきました。三具足とは、華(け)《しきみ》・香(こう)《線香》・灯(とう)《ローソク》各一つづつ、五具足とは、華一対・香・灯一対を、それぞれ図のように並べます。どちらの方式を用いても結構ですが、線香の煙リ・ローソクの油煙が、直接仏壇の中に入らぬよう、少し離すようにして下さい。

 
 <三具足の場合>

   ○灯明

  ○香炉

  ○華
     
 <五具足の場合> 
 
  ○華
  ○灯明
  ○香炉
  ○灯明
  ○華 
ご宝前  ○水 ご宝前  ○水
       

○華=当宗で「お華(はな)」と言えば、樒に限ります。法華経方便品に、「栴檀(せんだん)及び沈水、木樒(もくみつ)並びに余の材」と説かれ、樒は日本でも昔から清浄な香木として仏事に用いられ、遠く源氏物語にその例が見られます。
 樒は、その色と香の二つの特徴をもって、用いられるのです。色とは常緑樹の青々とした姿であり、御本尊(法)の常住不滅を表わすのに相応(ふさわ)しく、一方他宗で使う色花は、咲き枯れの差が激しく無常遷滅(せんめつ)の姿なので、当宗では用いません。
 また香とは、樒の持つ特有の香気であり、邪気を払い、仏前を清浄(しょうじょう)ならしめる意味があります。
 以上の意義をふまえ、水を取り替えるのを怠って枯れるにまかせたり、色も香もない造花の樒を使ったりせぬよう、心掛けるべきです。

○香=香には線香と抹香の二通りがあり、普段は線香を使いますが、各家庭での法事の時、またお会式や立宗会等の年中行事の折りには、特別、抹香(まっこう)をたくのもよいでしょう。《焼香という》。法師品に「抹香・塗香(づこう)・焼香」等を用いて、仏前を荘厳することが説かれていますが、これは香の薫りをもって仏様への供養とするのです。
 天台大師は「一色一香(いちしきいつこう) 無非中道(むひちゅうどう)」と説かれ、一切の事物に中道実相(ちゅうどうじっそう)が具(そな)わっていることを示されており、香の薫りにもまた、中道法身如来(ちゅうどうほっしんにょらい)の徳があると解釈されます。
 世間では線香を立てますが、当宗では横にねかせます。薫香(くんこう)は静穏(じょうおん)を旨とする意義からこれが相応(ふさわ)しく、また灰が散乱するのを防ぐためでもあります。一〜三本を、火のついた方を左にしてねかせます。
 香炉(こうろ)は経机の中央に置き、灰は常にならして、香炉からはみ出して周囲を汚さぬように気をつけます。

○灯明=薬王品に、薬王菩薩が自らの臂(ひじ)を焼いて、仏に供養したことが説かれ、その功徳の深い事が示されています。灯明は、報身如来・智慧を表わし、煩悩を焼き尽くし、法性の智火を明らかにする意味があります。

○鶴丸=御本尊の真近(まぢか)、左右の脇に、鶴丸のくちばしが内側に向かい合うように置きます。ローソク立てや花器等の鶴見も、左右逆にならないよう、置く時には気をつけます。

 日有上人の仰せに、「花香仏供(けこうぶつぐ)等を備え申す事は仏の三因仏性(さんいんぶっしょう)を供養し奉るなり」とあり、御本尊に水・香・華・飯等をお供えすることは、法報応の三身、仏法僧の三宝に御供養申し上げる意義があり、それは即ち我が身の三因仏性(正因・了因・縁因)を養育し、生長せしめることになるのです。


数 珠
○数珠の起こり=『六巻抄』には、木患子経(もくげんじきょう)の釈尊が波琉璃王(はるりおう)に、「もし悩みを解決したいと思うならば、木樓子(もくろじ)一百八顆(か)をつらね、常に身に離さず、至心に仏法僧の三宝を念じていきなさい」と説かれたとの説話を引用されています。また他の経に「数珠は下根を引接(いんじょう)し修行を牽課(けんか)するの具」とあることも挙げて、我々下劣の衆生を仏法僧に引き合わせ、修行を奨励(しょうれい)する為の法具と説かれています。

○三衣の一=袈裟(けさ)・衣・数珠を当宗の三衣と言います。布で出来ていなくても、煩悩をかくす不思議なる衣の意味です。

○数珠の所表(しょひょう)=多くの意味がありますが、その一端を示せば、珠(たま)の丸きは全てを円満に具足する、妙法の功徳を示しています。
 左右の親玉は、父母・妙法・釈迦多宝・境智の二法の意味に配されます。一百八箇の小珠は私たち衆生の百八煩悩を、その間の四個の小粒の玉は四大菩薩の徳(常楽我浄)を表わします。これを指にかけ、掌(たなごころ)に収めて修行すれば、百八煩悩を覆い隠して、菩提を生じていく功徳があるとされています。
 房の白きは大白法の意、左右に長いのは、「一天四海(いってんしかい)に法をなびかす意」「長きは他宗に簡異(かんい)して折伏を表わす』との御教示があります。《筒異とは区別するの意》

○数珠の掛け方=房の二本の方を左手中指に掛け、中央で交差するよう内側にひねって、三本房の方を右手中指に掛けて合掌します。




図が入る:準備中




○取扱いの注意=当宗では古来より「数珠は仏の如くせよ」と言われてきました。畳(たたみ)に置いたり、振り回したり、粗末に扱ってはなりません。また数珠はみだりに揉(も)まないようにします。
 日寛上人は「数珠は須臾(しゅゆ)も身を離る可からず、故に常自随身(じょうじずいしん)と言うなり」と、数珠を常に身につけておく大切さを示されています。
 当宗で使用する数珠は、あらかじめ寺院で開眼供養したものを使います。(数珠は、開眼供養によってはじめて、法具としての意義と功徳が具わるのです)
 古くなって痛んだ数珠は寺院に納めます。(経本も同様)
9.7.16


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