ホーム 正しい宗教と信仰 正しい本尊と血脈相伝に基づく信仰 日蓮正宗への入信と信仰の実践について 
  
 


 入信(にゅうしん)とは、誤った宗教を捨てて、日蓮正宗の信徒になることをいいます。 入信にあたっては、謗法払いをしたのち、御授戒(ごじゅかい)を受け、御本尊(ごほんぞん)を下付(かふ)していただきます。再入信の場合は勧誡式(かんかいしき)を受けます。


  入信に際しては、他の信仰の対象物となる他宗の本尊や神札、神棚や祠、念珠、経典、お守り、縁起物(だるま、熊手、破魔矢)などを取り払います。これを「謗法払い」といいます。この謗法払いは日蓮正宗の信仰を清浄に実践していくために絶対に欠かせないものです。


  御授戒とは、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の正法を信仰することを御本尊に誓う儀式です。その際は、日蓮正宗の数珠と経本を用い、人生の新たな出発にふさわしい心がまえで臨みます。


  御本尊下付とは、寺院より御本尊をお貸し下げいただくことをいいます。
  私たちは、総本山の本門戒壇の大御本尊を信仰の根源とし、所属寺院を信心の拠り所としていきます。さらに、勤行・唱題をはじめ日々の信心修行のため、私たちの家庭に、大御本尊のお写しである御本尊を下付していただくのです。
  御本尊のお取り扱いは丁重にし、自宅にご安置する際には、僧侶の導師により、厳粛に入仏式を行います。僧侶が出仕不可能なときは、その指示により、法華講役員などが導師をつとめます。


  勧誡式とは、一度は日蓮正宗に入信しながら、創価学会などの邪義に惑わされて正しい信心を見失った人が、日蓮正宗の信徒として再出発するために行われる儀式です。
  ここでは、再入信に当たって、二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊にお誓いします。


  「講」とは、本来は経典を講義したり、仏の徳を讃える法要のことでしたが、のちには、信仰する人々の集まりを指すようになりました。
  「法華講」とは、末法の法華経、すなわち、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の教えを信じて実践する人々の集まりをいい、大聖人みずからつけられた名称です。
  日蓮正宗法華講は、総本山と末寺を外護し、講員が互いに信行を深め、日蓮大聖人の教えを広宣流布していくために、日蓮正宗のなかに定められた信徒の組織です。
  日蓮正宗の信徒となった人は法華講に入講する手続きが必要です。入講の手続きは、新入信者の場合は、所定の「御授戒願」「御本尊下付願」を寺院に提出します。また再入信者の場合は、同じく「入講願」「誓約書」を提出します。
  そして、指導教師や法華講の役員より、日常の信心のあり方や、法華講員としての心がまえについて説明を受け、自分の所属する組織の担当役員を紹介していただきます。
  また、機関紙の購読や講費の納入なども必要です。機関紙は、私たちの信仰を深めるためのものであり、講費は、法華講の運営や活動に充てられるものです。


  勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。
  本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の『方便品』と『寿量品』を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。
  唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量 品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。


  勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。  第二十六世日寛上人は、
  「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」(意訳・観心本尊抄文段) と仰せです。
  信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。
  朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行います。


  朝の勤行は、妙法の功徳に浴した有意義な一日を過ごすことができるよう念じて行います。夕方の勤行は、御本尊の加護により、一日を終えたことへの感謝の心をもって行います。
  勤行は、信仰するうえで重要な修行ですから、姿勢を正し、敬虔な気持ちで臨みます。
  勤行の際には、数珠を手にかけ、経本を見て一字一句正確に読みます。また、自分勝手なアクセントをつけて読経・唱題したり、むやみに数珠を揉んだりしないように気をつけます。
  唱題は、胸の前で自然な形で合掌し、できるだけ御本尊の「妙」の文字を拝して行います。勤行の時の唱題は、回数や時間にきまりはありませんが、心ゆくまで行いたいものです。
  また、勤行の時以外に、折伏や諸願の成就などの目標を持って「唱題行」を行うこともあります。
  日寛上人は、唱題を重ねる意義について、
  「一遍二遍、南無妙法蓮華経と唱えるだけでは、仏になるようには思えないだろうが、一滴の水が集まって海となり、一歩一歩の積み重ねが千里の道を行くように、 日々の唱題の積み重ねが大切である」(意訳・寿量品談義) と仰せです。 私たちは、常に唱題を心がけていきましょう。
  正しい勤行の仕方を身につけるためには、寺院の勤行に参加したり、同信の人といっしょに行うとよいでしょう。


  日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山(とざん)」といいます。
  大石寺には、日蓮大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊が厳護されています。また、総本山には大聖人以来の血脈を所持される御法主上人がおられます。したがって総本山大石寺は日蓮大聖人の仏法の一切と御精神が脈々と息づいている霊地なのです。
  総本山においては、登山参詣した信徒に対して、大御本尊を直々に拝することを許しています。これを「内拝(ないはい)」といい、このとき大御本尊の御厨子が開かれることから「御開扉(ごかいひ)」ともいいます。
  日蓮大聖人が 「須弥山に近づく鳥は金色となる」(本尊供養御書) と仰せのように、大石寺に参詣し本門戒壇の大御本尊に御目通 りすることによって、私たちは、自らの罪障を消滅し、諸々の願いを成就して成仏の大道を歩むことができるのです。

 

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