『日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず三三藏祈雨事 御書874頁 

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 体験発表

    
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 信心五十五年を振り返って

 私は建設会社の岡山支店で働き始めた昭和三十五年の春、当時日蓮正宗の信徒団体であった創価学会の伯父が訪れて「この御本尊を拝むと幸せになるから」と言って渡されました。
 しかし、信心のことは何にも分からずそのまま箪笥の上に一年間放置していました。
 そのころ会社で図面を書いていましたが、次第に図面の線や文字が見えづらくなり、岡山医大の眼科で診察を受けると視神経網膜炎で、治っても眼鏡で矯正しなければならないとの診断を受けました。これは大変なことだと思い、箪笥の上に放置していた御本尊様を思いだしました。
 そこで先に創価学会に入会していた姉に相談すると「自分自身が御受戒を受けてから信心をしなさい」と教えられました。
 そこで、実家のある香川の福成寺で御受戒を受け、御本尊様を御安置して朝夕の勤行を始めるといつの間にか視力も回復し、誘われるまま学会活動に励むようになりました。
 昭和四十年の正月の事、会社の先輩宅で彼女と出会、付き合う内に彼女も製図の仕事をしていて突然、左目が網膜剥離になり広島医大で手術を受けてから信心に目覚めたと言う同じ体験に驚きました。誕生日も一つ年下の同じ七月十八日生まれで血液型も同O型と言う偶然の一致に不思議な縁を感じ、付き合うようになりました。
 そしてこの御本尊を保ちお互いに信心根本に生活すれば必ず幸せになれると確信して、その秋、所属していた玉林寺の御宝前で結婚式を挙げました。
 信心即生活で妻も仕事を続けながら夜は共に学会活動に励んでいた昭和四十二年一月十九日身重であった妻は突然破水して、未熟児の長男を仮死状態で早産しました。
 産声をあげなかったので医師は生まれたての子供の尻をたたいてやっとか細い産声をあげたのですが「今夜を越せるかどうか」と医者から言われた私たちは「この子を広布のお役に立てる子に育てますからどうか助けて下さい」と必死に題目を続け、一ヶ月後にやっと退院出来ました。
 その三年後に次男が、その六年後に三男が誕生しましたが、どの子も誕生百日目にお寺でご受戒をして戴き、小学一年生になれば家族と一緒に朝の勤行をさせてから登校させました。
 勤行の姿勢が悪いときは厳しく躾けました。幼い内に、しっかり勤行をさせていて良かったと今つくづく思います。大きくなってからではなかなか親の言う事は聞けないものです。
 今は、三男の園児と小二の孫に家にきたら必ず御宝前に挨拶をさせたり、勤行を教えています。
昭和四十五年後半の頃から学会の会合で僧侶への批判、宗門批判が激しくなり創価学会、池田会長を本仏の様な指導に不審を持つようになりました。
 昭和五十一年当時、地区の副男子部長と聖教新聞の責任者、 牙城会、登山の輸送班などを任命されていた私は、学会の指導が日蓮正宗の教えから次第に逸脱して行く様子に悩みました。
 そんな頃の昭和五十三年の夏休みに、私は妻と小学六年の長男と三年の次男と幼児の三男の三人の息子と車で往復四日かけて大石寺に参詣しました。
 子供たちにとっては初登山であり、本山の墓園にある妻の両親の墓参りでも有りました。
 初めてみる富士山やして行く荘厳な境内での白衣小僧さんたちに出会って「僕もここに来てお坊さんになりたい。どうすればお坊さんになれるんな」と突然、長男が言い出しました。一時の気まぐれと聞き流していましたが、二学期がはじまっても問い続ける長男に、ふと仮死状態で生まれてきた時、「広布のお役 に立てる子に育てますから助けて下さい」と御祈念したことを思い出しました。
 得度試験を受験して使命が有れば合格するし、不合格ならば本人も納得するとじ受験させて頂きました。
 合格通知を頂いた時、私たちも正しい信心をしたいと申し出て、玉林寺の檀信徒にして頂きました。創価学会へ「脱会届け」を送りました。 たぶんこの「脱会届け」は香川では私が初めての事だったと思いますが以来、今日まで語り尽くせない程の法難と功徳を頂いてきました。
 平成八年のこと、松山へ単身赴任中に糖尿病で即時入院と診断された時医師に「一ヶ月待って下さい。必ず治しますから」と告げてから朝夕の勤行の後、真剣な唱題と松山城天主閣往復六キロのウォーキングと食事療法とで、治りました。
 平成十四年春、会社の定期健康診断で胃癌が発見され早々に手術をとの診断をされました。
 六月十五日は、「宗旨建立七百五十年慶祝三十万総登山」を控えていたので、七月一日入院七月五日手術と、決め、登山当日は三人の息子とその家族十二名全員で参詣することが出来ました。
 そして予定通り半月後に高松日赤で胃を八割り切除しましたが、その月で定年退職したので十分養生が出来ました。手術をして十五年になりますが今ではすっかり健康 になりました。
 三人の息子たちもそれぞれ自分で生涯 お伴侶を見附て彼女を折伏し、三人共御法前で結婚式をあげて円満な家庭を築き現在孫が七人居ます。
 退職して、民生委員や水利組合長等、地域のボランティア活動に忙しくして居ましたが、70歳の時地元の建設会社から「ぜひ我が社に」と請われて月に数日、労働安全コンサルタントとして勤務していましたが昨年末を持って退職しました。
 今年からはのんびりと晴耕雨読で米や野菜、果物作り楽しんでいます。
 正法信心の功徳でこれまでいかなる病気も治し、また仕事上あらゆる資格試験も題目と勉強で取得出来ました。高松の農家の長男として生まれた私が、先祖から受け継いだ田畑を守りながら最高の法華経で先祖供養出来る功徳に感謝し折伏を生涯続けてまいります。
 ご清聴有り難う御座いました。(Y・K)

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